第19話

 土壁のなかには日光が差し込んでおらず薄暗い。

 だが、周囲が確認できるほどには光源があった。

 ドームの天井付近に広がっている魔力の粒が夜空に浮かぶ星のように地上を照らしていたのだ。


「きれい……」


 思わず立ち止まって見上げてしまった。

 幻想的な光景。

 でもその星の一つ一つが、触れた者を死に至らしめるほどの強大な魔法であることを不思議と理解できた。


「あかりがあるぶんレイネをさがしやすくていいけどね」


 私は小さく呟く。

 土壁の内部はテニスコートほどの広さ。

 入り組いりくんでいる訳ではないので


 このどこかにいるレイネを見つけ、コレットが身を削ってつくってくれたペンダントで魔力を封印する、それが私の目的。

 ルールは単純、被弾を許された三回きりの防御魔法ライフで暗闇に閉じこもった女の子を救出するだけ。分かりやすくていい。



 私は息をひそめて慎重に移動する。

 防御魔法を温存するためにも、レイネに気づかれずにどれだけ近づけるかが肝心だ。

 そう言っている間にもどこからか放たれた魔法が壁にぶつかり火花を散らす。

 離れた場所だというのに耳を覆いたくなるほどに大きな音。

 これなら忍び足で歩く必要はないかもしれない……。



 ――ぼふっ。


「へっ⁉」


 視線の先がチカッと光ったかと思うと、私の体が炎上していた。

 姿を捉えられたわけでもなく、無作為に空間に放たれた火球の一つが、偶然体に直撃したようだ。

 燃え上った炎を風の鎧が一瞬でかき消す。

 私の体にはやけどのあと一つできていない。

 防御魔法が作動したおかげだ。



 残基はあと二つ……。

 コレットの魔法がなかったら、死んでいた。

 レイネに気づかれることすらなく流れ弾で命を散らしていたのか。

 私は汗ばんだ手を握り締める。

 さっき守られていたときとは違って、盾をすべて失ったら本当に死んでしまう恐怖。

 防御魔法の残数は私の死へのカウントダウン。

 早々に貴重な一つを失ってしまった……。


 だけど、タダで残基を失ったわけではない。

 今のでレイネのいる方角が分かった、この先だ。

 真っすぐ進むだけでたどり着ける。

 たったそれだけでレイネを助けられるんだ。

 私は出口をふり返ることなく進む。



 ドームの中心に向かうにつれて、放たれる魔法の数は増加し、空間そのものが荒れ狂う嵐のように渦巻いているように感じた。


「……っ!」


 私はどこからか飛んできた石つぶてを躱す。

 あれからここに来るまで防御魔法は消費していない。

 だがそれも長くは続かないかもしれないと思う。


 今も私の横を水の細い束が通り抜けていった。

 風圧で前髪がめくれ上がる。

 比較的殺傷力の低い水であっても、石材を切り出す高圧のレーザーほどの勢いで射出されては関係ない。

 他にも様々な方向に凶悪な魔法が発動しては壁や天井を削る。


 だけどもう少しで――見えた!

 魔法が放たれる中心に立ち尽くしたレイネの姿があった。

 真っ白な髪に魔法の光が反射して色鮮やかに輝く。


 その距離は十メートルないくらい。

 駆け抜ければ数メートルで……。

 そう考えたとき、

 私の足元めがけて風の刃が襲い掛かった。

 魔力で緑色に発光していなかったら気づくことすらできなかっただろう。

 私は大きく跳躍して、なんとかそれを避ける。


「きゃっ……」


 しかし、着地に失敗してその場に転んでしまった。

 私はすぐに立ち上がって土を払うも……



「……クララ、ちゃん?」


 レイネの声がした。


「きづかれちゃったか……」

「どうして、どうして来ちゃったの⁉」


 叫ぶと同時に業火が広がる。

 あらかじめそれを想定していた私は真横に転がってそれを回避する。


「だいじょうぶだよっ。レイネのまほうをとめる方法がみつかったの!」


 私は被弾を避けるため、円を描くように走りながら声を張り上げる。

 

「うそ……」

「ほんとうだよ。きっとすぐにわかるから」


 悲しい話はもう終わりだ。

 ファンタジーな障害は、同じくファンタジーなアイテムで乗り越えてみせる。

 コレットからもらったペンダントをレイネの首に掛ける、それくらいなら私にだってできるはずだ。

 右手のなかにある翡翠色の宝石をぎゅっと握り締めた。


「もうちょっとだけまっててね。すぐにいくから!」

「……うん、私クララちゃんのこと信じる!」



 私は迫りくる炎を、風に舞い上げられた岩石を、追尾する石くれを避け、レイネのところまで距離を詰める。


 あとほんの二、三メートル。


 といったところで、私とレイネを分断するかの如く、数えきれないほどの氷塊が浮かんでいた。


「あ……」


 その先端はどれも私の方を向いている。

 走って逃げても、到底避けられそうもない。

 

「かみさまって……いじわるすぎ」


 せっかくここまで近づけたのに……。

 ここでお終いだなんて――これが運命だとでも言うのか。


 だとしたら、みっともなくても抗ってやる。



 防御魔法の残数は二回。

 対してレイネを囲む氷塊の群は天井まで伸びている。

 どう見繕っても、氷の魔法を防ぎきることはできそうもない。

 だからこそ、自分から弾幕のなかに飛び込もうと思う。

 たとえ私が死んでも、このペンダントだけはレイネの下に届けるんだ。



 クララ・ベル・ナイト・フォース! 人生に一度くらい度胸を見せてみろ!


 私の覚悟を見透かしたように、浮かんでいた氷塊が一斉に動き出す。


「あああああああ――‼」


 恐怖をかき消すため、私は叫びながら氷の壁に向かい、一直線に走り出す。

 そしてぶつかる寸前で、走り幅跳びの要領で重心を前に傾け、地面を蹴った。

 体を丸めて頭や心臓を守る。


 一瞬の空白の跡、



 太鼓のばちで殴打されているような衝撃が全身を襲う。

 コレットが与えてくれた障壁が氷の嵐に削り取られていくのを肌で感じる。

 あとどれくらい持つのか。これがなくなったときが、私の最後だ――


 体が不意にずん、と重くなった。

 コレットの魔法が破られたのだ。

 先端が尖った、鋭い氷のつぶてが、私の肌を容赦なく裂いていく。

 それは無防備な背中や足から耳に足いたるまで。切られた場所が熱を持つ。

 まるで剃刀を当てられているみたいだ……。

 もはや私には、嵐が過ぎるのをじっと耐えるしかなかった。



 どれほどの時間が経ったのか、――どさり、体が地面についた。

 ざらついた地面に傷口が触れて、私は思わず悲鳴を上げる。


 急いで身を小さくするも、氷塊が襲ってくる気配がない。

 ――あの弾幕を抜けられたんだ!



 ゆっくりと顔を上げると、レイネの姿が目の前にあった。

 暗くてもよくわかる、私に負けず劣らずの可愛らしい顔をしていた。

 その目には大量の涙を溜めている。

 ――ようやく目が合ったね。


「クララちゃん……」

「いままでよくがんばったね」


 私はレイネか細いの首にペンダントを掛けた。

 その胸元でエメラルドがきらりと光る。

 そして、周囲を覆っていた見えない威圧感がふっと消えた。

 

「もう、みんなのちかくにいても傷つけることはないんだよ」

「私、ずっと――」


 うつむきそうになったレイネは、顔を上げて私を見た。

 そうだよ、もう人を視界に入れないよう下を向いて暮らす必要はないんだ。


「ずっとこんな日が来たらいいなって思ってた! 本当にありがとう、クララちゃんは私の一番の友達だよ!」


 レイネが抱き着いてきた。

 傷が刺激されて痛いが、私は根性で笑ってみせる。


「レイネ……」


 今度一緒に町に遊びに行こう、そう言おうとした私は――レイネのドレスをわし掴み、力任せに横に引き倒した。



 ……これがうわさに聞くゾーンというやつか。

 空中に私から離れた汗の玉が浮いている。

 それだけじゃない、周りの景色がすべてスローモーションになっていた。

 

 自分すら俯瞰しているような全能感と、諦観にも似た虚無感が入り混じる。


 何をされたのかを理解していないレイネが、きょとんとしたまま左に流れていく。

 偽物の空に浮かぶ魔法の星々も、まだその輝きを保っていた。


 もっと早く気が付くべきだったんだ。

 レイネの魔力を封印しても、すでに放たれた魔法は勝手に消えない・・・・・・・・・・・・・・・・・ことを。


 レイネの後ろにぽつんと浮かぶ一つの氷塊。

 スローな世界でも、キュルキュルと回転しながら少しずつ近づいてくる。

 とっさに動けて良かった。

 このままだと、レイネの背中を貫いていたはずだから。


 私も逃げたいところだが、まったく体が動かない。

 このまま氷の弾丸を、正面から受けることになりそうだ。


 斜め下から鈍い音、レイネが倒れたのだろう。

 これでレイネの安全は保障された。


 その音は同時に、間延びしていた時間が元の速さに戻ったことを意味する。


「くっ……」


 私の手が宙を掻く。

 せめてものあがきのつもりだったが、迫りくる魔法の勢いをみじんも弱めることはできなかった。


 そして、なんの奇跡も偶然のめぐりあわせもなく、氷塊は私の胸に突き刺さった。

 みしり……。

 ドレスの下で、なにかが砕ける致命的な音がする。



 そのまま糸が切れた操り人形のように、私は地面にあおむけに倒れた。







「――クララちゃん、クララちゃん!」


 私を呼ぶ声で意識を覚醒する。

 目を開くと視界いっぱいにレイネの顔が映っていた。

 滂沱のごとく流れる涙が、私の頬に落ちる。


 気を失っていたのは数十秒くらいか。

 頭を打っていたようだ。まだじんじんと痛む。


「……なにしてたんだっけ」

「大丈夫!? 私を庇って氷に打たれたんだよ!」


 そうだった。時間差で飛んできた未練がましい氷塊は私の胸に着弾して――


「アメがくだけちゃった」

「あ、飴!?」


 そう、飴。

 あの甘いおかしのことだ。

 王城のゲストルームに用意されていた飴を、私は持って帰って食べようと思い、ドレスのなかに隠しておいたのだ。

 それを仕舞ったのがちょうど胸部分だった。

 私に突き刺さった氷の弾丸は、とても堅い飴を砕くことに大半のエネルギーを費やし、私の体にあざすらつくらずに消え去ったのだ。

 そうでもなければ、なぜ無事なのかが分からない。


 私はゴソゴソとドレスのなかに手を入れると、


「……あった」


 やはりそこには小さくなった飴のかけらがたくさん貼りついていた。

 ひとつを口に放り込む。

 うーむテイスティ。

 私が味わっていると隣から視線を感じた。


「レイネもどうぞ」


 真っ白な手に飴のかけらを握らせる。

 いくら私がおかし好きだからって、一人で食べるわけないじゃん。


 レイネはしばし、逡巡しゅんじゅんした後、

 えいっ、と覚悟を決めたように口に入れた

 別に変なものとか入っていないと思うけど……。


「お友達って甘いんだね……」


 しばらく口の中で転がしていたレイネが、小さく漏らした。

 その顔は笑みでほころんでいた。


 お友達は甘い味……。

 どうなんだろう、コレットも食べたら甘いのだろうか。

 極度の疲労のせいか、しょうもない考えが私の頭に浮かんだ。



 魔法の光も消えた暗い土製のかまくらのなか。

 私たちは、今や唯一の明かりとなった出口へと向かう。

 


 そのお互いの手は繋がれていたので、良しとしよう。


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