第4話

 ここはどうやら俺の知っているどこでもないと思い知らされたし、帰る方法は見当もつかない。

「とりあえず、このあと一体どうしたらいいのか、なんかアイデアありますかね……」

 テーブルに肘をつき、組んだ手に額を乗せてため息をつく。

「どう、ってそもそもあんたはどうなりたいの?」

 皿の中身をきれいに片付けたランギーは毒々しい紫色の透明プラスチックカップから何らかの冷たい飲み物を飲んでいる。

「元いたところに帰らないと」

 滑落した俺が消えて、櫛田がどんなに心配しているか。鎖から手を離したのは100%俺が悪いのだが、そもそも山に誘ったことに責任を感じてしまう気がする。そういう奴なんだ、あいつは。

 それに遭難、遺体が発見されない、となれば行方不明扱いだ。こういった場合どのくらいの期間で免職になるのか服務規程を確認しないとわからないが、帰れても無職になっては目も当てられない。

「他の惑星っぽい場所に帰るなんて、そんなの私たちじゃ無理ですよう。だから『管理者さま』案件って言ってるのに」

「こいつが質の悪いおクスリで頭やられちゃってるだけ、って可能性もあるのよ。つまんないことで『管理者さま』をてそんなオチだったら、あたしの立場がまずいじゃないの」

「それはランギーさんの問題だから、私はわかんないかなー」

 あんたって子は!と睨まれても、アミアはどこ吹く風でスマホを取り出していじり始めた。

「まあ、こっちとしてもあなた方にあんまり迷惑かけるのも申し訳ない。その『管理者さま』って、どこにいるんですか?俺が直接コンタクト取ったりできます?」

 言われてみれば、ここが巨大なビルで彼女らが管理部の職員なら運営会社があって、会社には幹部がいるはずだ。『管理者さま』って役職名はなんか不思議な感じがするが。

「それも無理。『管理者さま』に連絡取れるのは、各部の部長だけですねー」

 そしてその一人がここにいまーす。とランギーを指す。目線はスマホ画面のままだ。

「ならランギーさん、なんとかお願いできませんかね」

「ええ……ちょっと待ってよ。そもそもあんたを助けるメリット、あたしにはどこにもないのよ」

 引き気味で言うランギーに、アミアがそれもまたそのとおりー、と無責任な相槌を入れた。

 まあ確かに俺にはランギーの言いたいこともよくわかる。なにしろ、俺は彼女らとほとんどみたいなものなのだ。

「わかります……管理側ってだけでそういう全然筋の通らない頼み事されて迷惑な気持ち、めちゃめちゃわかります。でも、他に頼れる相手いないんですよ……」

 わかりつつ、泣き落とししてみる。そう、この場面は絶対に、取り乱したり高圧的になっては逆効果なのだ。俺の職業経験がそう言ってる。

 それに俺の見立てでは、ランギーは割とお人好しだ。

「ああもう……!連絡してみるだけ、それならいいわ。ただし、それ以上の口添えはしないからね!」

 ……ほらな。


 ランギーはスマホを取り出すと、紺色の長い爪の指(元々の色なのかマニキュアなのかはわからない。なにしろ肌からして灰色なのだ)を寝かせて器用に操作する。あれだ、めっちゃ長い爪の若い女の子がやってるやり方だ。

 しばしして、スマホをテーブルに放り出してため息をついた。

「とりあえず、『管理者さま』にアポとったわ。迷い込んだオッサンについて相談したいので起きてくれませんか、なんて……ほんとこの仕事それなりの年数だけど、かつてなくバカバカしいメッセージ送った自覚ある」

「ありがとう。てかすみませんね……ところで、ってどういうことです?」

 文字通りの睡眠を妨げる話だとしたら、ここの運営会社は上役も夜勤があるのだろうか。それとも、実際の業務には携わらないオーナーのような立場で、パリピ的な生活時間のずれ方をしているのか。

「『管理者さま』は基本寝てるものなの。ちょっとやめて、その説明して欲しそうな顔。今日はもう普段の一年分くらい説明したわよ、あたし。会えたらご本人に聞いてちょうだい」

 うざったそうに手を振られ、質問しようとして開いていた口を閉じる。

「さてとー、そろそろ午後の仕事にかかろっかなあ。ランギーさん、ご馳走様です」

「あっ、俺もご馳走様でした」

「はいはい。アミア、あんたは事務所に戻らないでこのまま行くの?」

 立ち上がって太もものベルトの具合をなおしているアミアにランギーが尋ねる。

「そうですねえ、この階にもターゲットはいるし、そこ回ってみようかな」

「あそ。くれぐれも穏便にね」

「はいはーい」

 アミアはじゃあねおじさん、と言って大きな通りの方へ去っていった。

「あたしも戻らなきゃ。『管理者さま』と連絡取れるのは、多分3日後くらいになるわ。その頃に事務所に来てちょうだい」

 えっ。

「今日じゃないんですか?!」

 たらすぐ会わないと意味がないのでは。

「……あぁ、ええとね、『管理者さま』が起きるのには、そのくらいかかるの。これはあたしたちにどうにかできる話じゃないから、おとなしく納得してちょうだい」

「えぇ……」

 めちゃくちゃ寝起きの悪い種族ってことか?

「さて、じゃあ3日後にね。あたしのメンツもあるから、できたら死なずに来てほしいわ」

 ランギーは呆然としている俺に微笑むと立ち上がった。

 待て待て待て。できたら死なずにって。

「あの……もしやここって、治安結構悪いんですか……?」

 ちあんがわるい、とランギーは言い慣れない単語を発声するようにつぶやいた。

「んー、正直なところ、あたしと別れて3分以内に死ぬ方に5週間ぶんの家賃を賭けてもいいわ」

 だいぶ治安悪いね?!

「おっ、置いていかないでくださいよ!てか事務所のすみっこでいいから泊めてっ?!」

「ダメよ。さっきは不審者の聴取のための連行だったからいいけど、管理部はセキュリティ上、本来は部外者立ち入り禁止だもの。そんなの勝手に許したら、あたしが規定違反で……」

 追い縋る俺をしっしとランギーが追い払おうとした時、アミアが向かった通りの方から、悲鳴と喧騒が聞こえてきた。

「うわ、嫌ーな予感……ちょっと見てくるから、ほら放した放した」

 するりと身をかわしたときには、ランギーの下半身は巨大な蜘蛛に戻っていた。腰に引っかかったままのトロピカルな布をひらめかせて、彼女は六本の脚で走り始めた。

「ま、待ってー!俺も行くっ、置いてかないでっ!」


 こんな全力疾走、年単位で久しぶりだ。

 ランギーはめちゃくちゃ足が速かったが、道行く皆が彼女を見て道を開けたので、俺はその後を知人ですよアピールしながら追う。

 幸い、騒ぎが起きている通りはそれほど遠くなかった。


 屋内なのだから本来は風など吹いていない。

 だが、通りからはむっとするなまぐさい血臭が漂ってきた。

「くそおおお、アミアてめえ!」

 アミアと正対しているのは、豚のような頭をした筋骨隆々の大男だ。裸の上半身に年季の入った革のパンツ、首と両手首にはトゲ付きの革ベルト。……世界は核の炎に包まれちゃったのか?

 地面(いや床と呼ぶべきか)には、同じ種族の似たような格好をした男が二人、血溜まりの中に倒れている。

「あーやっぱり……」

 ランギーがその光景に、八つの目が二列に並んだ真ん中に指を当ててため息をついた。

「え、てかあれ……まさか死んでるんですか……?」

「そーねぇ、あの子ぜんっぜん加減ってものを覚えてくれなくて」

 俺は死体を見るのは初めてではない……職業柄。だが、それはこんなフレッシュで血まみれな出来たての死人に慣れてるって意味とは違う。

 たいして入らなかったはずのランチの謎麺が迫り上がってきて、慌てて口と胃を押さえる。

「てめーとか言われてもなー。ブーゾさんわかってます?お家賃、何週間滞納してますか?入居の時に、お家賃滞納するとどうなるか、契約書読んでサインしましたよね?」

 アミアは右手にスマホ、左手には左腿のベルトに下がっていた大鉈を持って、ごく軽い調子で畳みかける。鉈は鮮血で濡れ光っていた。

「三週間だよッ!だからこうして、もうちょっと待って欲しいって話をつけに行こうってだなァ!」

 そう怒鳴るブーゾと呼ばれた豚頭の男は、手にした鉄の太い棍棒でアミアを指した。

 というか分割納付のお願いですらなくて、支払い待って欲しいって要求だけしに行くつもりだったのか、こいつ。鈍器持って?

 それはそれで、どうかと思うな?

「そーそー、三週間!ちょうどいいですよね、三週間って」

「ちょうどいい、だァ?」

 場違いに能天気な調子で言うアミア。

「豚忌族のお肉は一部のグルメなヒトたちに高く買ってもらえるからー、ブーゾさんで一週間分、フーゲさんで二週間分、ウーヂさんで三週間分!売ったらちょうどお家賃分かなって」

 ヒェッ。

 現代版残酷童話かッ!

「ら、ランギーさんっ!止めなくていいんですか?!アミアさん捕まっちゃうんじゃ」

「捕まる?誰によ。だーいじょうぶよ、あの三兄弟、家賃滞納者だから。部族の奴らだって報復する権利はないし……」

 でも問題はそこじゃないのよ、とランギーは首を振る。

「アミア、あんまりすぐ殺さないでって言ってるでしょう!資産の差し押さえなんかじゃ、空室期間のロスは埋まらないんだからね」

「いけますよう、今回はお肉が売れるもん。ということで、他のお二人が新鮮なうちに、ブーゾさんも捌いちゃいましょうねえ」

 ブーゾが絶望的な、瀕死の豚のような雄叫びをあげた。そのまま棍棒を振り上げて突進する。

 対してアミアは軽い足音を響かせて素早く前に飛び出し、左手の鉈を無造作にブーゾの首に叩き込んだ。

 豚頭が血飛沫をあげてすっ飛んでいったが、それを見ることもせず、アミアは着地した先でスマホ画面をスクロールして歓声をあげた。


「あー!ランギーさん見て見て!マリプルーミのバッグが30%オフ!今日の夜に先着10個だって!帰りに一緒に行こ?」


 立ち回りで、ずっとかぶっていたアミアのフードは脱げている。

 きらきらとこちらを見つめる黄色い大きな目の上……額には大きなツノが二本、にょっきりと天を向いて生えていたのだった。

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