第3話 少女
扉はしっかりとした木製の大扉だった。塔の中に駆け込み、すぐに扉を閉めると、何か扉の取っ手に差し込める物がないかを探す。ツリーマンたちとルイスはすぐに追ってくる。
薄暗い塔の一階には、壊されたテーブルが無造作に置かれていた。手ごろなテーブルの一部を掴み、すぐに両扉の取っ手に差し込む。
途端に、外側から扉を打ち付ける音がした。ルイス達がすぐそこまで迫っているのだ。
扉はいつまでもつかわからないが、ここで足踏みしている暇はない。アルドは古びた塔の螺旋階段を上り始める。一階のほかは頂上階しかない構造の塔だ。それこそ、人を幽閉するくらいしか用途がない。
途中、崩れ落ちた壁の向こうに、一面に広がる森が見えた。花粉のような靄が漂う空と、どこまでも続く暗色の森。
歩いて出るのは、やはり不可能だろう。
普段から戦いで鍛えられているとしても、頂上階まで一気に駆け上がるのはさすがに息が切れた。それでもすぐに深呼吸して、息を整える。
最上階は一面に藁が敷かれていた。円形の部屋の片隅には便所らしい木製の箱がある。
そして、黒い鉄球と鎖で繋がれた足枷が見えた。
「……う、ううぅ」
呻き声が聞こえる。足枷をされた人影はアルドの二倍くらい大きかった。
運動をしていない。いや、出来るはずもない。足枷が嵌められた箇所には乾いた血の痕と、新たに流れ出した血が見える。
「う、ぐぅっ…うう……」
「あの」
恐る恐る、アルドは声をかける。
「あなたが、王妃様……?」
「ぅ、ぅう……許して、許して……」
王妃タモラ。
ルイスが語ったところによれば謀略を企てた罪で幽閉されたのだという。
彼女は今も幽閉されていたのか? いや、この『不思議の森』の中で、時間を論ずるのはもはや無意味だ。
「許して、許して……ラヴィニア……」
ラヴィニア? また知らない名前だ。
「あの、オレは、ハートのクイーンのカードがここにあるって聞いたん――」
「もう嫌なの!!」
体は壁のほうに向けたまま、タモラは顔を覆って嘆く。
「あの男は、自分の代わりばかり探して! 私もここから出たいのに、一向に男ばかり! ラヴィニア、私を許して! 永遠にここにいるのは嫌! 私を、私を解放して!」
タモラが泣き叫ぶたび、彼女の体は樹皮へと変じ、葉をつけた枝が次々と生えて来る。
「なあ、おい! 落ち着け! あんた、そのままじゃツリーマンに!」
「許して! 許して、ラヴィニアァアアアアアアアッ!!」
ブン! と空気を切って足枷の鉄球が飛来する。
「うわっ!?」
咄嗟に身を翻して階段を下りる。勢いのついた鉄球が、石壁を粉砕する。
ずる、ずると。
身を引き摺る音がする。
振り乱れた白髪。樹皮に覆われた顔。だが、目も鼻も口もある。
なりかけている。ツリーマンに。それは一体どれほどの苦しみなのか。赤く染まった王妃の両目から、真っ赤な血が流れ続けている。
「ラヴィニア、ラヴィニア……許して……・。苦しい、苦しいのぉおおお」
「……っ」
アルドは剣を抜いた。
「あんたが、どうしてそんな風になっちまったのかは、知らないが」
鬼の如き顔のタモラが階段の上からアルドを見下ろしている。這いずるその姿はまるで巨大なナメクジだ。
「苦しいのなら、終わらせてやる」
「ラヴィニアアァアアアアアアッ!!」
タモラが階段の上から躍りかかる。潰されないように、アルドはバックステップで螺旋階段を下へ。タモラが体ごと階段に叩き付けられる。破砕音とともに石の階段が砕ける。禍々しいオーラをまとったタモラは無傷だ。相手は木。身を起こす前に、アルドは斬りかかる。斬撃が爆発を帯びるファイアスラッシュ。焦げた臭いが広がる。
「アァァッ!」
効いている。予想通りだ。タモラが起き上がれない隙を見て
もう一撃ファイアスラッシュを見舞う。轟く爆音。
突如、鉄球がアルド目がけて飛んで来る。すんでのところで回避するも着地に失敗。タモラは、その巨体をすでに起き上がらせていた。
「ラヴィニア、ラヴィニア……どこ……?」
タモラは何かを探すように、視線を巡らせている。
アルドを害そうとしているのではない。
ただ、苦しみから解放されようとしている。
「もう一度!」
剣が折れるのではないかと思うほどの斬撃を繰り返す。タモラが足を振り上げる。三度、飛んで来る鉄球。今度は躱し切れない。左腕を掠めた鉄球が塔を破壊する。
「く、そぉっ!」
ファイアスラッシュ。タモラの首を狙う。息をつかせぬ連続攻撃。爆炎がタモラを焼く。
「あ、ああ、ぁ……」
タモラの声が、掠れた。
その瞬間、最後のファイアスラッシュがタモラの体を焼いた。
「はあ、はあっ」
黒い瘴気のようなものがタモラの体から、昇っていく。
「う、ううっ……」
呻き声を上げながら、なおも動こうとするタモラ。
「ラヴィニア、ラヴィニア、私を……」
ぞくぞくぞくと。
否応なくアルドが怖気を感じたのはその時だった。
「許す事なんてないわ。タモラ」
いつの間に、そこにいたのか。
あの青い服の少女が、タモラの傍に立っていた。
「ああ、ラヴィニア……私、私を……」
「今のわたしはラヴィニアじゃない」
ず、と。
少女の手がタモラの口の中に突っ込まれる。
「あ、あがあ、ああ……」
少女の手が、タモラの口から何かを抜きとる。
「不思議の森の案内人、アリスよ」
「あ、あ、あ、あ……」
声にならない声を上げ、タモラは消えていく。
あとに残ったのは、彼女の動きを制限していた鉄球つきの足枷と。
一枚のカードだ。
赤いマークに女性のような絵柄。
「ハートのクイーン」
タモラの血で濡れたそのカードを、少女――アリスは投げて寄越す。
「まさか、タモラを倒しちゃうなんてね。これまで《本》の中に入って来た誰も、そんな事出来なかったのに」
呆れたように、アリスは言う。
「お兄ちゃんにはお話を変えてしまう力があるのね。その大きな剣のせい?」
アルドが腰に差しているオーガベインにちらと目をやって、アリスは笑う。
「君は……いや、この森は一体何なんだ」
困惑しながら、アルドは問う。
アリスはころころと笑った。
「ルイスが教えなかった? ここは、滅びた帝国の成れの果て。白でも黒でもない灰色の世界。代わりの登場人物を見つけてこない限り、誰もここから出られない……」
「代わりの登場人物……?」
「いいよ。じっくり教えてあげる」
いたずらめいたアリスの微笑み。
がさがさと。
木の枝のようなものが後ろからアルドを掴む。
「なっ……!
「お茶会で」
少女の声が聞こえて、アルドの意識は暗く閉ざされる――
夢を見た。
机に向かって、一生懸命ペンを走らせる男。
家の外では、彼を非難する声。
『こんな物を書くな。こんな物は認められない。荒唐無稽で繋がりもバラバラ。話の体を成していない。才能とは美しい花を咲かせる力。見るに耐えぬ落書きは才能ではない』
夢を見た。
どこかの薄暗い森の中。
『あの娘を亡き者にしておくれ。さすればタイタニアの血筋は絶える』
王女のようなドレスを纏った少女が、悪い者の手に掛かる。
少女の顔は、どこかで見た事がある。
王女を始末した報告を聞いて、王妃が密かに嗤っている。
夢を見た。
古い、とある国の宮殿。
『余の国もこれまで。だが、余を謀って無事で済むと思うな』
泣き叫ぶ王妃が塔へと連れて行かれる。
帝国のあちこちで暴動が起きている。
王様が、何者かに刺される。
そして、また。夢を見た。
黒い谷の町を出て、赤い空の下、荒涼とした尾根を行く青年。
『おぞましくとも、恐ろしくとも。意味があっても。なくても。咲いた以上、花は花だ。どうして愛してくれないのか。私は、こんな花だというだけなのに』
青年は出ていく。
黒い世界から。日の光が見えるほうへ。
気が付くと。
アルドは長いテーブルの一番端の席に座っていた。
目の前にはティーポッドとティーカップ。向かいの席にも同じ物。その横の席にも同じ物。その横も、その横も。アルドの左隣からずっと向こうも。お茶のセットもテーブルも。見えなくなるまで続いている。
「おはよう。お兄ちゃん」
気が付くと正面の席に、少女が座っている。
懐中時計をアルドに見せる。
「三時ぴったり。時間に正確」
「違う」
アルドは言った。タモラから受けた手傷が体中に残っていて、まだ痛む。
「どんな事をしても三時のお茶会でスタートするんだ。この『場面』は」
「うんうん。ちょっとわかってきたんだね」
「ここはお話の世界なんだ」
アルドは続ける。喉が渇いている。
「この世界に入った者は、ストーリーに沿った動きを強要されるんだ。役柄を与えられて、その通りに動くようになる」
「正解、正解」
どこかで、ドアが開く音がした。
「時間通り開始出来るな」
尊大な口調だが、その声は覚えている。相変わらず燕尾服のような恰好。一つ違うのは、マントを纏っている事。
椅子を引いて、男はアリスの隣に座る。
「あんたの役柄は何だ。ルイス」
アルドは問う。
「さて。私の役柄は複雑だ。来訪者に指示と課題を与える案内人。これはアリスもそうだが。ツリーマンを動かす黒子も私。そして、もう一つ。お茶会で来訪者を迎える貴人」
ルイスはどこからともなく取り出した王冠を、まるで帽子のように頭の上に載せる。
「タイタニア王だ」
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