第8話
「くそッ、何だってこんなタイミングで」
ザルケラは髪を掻きむしり、通話開始のボタンに手を伸ばした。
「ザルケラちゃん」
ボタンに指が届く寸前、モニターの向こうのヌルムルがにたりと笑って言う。
「うーわ、キモっ」
アミアが小声で吐き捨てる。
確かに感じのいい声ではない。猫撫で声というか、変なヌメリを感じるというか……まあ名前や見た目とは合っている。外見も、容姿そのものは普通の範疇なのだが、どうにも人好きがしない。服装は通りで見る大多数の奴らより金がかかっていそうなのに、センスのせいか着こなしのせいか、どことなくだらしない印象なのだ。
「おい、テメーよォ、ここにはもう来んなって、あたし言ったよなあ?」
気を取り直して通話を開始したザルケラが凄むと、スピーカーからは忍び笑いが聞こえてきた。
「フフ、そんなに怒らないでよオ。ねえ、ワンビオちゃん。ママ怖いねーえ?」
「……は?!ちょっ、ワンビオがそこにいんのかよ!」
ザルケラの動揺の理由はすぐわかった。幼児の舌足らずな声が母親を呼ぶのがスピーカーから聞こえてきたのだ。
「シッターに預けてたんじゃ……?」
昼職と夜のバーの間に一度引き取りに行く、とザルケラ自身が言っていたのを思い出す。
「そうだよ、なのになんで」
「多分ですけどー、シッターさんを買収したんじゃないかな」
横からインターホンのマイク部分を手で塞いで言ったのはアミアだ。
「はっ?!くそッ、あいつ……」
「ねえ、開けてよ。ワンビオちゃんも疲れてるよう。ザルケラちゃんが忙しそうだったから、僕が代わりに迎えに行ってあげたのにィ」
なるほどこれはストーカーで間違いない。しかもかなり極まってる、危ない奴だ。
「んー。気持ち悪いし、このヒトを捌いて売って、ザルケラさんの家賃にあてちゃいましょ?」
アミアが首をかしげて言う。かわいい仕草でごまかすには内容がキツすぎるだろ。
「他人の価値をキロ単価で測るんじゃありません。そもそもこいつで賄えるのか?豚忌族はマニアに高く売れるとか言ってたけど」
この蛇っぽい男を食肉として買いたい奴もいるのだろうか。
「咬蛇族が美味しいって話は聞かないかなー」
じゃあダメじゃねえか。
「ザルケラさん、とりあえず子供さんを最優先に考えましょう。アミアさん教えてくれ、今のこれは子供が誘拐されてる状態だとしてだ。あいつをふん縛って捕まえても、こっちは罪には問われないのかな」
日本だったらどうだろう、場合によっては過剰防衛になる可能性もある。
「罪に問われるか、ですか?咬蛇族が何か言ってきても、事実子供を勝手に引き取ってきてますからねえ。それって親に殺されてもしょうがないことだと思いますけど」
俺にはここで何が罪で何なら許されるのかが全然わからない。他の誰かの判断だけが頼りだ。
「でも管理部の仕事からは外れてるんじゃねーの?殺ったら、さすがに文句くらいは言われると思うけど……取立て屋、あんたは斬鬼族だろ?ならそっちと咬蛇族の力関係次第だ」
ザルケラが戸惑いの表情で言う。
なるほど、法の裁きの代わりに、種族間で調整が行われるのか。さっきのザルケラの殺人容疑もそんな感じの話だったもんな。
「殺すのは無し。捕まえよう……不服そうな顔するなよ、アミアさん。もしかすると、ザルケラさんの問題も一気に解決できるかもしれないぞ」
このストーカーが、本当にザルケラが客を殺した事件に関わっていたんだとすれば、だが。
「あの気持ち悪いヒトをボコボコにするまではいいですよ。でも問題も解決って、どういうこと?私たちの仕事は家賃の取立てだよ。このヒトの言うことを信用して、そこまでやる必要あるの?」
アミアはスッと無表情になった。明るい黄色の大きな瞳からは考えが読み取れない。
だがヌルムルにこっちの会話が聞こえないようにマイクを塞いでくれているし、少なくとも子供を人質に取るような真似を良く思ってはいない様子だ。
これは感情の問題で、単にストーカーをぶちのめすまでは良くても、ザルケラの滞納家賃をどうにかするのに、取立て側であるこちらがどこまで踏み込むべきか迷っている、というところだろう。
「ああ、そうしようと思ってる。アミアさんもちょっと聞いていて欲しい。……ザルケラさん、俺とあなたは今日が初対面だ。まだあなたがどんなヒトなのかもわからない。だよね?」
「そーだな。あたしもだ」
「俺はこういう時、最初の一回は信用してみることにしてるんだ。これから信頼関係を築いて滞納を解消していけるかどうか。あなたにきちんと払う意思があると言うなら、俺は信用する」
こうしている間にも、忌々しいストーカー男と子供がザルケラを呼ぶ声がスピーカーから聞こえてくる。
「……払う、必ず払うよ。あたし、爪から毒は出せても、腕っ節は全然なんだ!あたしだけじゃ、あいつからワンビオを取り返せない!」
ザルケラの言葉は真に迫っていた。
「わかった。頼むアミアさん、協力してくれ。このストーカー野郎を締め上げる」
廊下からは見えない位置にしゃがんでドアを開ける役を受け持ったのは俺だ。
「やぁーっと、開けてくれたねェ?」
細く開けた隙間からねっとりした声が生で聞こえて、アミアじゃないが薄気味悪さで鳥肌が立った。
「……っ、やっていいぜ、取立て屋!」
俺はザルケラが床に伏せながら叫んだのと同時、扉を一気に押し開けた。
瞬間、床を蹴る音が響き、速度と重さを併せ持った何かがザルケラの頭を超えて廊下に飛び出す。
それは間抜け面で立ち尽くしていたヌルムルの顔面に激突し、そのまま向かいの壁まで吹っ飛ばした。
「ワンビオ!」
ザルケラが床に座り込んでいた2歳くらいの幼児を抱き上げ、転がるように家に戻る。彼女にはあらかじめ、開けたドアに子供がぶつからないか、男が子供から手を離しているかを確認して合図するよう頼んであった。上手くいってなにより。
「ふー、すっきり。で、このヒトどうするんですか、おじさん」
アミアは壁に半身もたれかかる格好で倒れている男を指しながら、反対の手で薄手のソックスに覆われた膝を払っている。多分ヌルムルに膝蹴りを食らわせたのだろう、早すぎて見えなかったけど。
「……アミアさんは尋問ってやったことある?」
アミアもさすがに尋問の経験はなかったので、俺の刑事ドラマ由来のにわか知識で対応を試みることにした。
ダイニングの床には、ザルケラの引っ越し作業の余りである結束バンドやダクトテープで縛り上げたヌルムルが転がされている。
俺はスツールに掛け、アミアは背後で鉈を抜いて立ち、男を見下ろす。
いわゆる、良い警官と悪い警官ってやつだ。どっちがどっちの役かは、言うまでもない。
「さてとお……時間もないし、始めないとだが。アミアさんこいつ起きるのかな?殴りすぎてない?」
「失礼だなあ、ちゃんと手加減しましたよう。顔でも引っ叩いてみる?」
「……俺がやろう。そうだ、ザルケラさん、例の死んだ客の名前は?」
「スービ。咬蛇族、『クチナワ・ファミリー』の第四位だった男だ」
「よし。では」
軽く息を整えて、ヌルムルの前にしゃがみ込む。
正直俺はそこそこ品行方正に生きてきたので、他人を引っ叩くのなんかおそらく小学生くらいの頃にあったかどうかだ。ジムではミットに向かって打ち込むだけだし。
一瞬迷い、結局襟首を掴んで相手の体を持ち上げて正対する。ドラマや芝居で見覚えある感じだが、やっぱ人の頬を叩こうと思うとこうなるんだな。
「失礼して……ヌルムルさーん、起きてください、ほらほら、起きないと痛くしますよ」
最初はピタピタ、程度の叩き方だったが、目を覚まさないのと要領をつかんできたせいで、結構な勢いで頬を殴る結果になる。
「クソォ、なんだよお」
意識の戻ったヌルムルの第一声は泣き言だった。
「どうも、ヌルムルさん。管理部の者です」
一応笑顔を作って挨拶し、ヌルムルを離すとスツールに戻る。
「なんで管理部が……そっか、わかったァ、ザルケラちゃん家賃払えなくなったんだ!言ったろオ、僕が君のこと買ってあげるってさーア」
俺とアミアの後ろに下がらせていたザルケラに向かって、起き上がったヌルムルが胸糞悪い発言をする。ザルケラには気分が悪くても反応しないよう言い含めてあるので、黙ったままだ。
「ご推察のとおり、我々は家賃を取り立てないといけません。でもザルケラさんはあなたに頼るのはお断りだそうです。なので別の方法を考えないと」
そんなのないよオ、といやらしく笑う。
「ねえおじさん、もういい?」
背後から金属の擦れ合う音がし始める。待て待て、悪い警官の出番はもう少し後だ。
「まあ……こっちとしては払ってさえ貰えれば、金の出どころはどこでもいいんですよ。だからあなたを
さすがに勝手に子供をシッターから引き取ってきたのが殺されても仕方ない行為だとわかってはいるらしく、ヌルムルがわかりやすく顔色を変える。
「でもあなたの買い取り価格じゃ、家賃は払えても豪虎金融の方には全く足りなくてね。そっちを解決しないと、いずれまた家賃滞納になってしまう」
一時しのぎではない方法が必要というわけだ。
「それで、一年前の事件について彼女から詳しく聞いたんですが……あれって、仕組まれたものじゃないかと思うんですよね。だとして、その件で得をした、またはするかも知れない人物、誰かご存知ですか?」
俺は優しい笑顔を作って尋ねた。まあ後ろからは相変わらず、刃物が擦れ合う音が聞こえて来るんだが。
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