トランプ記憶に挑戦
放課後、有紗が空き教室を覗くと、大林が前列の机二脚を少し離して向い合せている最中だった。
「大林君、何やってるの?」
「面談方式で指導しますからね。こうした方がいいんですよ」
乗り気になっている大林に、有紗は遠慮の笑みを浮かべる。
「そこまでしなくてもいいと思うけど、記憶力を上げるためだから」
「向かい合った方が教え易いですから」
「そ、そうなの」
記憶力を上げるのに机の向きなんて関係あるのかな、と有紗には訳がわからない。
「さて、そこに座ってください」
大林は机を並べ終えて、身の真向かいの席を指さして有紗を促す。
言われるままに有紗が座ると、大林も席に就いた。
「まずは何をすればいいの?」
有紗が尋ねる。
「昨日、トランプ買っておいてくださいって言いましたよね。買ってきたトランプを出してください」
「わかった」
有紗は頷き、革製の黒いトートバッグからトランプ2デッキを取り出し机の上に置いた。
「このトランプをどうするの?」
「記憶用と再現用に分けます。説明すると長いので今日は俺がやりますよ」
大林はそう言うと、机に被さるように身体を前かがみにして、有紗側の机にあるトランプに手を伸ばす。
突然接近した大林の手に、有紗は少しのけ反った。
トランプ2デッキを手にした大林は、自身の席に腰を戻し、トランプを取り出す。
「とりあえず必要のないジョーカーを抜きます」
両方のデッキの後ろにある二枚のジョーカーを除いて机に置き、片方のデッキをシャッフルし始める。
慣れた手つきでシャッフルする大林を、有紗は感心の目で見つめる。
「シャッフル上手いね」
「慣れてますから。自動でやってくれる機会でもあれば、楽なんですけどね」
褒められたのに、大林は苦い顔で言った。
「そんなにシャッフルする機会が多いの?」
「まあ、自分でするしかないので」
答えながらシャッフルを終えて、机の上に置く。
「今シャッフルした方が記憶用で、シャッフルしてない方が再現用です」
「それで、そのトランプをどうするの?」
「シャッフルした方の順番を先生に覚えてもらいます」
「ええっ!」
ふざけた様子でもなく告げられ、有紗は驚きの声を出してシャッフルされたトランプのデッキに目を凝視する。
「む、無理だよ。ただでさえ記憶力悪いのにこんなに覚えられないよ」
有紗にはトランプが分厚く積もった学習プリントのように見えてくる。
「大丈夫ですよ。52枚覚え切れ、なんて言ってないじゃないですか」
「でも、いきなり52枚は無理があるよ」
「まあまあ、とりあえずやってみてください」
泣き出しそうな声を出す有紗を宥めた大林は、記憶用と再現用のトランプを有紗側の机に戻した。
制服のズボンのポケットからスマホを取り出す。
タイマーの画面で時間を設定し、有紗の目の前に掲げる。
「時間は五分です」
「五分!」
「準備はいいですか?」
「よくない!」
有紗の声に、大林はタイマーのスタートを押す寸前で指を止めた。
「はあ、じゃあ準備できるまで待ちますよ」
「ちゃんと集中力が高めて覚えた方がいいはずだから」
言い訳のように言うと、有紗はスーハ―スーハーと目を閉じて深呼吸を始めた。
大林は急かさずに、有紗の深呼吸が終わるのを待つ。
「ヨシッ、大丈夫」
有紗が目を開けて、大林に目顔で準備できた事を伝えた。
「それじゃあ、スタート押します」
大林の指がスタートに触れた後、有紗は記憶用のトランプのデッキを掴んだ。
顔の前へ持ち上げ、一枚目のスーツをじっと見つめる。
「ハートのイチ……」
呟き、一枚捲る。
「スペードのロク……ハートのイチ」
二枚目を見た後、一枚目を確認した。
三枚目を見る。
「ダイヤのジュウイチ……ダイヤのナナ」
続けて四枚目も見て、すぐに念のため一枚目から見直す。
「ハートのイチ、スペードのロク、ダイヤのジュウイチ、ダイヤのナナ」
四枚目までを頭に入れ、大丈夫覚えてると心の中で唱えながら、五枚目のスーツを見る。
「クローバーのキュウ」
こういった感じで有紗は、四枚見ては一枚目から復習してを繰り返し、八枚目を捲ったところで大林のスマホのタイマーが鳴った。
「五分終わりました」
有紗が記憶中は終始無言だった大林が、記憶時間の終了を告げた。
「もう終わり?」
「はい。短かったですか?」
「五分で52枚なんて無理だよ」
だから言ったのに、という顔で有紗が大林を非難の目で見つめる。
「さ、答え合わせしましょうか」
再現用のトランプを指さして、抗議を取り合う気配もなく大林は促した。
有紗は文句が消えなかったが自分から教えを乞うている手前、文句を言わずに指示に従うことにした。
「記憶用のトランプは伏せて置いといてください」
有紗は記憶用のトランプを伏せる。
「次は?」
「再現用のトランプを、記憶用で覚えた順番に並べ替えてください」
「わかった」
再現用のトランプを手に取り、頭の中にあるトランプの順番に合うスーツを、うううと唸りながらのろまに並べていく。
「ここまでしか覚えてないの」
最初の四枚だけを並べて、有紗は大林の顔に視線を戻した。
「先生、よくできました」
大林は真面目なトーンで褒めた。
有紗はきょとんとした目になる。
「え、四枚で褒められるの?」
「そりゃそうですよ。あれだけ物覚えが悪いって言ってたのに、四枚覚えられたじゃないですか」
「でも、四枚しか覚えられなかった」
「先生は声に出したり、最初の四枚目を何度も見直してましたよね。だから、四枚は覚えられた」
「だって、他にどう覚えればいいのかわからなかったから」
「自分の知ってる方法でなんとか覚えようとしたことが大事なんです。覚えられた枚数は問題じゃありません」
「どういうこと?」
大林の言うことに合点がいかず、有紗は困った顔で訊いた。
大林はニヤリと口の端を歪ませた。
「もしも、もっと覚えやすい方法を知っていたら、先生はその方法で覚えようとしたんじゃないですか?」
「もっと覚えやすい方法なんてあるの?」
「はい。知りたいですか?」
「その方法って、トランプの記憶以外にも使えるの?」
「はい。勉強にはもってこいの方法ですよ」
ちょっと怪しげな口調にもかかわらず、勉強にも使えるとあって有紗は惹きつけられた。
大林の目をしかと見つめる。
「大林君、その方法教えて」
有紗の返事を聞いて、大林は深く頷いた。
「わかりました。教えましょう」
「やった」
思わずといった感じで、有紗は両握り拳を胸の辺りまで振り上げた。
瞬間ポカンとした大林の目とぶつかる。
「ごめんなさい」
急に恥ずかしさが湧いて、有紗は萎むように手を膝の上に載せた。
場に沈黙が降り、有紗は大林の視線を避けて腕時計を覗く。
時計の表示は、五時半を少し過ぎたあたりを指している。
「もう、こんな時間」
「何か予定でもあるんですか?」
やっと声を出す機会がきて、大林の方から尋ねた。
「予定というか、まだ仕事が残ってて」
「そうですか。先生は大変ですね……」
手伝えることがあれば、と喉元まで出かかったが、余計なお節介かもしれないと大林は言葉を喉の奥に引っ込めた。
「先生はそろそろ職員室に戻るね。大林君は寄り道しないですぐに家に帰るようにね」
トランプを片付けながら告げ、最後に教師らしく釘を刺してから有紗は空き教室を後にした。
「はあああ」
有紗の足音がしなくなって、大林は詰まりが取れたように大きく息を吐いた。
「何さっきの仕草。可愛すぎるだろ」
土本先生はあそこまで可愛い人だとは思わなかった。
余韻が漂っているような気がして、有紗が座っていた席に目を移す。
「……机、元に戻すか」
不覚にもドキリとしてしまった自分を恥じながら、大林は立ち上がって向き合わせた机を元の並びに直し始めた。
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ここまで読んでいただいて、誠にありがとうございます。
記憶術やメモリスポーツに関することでご質問があれば、どうぞ気兼ねなくコメント欄にお送りください。作者がわかる範囲でお答えします。
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