第2話 絵本作家

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 ツリーマンは、決して強くはない。ここまでアルドが戦ってきた相手に比べれば、なんて事はない。

 ただ、斬っても斬っても手ごたえがない。

 剣でつけた傷は何事もなかったかのように塞がってしまうし、無言でアルドに掴みかかろうとしてきて、ただただ不気味だ。

 このままでは時間を浪費するだけだ。

「無理だ。逃げましょう!」

「え? おわっ――」

 言うや、アルドはルイスの腕を掴んで走り出す。ツリーマンが背後から追ってくるのがわかったが、相手をしていてもきりがない。走りながら、目についた木の幹に剣で傷をつける。もはやルイスはアルドに引き摺られているようなものだ。

「放せ、放してくれアルド君! ツリーマンはもういないぞ!」

 ルイスの声に、アルドはようやく足を止めた。

 確かにツリーマンは、もう追っては来ていない。

「見事な剣捌きだな、アルド君。脚力も、大したものだ」

全力疾走していたアルドよりも息も絶え絶えにルイスはいった。

「それはどうも……と、時間は」

 慌てて懐中時計を見る。

 時計の針は二時四十分を指していた。

 あれだけ戦って、あれだけ走ったのに、五分しか経っていない。

「どうやら、ここは本当に時間経過がおかしくなっているようだね。その時計も、本物の時間を計っているのかわからない」

 ルイスは汗を拭いながら言った。

「ルイスさん、あなたは一体何者なんです。さっきのツリーマンの事といい、この森についてはあなたのほうが詳しいんじゃないですか?」

 思わず詰問するような口調で、アルドは問う。

 ルイスは、困ったような顔をしていた。

「いや、君がそう思うのももっともだ。言った通り、私は考古学をしているからね。ある程度、目星の物があってこの森に写生に来たんだよ」

「オレがこの森に来たのは偶然です。彼女の助けを呼ぶ声がしなければ入る事はなかった。一体、ここは何なんですか」

 ルイスは長い髪をいじっていたが、やがて言った。

「私が知っている限りを話そう。ただし、私が知っているのはこの『不思議の森』についてではなく、私が本来訪れようとしていた森についてだけれどね」

 言って、ルイスはうねった巨木に腰を下ろした。

 それに倣って、アルドも腰を下ろす。お茶会まであとニ十分だが、ここでの時間経過は時計通りじゃない。

「私が調べたところによれば、かつて、この辺りには国があった。アール帝国という大きな国だ」

「そんな国の名前、聞いた事もありませんよ」

「確かにアール帝国は相当前に存在していたが、その話はまたあとにしよう。さて、アール帝国最後の帝王タイタニアは血と謀略の復讐劇の果てに倒れ、帝国はついに滅び去った。打ち崩された帝国の残骸の上には、いつしか木々が生い茂り、ここは巨大な森となった。だが、タイタニアをはじめ、アール帝国の王族の怨念は今なおこの森に残留し、朽ちた木々に宿り、ツリーマンとなって森に近付く者を襲う。私はその伝承を確かめるべくこの森へとやって来た」

 全く聞いた事のない話だ。

「アルド君。君が怪訝な顔をするのも無理はない。おそらく、この森は……いや、もっといえば、私と君がいた世界は、全く別々のものなんだ」

「?」

 アルドは、一瞬では理解出来なかった。

「今の話は、私の世界に伝わる話なんだよ。私と君の恰好を見比べてごらん。私が住んでいた街や国では、鎧を着て剣を持つ人間はいなかった。かたや、君はトランプの事を知らなかった。つまり、どういう理屈かは知らないが、元々は私の世界にあったアール帝国の森が、次元を越える存在となって、君と私の、どちらの世界にも表れたんだ」

「????」

 さっぱりわからなかった。焦れたようにルイスは頭を振る。鞄から白紙を二枚取り出し、一方の中心を黒く塗り潰す。それから、足元にあった瓦礫を手に取った。

「いいかい。この黒い紙が、元いた私の世界だ。この瓦礫の破片が『森』だ」

 ルイスは黒い紙を瓦礫の破片に覆いかぶせる。破片の尖った部分が黒い紙を突き破って、顔を見せた。

「こういう状態だった。私が迷い込んだのは、たぶんこの時だったんだろう。そして、理屈はわからないが、次元の壁を突き破る存在だった『森』の上に、今度は――」

 ルイスは白い紙を黒く塗った紙の上に覆いかぶせた。またしても破片の先端が、今度は白い紙を突き破る。

「この白い紙が、君の世界だ。二つの世界は、『森』に貫かれるようにしてつながってしまい、君と私は出会ったというわけだ」

「なる、ほど……」

 何となく、何となくではあるが、理解出来た気がする。


『本の中に書いてあるお話の世界に囚われてしまったんだ』

『彼は今でも、この本の中で助けを求めているんだよ』


「――ッ!?」

 どこかで聞いたような言葉が、唐突に頭の中でフラッシュバックする。

「……どうした。大丈夫か」

「ええ……」

 今のは何だ?

 何か、大事な事を忘れている気がする。

「でも、それならルイスさんは森を出ても元の世界には帰れないんじゃないですか。黒い世界(紙)の上に、白い世界(紙)が来てしまっているんだから」

 気を取り直して、アルドは疑問点を口にする。

「確かに、うまく脱出出来たとしても、私が元いた世界に戻れるという保証はない」

 ルイスは頷いた。

「だが、全ては脱出出来てからの話だ。いつまでもこんな森にいるわけにはいかないよ。元の世界に帰る方法は、ここ出てからゆっくり探せばいい」

 何だかちょっと暢気な話のようにも思えた。

「さあ、お茶会まであまり時間がない。よくはわからないが、少女は遅れないようにと言っていただろう? 無視しないほうがいい」

 そう言って、ルイスは懐から、例の『トランプ』という絵札を取り出して見せた。

「それ、結局何なんです?」

「トランプは、私の元いた世界では遊戯に使うものだ。いわば、玩具だな」

 ――お茶会は三時から。遅れちゃ駄目だよ。お客様を連れて来てね? それから玩具も忘れちゃ駄目。

「玩具……」

「私は彼女にこれを揃えるように言われた」

「揃える?」

「ああ。トランプというのは、『1』から『10』までの数字のカードと、ジャック、クイーン、キングのカード、それにジョーカーというカードで構成される。ジョーカー以外のカードには、スートと呼ばれる四種類記号が割り振られている。スペード、ダイヤ、クローバー、ハートだ。スペードの1から10、ジャックからキングという具合に、四種十三枚にジョーカーを加えた計五十三枚がトランプの一組の内容だ。ここまではいいかい?」

「え、ええ……」

 ルイスのまくしたてるような説明に、アルドはついていくので精一杯だ。

「揃えるって言ってましたけど、じゃあそのトランプにはカードが足りていないんですか」

「その通りだ。たった一枚だけ足りていない」

 すらすらとカードをずらして中身を確認するルイス。

「ハートのクイーンがね」

「……一枚だけ?」

 こんな広大な森で、この小さなカード一枚を探せというのか?

 しかも、あまり時間はない。時間経過の概念がおかしな場所とはいえ、カードを探している間に三時を過ぎるかもしれない。

「安心したまえ。カードの在処の目星はついているんだ。ハートのクイーンなら簡単だ。もっと難しいパターンもあったから……」

 後半、よくわからない事言って、ルイスは鞄から分厚い手帳を取り出した。

「それは?」

「アール帝国に関する私のメモだよ。金にならない趣味だが、考古学は役に立つ。資料によれば、王妃タモラは謀略を企てた罪で塔に幽閉されていた……」

 言って、ルイスは木々の向こうを指差した。

 見れば、確かにその先にはまだかろうじて塔の形を保っている建造物がある。

「あれだよ。ハートのクイーンはあそこにいるはずだ」



 不思議の森の景色には変化がない。懐中時計を見ると時計の針は二時四十五分を指している。あと十五分しかない。ルイスはノートを見つめながら独り言を呟いていた。アルドはルイスの前を行く。塔は近い。

「ここが、王妃が幽閉されていた塔か」

 塔の壁は崩れていて、中の螺旋階段が半ば野晒しになっていた。

「さあ、急ごう。お茶会の時間が迫っている」

 ルイスはそう促したものの、アルドは進まなかった。

 この不可思議な森の、誘導されているような感覚にどうしても違和感を禁じ得ない。

「ルイスさん。ルイスが元いた世界ってどんなところでしたか?」

 ルイスは怪訝な顔をした。

「どうした。何で今、そんな事を聞くんだ?」

 アルドは、ルイスのほうへと振り返る。

「教えてください」

「そんな事は今、関係がないだろう!」

 ルイスは色をなして怒鳴った。

「急がないとお茶会に遅れる! 早くハートのクイーンを探すんだ!」

「そもそも不思議だったんです。ハートのクイーンがどこにあるのかわかっているような人が、どうしてわざわざ森の中を何日も彷徨っていたのか」

「君は!!」

 ルイスが声を張り上げた。

「妹を探しているはずだ! ええ? そうだろ! 妹が攫われてしまって急いでいるはずだ! だったらここで、余計な質問をしている暇はない。きっかり筋書き通り探索(クエスト)を進めなきゃ駄目じゃないか!」

 アルドは剣の柄に手をかける。

「あなたに……いや、あんたに、妹の話はしていないはずだ」

 疑念は、確信に変わる。

「オレがここで妹の話をしたのは、あの青い服の女の子だけだ」

 このルイスという男は、どうしてもアルドにハートのクイーンのカードを探させたいのだ。

「あんた、一体何者だ。あの女の子とグルになって、オレに何をさせる気なんだ?」

 ルイスはもはや半狂乱だった。

「いいから筋書き通りにするんだ! 書いてある通りに探索を進めないとページがめくられない! この場面が終わらない! 筋書き通り探索を進めて、筋書き通り終わらせてくれ! 君がハートのクイーンを見つけないと、お茶会が、お茶会の場面が……」

「悪いが、お茶会もハートのクイーンもなしだ。オレは彼女を探す。あの女の子なら、何か知っているはずだ」

「はははは。あの子を探すって? 彼女はクエストを終えない限り出てこないぞ。お話はすでに書いてあるんだ。お茶会に行くまではもうこれ以上彼女の出番はない。どこをどう探したって、出番でない登場人物は存在しない!」

 ざ、ざ、ざと。

 ルイスの背後に三つ人影が見えた。

 驚いた事に、見覚えがある。

「ミーユ……?」

 お姫様のような剣士。女海賊。それに甲冑姿のミーディアム。

「ミランダ! イシス!」

 イシスの甲冑からは、そこかしこから青々とした葉をつけた木の枝が生えている。ミーユとミランダは顔面が樹皮だった。

 まさか、三人が最初から周りにいなかったのは……

「は、はは、はは。驚いたようだね。ちょっと強引だが、嫌でもハートのクイーンを探してもらうよ! 駄目なら、君もお仲間だァッ!」

 ミーユ、ミランダ、イシス。三人の仲間の恰好をしたツリーマンが襲い掛かってくる。

 彼らは、本当にもうツリーマンになってしまったのか? いやいずれにしろ、今斬りかかるわけにはいかない。

「くそ!」

 アルドは背後の塔へ向かって走り出した。

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