場所の作り方

「やった。ついに六分代だよ大林君」


 初めて52枚の記憶の成功してから一週間、記憶術に慣れてきた有紗は以前よりもタイムが大幅に速くなったことに喜んだ声で言った。

 度々、記録を採っていた大林は一週間のタイムの推移を見直して感心する。


「一週間で四分も縮めましたね。先生も大分トランプ記憶が板についてきましたね」

「へへ、これも大林君の指導のおかげだよ」


 照れた笑みを浮かべる。

 もう頃合いかな、大林は有紗の笑顔を見て考えを定めた。


「先生。また次のステップに上がりますよ」

「え、もう?」


 途端に不安になる。慣れてきたとはいえ自信の無さは相変わらずだ。


「今までは俺が教えた場所を使ってやってきましてけど、そろそろ自前の場所を作りましょう」

「場所を作る。どうやって?」

「これから説明します」


 大林はそう告げると、教室にドアに顔を向け指さした。


「今使っている場所の一カ所目はドアですよね」

「そうだね。でもそれがどうかしたの?」

「次が教卓ですよね」

「うん……」


 自身の疑問に答えず説明を続ける大林を、有紗は不服気に見つめつつも話に耳を傾ける。


「その次が窓、机、ロッカー、掃除用具入れ、って続きますよね。この順番にはある法則があります」

「法則?」

「この順番、実は反時計回りなんです」


 大林が答えを言うと、ああと有紗は合点がいった。


「確かに反時計回りだ。でもなんで?」

「頭の中に想像した時、場所を移動しやすいからです。ちなみに反時計回りじゃないといけないっていう決まり無いんですけどね」

「じゃあ、どうして反時計回りにしたの?」

「教室に入ったときの事を想像してみてください」


 大林に促され、内心首を傾げながらも有紗は自分が教室に入る時の事を思い出してみる。

 廊下を歩いてきて、ドアの前で深呼吸して、ドアを開けて――。

 はっとして有紗は気が付いた。

 ドアの次に目に入ったのが教卓であった。


「ドアから入ると先に見えるの教卓なんだね」


 納得した顔で大林に気付きを告げた。


「そうですよね。これなら次どこに置いたかなって迷う時間が少なくて済むんですよ」

「大林君はそんなところまで考えてくれてたんだね」

「考えた訳じゃないですよ、場所を作る時の癖になってるだけです」 


 感謝の目を向けられ、大林は気恥ずかしくてあえて否定した。

 有紗は急に顔を曇らせる。


「でも、そこまで考えてくれる大林君が作った場所の方が、上手く記憶できるような気がする。私が作っても絶対に上手くいかないよ」

「そんな作る前から心配してどうするんですか。それに受け売りの場所よりも自分で作った場所の方が定着しやすいですよ」

「ほんと。私を憐れんで言ってない?」


 慰めで言ってないよねと疑うように有紗は大林に上目遣いを送る。

 美人なんだからそういうやめて欲しい、と大林は内心で当惑しながらも顔は微笑ませた。


「ほんとです。信じてください」

「わかった。信じる」


 嘘を吐いていないと見なして大きく頷いた。


「それで、場所の作り方なんですがね……」


 ほっと胸を撫で下ろす思いで大林は話題を引き戻す。


「作り慣れるまでは先生が行き慣れた所にした方がいいです。それと一度進んだら戻らないといけない所には場所を作らない事です。この二つを念頭に置いて先生ご自身で場所を作ってみてください」

「今から?」

「いや、帰ってからでもいいですよ。お勧めは自宅ですしね」

「そうなんだ。じゃあ帰ったら作ってみる」


 意気込んだ声で言い、有紗の瞳に俄かにやる気が満ち溢れた。


「先生は今日も仕事残ってるんですよね?」

「私は仕事が遅いから余計残っちゃうの」


 そう自嘲気味に言う。


「俺に何か手伝えることあります?」


 大林は思い切って尋ねた。

 有紗は苦笑する。


「気持ちは嬉しいけど無理だよ。だって残ってる仕事テストの答え合わせだから」

「あー、それじゃ無理ですね」


 有紗の返事に苦笑いする。


「でも大林君に出来ることだったら、たまには頼んでもいいのかな?」


 遠慮がちな声音で質問する。


「俺の方は問題ないですよ。家に帰っても記憶のトレーニングぐらいしからやることありませんから」

「ありがとう。じゃあ機会があったら大林君に頼んじゃお」


 ぱっと笑顔が弾けた。


「それじゃあ、今日の所は終わりますか。あんまり先生の時間を割いちゃ悪いですし」

「私なんかのために時間を使わせちゃってごめんね。また今度、お礼するから」

「お礼なんていりませんよ」


 大林が断りを述べると、有紗は頑とした顔で首を横に振る。


「ダメ、絶対にお礼する。そうしないと私の気が済まないから」

「はあ、そうですか」


 これは断り切れないな、と大林は感じて、了承とも拒否ともつかない返事をした。

 有紗は鞄を肩に提げる。


「じゃあ、また明日。大林君」

「また明日。先生」


 いつもより早めに切り上げて、この日二人は解散した。



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ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございます。

記憶術やメモリスポーツに関することでご質問があれば、どうぞ気兼ねなくコメント欄にお送りください。作者がわかる範囲でお答えします。

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