第3話

「多分ですけどー、そのヒト、二足歩行じゃない種族に慣れてないんじゃないかなー?」

 俺がブルブル震えながら、美女の眉から下とへそあたりまでに意識を集中してなんとか正気を保つ努力をしていると、アミアと呼ばれたコスプレバンギャ少女がそんなことを言った。

「あっそーいうこと?ならやっぱ人族なの?めんどくさいわねー、ちょっと待ってなさい」

 美女は逆さになって尻からするすると上昇していき、蜘蛛の巣に覆われた高い場所に消えていった。

「ランギーさぁん!私ごはん食べにいっちゃっていい?!」

 アミアが上に向かって叫ぶ。

「だめよ、まだいて!」

「ええ〜」

 降ってきた声にブーイングして、アミアは近くのデスクから椅子を引っ張ってきた。

「ごはん屋さんが混んじゃう……ほらおじさん、座っていいですよ。また倒れられたら迷惑だし」

 キャスター付きの椅子をゴロゴロさせて俺に押し付けて、アミアも隣のデスクに腰を下ろした。すぐさまスマホを取り出すと尖った爪の指先をかつかついわせて画面をスクロールし、あーほら、限定ランチが売り切れてる!とぼやく。

「んもう、ランチくらいあたしが後で奢ってあげるから……おまたせ」

 再び逆さになって降りてきたランギーは、トロピカルと民族調の中間みたいな、端にフリンジのついたカラフルな布を手にしていた。

「ふー、普段あんまりやんないから……」

 たわわなバストの下のバッキバキに割れた腹筋を膨らませて深呼吸したと思うと、目の前の大型バイクサイズの巨大蜘蛛が、スッと縮んだ。

 人型の上半身はそのままに、丸く大きな蜘蛛の尻が小さくなり、脚が引っ込んで、目を見張っている俺の顔の前を、ばさりとトロピカルな布が覆った。

「見過ぎよ」

 ランギーの囁くようなハスキーな声と共に、布の向こうからまた額をどつかれる。

「いっ……」

 額を押さえて痛みに耐えていると、衣ずれの音が聞こえてくる。続いて、もう顔あげてもいいわよ、とのお言葉。

「どう?これで落ち着いて話せる?」

 腰のところで結んだトロピカルな布の下からは、ごく普通の裸足の二本の足が見えた。肌は灰色だが、毛はもうない。

「さっきまで……脚、蜘蛛でしたよね?」

「そうよ、女郎蜘蛛族だし。あんた、種族は?」

「種族……人間、日本人ですけど」

「にんげん?人族とは違うの?」

 ランギーは首を傾げた。ちなみに下半身は蜘蛛じゃなくなったが、目は八つのままだ。

「というかどうやって迷い込んだの?定期船からは、ここに同部族のいない上陸者の報告は上がってないわよ」

 後半はアミアに向かって言ったようで、アミアはスマホの画面から顔を上げると、こちらも首を傾げた。

「そのヒト、50階の管理フロア直通エレベーター近くの路地にいたんですよ。最初はスパイかと思ったんですけど、わあわあ言って倒れちゃうし。だから密航者かなって」

「部族のバックアップのない場所に単身で乗り込むなんて、死にに来るようなものじゃない。元いた『塔』でよほどのことやらかしちゃった系かしら?」

 二人の会話は単語の意味はわかっても、話の内容がさっぱり飲み込めない。俺の方に、何か重要な基本概念が欠けている感じがする。

「あの、俺自身もですね、一体どうやってここに来たのか、全くわからなくて」


 俺は、山で滑落した辺りの経緯を語った。路地裏で化け物に遭遇した話はしない方がいいと本能が告げているので、そこは省いた。

「なあにそれ?全然理屈が繋がらないじゃない。もしかして舐めてるのかしら?真面目に話さないと、血を見る羽目になるわよ」

「う、嘘じゃないですよ!ほんとに俺も何が何だか」

 黒目ばかりで感情のわかりにくいランギーだが、明らかに不穏な雰囲気を発し始めたので、慌てて弁解する。

「そもそも、って発言からして辻褄が合わないの、わからないわけじゃないわよね?」

「え……?」

 ここへ来た経緯はともかく、山で滑落するの自体は山岳遭難でよく聞く話じゃないか?

「いや普通に疲労で幻覚みたいなの見て、転がり落ちただけですけど……」

「それよ、そのとかってやつ。山でそんなこと、あるわけないでしょう?事故るとしたらとか、あるいは装備トラブル、まあ他にも色々あるでしょうけど」

 山で

 やっぱりおかしい。何かが決定的に噛み合っていない。

「思うんですけどー、『塔』じゃないところから来た……って話ないです?」

「『塔』じゃないところ、ってどこよ。船上生活者だってこと?」

「えと、違くて。案件かなって」

 アミアとランギーの会話はもはや全く理解できない。

 口を開けて二人のやりとりを見ている俺を、立ち上がったアミアが手招いた。

「ちょっとこっち。窓の方に来て」

 言われるまま、管理職席の後ろにある窓に近づく。外見て、とぐいぐい押されてガラス越しに窓の外を見ると――

「……えっ?」

 水平線。

 見える範囲全て、どこにも陸地も島もない。かなり下方に見える水面を船がいくつも、白い航跡を残して行き来している。

 つまり俺が今いるビルは200階建てで、しかも、岬だか島だか、海に面したギリギリの場所にある。……そんな場所、日本にあるか?

「これを聞いたらはっきりすると思う。ね、おじさん。おじさんの知ってる山って、海の中じゃないんでしょ?」


◇◇◇


 このには、今は海面の上に出るような陸が全くない、のだそうだ。

 だから、山といえば海の中。なるほど落ちたり転がったりは無理だ。


 いやいやいや……


 そんなこと言われて、そーいうことね!すっきり!てな訳にはいかない。山で滑落して別の惑星に行けるなんて、人類の宇宙開発の歴史への冒涜だ。

 それならまだ、やっぱりあの山で俺は死んで、見渡す限りの大海原は巨大な三途の川だって言われた方が納得がいく。

「むかーしむかし、記録も残ってないくらいの昔は、陸地があって、陸地の上に山が乗ってたって、聞いたことある」

 アミアは興味のなさそうな口調で言い、ナイフで切り分けた分厚い肉に噛みついた。犬歯の尖った素晴らしく頑丈そうな歯をしている。

「そんな常識が備わっていないなんて、思いもしないわよ」

 ランギーが乱杭歯を剥き出して骨つきの肉に齧りつく。

 ……普段なら旨そうと感じたかもしれないが、の産業廃棄物を思い出してどうもいけない。ちょっと気持ち悪くなってきた。

 俺の前にある金属の皿には、焼きそばとスパゲティを足して二で割って馴染みのない風味がするスパイスの効いたソースで和えた、って感じの麺類が盛られている。ちなみに具はない。注文の段階で、あ、しばらく肉無理、と思ってランギーにそう言ってチョイスを任せたら出てきたので、この料理がなんなのか俺は知らない。


 俺たちはネオン輝く繁華街の一角、チャイナタウンみのある猥雑な路上にテーブルを並べて営業している屋台で、ランチをとっていた。

 昼食の時間帯だがあたりは暗く、ド派手でチープなネオンが主な光源だ。今いる区画は窓に接していないから、二十四時間外光は入らないんだとか。

 この『塔』とやらは、比較的水深の浅い海底を土台に建造されている(なんと)300階建てのビルなのだそうだ。つまり島でも岬でもない。海面から文字通り超高層ビルがにょっきり生えているというロケーションだったのだ。

 そんな話をされても、ここが屋内だなんて実感はあまり湧かなかった。頭上には天井があるらしいのだが、見上げてもネオンの光でよく見えない。

 そもそも『塔』の各階は天井高がかなり高く作られているらしい。契約して金さえ払えば、貸し出されている部分を好き勝手に改築・建築していいことになっていて、一つの階を二階三階に分割する形でビル内ビルが建っている状態だって……一言で言ってカオス。


 人々は、世界のあちこちに点在する同じような『塔』にぎゅうぎゅうに集まって暮らしている。中は巨大な都市がそっくり入っている状態だが、基本的には全て賃貸物件という扱いらしい。

 ランギーとアミアはこの『塔』の管理組織の一員として働いていた。

 住民はといえば……結論だけ言うと、大なり小なり人外。さっきの姿のランギーみたいにそもそも脚が多いとか、肌が青いとかは序の口で、そもそも不定形の種族すらいる。

 これはあれだ、アレっぽい、SF映画に出てくる異星の酒場シーン。ただし街の風景や行く人の服装はアジアの下町か古いカンフー映画チック。

 もっとも、他の惑星に旅する技術があるのかランギーに尋ねたら、それは映画とかドラマの中の話だと返ってきた。つまりここが「遠い昔、はるかかなたの銀河系」だったとしても、宇宙人なのは俺だけだ。


 アミアは俺に少なくともこの三人で考えても仕方ない状態だと納得させたところで、昼食に出ることを主張した。ランギーはそんな場合じゃない、と一応難色を示したが、アミア曰く、

「このおじさん、すっごく弱いよ。何かしでかしても私がどうにかするから、ごはん行きましょ。お腹すいちゃった」

 ……だそうだ。

 どうにかの中身については、怖いので確認していない。

 ともあれ出かけることになって、管理部を出て住居フロアに向かった。管理フロアと住居フロアの間には狭くて古びてはいるがエントランスがあった。ただそのエントランスはドアに鉄格子と金網があり、巨大な鉄の塊みたいな大ぶりの刃物を持った四本腕の守衛が立っていて、物々しいにも程がある様子だった。

 あれだ、こういうの世界最悪の治安の街・何処其処、みたいなネットまとめで読んだぞ。


「いやでも、やっぱり色々おかしいですよ、ここが日本じゃないなら、なんで日本語が通じて、看板が日本語なんですか」

 そもそもランギーたちとは会話が普通にできている。

 しかも、エレベーターから管理フロア、ここまで来てもなにも違和感を抱かなかったのだが、壁の表示もネオンサインも看板も、全部日本語なのだ。

 全世界で日本語話者がどのくらいいるのかは知らないが、少なくともこんなに隅々まで日本語に溢れている場所が国外にあるとは思えない。

 鼻息荒く主張するも、アミアとランギーはもぐもぐ咀嚼しながら顔を見合わせた。

「要するにあたしたちと会話できて字が読めるのが不思議って意味?それ、別に普通のことよ。『塔』の翻訳システムがあるからね」

 ごくあっさりとランギーが言った。

「やっぱりこの常識のなさ、絶対ヘンなとこからきたんだと思うなー。ええとお……説明めんどい。ランギーさんお願い」

「アミアあんたねえ。まあいいわ、ここには世界中のあらゆる種族が住んでるのね。種族ごとに言語も発声の仕組みも全然違うし、お互い会話するのにも学習でどうにかなるレベルじゃないわけ」

「だから、『塔』が翻訳してくれるんですよー」

 音声だけならまだしも、文字まで?

 なにその超テクノロジー……

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