有紗、恥じる
「それで先生、場所を作ってきましたか?」
場所の作り方を教えた翌日、有紗がお定まりの席に座るなり大林は尋ねた。
「うん、一応」
有紗は目線を落として、沈んだ声で答えた。
大林は表情に疑問符を浮かべる。
「どうしたんですか。元気ないですね?」
「だって……」
「?」
大林は有紗の言葉を待つ姿勢になった。
有紗は情けない顔で打ち明ける。
「自信がなくて、その、上手に作れたのかなって」
「あー、なるほど」
「せっかく教えてもらったのに」
目線を落とした状態のまま、より下へ頭を下げた。
「先生……」
どう励まそうか、と思案しながら、大林は努めて優しいトーンにして言葉を掛ける。
「こればっかりは実践していくしかありません」
「でも……」
「俺だって最初に作った場所はかなり杜撰でしたよ。けど何回も作っていくうちに覚えやすい場所がわかっていきましたよ。だから先生も何度も経験するしかないです」
「そうだよね。ごめんね弱気になって」
儚げなとでも言えるような微笑で有紗は謝った。
不意にくすぐったい思いを感じ、大林は有紗の表情から目を逸らす。
「そ、それより、今日はどうします?」
「どうするって? 大林君が決めてくれるんじゃないの?」
ぽかんとした顔で有紗は大林を見つめた。
「いや、作ってきたもらった場所でトランプ記憶をしてもらおうと思ったんですけど、自信ないとなるとやめた方がいいなと思いまして。先生の方こそ何か教えて欲しい事あります?」
「私は……」
しばし考えてから、有紗は急に頬をほんのりと赤らめた。
提案を待つ大林の視線を避けて、肩を縮こませて俯く。
「どうしたんですか?」
「その、こんなこと頼んだらマズいかなって思って」
「どういう内容ですか。記憶術の事なら大体は教えられますよ」
「ええと、よければ私が作った場所を大林君に見てもらいたいなって、直すところがあったら指摘して欲しいから。でもやっぱり良くないと思う」
言ってから逡巡を見せる。
有紗の心情を知らぬ、大林は真摯に返答する。
「構いませんよ。直すべきところがあればですけど」
「やっぱり良くないと思うよ」
「なんでですか。自信ないなら俺を頼ってください。これでも日本一のメモリアスリートですよ」
誇るように言う大林を見て、あ、気付いてないと有紗は愕然とした。
指摘して直してほしいと頼んだ場所、私の部屋なんだけど。
有紗は鈍感な大林を憎らしく感じて唇を尖らせる。
「昨日、大林君が自分から勧めたくせに」
「ああ、そうですね。場所を作るように勧めましたね俺。でもだからこそ、自分の目で見ておいた方がいいかも」
暢気な笑みを浮かべて大林は言った。
察しの悪い大林に業を煮やし、有紗は恥ずかしさを堪えて告げる。
「作った場所、私の部屋だよ」
「ああ、先生の部屋ですか……」
顔に暢気さを貼り付けたまま反芻したが、次第に唖然とした表情に変容していった。
有紗の吊り上がった目とかち合うなり、あっちむいてほいぐらいの勢いで顔を背ける。
「すみません。言われるまで気が付きませんでした」
「いくら大林君が凄くても、躊躇いなく自分の部屋に入れてもいいわけじゃないの!」
「そうですよね。ほんとにすみません」
息巻く有紗に、大林は机に頭をつけて謝罪した。
非を詫びた大林を見つめ、有紗の苛立ちはスッーと蒸発していった。
「悪気はないみたいだから許してあげる」
「ありがとうございます」
ひたすらに低頭で有紗の寛大な措置に礼を述べた。
「それで、どうするの?」
「どうするって?」
「作った場所を見てくれるっていう話」
「……いいんですか?」
「いいよ。私から言い出したことだし、記憶術が上手くなるっていうなら」
「わかりました。じゃあ見させてもらいます」
机に手を付けたまま首肯したが、ふと思い至って問いを口にする。
「でも、先生の部屋を見に行くとしても、いつ行けばいいんですか?」
「それは……」
そこまで考えてなかった、と有紗は自身の無思慮を嘆いた。
いつなら問題ないかな、と慌てて検討する。
「土曜と日曜の昼なら大丈夫かな。お互い休日だと思うから」
「じゃあ土曜日にしましょう。日曜は予定があるんで」
「何の予定?」
「知り合いと会う約束をしてあるんです」
大林君の知り合いってどんな知り合いだろう、と有紗は少し気になったが、大林君にもプライバシーはあるよねと考え尋ねるのはやめた。
「で、待ち合わせ場所と時間はどうします?」
「そうね。○○の駅前で時間は九時半ぐらい。いいかな?」
「わかりました。覚えときます」
大林が承知すると、有紗は鞄を持って立ち上がった。
「じゃあ、私はそろそろ仕事戻るね」
「いくら物覚え悪いからって、約束忘れないでくださいよ」
机を離れ教室のドアに向かいかけた有紗に、大林は冗談の口調で言った。
有紗はムッとした顔で振り返る。
「忘れないよ。いくら私でも約束は守るよ」
「なら良かったです」
「からかわないでね。一応先生なんだから」
「はい。すみません」
大林は苦笑い混じりに謝った。
「わかればよろしい」
急に先生らしさを出そうとした恥ずかしさを声に滲ませ、くるりと顔を戻して教室を後にした。
その後しばらくして、大林君と連絡先教えた方が良かったのかな? でもそれは関係上マズいかなぁ? と仕事中に密かに葛藤する有紗であった。
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ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございます。
記憶術やメモリスポーツに関することでご質問があれば、どうぞ気兼ねなくコメント欄にお送りください。作者がわかる範囲でお答えします。
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