第7話

「いやぁ、急に来ちゃってスミマセンね〜。お仕事これからですか?まだお時間大丈夫です?」

 にっこりは継続で、落ち着かなげに立ち尽くしているザルケラに尋ねる。

 ここじゃあナンですから!ご近所に聞こえちゃいますし!で押し切って、俺とアミアは首尾良くザルケラ宅に入り込んだ。

 ザルケラは、病的な白い肌に毒々しい赤い瞳、きついウェーブのかかった漆黒の髪が印象的な美女だった。露出の激しい黒いレザーのミニワンピースにスレンダーな身体を包み、ノースリーブの肩から肘にかけては髪と同じ色の羽毛が覆っている。なるほど、ここが毒鶏族のニワトリ要素か。

「今は昼職と夜のバーの間の時間なんだよ。だから子供も一回シッターから引き取って来なきゃなんねえ。用があるならサッサとしてもらえる?」

 データにはなかったが昼と夜のダブルワークになってるのだろうか?

 ヤンキーっぽい口調とは裏腹の神経質そうな仕草で腕を組み、ザルケラはこちらを睨みつけた。

 廊下の様子から想像できてはいたが、間口が狭く奥に細長い作りの住宅だ。

 入ってすぐの左側には造り付けの小さなキッチン、その奥に二人用のこれも小さなダイニングテーブル。

 ダイニングテーブルに座ればちょうど見えるだろう位置の壁には、テレビが設置されている。同じ壁面には子供の描いたらしき絵や、赤ん坊を抱いたザルケラの写真、カメラ目線の幼児のアップの写真などが押しピンで貼ってあった。

 右側は開けっ放しの開口部にポップな色合いのビーズの暖簾のれんがかかっていて、奥は洗面やシャワー、トイレなどの水回りのようだ。

 今いる部屋はせいぜい4畳半あるかないかの広さで、正面突き当たりの壁にドアがあり、ザルケラはそれを背にして立っている。この作りの感じだと、そちらが寝室だろう。

「早く終わるかは、ザルケラさん次第ですね。我々の訪問の理由はわかっていますよね?」

「……家賃のことだろ」

 さすがにバツが悪そうな顔になり、目を逸らすザルケラ。

「ええと、かなりの期間に渡って滞納してる自覚ありますか?確か20週分、アミアさんいくらだっけ」

「12万円ですねえ、契約だと命を取られても文句を言えない滞納期間なんですよー、これって」

 うーわ、やっぱりそういう契約なんだ。絶対ここで部屋借りたくない。いや俺は家賃を滞納するつもりはないけど。

「わ、わかってるって。ただ、ちょっと払う金がなくて……余裕が出たら払うつもりで」

「さすがにその言い訳は通りませんよ。一週分を払えない状態で20週分も滞納したら、もうにっちもさっちもいかないでしょ?」

 それとも、余裕が出るだけの収入のアテがあるんですか、という質問に、ザルケラは黙り込んだ。

「そもそもどうして滞納が始まったんです?借金あるのは知ってますけど、詳しく話してもらっても?」


 さすがに立ちっぱなしはどうかと思ったのか、ザルケラは俺たちにダイニングテーブルのスツールを勧め、自分もひとつ引っ張り出して、反対側の壁のあたりに置いて腰を下ろした。

「あたし……今はチンケなバーとショボいウェイトレスの昼職掛け持ちなんてやってるけど、去年までは『蝶のまじわり』で働いてたんだ。『蝶のまじわり』は知ってる?」

 アミアの方を見ると、めんどくさ、と思っていそうな顔だったが説明してくれた。

「『塔』でもトップクラスの高級娼館ですねえ。あそこで働いてたら、もっといいお部屋に住めるし、家賃なんか余裕ですよ」

「実際そうだったよ、結構売れっ子だったんだ、これでも。あたし自身、別に仕事はイヤじゃなかったしさ」

 どぎついピンクのギャルっぽいタバコケースを振りながら、いい?と尋ねられて、どうぞとうなずく。

「それが……今でもワケわかんねーんだけど、変なことが起きて、クビになった」

「変なこと?」

 火をつけたタバコを咥え、考え込む顔で深く吸い、ふーっと静かに吐き出す。エキゾチックな甘い香りの煙が狭いダイニングに充満した。

「あたしのこの爪……これで客を殺した、ってことになってる」

 言いながら手の甲をこちらに見せる。白い肌に際立つのは、昼職のためか意外にも短く整えてある真っ黒い爪だ。

「毒鶏族は、爪から毒を出せるんだ。でもそれは、やろうと思わなきゃ普通は出ない。あたしもほんとに小さいガキの頃以来、間違って毒出すなんてこと、全くなかった」

 爪から毒……このヒトも、ランギーのように姿を変えて、もっと鶏っぽくなったりするのだろうか。

「去年の今頃だったかな……常連の一人とプレイの最中、酒も入ってないのにすっげえ気持ち悪くなったんだよ。いやまあ元からヤな感じの客ではあったんだけど、ねちっこくて。でもそういうあれじゃなくて、変なもん食ったとか、ヤバいクスリキメたとか系の気持ち悪さ」

 あったま、グラングランすんの。と首を回して見せる。

「その客は別に変なオプションもつけてなかった。それにあの店はそもそも客の持ち込みのクスリとか道具は禁止だから、あたしにしたら心当たりのない状況なわけ。で、店に緊急コールしようとしたとこで、意識がブッ飛んだ」

「それは……おっかないですね」

 今日まさに、二度も意識がブッ飛ぶ経験をした俺にとっては、他人事とは思えない。

「だろ?で……目が覚めた時には客が死んでて、もう大騒ぎになってた。あたしの爪の毒にやられたって」

 ザルケラが灰の伸びたタバコを口に咥え、目線をさまよわせる。俺はダイニングテーブルに載っている真っ赤なガラス製の灰皿を引き寄せ、手渡してやった。

「ありがと。そっからはもう一気に何もかんも悪くなった感じ。死んだ客がさ、咬蛇族でも大きい部族の、そこそこの偉いさんだったんだ。当然、部族どころか種族も巻き込んだ話になって、毒鶏族も、あたしの部族も、店のオーナーのマダム・バビまで色々手を尽くしてくれて、やっと故意じゃなく事故ってことで手打ち」

 ここの常識をわかってない俺は、ザルケラの話す内容を取りこぼさないように必死だ。つまり咬蛇族や毒鶏族ってのが種族で、種族はさらに大小さまざまな部族に分かれている、こういった理解でいいのだろう。

「結局、命までは取られなかったけど、代わりに咬蛇族にはスゲエ額の金を要求された。貯めてた金ぜんぶ搾り取られて、持ってたブランド品とか売ってもまだちょっと足りなくて。豪虎金融からはそれで借りたんだよ。それだってこの一年でかなり頑張って払った残りなんだ」

「その時に店もクビに……?」

「ああ。マダムはあたしに同情してくれたけど、この手の事故は店の信用に関わるからさ。だから『蝶のまじわり』はクビになったし、それだけじゃなくて『塔』の娼館はもうどこも、あたしのこと雇わない」

 今のとこはお触りなしの店だからどうにか使ってもらえてる、と憂鬱そうに言い、で?と続けた。

「あたしの事情は話した。家賃まけてくれんの?」

 ぎろりとこちらを睨むザルケラに、アミアからは苛立った気配が伝わってくる。それには構わず俺は肩をすくめた。

「まあ、無理ですね」

「はあ?!テメーが話せって言ったから思い出したくもねー昔話したのに、なんもないのかよ!」

 激昂するザルケラの肩の黒い羽毛がザワ、と逆立つ。と同時に俺の隣では金属の擦れる音がして、そちらを見なくてもアミアが太もものベルトから鉈を外したのがわかった。

「もう斬っていいよね?おじさん」

「あァ?ヤンのか、このくそガキが?」

 どっちも気が短けえな!

「あーあー待って待って。俺にもうちょっと話させて、アミアさん。ザルケラさんも落ち着きましょ。ここでバトルしても滞納家賃は減らないですから。戦い損ですよ」

 タバコを灰皿に投げ込んで爪をこちらに向けたザルケラを宥め、話を聞きながら考えていたことを頭の中でまとめる。

 アミアの不満げな唸り声が聞こえるのが怖いが、あえて平静なふりをして取り合わない。

「家賃は払ってもらいます、家に住んでるんだから、それは当たり前。少しずつでも分割で払ってくって方法もあるし。ただ……豪虎金融の方がキツいんですよね?」

「そーだよ。管理部は今までメールしかしてこなかっただろ?でもあっちは、店にも家にも来るし、子供売るなら買ってやるなんて話しやがるしよ……」

 じょーだんじゃねー、と吐き捨てる。

「だったら、あっちもこっちも払える方法をなにか捻り出さないとですね。ザルケラさん、実家は?」

「ねえよ、そんなモン。親はガキの頃に死んでる」

 親から金を引き出す案は無理と。

「今の勤め先から前借りしたり、オーナーから借りて両方の借金を一本化したりは」

「どっちも無理だと思うぜ、昼職もバーも、赤字スレスレでカッツカツの商売してるから」

 なるほど、普通の手段じゃ難しいか。

「ちょっと別方向から考えますか。要はあなたの収入が増えるって方向でもいいわけです。例えば出禁を撤回させて、『蝶のまじわり』か他の娼館でまた働くとかね」

 言ってしまえば、ザルケラの今の債務は額面だけならたいしたものじゃない。単に収入が少なくて滞っているだけなのだ。儲かっているオーナーからなら、前借りや借金もできるだろう。

「店をクビになった経緯ですけど、状況があからさまにおかしいですよね。気持ち悪くなって気絶するなんてそうそうない。持病とかは?」

「たぶん健康だよ。クスリも好きじゃないからやってなかったし」

「なら、相手から何かられた可能性は?」

「それはあたしも考えた。誰かにハメられたんじゃねえかって。でも証拠があるわけじゃない。あの日誰も、あたしの体を調べようなんて言わなかった」

 死人が出ても捜査もなしか。警察組織がないのか、ここは。

「動機のある奴に心当たりは。あるいは、この件で何か得をした人物」

「得って……いんのかよ、そんな奴。死んだ客は咬蛇族の偉いさんだって言ったろ?あっちもしばらく大混乱したんだ。デカい取引が何個も吹き飛んだって聞くし」

「偉いさんが死んだら、誰かが後釜に座るはずだ。空いたそいつのポストにおさまった者とか……あとはザルケラさん自身は?今まで高い相場で働いてたあなたを、安く買おうとしたような奴、いませんか」

 この問いに、ザルケラは思い当たるふしがあったのか、考え込むように天井を仰いだ。

「……ストーカーがいる。死んだ客の鞄持ちだった、同じ咬蛇族の男。そいつ、それこそ繰り上がりで立場が良くなったのか、クビになってここに引っ越してきた直後から、小金チラつかせて自分の女になれって」

「でも、断っていた?」

「ふつーにキモいし、咬蛇族に関わるのも、うんざりだったから。だけど、そいつがあたしをハメたんだったとして、今更どうにかなる?」

 なんとかして白状させて、客が死んだ件はザルケラに責任がないことを立証する、そして高級娼館に再就職。これがまあまあマシな選択肢だろう。

「そいつの名前は――」


 ピンポーン。


 ドアチャイムが鳴った。

「今度は誰だよ……」

 立ち上がり、近くの壁にあるインターホンのモニターを乱暴につけたザルケラは息を呑んだ。

「噂をすれば……来たよ、こいつがストーカー。咬蛇族のヌルムル」

 示されて覗いたモニターには、青白い細面に、切り込みを入れたような細い目、薄くてやけに綺麗なピンク色の唇をした、三十代くらいの男が映っていた。

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