第16話

 悪いことは重なるもので、元妻たちと揉めている最中、ボラクが機関長を務める第6泥花丸は狩猟中に事故にあった。

 古きものと海上で遭遇したのだ。

 幸い乗組員は無事だったものの、撃退する際に使った武器が船に損傷を与えた。これを修理するのに、泥鎮狩猟の運転資金では間に合わず、融資も受けられず、社員一同は私財を投じざるを得なかったらしい。

 なにしろ、運悪く漁場に向かう途中の出来事であったために、その日の稼ぎはゼロだ。しかも、修理にかかる2ヶ月あまり狩猟に出られなかった。

 ボラクの貯蓄は底をついた。日雇い仕事で食い繋ぐも生活は苦しい。結局ここから家賃の支払いが滞った。

 社員で折半した修理費は、半年近く経つ現在でも、まだ取り返せていない。

 そんな風に自分の生活も危ういボラクであったが、ラッチャが母親の元で冷遇されているのには気付いていた。娘が表情も暗く、母親の再婚相手に怯えて暮らしているのを見るのは忍びない。

 ボラクはラッチャを引き取りたいと申し出た。赤ん坊の養育費まで払っている状況では無謀というほかないが、親としては見上げた心意気だ。

 ラッチャの分の養育費の返金を求めない条件で、元妻は申し出に応じた。ならばと、ひとまず娘の安全が確保できたボラクは、今後それを下の子の養育費に充てるよう告げて、彼らと連絡を絶った。

 元妻の再婚相手が、ラッチャの学校やボラクの家の周辺に姿を見せるようになったのは、それからのことであった。


「今は仕事もできてるが、今度はホテル代がかさんで……この子がいるから、危険な区画には泊まれねえし」

 こないだねぇー、すっごくくさい部屋に泊まった!おもしろかったー!とラッチャ。

 安全とリーズナブルさを両立しようとすると、ひどい部屋になるというわけだ。それを楽しめるおおらかさというか素直さというか……いい娘さんだなあ。

「あんたが大変なのはわかった。しかし理由はどうあれ、家賃は払ってもらう。そのためにも、今の部屋は引き払ってはどうだ?それでしばらくホテル暮らしを続けるなり、もっと安い部屋を探すなり」

 これまで滞納した分は退去しても払わなければならないが、少なくとも、ホテル代と家賃の二重払いよりは絶対にマシなはずだ。

「そうだな……どうにも、先延ばしにしちまって。あの家は、ラッチャの生まれた家だったもんで」

 気持ちは察するが、感傷に浸っていられる状況でもなかろう。

「そういえばボラク、今日は部屋に行っただろう?」

 気づかない間に出入りした件も気になるが、こいつは警備部になんらかの嫌疑をかけられているのだ。

「その、あんたら、中を見たか?」

 ボラクはあからさまに動揺した様子を見せる。

のことか」

 多少、カマをかけてみるか。

「やっぱりアレは、ヤバいものなんだな……?」

 ふむ?

「あんた、警備部に追われてるぞ」

「隠してること全部吐いちゃいましょ?私たち管理部は、家賃払う気があるなら危害は加えないであげますけど、警備部はこんなに優しくないと思うなー」

 アミアがスマホをいじりながら言う。のんびりした口調だが脅迫だ。さてはこの、飽きてきたな?


 ラッチャの母親の再婚相手、名をナーバイというそうだ。

 つきまとわれるのにいい加減うんざりして電話を入れたボラクに、こいつが取引を持ちかけた。

「頼み事をこなせば、ラッチャのことは手出しをやめる。下の子の養育費の請求も、諦めるよう女房に取りなしてやる……こう言いやがった」

 仕方なく引き受けたところ、数日後に奇妙な荷物が送られてきた。これが3日前のことだ。

「預かれ、だとさ。ガラクタにしか見えないのになんだって、と思ったよ」

 見た目は、手のひらに乗る程度の大きさの、朽ちかけた金属の塊だった。それが何なのか、ボラクは本当に知らなかったのだという。

「だから、本当はこの子を連れ戻すための、罠かなんかじゃねえかと疑った」

「そうでなかったのは、もうわかってるんですね?」

 その謎の物体を、ボラクは仕方なく荷物と一緒に持ち歩いた。

「だが、行く先々で古きものと出くわすんだ。いくらなんでもおかしい。それで……」

「留守にしている自宅に放り込んだのか」

「ああ。今朝あんたらがドアの手紙を確認した、その後にな。俺は泥水に姿を変えて、換気口からだって出入りできる。そうやってナーバイから逃げ回ってたんだ。だがを通そうとするならドアを開けるしかなかった」

 そうしたら、直後にあの騒ぎというわけか。

 つまり遺物とは、古きものを呼び出す、あるいは引き寄せる……?

 

 ボラクは遺物を何かわからないまま、元妻の再婚相手ナーバイから預かっただけだ。

 その点を警備部がどう判断するか。滞納課おれたちとしては、ボラクが働けなくなるのが一番困る。

「ところで今更なんだが、悪い知らせがある」

 あの遺物が預かり物だとすると大問題だ。

「実はさっき、警備部があんたの家に踏み込んで、遺物は押収された」

「な、なんだって?!」

「そういえばそうですねえ」

 うなずくアミアはラッチャの宿題をのぞき込み、計算問題の解説をしていた。もう完全に話に飽きてるな……。

「まずい、そいつはまずい。ナーバイに知れたら」

 ですよね。

「まあ落ち着いて。整理するとだ、警備部は遺物がらみであんたを追ってる。でも遺物はそもそもナーバイが持ち込んだもの。つまり、本来は間にあんたが挟まる筋合いは全くないんだよ」

 ボラクにはただの災難でしかない。

「とはいえ、ボヤボヤしてたらどっちかが殴り込んで来そうだ。なんとかして、奴らが直接やりあうように仕向けたいんだが……」

「いい考えなんだけど、聞く耳もつかなー」

 アミアが鉈をベルトから抜いて立ち上がった。

 応接セットの横、通りに面した大きな窓からは、見覚えのある虎頭を真ん中にした三人衆がこちらへやってくるのが見える。

「あー……警備部、来ちゃったみたいだな」

「そうみてえだな。管理部さんよ、俺からも悪い知らせだ」

 ボラクは言いながらもラッチャの手を取った。

「通りの反対側だ。ナーバイの野郎も来やがった」

 あごで指された方を見ると、岩の塊が服を着て歩いてきた。

 ……俺の頭がイカれたのではない。

 ナーバイはそうとしか表現のしようがない男なのであった。

 2メートル以上ある身長と分厚い体躯で肩で風切り歩くのを見て、道ゆく人々は進んで道を開ける。

 文字通りの意味でごつごつした太い首に、岩壁を荒っぽく削り出したみたいな、いかつい顔が乗っている。剥き出しの両腕には、刺青ではなく彫刻で、品のない単語や記号が彫ってあった。

 例によって服装は鋲だのトゲだのがついた80年代アニメテイストな革の上下だ。

 なんだろ、世紀末的なドレスコードでもあんのかな、ここって。

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