第5話

「あーもう……交渉して払わせるって考えはちょっともないの?」

 アミアは膨れっ面でランギーに説教されている。

 その足元では、豚頭の屈強な死体が三つ、凄まじい血臭と、形容し難い悪臭を放っていた。俺はそっちに視線を向けないようにして現実逃避の境地。

「今回はたまたま死体に買い手がつくかもしれないけど、そうじゃなければ何週間分の家賃をロスするか……」

 ランギーの説教自体はまともな内容だ。死体がすぐ横に転がっているのを気にもしていないのが大問題だが。

 ……いや待て、最大限取り立てる努力しろというだけで、殺すことそのものは咎めてないのか?やばいぞ、俺の感性まで侵食されはじめてる。

 どうもここの倫理観は、日本はおろか地球のどこともだいぶ違うようだ。一言で言えば無法地帯、あるいは弱肉強食、ルール無用の残虐ファイト。

 なにしろ、真っ昼間(あたりは暗いが)から往来で殺人があっても、物見高い野次馬が集まりはするが、警察も来ないし、誰も悲鳴をあげたり取り乱したりしないのである……。

 思うところはありすぎるほどあるし、こんな非道な行いをしでかしたのに、あっけらかんとショッピングの話をふってくるアミアにドン引きもしている。

 が、しかしだ。

 俺はこの『塔』で何が許されて、あるいは許されないのかを全く知らない。法がどうなっているのか、そもそもあるのかもわからない。少なくともその状態で、俺の価値観で彼女らの事情に口を出すのは良くない気がする。

 もっと切実な話をすると、さっきの、ランギーと別れたら数分で死ぬだろうという話を思えば、下手に口出しして機嫌を損ねるのもまずい。

「あっ、ほらほら、お肉屋さんが来ましたよっ!こっちでーす」

 まだ話が終わってない!と怒るランギーを尻目に、通りの向こうに手を振る。

 やって来たは、分厚いゴムエプロン、白い長靴、肘まであるゴム手袋と、その職種として間違った格好をしているわけでは決してなかった。

 ただ、それを纏う男の首から上は、どう見ても樹木というか植物なのだ。木のウロっぽく縦に裂けた部分から、大きな一つ目がぎょろりとこちらを見る。少なくとも扱う商品を自分で味わうことはなさそうである。

「よお嬢ちゃん、また派手にやってるなあ」

 見た目に合った、低く腹に響く声で言って、樹木男は片手を上げた。反対の腕には、死体袋ボディバッグっぽい、大きな長い袋を抱えている。

「えへへ、三人分でーす。ギギーンさんのお店の近くでちょうどよかった」

「だなあ、俺も楽でいい。振り込みはアミア個人の口座か、それとも管理部かい」

「管理部で!」

 あいよまいどあり、と言いながらも、文字通り丸太のような腕で手早く豚頭三兄弟をパッキングしてゆく。

 この様子を見るだけでも、こういった事態が『塔』の日常なのが推し量れるわけだ。


 ギギーンが中身がぎっしり詰まった死体袋を軽々と担いで去ったのち、今度は別の種族が集まってきた。

「ありがとー、このへん一帯、よろしくね」

 アミアが残っている血溜まりを指してざっくりした指示を出す相手もまた、奇妙な姿をしていた。

 人間サイズの黒いモヤの固まりが三人。

 いやもう本当にそれ以外に表現しようがないのだ。

 彼らはザワザワと蠢きながら、三つの血溜まりに覆い被さった。するとあたりにフワッとした熱気と、焦げくさい嫌な臭いが広がる。

 平べったくなっていた三人は、数十秒ほどそのままの状態でザワザワし続けていたが、やがて身を起こすように、元の人間くらいの縦横寸法に戻った。

 彼らがそこからずれると、地面(いや床なんだろうが)にはもう何の痕跡もなかった。目撃者がこんなにたくさんいなければ、普通に完全犯罪成立するなこれ。

「おつかれさま!ヤヤちゃん、これもお願いっ!」

 三人のうちの一人に、アミアが血のついた鉈を差し出す。

 ヤヤちゃんと呼ばれた黒いモヤの人は、こくりと蠢いて頷くと、鉈を覆うように形を変えた。そしてまた地面に覆い被さった時と同じ流れを経て離れると、アミアの鉈から鮮血はすっかり落ちていた。

「あのヒトたち、こういうお仕事なんですか?」

 アミアが三人と何か話しているのを、苦い顔で見守っているランギーに尋ねてみる。

「あの子たちは処理部のメンバーよ。どういう部署なのかはまあ、今見た通り」

 つまりビルの運営に、惨劇現場の特殊清掃っぽい部署が含まれているわけね。もうほんと、どういう場所に来ちまったんだ俺は。


 処理部の三人が帰り、野次馬も散り、通りに残ったのはランチを共にした三人。

「どうしたもんかしらね……アミア、あんたこないだ相棒から、もうついていけないって言われて一人になったの、忘れてないわよね?」

 腕を組んだランギーは特大のため息だ。

「意見の相違ってやつですねえ。ピレル君には、取立て担当は合ってなかったんじゃないかなー」

「彼だけじゃないでしょ。ジャンナンだってあんたのパートナーは務まらなかったけど、タイエと組んでからはちゃんとやれてる。あんたのやり方に問題があるのよ、アミア」

 この誰と組んで業務にあたらせるかによってパフォーマンスが激変するの、覚えがありすぎるな。どこの世界も職場が抱える問題は似たり寄ったりなのか。

「ただまあ三兄弟については、管理部にカチコミかける腹積もりだったみたいね。だからそうね……次のターゲットを殺さずにいくらかでも滞納分を徴収できたら、今日のことは不問にしてもいいわ。どう?」

「ええー、そんなの行ってみなきゃわかんないですよう」

「まず交渉しなさいよ、殺す前提じゃなくて。その認識を改めてちょうだいと言ってるの」

 ……なるほどな、俺にしてみれば『殺す』というのはあまりに過激な対応だが、つまりは法的措置と置き換えてみると理解しやすい。

 俺が普段職場でやっている流れとして、督促状は当然として他にも、滞納している事情を聞き出したり、身内や職場から金を工面できないか確認したり、時には宥めすかしたり泣き落としたり脅したりして、まずは支払わせる努力を積み重ね、それが駄目な場合に法的措置に移る。

 アミアの場合、そういう働きかけなしに、出会い頭に明け渡し訴訟の訴状を叩きつけるようなもの、というわけだ。そりゃ無茶苦茶である。

 故ブーゾ氏とアミアの会話以降の一連の情報を総合すると、この世界にちゃんとした司法のシステムはどうやらなさそう、またはあってもガバガバ。

 そしておそらく、唯一効力を持っているのがということなのだろう。

 この正真正銘アウトロー世界で契約が効力を持つ、というのは、つまりまあ……破ったら物理的に酷い目に遭わせるぞ的な内容だと考えられる。わかりやすいね!

 ここで俺は『管理者さま』とやらに会えるまでの3日間を生き延びる方策を思いついた。

「ランギーさん、お話し中に申し訳ない、滞納者を殺さないで家賃を徴収する方が、当然コスト的にもいいんですよね?」

「あったりまえでしょう。あたしたちの商売は殺し屋じゃなくて賃貸物件の運営なんだから」

 話の腰を折られたランギーは、イラつきながらも俺の質問に答えてくれる。なんだかんだ人が良いんだよなあ。

「なるほど。実はたまたま、俺の職業もにかなり近いものなんですよ。普段は、滞納家賃の取立ての担当もしてる」

「へえ?」

 ランギーの表情は紺色の口紅が塗られた色っぽい口元を見て判断するしかないのだが、少なくとも興味はひけたようだ。

 アミアの方も、風向きが変わったのに気づいたのか膨れっ面を引っ込めて、会話を見守っている。

「それで提案なんですが、俺がアミアさんの取立てを交渉役として手伝います。首尾よく滞納分を回収できたら、3日後まで俺を保護してください」

 ギギーンの肉屋の店頭に並ぶのも、床のシミになって処理部に清掃されるのもごめんだ。とにかく、路上に放り出される事態だけは避けなければ。

「なるほど?そうねえ……」

 唇と同じ紺色の爪を口元に当てて、ランギーが焦らすように微笑んだ。

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