第9話
「ぼ、僕は何も知らないッ!」
ヌルムルがそれまでのねっとりした口調をかなぐり捨てて叫んだ。わかりやすい反応してくれて助かるなあ。
「得をしたのがあなただとは言ってないでしょ。でもま実際……高級娼館で働いて高い稼ぎがあって、セキュリティの良い部屋に住んでいたザルケラさんは、事件後に環境を変えざるを得なかった。だからあなたも簡単に玄関前まで来れてしまうわけで」
実際この部屋にはセキュリティなんて一切存在しない。住居フロアの共有区画との境界にはゲートもついてないし、ここの玄関鍵もシングルロック、ドアは薄っぺらくて屈強な男ならば蹴破るのも難しくなさそうなチープなものだ。
日本ならさほど問題にならない程度だが、管理部エントランスの厳重な警備とガードマンを見る限り、この部屋は安い家賃と引き換えに安全は放棄していると言わざるを得ない。
「お金さえあれば子供さんも、買収されちゃうようなユルいシッターに頼まないで良いですからね……つまりあなたが故スービ氏の鞄持ちだった頃のザルケラさんは、いわば高嶺の花だったということだ」
「こいつはスービが店に来る時は必ず同行してた。プレイ中の貴重品預かりだの連絡係だので前室に控えてたよ、毎回。事件の日も当然いた……どうやってかはわかんねーけど、何かを
ヌルムルは床に視線を落とした。
「ザルケラさんが転落して、あなたは少なくともストーカーしやすくなった、違います?」
それってメリットですよね、と続けても、顔を上げようとはしない。
「まだるっこしいですよ、おじさん。だらだら喋ってないで指の一本でも落とせば、白状したくなると思うなー」
俺の後頭部あたりで、ヒュンと何かが風を切る音がする。普通に俺も怖いのでやめてほしい……
「そのでっかい鉈振り回して、指一本で済むの、アミアさん?鞄持つ手がなくなったら困るんじゃないかな、彼」
「今はちょっと出世したんじゃないですかー?さすがにスービさんの後釜とまではいかないだろうけど」
「どうなんです?鞄持たなくてもいい立場になりました?」
指を落とすような拷問は正直あんまり直視したいと思わない。アミアがそれを実行する前に情報を吐いて欲しいんだよなあ。
内心のそんなビビりが顔に出ずに、いかにもこういったやりとりはいつものことです的に見えてるといいんだが。
「でも俺はどうしても、あなたが一人でクチナワ・ファミリーの幹部の暗殺を企てたようには思えないんですよ、ヌルムルさん」
だってすごい小物感漂ってるもの、こいつ。
そんな本音はさておいて、もう一度、良い警官の役割に戻り、いかにも同情したような口調を作って言う。
「ね、いるんでしょう、あなたにそれを指示したヒトが。……それはスービ氏の地位を継いだヒトですか?」
ブン、と空気を切る音がまた響く。今度ははっきりと俺の顔の横を通過した気がするんだがアミアさん?ストーカーのついでにシレッと俺も解体するつもりじゃないよね?
俺の問いに、ヌルムルはかなり長い間考えていた。体感だが、カップ麺が出来上がるくらいの時間だ。
「……言えば、僕に危害を加えないか?」
「そこはちょっと、断言は無理かな。話を分けて考える必要がありますね」
「えっ」
ヌルムルの長考の間、俺も実は考えていた。
「まず、今日ワンビオ君を誘拐した件。これだけでもう、あなたはザルケラさんに殺されても仕方ない」
どうもここの常識だとそうなるようなので。
「しかし次に、ザルケラさんが客を殺したとされている事件。彼女としては、その件で着せられた汚名を濯ぎたいので、本来ここで殺しても構わないあなたを生かす……情報源または証人として」
「だったら、問題ないじゃないかア」
「一見ね。でもこの話には、咬蛇族あるいはクチナワ・ファミリー側の視点が足りない」
そう、俺の言っているのは、全ての物事が極めて都合よく進んだ場合の話でしかないのだ。
「俺が故スービ氏を排除した人物だったとしたら、まともに相手なんかしない。都合の悪い事実を握っているヌルムルさん、それをネタに交渉しようとする奴ら。全員殺して隠匿するのが、一番確実で手っ取り早い」
「たしかにそうですねえ」
アミアが反論しないところをみると、さすがに単騎で部族一つ敵に回して切り抜けるほどの無茶な腕ではないらしい。
「なので、俺はもう一つ、別の勢力に噛んでもらおうと思うんです」
「あっ、マダム・バビ……?」
最初に気づいたのは当然ザルケラだ。
「そう。一年前の事件、たしかにザルケラさんは職も財産も家も失った。でも実は『蝶のまじわり』も、そうとうな損害を受けてるはずだ」
娼館で客が死に、その責任が店側(この場合はザルケラを含む)にあるとしたら、商売へのダメージは計り知れない。
「本当に事故だったならともかく、故スービ氏の死が仕組まれたものだと発覚したら。そしてその黒幕や、手引きした人物が現れたら。アミアさん、どう考える?」
俺には種族や部族間の関係や、あり方に関する知識も足りていない。そこらへんを、謎解きのフリでアミアに解説させて誤魔化せるといいんだが。
「んー。『蝶のまじわり』のバックは闇蝶族ですけど、彼らも咬蛇族と正面からぶつかりたくはないと思うな。だからスービさんが死んだ件の真相を黙っている代わりに、店とザルケラさんの名誉の回復を要求する、ってところかなあ」
おおむね考えていた通りだ。
「それを咬蛇族が呑んだとして、もし誰かを幹部殺害の真犯人として公表する必要があるとなれば、切り捨てられるのはヌルムルさん、多分あなたですよ」
「じょ、冗談じゃないよオ!だったら絶対に言うもんかッ」
「そりゃそーだよな」
「……おじさんは、お馬鹿さん?」
一応もう少し聞いて欲しいな……。
「俺としては、あなたを上手く丸め込んで、全部被せて殺しておしまい、にはしたくないって話なんですがね。この件は、これ以上死人を出さずにカタをつけたい」
ランギーとの取り決めは、滞納者を殺さずに家賃を回収すること、だ。ヌルムルは今回のターゲットではないから仮に殺してもノーカンかも知れないが、やらずに済むならそれに越したことはない。
「で、もう一回考えてください。故スービ氏が死んだ事件の詳細を白状してこちらに協力するか。あるいは、あなたの背後にいる誰かから切り捨てられて死ぬか」
ヌルムルはやっと真剣な眼差しになった。
「俺は一応、あなたを生かす努力はしますよ。それも態度次第ってやつですけど」
頼もしく、誠実そうに見えるように、キリッと笑顔を作って言い切った。
事件について語られた内容は、こうだ。
クチナワ・ファミリー第四位の幹部であるスービは、それなりに敵の多い男だった。
であるので、スケジュールは子飼いの部下以外には明かされなかったし、その部下にしても、出かける直前まで予定を知らされないことも珍しくなかった。
ヌルムルは頭脳労働や戦力ではなく、主に雑用としてスービに雇われていた。しかし雑用ゆえにスービとの距離は近く、家への出迎え、食事をする店の予約、護衛の手配、日常の細々した手回り品の発注などは彼の仕事だった。
つまり、スービの日常を快適に回すため、最も早く予定を知らされるのがヌルムルだったわけだ。
そんな男が目をつけられないはずはなく、クチナワ・ファミリー内の敵対者から接触されることも珍しくなかった。
それまでヌルムルとしては、スービを売る気になるほどの好条件を提示されなかったこともあって、その手の買収には乗らずにやってきた。
転機は一年前。ヌルムルは部族のとある幹部に呼び出された。はじめは彼にとっては珍しくもない、スービ暗殺の取引話だと思った。
それでも一応話を聞いてみると、対価は金や地位ではなかった。ザルケラを高級店の売れっ子娼婦から転落させてやるから、スービを殺すのに協力するよう持ちかけられたのだ。
スービがザルケラを指名するようになったのはその半年前くらいで、ヌルムルは一目見た時から、彼女を自分の女にしたくてたまらなかったらしい。とはいえ、部族の大幹部であるスービと違って、ヌルムルには『蝶のまじわり』で指名できるほどの金はない。
彼はザルケラへの執心を隠してはいなかったが、スービは鼻にも引っ掛けず、彼女の元に通い続けた。
ヌルムルにとっては、ザルケラが『蝶のまじわり』にいること自体はさして重要ではなかった。彼女が自分の女になるなら何でもいい。
貧困で苦しむザルケラを、君が助けてあげればいい、きっと感謝される……そんな誘い文句に、ヌルムルは乗ったのだ。
手口は極めて単純だ。
『蝶のまじわり』を訪れる直前、ヌルムルは身支度するスービに、ドラッグ入りのオーラルリンスを手渡したのだ。なるほどこれならば、店に入る時のボディチェックにも引っかからない。
ドラッグはクチナワ・ファミリーが商品として開発したが、流通を断念したものだった。使用者の体質や種族特性によっては周囲の者を死傷させるような暴走状態に陥るケースがあるのが発覚し、広く長く売って稼ぐのには向かない、そう判断されたのだ。
咬蛇族はそもそも口内に毒を持つため、経口での毒物や薬物摂取に高い耐性がある。逆に毒鶏族のザルケラは、爪に毒を持つものの、ドラッグは常用しておらず耐性が低かった。
この二人の特徴を逆手に取られ、スービは口内にドラッグを仕込まれたことに気付かないままプレイに臨み、結果、途中で理性を失ったザルケラの毒爪の餌食になったのだ。
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