第4話 お茶会


「お話を書いたんだ」

 王冠を被ったルイスが、二杯目のお茶に口をつけて言った。

「故郷を出た男が、不思議の森で少女アリスと出会う。森は、かつて滅んだ王国の跡地で、アリスはそこで木々の怪物となった王族の亡霊たちと暮らしている」

 アルドは黙って聞いている。

 一杯目の紅茶がまだ湯気を立てているが、口はつけていない。

「男はアリスと森で暮らすが、そこに今度は別の世界からやってきた来訪者が現れる……」

「それから?」

 アルドの問いに、ルイスは不快そうにぴくりと頬を震わせる。

 アリスは笑ってその様子を眺めている。

「お茶会だ」

 ルイスは言った。

「アリスと男と来訪者の三人はお茶会をして、そこで誰がこの『不思議の森』の王様に相応しいかを決める」

「どうしてそうなるんだ。来訪者が王様になりたいって言ったのか」

 アリスがクッキーを頬張る。ぱき、ぱきという音が室内に響く。

「誰かが王様にならなければいけないんだ。王様と案内人、その二人だけがここでは人の姿を保っていられる。それ以外は、この森を構成する木々の一本となるか、ツリーマンになるしかない」

「だったら、あんたが王様のままでいればいい。オレはこんな森に興味はない。悪いが出ていくぞ」

 そう言って、アルドは席を立とうとした。だが、足が動かない。まるで夢の中にいるかのようだ。アルドの意思では、アルドの体は動かない。

 紅茶がいやに香しい。アリスの食べているクッキーが、ひどくうまそうに見える。

「王様を決めなければいけないんだ。それがこのお茶会という『場面』なんだ。本の中の登場人物は永遠に同じ物語を繰り返し続ける。どうしてその『場面』に至ってしまったかを考える必要はない」

 ルイスがティーカップに紅茶を注ぐ。何杯目だ? 三杯目? いや、すでにもう何杯も飲んでいるような気がする。

 ここでは時間が歪んでいる。

「お腹が空いて来たんじゃないかね? 喉は渇いていないかね?」

 空いている。渇いている。もう何日も飲み物も食べ物も口にしていないような。

「紅茶を口にしたらいい。クッキーもあるぞ。いつまでも我慢していると、ほら、君より前の来訪者たちと同じ結末をたどるぞ」

 そこで、アルドはようやく気が付いた。

 隣の席に、白骨死体がテーブルに突っ伏すように倒れている。その隣は背もたれに仰向けに倒れ、口を開いたままの白骨死体。その隣も、その隣も。ルイスの隣の席も。またその隣も。見えなくなるまで続く長いテーブルの座席には、無数の白骨死体が座っていた。

「皆、王になれず、王になる事を選ばずに死んだ」

 ルイスが紅茶を啜る。

「白い世界から来たものたちは、最後は皆、骨に戻る」

「ふざけているのか! こんな、人を何人も殺しておいて……!」

 ルイスの燕尾服が、今は黒い闇のように揺らめいている。

 アリスの青い服が、今は漆黒に染まっている。

「王様になればいいんだ、アルド君。王様になる事を選べば、君はこの森で生き延びる」

「あなたが、王様になるのなら――」

 アリスが言った。

「わたしは、ずっとあなたの妹でいてもいいんだよ。お兄ちゃん」

 フィーネの顔で、アリスが嗤う。

「ふざけるな! 誰がそんなまやかしに乗るか!」

「しかし、心のどこかでもう諦めているのではないのかね。君は今、自分がどこにいるのかさえわかっていない。どうしてこんな事になってしまったのかも理解出来ていない」

 ルイスの顔が歪んで、変化する。魔獣王の顔に。

『虚勢を張っていても、心は追いついていないのだろう?』

『俺に勝てると本気で思ったのか? その大剣が何とかしてくれるとでも?』

「……黙れ」

 ――何度も何度も工業都市を探索する。

 ――何度も何度も何もない事を確認する。

 ――やがて、エイミがアルドの元を離れていく。

 ――リィカも、もういない。

 ミーユもミランダもイシスも、新たに繋がった仲間たちがアルドの元を離れていく。曙光都市を出て、何処とも知れない地表を歩く。

 黒い世界にいる。そこでは全ての者たちがアルドに呪詛の言葉を投げかける。

『失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗』

『見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた見捨てた』

『諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた諦めた』

「――やめろ!!」

 声は止まない。呪詛は重なり、合唱となってアルドを苛む。

 黒い雲の切れ間に、血のような赤い空が見える。

 黒くごつごつとした石の転がる荒野を裸足で歩く。

 今も、この先も、希望などない。

 取り戻せるかもしれないという僅かな望みが、蛆のようにアルドの胸中を喰い尽くす。

 気が付けば。

 アルドは深い森にいた。

「やっと起きた、お兄ちゃん」

 フィーネが、笑っていた。

「せっかく会えたのに、ずっと寝てるんだもの。待ちくたびれちゃった」

 フィーネが紅茶を注ぐ。胸が満たされるような紅茶の香り。

「でも、ちゃんと助けに来てくれたよね。お兄ちゃん」

 テーブルの上に置かれた王冠を、フィーネは手に取った。

「おめでとう。これで、お兄ちゃんがこの森の王様だよ」

 王冠が、アルドの頭に載せられる。

 ぱちぱちぱち。フィーネが手を叩いた。

 拍手は目の前からだけではない。気が付けば多くのツリーマンが二人を囲って拍手していた。ミーユ、ミランダ、イシス。ツリーマンと化した三人も、塔に幽閉されていたタモラも満面の笑みで祝福している。

「これで幸せに暮らせるね。お兄ちゃん」

 万歳。万歳。アルド王万歳。

 森中が喝采に包まれる。

「……フィーネ」

 もはや、アルドに何かを考える事は出来なかった。

「王様になって、オレは何をすればいい?」

 フィーネが微笑む。無邪気に。あるいは艶然と。

 これまでアルドが見た事のないような顔で。

「何もしなくていいの。お兄ちゃんは頑張ったんだから、これからはここで幸せになればいいの」

「何も?」

「そう。何も」

 ああ。そうか。

 それならば。

 ――トス。

 フィーネの胸に剣の切っ先が突き刺さっている。

「――え?」

「お前は偽物だ。アリス」

 思考が急速に冴えていく。連れ去られるフィーネの姿を思い出す。

「何もしなくていいはずはない。まだ、オレはフィーネを助けちゃいないんだ。何もしていない奴が、何もしなくていいはずはない」

 フィーネの、いや、アリスの体がまるで花びらのように散っていく。

「VOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」

絶叫は誰のものか。アリスか。森か。それともこの場にはいないあの男のものか。

「もう少し。もう少しだったのに――」

 恨めし気な、男とも女ともつかない声。

 アルドは、自分の頭から王冠を取り、放り投げる。

「お話は終わりだ。終われない話は終わらせて、オレは次に進む」

 剣が、王冠を一閃する。

「お兄ちゃん。あなたは、やっぱり――」

 白い紙をクシャクシャと誰かが丸めている。

 丸める音だけが聞こえる。


「――アルド!」

 ミランダの声に、アルドははっと身を起こした。

 バーのカウンター席。ひどく汗をかいている。

「やっと起きたか。ずいぶんうなされていたぞ」

 ミランダはそう言いながら、ぐいっとジョッキの中身を飲み干す。

「いやあ。すまなかったね。特製のドリンクが効きすぎたらしい」

 マスターが快活に笑う。短髪の、見覚えのあるマスターの顔。

 ――……今のは、夢だったのか? あの森の中での出来事は全部。

「酔い覚ましってわけじゃないが、温かい飲み物を淹れたんだ」

 がさがさと。

 葉が擦れ合う音がする。

「喜べよ。ミーユがアルドのために用意したんだぜ」

 いやに青臭いミランダが肩を組んでくる。

「……」

 出されたのは、紅茶だ。

「ぐいっと飲めよ、アルド」

 半ばツリーマンと化したミランダが言う。

「そうですよ、アルド」

 顔が木の幹と化したミーユが同意する。

「飲めばすっきりしますよ」

 甲冑の隙間から枝の生えたイシスが――

「くそっ!」

 アルドは急いで店を出る。バーのドアが壊れるほどの勢いで外に飛び出した。

 エルジオンの街には、木々が生い茂っていた。

 見慣れた街の風景も、見知った顔の住人も、全て木か、ツリーマンとなっている。

「嘘だろ。そんな……」

 視界に靄が立ち込めていく。

「あ、アルド!」

 声が聞こえた。エイミの声が。

 だが、その姿は見なくてもわかる。

 手足のある木々と化した人々がアルドの名前を呼んでいる。

 緑の葉がついた無数の枝が、アルドに触れて来る。

 万歳。万歳。アルド王万歳。

 王様。王様。おめでとう。

 万歳。万歳――――

「うわああああああああああああっ!」

 今度こそ、アルドは絶叫した。



「アルド! ねえ、ちょっとアルド!」

 エイミの声がして、アルドは目を覚ました。

 服が汗でぐっしょり濡れている。どうやら地面に大の字で寝転んでいるようだ。

 それを覗き込むエイミの顔は、いつものエイミだった。

「こんなところで何やってるの。みっともない」

「……オレ、は」

 上体を起こし、辺りを見回す。

 アルドのほうを何事かと振り返る人もいるが、大半は興味もなさそうに通り過ぎていく。

「もう、ホントに大丈夫? 何があったの」

「本だ。本を見せられて、それで……」

 くしゃ、と。

 丸めた紙を潰すような音がした。

 アルドの右手に、丸まった紙が握られていた。

「何それ? 紙? ずいぶん古そうだけど……」

 困惑するエイミを余所に、アルドはその紙を広げた。

 絵と、何行かの文。絵本の一ページのようだ。

 森の中で、少女が白いマントを纏った青年に王冠を授けている。だがページの左下が黒く塗られており、その闇の中で、忌々し気な男の口元が描かれている。

 目に入った台詞があった。

『あと少しだったのに』

「――っ!」

 強烈な鬼気を感じて、アルドは振り返った。

 薄汚れた茶色のローブの男が、踵を返して雑踏に消えるところだった。

「待て!」

「あ、ちょっとアルド!」

 エイミの呼ぶ声を無視して、アルドはローブの男を追った。男は人々をかき分け、工業都市に続くゲートのほうへと走って行く。


 工業都市へと続く、機械の怪物たちが徘徊する通路を、ローブの男は走り抜ける。その後ろ姿に、アルドは叫んだ。

「ルイス!」

 その声に、男は足を止めた。

「鬼ごっこはおしまいだ。その本を渡してもらう」

 アルドはファイアスラッシュの構えを取った。

 この距離なら、瞬時に詰められる。

「本をどうするつもりだ?」

 振り返らず、男が問う。

「斬る。その呪われた本を消し去ってやる」

「――ふふふ」

 その笑い声に、アルドは思わずぞくりとする。

 その場にはいないのに、聞こえたのは間違いなくアリスの声だ。

「やめておけ。剣士様」

 ローブの男が振り返り、フードを取った。

 いくらか予想はしていたが、それでもアルドは息を呑んだ。

 男の顔は、半分がルイスで、半分がツリーマンだった。

「君が戴冠を拒絶し王冠を破壊した事で、お話の最終場面は消失した。話は、これで永遠に終わらない。今、この本の中は取り込まれた死者と苦しんだ登場人物たちの怨嗟で溢れている。下手に処分すれば、本の中の怨念が君を取り殺すぞ」

 ルイスの持つ絵本は、言葉通り、どす黒い瘴気を纏っていた。聞き覚えのない幾人もの恨めし気な声が通路に響き渡っている。

「……だが、お前を放置すれば、また無関係の人が本に取り込まれる」

「はっ。言ったろう。最終場面が消失したんだ。もう他の誰かが王冠を被る事は出来ない」

 半分に切られた王冠を被り、ルイスの半面が嗤う。

「もはやこの体も持つまい。私の旅はこれで終わりだ」

「待て。何する気だ」

 ルイスは通路の縁に立った。

「帰るのさ」

 風が吹きすさぶ、もはや人の住めなくなった黒い大地をルイスは見つめる。

「黒の世界へ」

「お前……」

 虚無と自嘲を含んだ目が、アルドを見た。

「いつか奇跡が起きて、過去が修正され未来が救出されたなら、私の人生も変わるかもしれない。だが、人に呪われ、人を呪った私には苦痛に満ちた現在しかないんだ。結局、自分の身は、自分で助けるしかない。私を誰かが助けに来る未来は、もうないのだから」

「怨念に取り殺されるんじゃないのか」

 アルドの問いにも、ルイスは皮肉な笑みを浮かべるだけだった。

「それなら今とそう変わらない。さようなら、白の世界の剣士よ。せいぜい、王様にならなかった事を後悔しないようにするんだな」

「ルイ――」

 名前を呼んで、どうするつもりだったのか。

 ルイスの体は、深く暗い地表へと落ちていった。

 機械の怪物の駆動音がする。あまり、このままではいられない。

「ハッピーエンドを書けばよかっただろ。自分が不幸になるくらいなら」

 手の中の破れた一ページが溶けるように消えていく。

『――さようなら、お兄ちゃん。次はきっと……』

 アリスの声が聞こえたような気がしたが、風のうなりにかき消される。

「後悔なんてするか」

 アルドは、眼下に広がる黒い大地に向かって言った。

「眠れ。王様」



                                 了

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王様は森の中で。 安田 景壹 @yasudaichi

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