奨学編2
朝食を取っていた喫茶店から歩くこと数分。
俺は新しい住処である穎稜学院の学生寮の前に立っていた。
この寮は構造的に男子寮、女子寮、共用棟とエントランスを兼ねた事務棟の四棟からなっており、それらが囲う形で中央に広い中庭がある。それぞれの棟はガラス窓のはめ込まれた渡り廊下で繋がれている他、屋上も出入り自由らしい。学生証が寮内及び学校における鍵兼財布になっており、共用棟にある食堂や自販機では学生証で支払いを行うことができる。
なお、今朝はその共用棟にある食堂が午前まで改装工事だったため外に糧を求めに行ったのだが……。
嫌なことを思い出したので思考を逸らすためにエントランスへ入った。外側の自動ドアを潜ると、大理石の空間に浮かぶ銀色の郵便ポストがある。自分の部屋のポストに貼られた不在用のガムテープをはがし、念のため中が空であることを確認した。
以前の家主の物が残っていないかの確認だったが、杞憂に終わったらしい。
先程の会話も相まって一仕事終えた感覚で、入口の大理石に埋め込まれた認証板に学生証をかざした。
ぶぉぉとダルそうな音を立ててエントランスの自動ドアが開く。
そこで、俺は生れて始めて目を奪われる、という事象を体験した。
独りの少女がエントランスへ向かって歩いていた。白のブラウスに膝丈ほどの黒のスカート、それに藍色のガウンを羽織っている。だが特筆すべきは彼女の完璧なまでの美貌と純白の髪。朝日に照らされて遺伝的に存在しないはずの銀色の輝きを放っている。それは間違いなく妖精と呼ぶに値するような、非現実的な魅力を放っていた。
一瞬で意識を取り戻すと、固まりかけた足を強引に動かしたせいで、右手と右足が同時に動いてしまう。
だが、何か思考している妖精はそのことに気付かなかったようだ。
石畳を踏みしめ、背中に針を通したような緊張に耐えながら擦れ違う。
ガラン
謎の安堵を感じた直後、背後でやや重量のある金属が落ちる音がした。
背後で不審な音がしたら振り向くのが人としての本能だろう。ここで理性による制御が入らないのが、未だに動揺していた証だった。
振り向くと、片膝をついた少女が慌てて地面に手を伸ばす姿があった。
その雪のように白い手の先にあったのは一丁の白い拳銃。
ミリタリー系の趣味が無いので詳しい種類は判別がつかないが、これが少女の持ち物であることと少女が持つようなものではないことだけは分かる。
そして運が悪いことに、しっかりと示し合わせたように視線がぶつかった。
逡巡すること一秒弱。
俺は静かに正面に向き直る。
少女のスカートを覗いてしまった紳士はこのような心境なのだろうか?……違うか。と逃避しながら強引に足を進めるが、今度は左手と左足が同時に出てしまった。
極力平穏を装うつもりで歩いているが、コツコツと妖精の皮を被った死神の足音が近づいてくる。
先程とは違う緊張が俺を襲った。
背を冷汗が伝ったと感じた直後、カチャという音と共に背中に金属の冷たさが伝わる。
「……何か見たかしら?」
その天使の囁きにしては冷たい、澄んだ声を聞きながら悪魔の問を即座に否定した。
「いや、何も見ていない」
見なかったことにする、という方針はそのままに返答する。
なお、ここが学生寮の中であり、相手も引き金を引くには条件が悪いだろうという冷静な計算も働いていた。
数秒の沈黙の後、背中の楔が外れた。
ゆっくりと息を吐きだしていると、今度は少女がスマートフォンの画像を見せてきた。
どうやら小学校高学年くらいの女児の写真らしいが、それよりもこの少女が白い薄手の手袋をしていることの方が気になる。指紋を残さないためか?
「この子は見なかった?」
「いや、こっちは見ていないな」
「こっちは、ということは先ほどのは見ていたのね」
「誘導尋問か⁉」
「あなたが勝手にボロを出しただけでしょう。それに、そもそもあなたの見ていないという発言は最初から微塵も信じていないから問題ないわ」
「なら
余計なことを考えていたせいで、ニワトリですら回避しそうな簡単な落とし穴に引っかかってしまった。いや、ニワトリは飛べないから回避できないのでは……。
だが幸いなことに、呆れた様に短くため息をつく姿から見るにどうやら見逃してもらえるらしい。
生命の安全が確保されたので、素直に尋ねる。
「なんでそんな物騒なものを持ち歩いているんだ?」
「型にはめたような悪人はいない、というでしょう?」
何か文豪の言葉だった気がするが、俺の国語力ではヒットしない。
だが、要するに……。
「護身用ってことか?」
「ええ。人を見たら泥棒と思え、泥棒捕らえて縄をなうと言うでしょう? つまり、人を見たら縄を用意するべきなのよ」
「奇麗に三段論法みたいに言っているけど、それただの冤罪だからな」
「原罪があるからいいんじゃないかしら」
綺麗に即答されて返事に窮する。
このまま引き下がるのも何となく負けた気がして悔しいので、俺はそもそも何故こんな話になったのかと思い返した。
確か、泥縄の話だったな。
ならばこれはどうだろうか。
「銃と違って、縄は殺傷能力がないと思うが?」
「馬鹿ね。首を絞めればいいじゃない」
「……確かに」
なんなら逆さ吊りでも脳に血が溜まって……とか聞いたこともあるな。
「銃刀法は大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。知り合いに頼んだ特注品だから」
「それ、大丈夫じゃないだろ……」
「……許可は取ってあるもの」
……今の間は何だ、と問いたいが、これ以上は確信か法に触れてしまう気がして口に出すのをためらった。
俺が諦めると、少女はどこか勝ち誇ったようにコホンと小さく可愛らしい咳払いをした。
「捜査協力ありがとう。それと、くれぐれも他言無用で。言ったらどうなるか分かっているわね?」
「……一応聞いてみても良いか?」
墓穴と分かりつつも不要な問いをしてしまった。
後悔をする間もなく死神の影をチラつかせる少女は淡々と瑞々しい唇で告げる。
「そうね……。一例としては貴方の過去の情報を全て詳らかに調べ上げて書き出し、廊下の掲示板に張り付けようかしら。寮の管理人に頼んであなたの部屋を捜索、その戦利品を学校に飾り立てるのも良いわね。それとも物理的な口封じがお望み?」
精神的に、社会的に、物理的に死の三拍子を突き付けられて硬直する。
たとえ話のはずなのに、その光景がありありと浮かび、再度冷汗が伝った。
物理的な、の下りでいい笑顔を見せつけられたのも完璧な追い打ちだ。
「……分かった。誰にも言わないことを誓う」
俺の返答に満足したのだろう。少女は小さく頷くと銀髪を翻しエントランスへ歩み去った。
その後ろ姿はどこまでも悪魔的な魅力を秘めており、息をするのも忘れてしまいそうだ。
そうして、やはり死神という表現が適切だと再認識するのだった。
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