第2話
額を結構な重さで突かれている。
つんつん、とかそういうかわいいレベルじゃなくて、ドスッ、ガスッ、みたいな擬音がふさわしい勢いのやつ。
岩だらけの急斜面を滑落してるんだから当然だ。仮に生還できたとしても、相当悲惨なことになるような事態。
とはいえ、全身ズタボロの瀕死の重傷の割には、あんまり痛くないな。額はめっちゃ突かれて痛いけど、それだけだ。
いや待てよ、違う。
滑落よりも後に、もっと何かあった気がする。思い出せ。
そう、気づいた時には、山中にいたはずの俺はどこかの路地裏に倒れていた。
山から落ちて路地裏で目覚めたら普通は混乱する。もしかして山で死んだのは全部夢だったのかも。
とはいえ知らない場所で目覚めるのだって、おかしな事態だ。俺は酔っても記憶はしっかり残るタイプだし。
起き上がってあたりを見回したら、ビルの間の隙間から、何かが。
そうだ。
手のたくさんある、馬鹿でかい顔の、化け……
「っは!」
俺は跳ね起きた。
し、死んでない!
岸壁でもみじおろしにもなってないし、化け物に頭から食われた様子もない。
手も足もついてる、傷もない。
「やっと気付きましたね?」
目の前に、人差し指を突き出した華奢な手があった。
一瞬、化け物の長くて関節の多すぎる手を思い出してゾッとしたが、俺の額を激しく突いていたのは、ごく普通の人間の手に見えた。
「もしもーし。聞こえてます?それとも頭やられちゃってるのかなあ。どうしよ、また叱られちゃう」
若い女性の声だ。
困ったなあ……して隠しちゃおうかなあ……とよく聞き取れないがすさまじく不穏な雰囲気の独り言が続いたので、焦点のイマイチ合わない目をどうにかすべく、激しいまばたきをする。
「ん、頭しゃっきりしました?」
やっと視界が鮮明になると、膝に手を当てて俺の方にかがみ込んでいたのは、ギリギリ少女と言っても差し支えない歳の頃の若い女性だった。白いフードの下に見える瞳は猫みたいな明るい黄色だ。カラコンかな?
「し、しました。叱られないから安心して」
誰からなのか何についてなのか知らんけど。なんとなく叱られないためにヤバいことをしでかしそうな空気を醸し出していたのだけはわかる。
「ざーんねん。えと、ちょっと待ってくださいね」
何が残念なのかは考えないぞ、くそッ。
女性は紺のチェックのプリーツスカートのポケットからスマホを取り出すと、どこかにかけて話しはじめた。
体を起こした彼女の顔は、今はノースリーブの白いサマーセーターについたフードに隠れてよく見えない。顔の両側から見えるのはつやつやした真っ直ぐな黒髪で、胸くらいまでの長さだ。
セーターは脇腹の部分に穴がある、というかそもそも縫い合わされていなくて、腋の下とその下2箇所の合わせて3箇所だけ、前身頃と後ろ身頃が繋がっている。
このデザイン、日本じゃ露出度高すぎな感じだけど、今年の流行りなのかな。腕が三対あった場合は便利そうなデザイン、なんてな。
もっとも、セーターにはさらに目立った特徴もあって、フードの頭部分には突起が二つ。これはいわゆるネコミミフードってやつだな、うん。耳部分がちょっと前すぎる感じもするけど。
下はプリーツのミニスカートだ。そこから伸びているのは、すんなりした素敵な脚線の太もも。膝上の黒いソックスに、足元は黒革のゴツめのワークブーツ。
両の太ももには革のベルトが巻かれていて、そこからそれぞれ何か物騒な感じのものが下げられているが、これはきっとコスプレの小道具か何かに違いない。
ファッションの方向性も、派手な色のカラコンといい俺の若い頃に流行ったビジュアル系のバンギャを萌え寄りにしたみたいな感じだしな。多分アレだろ、夜とか哀とか涙とかの漢字の入ったライブネームを名乗るんだ。
「はあ〜……わかりました。連れて行きますよう。大丈夫ですって、味見もしません。もう、信用ないなー」
はいはい、どーもです、といってコスプレバンギャ少女(仮)は通話を終えた。
「とりあえず、あなたを管理フロアまで連れていきますね。説明とか質問はめんどーだから、着いてから私の上司にどうぞ。じゃあ立って立って!」
急かされて立ち上がると、そこは化け物に襲われた場所とよく似た路地裏だ。ただし、あの肉屋の産業廃棄物の入ったポリバケツも、散らばった中身もない。あたりは薄暗く、明かりは表通りのネオンだけだ。
そしてやっぱり体も、どこもなんともなかった。欠損もしてないし、怪我もない。しかし着ているものは、櫛田に連れて行かれて揃えた登山スタイルだった。つまり、少なくともそこまでは現実というわけだ。
ネオンの輝く通りに出るのかと思ったら、バンギャ少女(仮)は、路地をさらに暗い方に進み、ビルとビルの隙間に入った。
足元にはごたごたと瓶や缶だの、タバコやファストフードのパッケージらしきゴミが散らばっている。頭の上も、室外機や配管にぶつからないように気をつけていなければ歩けない。
一体ここはどこの街なんだろう?俺の住んでいる地方都市にも飲み屋街はあるが、こんな込み入った路地はないはずだ。
不思議に思いながら、それでも何も尋ねないでバンギャ少女(仮)についてしばらく歩いたところで、路地は行き止まった。
突き当たりの壁には古びたスチール製のドアがあって、その脇にはこれだけやけに新しい、手のひらサイズの端末が取り付けられている。
そこへバンギャ少女(仮)が手をかざすと、ドアは音もなく奥に向かって開いた。
中は、昭和のオフィスビルみたいな薄汚れた廊下だった。窓のない廊下で、古臭いセンスの壁紙が貼られた左右の壁には、木目調シート張りの安っぽいドアがそれぞれ一つずつ。
5メートルくらいの奥行きの突き当たりは、壁のボタンから見るにエレベーターらしき扉。
太もものベルトから下げた大きな鉈というか肉切包丁的なものをぶらぶらさせながら、バンギャ少女(仮)は軽快に奥に進む。このコスプレ小道具、よくできてるな。抜き身の刃の鋭さなんか、本当に切れそうに見える。
エレベーターはこの階で止まっていたようで、ボタンを押すとすぐに開いた。乗り込んで振り返ると、操作パネルはよくある各階のボタン式ではない。
液晶パネルの数字を入力して目的階を直接指定するもののようで、華奢な指先が慣れた手つきでタッチすると、「200」と表示された。
……200?
待て待て、日本で一番高いビルでも、確か50階だか60階じゃなかったか?俺の知らない間に更新されたのか。
んなわけない。
世界一高いビルでやっと200階ちょっとなはずだ。
……ここ中東なの?
エレベーターが上昇しはじめた。俺の目がおかしいのかと思ってパネルを凝視すると、液晶の数字はなんとなくザラついているというか、瞬きのたびに一瞬、数字じゃない奇妙な記号に見えたりする。
なんだ、表示がバグってるだけか。そうだよな、こんな昭和感あふれる古いビル、200階もあるわけがない。
安心して待ちの姿勢になったが暇つぶしになるものもないので、そのままパネルを見ていると、上の方に今通過している階を表示する部分があるのに気づいた。
数字はあっという間にカウントが増えていく。今、82階……
んんんん?
その後ずっと見つめていたが、相変わらず表示はチラチラしてバグりつつも階数は順調に増えて、200でぴたりと止まった。
降りた先は、またしても昭和っぽい廊下だ。ここも窓はなく、蛍光灯に照らされた長い廊下が左右に伸びている。今乗ってきた並びや向かい側には、同じエレベーターのドアが合計……10もある。ここはエレベーターホールなんだろうけど、昭和風の古びて安っぽいインテリアと施設の規模が一致しなくて違和感がひどい。
目の前の壁にはホテル廊下とかにあるみたいな、案内用の金属パネルが貼り付けてあった。
←管理部
←財務部
←処理部
←拘禁室
大階段→
住居フロア→
エレベーターホール2〜10→
なんか不穏な部署あるなとかエレベーター何機あるんだよとかツッコミどころは多い。
少女はさっさと左に向かったので、俺も後に続く。
歩いていて気付いたが、この廊下、こころなしか緩く湾曲していないか?四角いビルではないのだろうか。
『管理部』のプレートのついた扉を開いて、中に案内された。そこは奥に向かって細長い部屋で、突き当たりに窓がある。窓の外は明るかった。
スチール製什器で統一された室内は、古びて雑然としていて、なんの変哲もないオフィスという感じだが、何か違和感を覚えて首を傾げる。
二つ向かい合ったデスクが一列、計8席。そして窓際に両袖机の管理職席がある。空席がないと仮定したら、管理部は9人の部署になるのだろうが、今は誰もいない。
「あっ、やだー、もうお昼休みに入ってる!ちょっとー、ランギーさんいないんですかあ?」
バンギャ少女(仮)は文句を言いながら、管理職席に向かった。
お昼休みということは、昼だ。だがさっきの路地裏は暗かったし、通りにはネオンが灯っていなかったか?
少女の後ろ姿越しに窓の外を見て、ついでに俺はこの部屋の違和感の正体に気付いた。ここ、ものすごく天井が高い。下手すると3階分くらいの高さが――
見上げた先は、奇妙なことになっていた。縦横に白い糸のようなものが張り渡されていて、天井はよく見えない。これはあれだ、あれによく似ている。
蜘蛛の巣。
部屋の中央あたりの天井に、灰色っぽい、丸くて長い脚を畳んだ何かが見える。
そりゃそうか、蜘蛛の巣には蜘蛛がいるもんだ。それは糸を出して静かに下降しはじめた。
これだけ大きな巣だ、蜘蛛自体もさぞかし立派な……
遠近感の問題かと思っていたが、降りてくる蜘蛛はみるみる大きくなる。
え、待って、これ馬とか大型バイクくらいのサイズ感じゃない……?
俺の目の前のスチール製デスクに蜘蛛は着地した。
びっしりと灰色の毛の生えた、丸い大きな尻。同じく毛むくじゃらの太い脚が三対。しかし腹から上は、肌こそ毛と同じ灰色だが、サンバ衣装みたいなド派手なブラジャーをした女性の上半身がのっている。
「アミア、拾った人族って、これ?」
ウエストとおぼしき場所に細い腕を当てて、女性の上半身が俺の方へ屈み込んだ。
露出過多のたわわなバストよりも、その上の顔から視線を外すことができない。なぜなら、彫りが深く鼻のつんと尖った美女なのに、普通の位置にある目の上にさらに三対、計八つの、白目がなく黒く艶めいた目が並んでいるのだから。
「そうでーす。私は見たことない種族だし、なんか妙に食欲そそる匂いするし……これって絶滅危惧種の人族ってやつですよね?」
「ん〜、確かにあたしもはじめて見る種族だけど。なんだかわからないわね。ていうか、あんた喋れないの?何者なのか説明してくんない?」
ぐぐいと下半身蜘蛛の美女が俺の方へ顔を寄せた。ねえ?と言った拍子に口から覗く、巨大な乱杭歯。
ああ、今こそ再び気絶したい。
そんで、起きたら自宅のベッドの中、ってことになんないのかな……
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