「ヘッドハンター」

サカシタテツオ

□ヘッドハンター

 『なんだ!この臭い!』

 僕はあまりにも強烈な悪臭に驚きの声を上げた。

 つもりだった。


 ーー声が出てない!?

 自分の身に何が起きているのか分からない。

 それは想像を超える恐怖心を呼び起こす。


 けれどソレが返って可笑しくも思えた。


 つい先程まで僕は心の底から『死』を望んでいたと言うのに・・・。

 そう、僕は死のうとしていた。

 いや、死にたいと思いながら川面を見つめていたはずだった。


 誰がアレをイジメだなんて命名したのだろう。

 暴力。脅迫。恐喝。それにありとあらゆるはずかしめ。


 だから『死』を望んだ。

 だけど。

 一人だけ。


 アイツだけは『道連れにしてやる』と決意したところで記憶は途切れている。


 ーーとりあえず何がどうなってるんだろう?

 とても冷静になれる状況ではないけれど、僕は僕自身の確認を開始する。


 臭いは分かる。

 強烈な悪臭は健在だ。


 視界もクリア。

 けれど違和感がある。

 360度のフルスクリーン映像を見ている感じ。


 聞こえる。

 だけど遠い。

 プールの底に沈められ外の嬌声を聞かされている感覚。


 自分のモノなのに自分の身体ではないと感じる。


 『なんなんだよ!』

 と怒鳴ったはずの僕の声は響かない。



 そんな事を確認している間にも事態は刻々と変化する。


 ーー前進してるのか?

 視界に映る景色は見慣れたはずの街並み。

 ただし僕の視点は空中だ。

 五階建ての雑居ビルの屋上を見下ろせる程度には高い視点。


 聞こえてくるのは悲鳴。

 僕の足元。

 と言っていいのか分からないけれど、とにかく僕から少しでも遠ざかろうと必死で逃げる人達から漏れる悲鳴。


 ーー止まらなきゃ!

 そんな僕の思考は僕の身体に届かない。

 僕の意思を受け付けない。


 『なんでなんだよ!!』

 心の底からの叫びも音にはならず、ただひたすら助けを求める人々の泣き叫ぶ声だけが響き渡る。


 『聞いた事がある』

 僕は突然思い出した。


 中学時代。

 まだイジメにあう事もなく平和にバカな事を言い合える友達がいた懐かしい時間。


 その頃に聞いた他愛もない都市伝説。


 街中に突然現れる水の塊。あるいは限りなく透明で巨大な軟体生物の話。

 ソイツはただまっすぐに進み続ける。

 そして数キロほど進んで突然弾けて消える。

 街に被害はほとんど無いけれど、決まって二人が被害を受けて死んでしまう。

 その死因はいずれも溺死。


 ありふれた都市伝説。

 そんな程度の認識だった。


 尾ひれのついた後日談は『聞かなきゃよかった』と思うほど低レベル。

 未確認巨大生物を倒してくれるスーパーヒーロー。まるで特撮映画の主人公みたいなバカバカしい話。


 だけど。


 今まさに僕がソノ怪物なのだと悟る。

 僕の意思を受け付けない僕の身体は、ただひたすら悪臭のする方向へと突き進む。

 僕の意思は受け付けないくせに、身体の方からは明確な意思が伝わってくる。

 目指しているのは学校だ。

 まだ午後の授業を行なっているはずの高校へと向かっている。


 アイツを殺す為だけに。


 学校のグラウンドで僕の身体が動くのをやめる。

 360度の視界のど真ん中にアイツを捕らえたからだ。

 身体から伝わる強烈な殺意。


 僕はいつの間にかその『殺意』に賛同していた。

 いや同調の方が正しいのかもしれない。


 ただひとつ腑に落ちないのはアイツが屋上にいた事。

 まるで僕が来るのを知っていたかのように、ただ一人で屋上に立っていた。

 その顔は満面の笑み。


 『馬鹿にしやがって!』

 と怒鳴ったはずの言葉は音にはならない。

 かわりに聞こえてきたのはアイツの声。


 「やっとこの時が来たぜ!」

 アイツがそう言った瞬間、360度の視界全てがまばゆい光りに包まれる。視界を奪われた僕の身体に大きな衝撃が伝わる。


 「死ねやー!!」

 とアイツの叫び声と共に身体中のあちこちに伝わる痛みを伴う衝撃。


 「楽勝なんじゃね?」

 頭上からアイツの声が響いた。


 まだクリアではない視界の端にアイツは居た。

 ピッチリとした赤っぽい全身タイツに身を包み、ソレっぽいマントを翻し宙に浮くアイツ。


 「正義の味方!スーパーヒーローの参上だ!死ねよ化け物!」

 ソレっぽい台詞を吐いてアイツが僕の頭頂部の辺りに飛び蹴りを入れる。

 その衝撃は見た目以上に強くて僕の視界は白から黒の世界へと強制移動させられた。


 「なんだよ、全然手応え無いんでやんの!」

 そのムカつく声の方に僕は殺意の全てを向ける。

 身体から伝わる腕を伸ばす感覚。

 アイツを掴もうと必死でもがくけれど、唐突にその感覚が失われる。強烈な痛みと共に。


 『ぎゃああああああ!!』

 と叫ぶ僕の声は響かない。

 代わりに響く大きな水音。


 バッシャーン!!


 まだハッキリと視認は出来ないけれど、恐らく伸ばした腕を切り落とされたのだと思う。


 けれど。


 落ちた水はすぐに回収された。

 いや戻ってきた。


 「なんだよ、切り刻んでも意味ねーのかよ!」

 切り落とされた腕を回収した僕に文句を言うアイツの声はなんだか楽しそうに聞こえた。


 その時になってやっと気付く。

 悪臭はアイツから発せられている。

 僕の身体はその悪臭に引き寄せられて動いている。

 アイツを取り込み悪臭の元を絶つ。

 この世からアイツの存在を消し去る。

 ただソレだけが目的。

 純粋な殺意の塊。


 ならば僕のすべき事はひとつ。

 僕の意思を僕の身体に委ねてしまえばいい。


 ーーなんだ簡単な事じゃないか。

 僕がそんな自問自答をしている間、アイツもまた何やらぶつぶつと独り言を呟いていた。


 だけどアイツの事情なんて知ったこっちゃない。

 僕に注意を向けていない今がチャンスなのだ。

 そう思考したとたん僕の身体が動き出す。


 両腕を突き出し、飛びまわる蚊を叩き潰すような動作でアイツを挟み込む。


 バッチーーン!!

 とプールへの飛び込みに失敗し腹打ちした時のような大きな音が響く。


 『やった!』

 音にならない声を出して僕は喜ぶ。


 だけど


 「そんなトロくせー攻撃にヤられるわけねーべ?」

 背後からアイツの声が聞こえた。

 その声に反応して僕の身体は僕の意思を無視して動くけれど、90度も回転しないうちに僕の身体に衝撃が押し寄せる。

 どちらが上なのかもよく分からない僕の身体が校舎に向かって崩れだす。


 急速に僕の視界が地面に近づいて行く。

 その視界の端で教師に誘導されて東門方向に避難する生徒達の姿が見えた。


 『あっちに倒れちゃダメだ!』

 音にならない僕の声を理解したのか、僕の身体は意思を持って身体中の水の流れを変更する。東門を避け第一校舎の東端に全体重を預けることで、なんとか転倒を免れる。代償として校舎の東端四階は潰れてしまったけれど。


 「チッ!!今度は手応えあったと思ったのによ!」

 そう言ってアイツは遥か下のグラウンドに唾を吐き捨てた。


 『なんでこんなになってまでアイツにやられなきゃなんないんだよ!』

 僕は音にならない僕の声をアイツにぶつける。

 当然だけどアイツに僕の声は届かない。


 「アレやってみるか!」

 そう言って僕の声を聞かないアイツはバトル漫画の主人公のようなポーズを決めた。全身に気を溜めるようなアイツの姿は滑稽にも思えたけれど僕の身体は僕より先に防御の為に身を固める。


 「ハアッ!!!!」

 気合いに似た大きな掛け声と共に両腕を繰り出すアイツの手のひらからは何も飛び出しては来なかった。


 「チッ!使えねぇなー」

 アイツは自分の滑稽さに気付かないまま汚い言葉と共に唾を吐く。

 そしてそのままぶつぶつと独り言を呟き出した。


 『今ってチャンスなんじゃ?』

 僕は僕の考えを口に出す。

 するとワンテンポ遅れて僕の身体がアイツに向かって突進した。


 「なーんてな!」

 僕の身体が動くのと同時にアイツはとても醜い笑顔でそう言った。

 視界からアイツが消える。

 次の瞬間、頭上から押し潰されるような衝撃。

 僕の身体はこれでもかと言うほど上下に圧縮されてしまう。


 五階建てビルを見下ろせる360度スクリーンな僕の視界は一瞬で等身大の僕の視界と同じくらいの高さになっていた。

 つまり地上から1.5メートルほど。


 だからこそ見えた。

 でなければ分からなかった。

 僕の視界の真正面。

 保健室のカーテン裏に一人。

 女子生徒が取り残されている。


 『田所さん!!』

 僕は音にならない声で大きく叫ぶ。


 『逃げて!田所さん!!』

 僕は必死に叫ぶけれど田所さんにも僕の声は届かない。


 保健室で知り合った田所さん。

 違うクラスの田所さん。

 だから田所さんは僕の事情を知らないし、僕だって田所さんの事情なんて知らなかった。


 「あーし、バカだからさ」

 そう言って授業を抜け出し保健室にやってくる田所さん。


 髪を茶色に染め少しギャル風に制服を着崩す田所さん。


 「ウッス!ほれ!差し入れ!」

 と紙パックのフルーツ牛乳を投げてよこす田所さん。


 「男なんてキンタマ蹴り上げたら一発よ!」

 と言って豪快に笑う田所さん。


 見た目に反してと言うか、見たまんまと言うか格ゲーが好きだと言って熱く語る田所さん。


 ゲームの話に熱くなりベッドの上で胡座を組んでゲラゲラ笑う田所さん。


 そんな姿勢なもんだから短いスカートからチラチラと下着が見える事に気付かない田所さん。


 見えている事に気付いた後

 「お?勃ったのか?お?」

 とおちょくる田所さん。

 自分だって顔が真っ赤だと言うのに。


 ーー田所さんをこんなツマラナイ事に巻き込みたくない!


 そんな僕の強い思いは僕の身体に伝わらない。

 アイツへの殺意は簡単に通じると言うのに。


 「おーい!どーした?死んだのか?あぁん?」

 アイツは普段の僕に言うのと同じ台詞を吐きながら僕の身体を蹴り続ける。

 その蹴りがひとつ入るたびに僕の身体が校舎の方へとズレて行く。


 『お願いだ!田所さん!!早く!早く逃げて!!僕が耐えている間に!!』

 だけど声というのは音にならなければ相手に伝わる事はない。結果的に僕に出来る事は田所さんが逃げ出してくれるまで耐え続ける事だけになる。


 ーークソッ!何としても耐えてやる!

 そんな後ろ向きな決意をしたばかりの僕の背中に向かってアイツは言った。


 「なんとか言えや!ゴラァアアア!」

 言いながらゴッゴッゴッとつま先を使ってアイツは僕の身体を小突き廻す。


 「チッ!死んだフリなんてしてんじゃねえよボケが!コレじゃあのチビをイビってる時と何も変わらねぇじゃねーかよ!」


 ーー!!!

 その言葉は僕の心の中の何かを弾けさせた。

 腹の底から煮えたぎるような感覚が込み上げる。

 怒りが全てを支配する。

 何もかもどうでもいい。

 とにかくアイツだけはコロス。


 その強い殺意が僕の意思を受け入れなかった僕の身体を支配する。


 「コロス!!」

 僕の大きな声が空に響く。


 「お?やっと起きたのか?チビ助!」

 アイツはニヤニヤしながらそう言った。

 チビ助と。


 ーー僕だと知ってたのか?!

 その事がほんの一瞬だけ僕の意思を挫けさせる。

 何故?

 どうして?


 そんな僕の隙をアイツは見逃さない。


 「やっとお前を殺せるぜ!しかも合法的によ!」

 そう言ってアイツが拳を繰り出すたびに僕の身体は抉れ、傷口から水分が蒸発していく。

 傷口はすぐに塞がるけれど、そのたびに僅かずつ僕の体積が削られる。

 それに熱い。

 そして痛い。


 僕が防戦一方なのをいい事にアイツはどんどん調子に乗って僕の目線の高さまで浮かび上がり、この巨大な身体の頭部らしき部分を殴りはじめた。

 僕は腕らしきモノで頭部らしき部分を防御しようと試みるけれど、あっという間に腕だったモノは蒸発させられて行く。


 『こんな怪物になってしまってもアイツに殴られるしか出来ないのか・・・』

 さっきの様に僕の声は音になったりしなかった。

 怒りの炎は恐怖によって抑え込まれ、せっかくの大きな身体もアイツの前では発泡スチロールの塊と大差ない。


 「おらおら、ちっとは反撃しろって。これじゃいつもと変わりねぇだろーがよ!」

 アイツの言う通りだ。

 何ひとつ変わらない。

 いつもの様に殴られて、いつもの様に蹴られて終わる。いつもと違うのは今回は本当に殺されるだろうと言う事。


 それと。

 僕はチラッと後ろを確認する。

 保健室の窓に田所さんの姿はなかった。


 ーーよかった。

 もうこれで心残りはない。


 どうせ僕はアイツになぶり殺される運命だ。

 ならば死ぬまえに一発くらいアイツに食らわせたい。ソレができたら自分で自分を褒めてやろう。僕はそう心に決める。


 視界の真ん中に居るアイツの顔を見据える。

 きっと向こうからは僕の顔なんて見えていない。

 そう思うとアイツを睨み返すのは簡単だった。


 腕を意識する。

 先程よりずっと小さいけれど腕のようなモノが現れる。細くてヒョロこい色白の腕。

 まるで僕の本物の腕みたいだ。


 「やっと出てきやがったか・・・」

 アイツが何と言ったのかよく聞き取れなかったけれど、今日見た中で一番醜い笑顔を浮かべているのを見てハッキリと僕は死を意識する。


 「ほら、殴ってみろよ?ほら?」

 そんな軽い挑発に乗せられ僕は腕をブンブンと振り回す。けれどアイツに擦りもしない。


 「何やってんだオマエ?まさかソレがパンチのつもりか?ハハ、ウケる!」

 アイツは僕の渾身のパンチを素手で簡単に受け止める。喧嘩慣れしてるアイツに僕が敵う訳がなかった。

 結局僕はアイツに両腕を掴み上げられ抵抗するスベを失う。こうなってしまうと後はアイツの頭突きを食らって放り投げられるのがいつものパターンだ。


 だけど今日はその後に確実な死が待っている。

 怖くて悔しくて視界が曇る。


 「へへ、泣いてやんの!キッショ!」

 アイツからの侮蔑の言葉の本当の意味。

 それを今理解した。

 掴み上げられた腕は本物の僕の腕。

 今アイツが見据えているのは本物の僕の顔。


 「やっとおさらばだな、山根くんよぉ?結構楽しい時間だった・・・」

 アイツが喋る言葉は最後まで聞き取れなかった。


 なぜなら、もう一つの声が被さって来たからだ。


 「ヤマネっちぃいいいい!!!」

 昇降口から飛び出した田所さんが大きな声で僕を呼ぶ。


 僕もアイツも呆気に取られる。


 「ヤマネっちぃいい!!キンタマァアアアア!!」

 田所さんの言葉を理解するよりも早く僕の体と口が動き出す。


 「「蹴り上げろー!!」」

 田所さんと見事にハモったその言葉と同時に僕の本物の右足がアイツの股間にヒットした。


 「「やった!」」


 「ぅぐっおぉおおぉぉお」

 股間に蹴りを決められたアイツは背中を丸め変なうめき声を上げながら地上へ落ちる。


 ゴスッ!

 と嫌な音がしたけれどアイツはまだ死んではいない。


 「ヤマネっち!今だ!早くアイツを喰っちまえ!」

 田所さんの声に、言葉に、僕の身体が反応する。

 随分と体積を削られたけれどアイツを取り込むには充分過ぎる大きさは維持している。


 僕はアイツに覆い被さるようにして全身を丸ごと包み込む。

 僕の内部に取り込まれたアイツは暫くの間もがいていたけれど、大きな泡を『ゴボッ』と吐き出したあとは静かになった。


 ソレを見届けると僕の意識も深く沈む。

 けれどソレは決して苦しいモノじゃなかった。






 あの日の事は事実を大きく捻じ曲げて報道された。

 曰く

  『上流のダムの緊急放水により街の一部が冠水』

  『被害地域は限定的で二週間ほどで復旧予定』

  『残念な事に男子高校生二名が犠牲になった』

 と。


 その二名とは僕とアイツ。


 死んだ事になった僕はこの通りピンピンしている。


 戦い疲れて倒れた僕を助けてくれたのは田所さん。ではなく、田所さんの所属する組織。

 いわゆる悪の秘密結社らしい。

 今の僕の身分は準構成員。

 けれど「悪虐非道の三代目レッドを沈めた猛者として知れ渡っているから昇進は早いはず」とは田所さんのお言葉。


 技術部の人達も三代目レッドに使われている最新技術が解明できると大喜びだと聞いた。


 目下のところ準構成員の僕は田所さんの部下扱い。

 仕事内容は簡単。かつ明快。

 田所さんと一緒にめぼしい新人を発掘する事。


 そのために今日も僕らは知らない街へと繰り出す。

 色んな学校に潜入したり、放課後の街でカフェオレなんか飲みながら純粋な殺意を探してまわる。



 時にはゲームセンターで田所さんと格ゲー勝負なんかやりながら。


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