第12話

「ちょっとコーダ!今ここに『管理者さま』が来ていたわよね?!」

 目の前でヒトが煙のように消えるのを目の当たりにして呆けているところへ、ランギーが飛び込んできた。

「あっ、おはようございます。今日は早いですねランギーさん」

「いたわよね?」

「多分……」


 時間にして5分にも満たない遭遇だったので、起きたことを説明するのは簡単だった。問題は俺が自分の正気を信用できない点だけだ。

「あの方が何もないところから出たり消えたりするのは、いつものことだから気にしないでいいわ。あたしは、あんたを見に管理部オフィスに行く、ってメッセージを確認したから急いで来たんだけど……」

 えー、あれを「いつものこと」で済ませちゃうのか。

「『管理者さま』の反応からして、イカレたジャンキーの妄言じゃなかったのねえ、あんたの主張」

「ぜんぜん信じてなかったんですね……」

 そりゃそうでしょ、とランギーは笑う。

「お会いできたら、ほかに意見をもらいたい件もあったんだけど。まあ、あんたに引き止められる方じゃなかったわね」

 壁をするすると登り、巣の張られた天井へ向かって消えていく姿は、この三日でさすがに見慣れた。

「連絡があったら、アミアの端末で呼び出してあげる。今日も働くなら、バイト代出すわよ」

 そんな声が降ってきて、今日の俺の方針が決まった。

 連絡待ち、そして昨日までに引き続きの、アミアの手伝いだ。


「ええ〜、『管理者さま』と直に会ったんですか?ずるいー」

「なに『管理者さま』ってそういう扱い?」

 あの大きいヒト、アイドル的存在なのか?

「だってレアですよ。私だって一回しか会ったことないもん。おじさんなんて、ここにきて何日も経ってないのに」

 アミアは、俺が名乗ったあとも結局まだおじさんと呼ぶ。

「んなこと言われてもな……だいたい、君が言い出したんだろ。俺が帰るのに、『管理者さま』に相談するべきだって」

 そうですけどー、と不満げなアミアは、集合ポストのひとつを指して「あった」と俺を見た。

 高さは俺の頭のあたりから床まで、幅は5メートル近く、ずらりと壁に設置されたポストは、元々は無骨な黒いペンキで塗ってある。しかしその上には、カートゥーン的なキャラクターが海の上に建つ塔を巨大な拳で粉砕する落書きが、スプレーでデカデカと描かれていた。

 俺はアミアが見つけたポストのスリットに指を突っ込んで、中をのぞき込む。

からだ。少なくとも、郵便物をチェックしには来ているな」

 他のポストからは、ポスティングされたチラシや郵便物、新聞などがはみ出していた。中には、何日も確認していないと思しき、パンパンに詰まっているところもある。

「やっぱり職場に寝泊まりしてるのかなあ?」

 今いるのは、ある滞納者の自宅、その集合ポストだ。

 二日前、尋ねて行って応答がなかったので、玄関のドアに連絡を寄越すよう書いた手紙を貼り付けてきた。ドアを開閉すると破れるように貼っておいたものだが、さっき見たところ変化がなかったのだ。

「家に入った様子がないからな……それか、知り合いの所なんかに転がり込んでいるかもしれない」

 交友関係を洗う必要があるか?


 俺の日本での経験上、滞納者の居所がつかめないのはよくあることだ。

 電話に出ない、書面の通知に無反応、居留守を使うなんてのは序の口で、夜逃げまがいに姿を消す者も珍しくはない。俺には理解できない心境だが。

『塔』管理部のシステムはかなり効率化されていて、家賃滞納1週間めからメールでの督促が毎週自動で発信される。

 それでも支払いがない場合、10週間、または30万円以上の滞納で、管理部は契約者の命で滞納を解消できるようになる。

 払うか、死か。極めてシンプル。ここでの取立ての基本的な決まりはそれだけだ。

 狩猟船も娼館も、滞納額と同額で売り払うので、それらや分割払いはほう。さもなければ、命を取られて資産を没収となる。生きたまま強制退去などという選択肢は存在しない。

 取立て担当者の気分次第で殺されても文句も言えないとなりゃ、家賃だけは必死で払おうというもの。


 そのようなわけで、実際のところ滞納者の割合自体は、この巨大タワマン『塔』の人口に対しては決して高くないのだ。

 逆に言うと、これで滞納する奴はよほど根性が座っているか、何も考えていないかだ。

 ……先日のザルケラはどっちだったのかな。


「ターゲット情報、もう一回見せてくれる?」

 もー、めんどくさいなぁ、と言いながら、アミアは素早く操作した画面を俺に向けてくれる。


ボラク

114階 北7区画 85号室

42歳 泥鎮族 男

家族構成:契約者のみ(別居家族あり)

勤務先:泥鎮狩猟(第6泥花丸 機関長)

年収:610万円

債務等:なし

家賃滞納額:30万円(20週分)


「この勤務先は、漁船……いや狩猟船か?の正規の乗組員ってことだよね?」

 家賃のカタに売られた系ではなく。

 さらに言えば、郵便物をまめに取りに来ている様子から、第6泥花丸は遠洋で何か月も漁をするのではなく、近海で操業し毎日港に帰るタイプの船だと推測できる。

「そうですね。年収に対する家賃の割合も問題ない範疇だし、借金もないし。なんでこんなに溜めちゃったかなあ」

 そこに考えが至るのはいい傾向だ。

「とにかく、連絡を取ってみないことにはな。当然電話には全然出ないし」

 すでに、アミアのスマホに入っている管理部システムから何度か直接電話しているが、まったく応答がない。

「まずはこの狩猟船の所属会社の事務所をあたってみるとするか。ネットでもどんな会社なのか見れたんだっけ?」

「うん、泥鎮族の経営してる会社みたいですね。家族経営っぽいかなあ。泥鎮族がそもそも一種族一部族の、この塔では人口がかなり少ない種族って感じだから……」


 ミーッミーッミーッ


「え、なに?!」

 ふいに、アミアのスマホからは初めて聴く緊張感のある着信音が響いた。普段はデフォルトから変えていないと思われる、無難な電子音なのだ。

の呼び出しです。んー、おじさんを置いてくとオヤツ代わりにそこらのヒトに食べられちゃうかもだし、連れてくしかないかあ」

 バイト?管理部の職員なのに副業もしているのか。

「まずは場所をかくにーん。あれ?」

 スマホ画面を忙しくスクロールしたりタップしたりしていたアミアが首をかしげる。

「114階、北7区画……ってここ?」


 現場はすぐ近くだった。

 果たして、アミアを追って必死に走った先には、怖気を振るう化け物がたむろしていた。

 四肢があり頭があり、サイズは人間大だが、そのシルエットはひどく大味というか、雑に作った粘土細工のようだ。ヌメヌメと水っぽい、灰色がかった白い皮膚は、動くたびにぶよぶよと細かく揺れる。

 頭には目鼻がなく、ただ裂け目みたいな口があって、ゆっくりと開閉する口内は青みがかったどんよりした紫色だ。

 そんな姿のものが、ザルケラ宅と似た感じの住戸の扉が並ぶ長い廊下に、二十体ばかり。

 あたりには磯のにおいにも似た、ひどい生臭さが充満している。

「こ、これって……ヒト、なの?」

『塔』では、人間とはかけ離れた数多の種族がヒトとして暮らしている。会話が通じ、文明を享受してだ。

 だが今目の前にいる者たちからは、そのどちらも当てはまらないような印象を受ける。

「『古きもの』ですよ。意思疎通できない、私たちに害意があると考えられてる、噛まれたら死ぬこともある、特徴はそんなとこ」


 つまり一言で表せば。


「敵です」


 その言葉と同時、アミアは両脚の鉈を振りかぶり前方へ跳躍した。

 次の瞬間には、最も近いところにいた『古きもの』二体が、それぞれ一太刀で真っ二つになっていた。

 それらは、血が噴き出るでも、内臓がこぼれるでもなく、真ん中からずんばらりと開いて、白い断面をさらした。そしてぺしゃりと、まるで空気の抜けた風船か何かのように萎んで、床にわだかまった。

「なん……何これ」

 先日、アミアが豚頭三兄弟を斬り捨てたとき。あれは本当に直視できないくらいの凄惨な出来事で、この華奢で可愛らしい女性がやったという事実にかなりの衝撃を受けた。

 まして彼らは会話ができ、血肉があった。種族は違えど、広義では俺と同じカテゴリと認識していた。

 だが、今目の前であっけなく潰れたものはどうだ。

 床のわだかまりは、見る間に色を薄くしていき、あっという間に、空気に溶けるように消えた。

 あとには何も残らない。

「おじさん、絶対に私より前に出ちゃダメですよ」

 アミアは『古きもの』を敵だと断言した。

 それは、利害や感情などの範疇で発生する敵対関係とは、違うように思える。

 言葉にしづらいのだが、お互いの存在がそもそも絶対に相容れない相手。

 例えるなら、対話不能の宇宙からの侵略者がいたら。あるいは天災や疾病に近い……?


「ずいぶん早く着いたんですね、お二人とも」


 身を隠すものが何もない廊下で、せめて壁に寄り体を縮こめていた俺は、背後からの声に振り返った。

「伏せててもらえると、助かります」

 落ち着いた、低い男の声だ。

「わ、わかった!」

 俺は言われるままに身を伏せた。なぜならそれは知っている声で、信頼のおける相手だとわかっていたからだ。

 なりふり構わず床に手をついて這いつくばった、その頭のすぐ上に、轟音をたてて刃が突き立った。

 壁から『古きもの』の頭のど真ん中を、大太刀が貫いている。

 ……こ、こいつらどこから来たのかと思ったら、壁抜け能力があるのか?

「壁からも、少し離れているのをおすすめします」

 俺のいたのと反対側の壁からも体半分出てきていた『古きもの』を蹴りで沈め、隙のない足取りでこちらにやってくるのは、長身の二十代後半くらいの男だ。

 チャコールグレーのスーツとノーネクタイの黒シャツを着こなす、ややマッチョのイケメン。

 甘さの全くない、整ってはいるが若干いかつい顔の額には、アミアと同じツノがある。

「タイエくん!ごめんねありがと!」

 組み付いてこようとする『古きもの』を3体まとめて鉈で振り払ったアミアが叫んだ。

「お安い御用です」

 硬派なイケメン――管理部滞納課のメンバー、斬鬼族のタイエは、淡々と答えて俺の頭上から長大な刀を引き抜いた。

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