奨学編 ~消えた人影~

奨学編1

 あらゆる自由が保障された現代において、右を向くのも左を向くのも自由だ。

 別に正面を向いても後ろでも上でもいい。ただし、その結果偶然飛んできた野球ボールに顔を襲われるのも、死角から自動車が飛び込んでくるのも選択者の責任だ。

 それを踏まえて考えて欲しい。

 人生において自分が何を選択するのかを。



「そんなテーマのドラマが昨晩やっていたんだけど、君はどう思う?」


「さあ」


 ひとまず、そんな重いテーマのドラマは見たくないな。


 そんな感想を抱きつつ、隣に座った狐の様に鋭い眼光を向けてくる女性に警戒心を滲ませながら適当な返事をした。


 だが、現在進行形で朝食として舌鼓を打っているアンチョビパスタのような塩辛い対応はお気に召さなかったらしい。


「ならこれはどう? 例えば目の前に困っているお年寄りがいるとして助けるか助けないか。君ならどうする?」


 本日何度目かの問いかけに辟易としながら、失礼を承知で質問に質問で返した。


「あの、ところであなたは……」


 数分前、この薄暗くも温かみのある喫茶店で朝食を取っていると、見知らぬ女性が店内貸し切り状態にもかかわらず、俺の隣に座り話しかけてきた。


 始めは無視していたが、執拗に話しかけてくるので諦めて反応した次第である。


「私なら助けないかな。どうせ誰か助けるでしょ?」


「お手本のようなダメ人間の発想ですね」


「まあ、現実はこんなもんだから。諦めるべし!」


 そんなもの、今更言われなくてもそんなこと小学生の頃から知っている。


 で、君は? と強烈に視線で問われるので、下らない質問だと分かっていながらも一応は自分の信条に照らして思考してみた。


「自分に可能なことなら助けます。お礼が貰えるかもしれないので」


「打算たっぷり。君もなかなかやるね!」


 はて、いつからゴミ人間コンテストという琵琶湖に沈められそうな大会へ参加させられていたのだろうか。


 とは言え俺にも言い分はあるのだ。


 だが、それより早く次の質問が飛んできた。


「じゃあ、もし遅刻しそうな時なら?」


「助けません。お礼がもらえる期待値と遅刻のデメリットを秤にかけた場合、後者が勝りますので」


「自己中だなぁ」


 端から見ればそうだろうだが、


「失礼な。人間味に溢れていると言ってください」


 これが俺の本心だ。


「いいねえ。私好みにれてるよ」


 クルクルと煎餅を焼くように裏返る反応に辟易としつつ、『好みの擦れ』というパワーワードを黙殺。すると、イカ墨のパスタを無駄に行儀よく口に運んだ後、少し下がった声のトーンで隣の女性が尋ねてきた。


「君の中心は『利益』なんだね」


 ……これだけ話せば、多少洞察力のある人なら直ぐに分かるか。


 確信を突く発言に警戒を高めつつも俺は首肯した。


「人は自分の考える最大の利益を求めて行動するというのが持論です。勿論、この場合の利益は金銭や目先だけのものではなく、人間関係や長期的なメリットを含めてですが」


 なぜ早朝から初対面の人にこんな話をしているのだろうか。いや、むしろ早朝で寝ぼけが残っているからこそかもしれない。


 これ以上は一方的に質問されるのもしゃくだ。


 こちらも先ほどよりやや強い口調で反撃の狼煙を上げることにした。


「もういいでしょう。ところで、あなたは誰ですか?」


「……まあいっか。お返しに言うなら『人間の頭は飾りとして重過ぎる』というのが私の持論だよ。それを踏まえて答えるなら、私は通りすがりのお姉さんかな、東雲大和しののめやまと君」


 語尾にウインクでも付きそうなくらいリズミカルに、自分はお前について知っていると言外の圧力をかけてくる女性。


 少しは頭を使って考えろ、ということらしい。


 背まである長い髪やスーツからはOLのように見えるが、薄い化粧や整った顔立ち、肌の張りなどから推測しても年齢は精々大学生程度に見える。鞄はシンプルなデザインで胸元のロケット以外、特に装飾品もない。


 だが、外見に年齢的な手がかりしかなくとも、この人は俺の名前を知っていた。


 俺はこの春から頴稜学院という中高一貫校へ高等部から入学するという三十人の枠の一人であり、昨日近くの学生寮に引っ越してきたばかり。


 よって近所の人や同級生の姉という線はない。寮のポストには名前も貼ってないので、そこから俺の氏名を特定するのも不可能。ここに若さを加味することによって導かれる結論は……。


「穎稜学院の関係者の方ですね。事務か担任の方でしょうか?」


 俺の発言を聞いてどこか納得したようにブツブツと呟く女性はすぐに笑みを作って返事をした。


「惜しいかな。けど、それも面白そうだね!」


「……はい?」


 思わず変な声を上げてしまった。


「私は月野サキ。君の担任をすることにしたから、よろしくね」


 そう言って、月に代わってお仕置きをしてきそうな名前を名乗った月野さんは、素早く伝票を持って、どこかに電話を掛けながら会計に向かった。


 一方で取り残された俺の脳内には疑問が渦巻く。


「惜しい? 担任をすることにした?」


 ろくな結論がでず、嘲笑う月野さんの図という被害妄想が浮かび始めた辺りで、ため息を使って思考を打ち切る。


 ため息をつくと幸せが逃げるという迷信があるが、生物学的には強く息を吐くことによって呼吸量が増え、結果的に脳に回る酸素量の増加で思考が改善するらしい。


 空になった二枚の皿を一瞥してため息をつくとポケットに入れていた懐中時計を取り出し、指でなぞって時刻を確認した。


 本日は新入生最大のイベントの入学式。入学式自体に価値はないが、その後に行われるクラスメイトとの顔合わせは重要だ。


 交友関係は重視する方ではないが、何かと友人がいないと不便なのも事実。


 入学式まではまだ三時間近くあるが、着替えも含めて一度寮へ戻ることに決めた。


「……あ」


 支払いに行こうと立ち上がったところで伝票が見当たらない。


 思い当たる節は一つだけ。


 ……社会常識に照らして考えれば、ご馳走になったことに礼を言うべきなのだろう。だが、ガラス戸越しに見える黒髪に、素直に感謝する気にはなれなかった。

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