第10話「鷹の目」
「ダメでしたね……」
「まぁそうだろうな」
カラスが鳴く夕焼け小焼け。予想は出来ていたことなのだが、やはり俺たちは森久保氏の会社から門前払いを受けた。アポを取っていなかったので当然と言えば当然である。
……とはいえ、困った。アポを取らないことには森久保氏に会う事はおろか会社内に入ることすらできない。この前のように俺や近代寺へ直接依頼が舞い込めば話は別だろうが……。
「そもそも近代寺、お前さんどうやってアポ取るつもりなんだ?」
「魔獣関連の調査協力をお願いする……とかそういう感じです。この辺では全然魔獣とか不明物質とか出てなかったので、何か理由とか知らないかな的な筋書きで話を伺う――といった形になりましょうか。……まあさっき魔獣が出現したのでもうそっちの話でいけますが」
「割と勢いで突っ切るタイプだよなお前さん」
「なんかそれでうまいこといってるんですよ~」
「そりゃよござんすな」
俺もそれぐらい豪快に立ち回りたいものだ。近代寺のどこか懐かしい横顔を見ながらそう思った。
――懐かしい、不思議な感覚だ。調査を進めている内、近代寺へそのような感覚が芽生えていくのは自覚していた。案外、かつての俺は――近代寺のことをよく知っていたのかもしれない。
……といってもそれは中学生ぐらいまでの話だろう。今の俺となってからは近代寺とこれまでに親しくしていた覚えはない。今の俺『風見鶏〈/〉』となってからは、一度もない筈だ。
「…………」
……改めて考えてみると、実に奇妙な状況だ。名字しか聞いていない高野目や道途はともかく、よもや近代寺の名前すら完全には認識できないとは。
高校生の時、既に俺は己の名前を『風見鶏〈/〉』としか認識できなくなっていた。それは俺の個人的な記憶喪失として割り切っていたのだが――。
「風見鶏さん? 急に黙っちゃってどうされました?」
「……ん? あぁいや、なんかよく分かんなくなっちまったなって」
「……?? 状況がですか?」
「んー、状況っつーか、俺の立ち位置っつーか」
近代寺のことを考えると本来の俺がどんな人物だったのかが妙に気になってしまうようになっていた。今更そんなことを気にしてどうなるというのかという話ではあるのだが、それでもやはり、今はそういったセンチメンタルな気分が押し寄せてきているのだった。
「……何言ってんですか。風見鶏さんは風見鶏さんですよ。いつだってどこ見てんだか分からない目線の、飄々としているアラサー。そんな感じで良いじゃないですか」
突然、近代寺が優しい口調でやたらと的確かつ尖ったことを言ってきた。否定しづらいというか、なんなら客観的に見れば十中八九その通りだと思えてならない。
「お前な……会ってそんなに経ってねェやつの人物評がそれ?」
「私の推理力をナメてはいけませんよ~~?」
状況判断となってしまうが、探偵である近代寺ならこのぐらいの推理はお茶の子さいさいなのかもしれない。それにしても的確だとは思ったが……。そこらへんの的確さについて訊ねようかしらと少し迷っていたその時、前方の小さな橋から見知った男女が歩いてきた。高野目と道途だ。
「奇遇ですね、風見鶏さん」
目を細め、微笑を浮かべながら高野目がはじめに口を開いた。道途はただ付き従うだけだと言わんばかりに沈黙を貫いている。夕刻の影が二人に妖しげなコントラストを貼り付けていた。
「なんでまたお二人さんがここに? なんか捜査とかあるんですか」
ひとまず会話に乗る。状況は分からないが、なんとなく俺――というか俺たちに用があるように思えたのだ。下手に近代寺が関わると収集がつかなくなる恐れがあると俺は感じ、そして声を発するに至った。
「ええまあ。……ただ、実のところあなたにもお願いしたいことがありまして」
「俺に? そりゃ確かに偶然ですね。ここで会うとは思ってなかったでしょ?」
渡しておいたノイズ磁針が起動する状況は先刻の魔獣戦ぐらいだ。あのタイミングで察知したところで、如何な先鋭列車と言えど宇井座村に到着するのにはやや時間が足りない。となると既に現地入りしていたと見るのが妥当だろう。
「ええ、道途くんと『ここに風見鶏さんがいたら手間が省けるのにね』なんて話していたんですけど、ほんとにいらっしゃったので驚きましたよ」
微笑みを崩さず高野目が答えた。目は完全に笑っている……ように見える。疑いたくはないのだが――それでも手放しで話を鵜呑みにするわけにはいかない。なにせ俺は今、近代寺の依頼を進めているのだから――と思いながら近代寺へと視線を移すと、近代寺は鋭い目つきで高野目を睨んでいた。
「お、おい……どうした」
いきなりその態度はまずくないか? そう思い近代寺に囁いたのだが、
「今、風見鶏さんに依頼をしているのは私です。急ぎの用件ですから後にしてはいただけませんか?」
近代寺はまっすぐに高野目を見据えながらはっきりと言い放っていた。
「……高野目さん」
道途が前に出ようとする。いくら道途であろうとも手荒なことはしないと思いたいが、何かあってからでは遅いので俺も近代寺をかばう形で前に出る動作を取り始める。
――それを高野目が手を二度たたき制止した。
……制止? なんだ? それだけで俺や道途の動きは止まるものなのか? ……だが現に今、俺は思わず足を止めてしまった。一瞬だけだったが、それでも、である。時空歪曲ではない。……となると、俺は本当にただ気圧されただけだとでもいうのか?
「はいはい、道途くんも風見鶏さんも落ち着いて。私は争いたいわけじゃないですから。……近代寺さん、お話だけでも聞いていただけませんか?」
快晴のような明るい口調と、春風のような優しげな口調とを使い分けながら高野目が近代寺へと歩み寄った。
「……手短におねがいします」
近代寺は高野目から視線をそらすことなく発言した。……この敵意のような雰囲気は、近代寺の一方的な嫌悪感によるもののように感じられるが、そのあたりはよく分からない。男同士の因縁があるように、女同士にもそういった、同性同士特有の確執や相性があるのだろうか。
「感謝します、近代寺さん。……依頼というのはちょっとした弾丸旅行の提案といいますか……単刀直入に言いますね。お二人にはこれから、
「俺らが遥海市に? そりゃまたなんで――」
遥海市。それは航行可能な海上に存在する都市で、不明物質の発生件数が極めて少ないことからリゾート地として盛り上がっている。……改めて状況を整理すると、宇井座村と近い土地と言えるのか。……となるともしや――
「――あぁいや、だいたい分かりましたよ高野目さん。この村と何らかの関連性があるってんでしょ遥海市」
「正解です。……そもそも紅蓮さんがコンテナ倉庫に持ってきていた積み荷なんですけど、我々で調べたところ行き先が遥海市だったのです」
「はぁ、ただそれの調査って俺らがやっちゃっていいんです?」
「構いません。……実のところあの街は独立観光都市となっておりまして、この村以上に私たちも介入しづらいのです」
「それで政府に関係のない俺を雇うってわけですか」
「そうなりますね」
高野目はにこやかに返答した。裏表がないように見えてきて恐怖すら感じる。早い段階で話を切り上げたいところだが――
――だが、それにしても、独立観光都市か。
それは、不明物質および魔獣絡みの事件・事故が一定割合以下に抑えられ、なおかつ国内外双方での高い経済効果が見込まれる場合のみ指定されるという厳しい条件をクリアした都市で、現段階では片手で数えられるほどごく少数の指定に留まっている。
宇井座村については疎かった俺でさえ、独立観光都市については調べずともよく知っていたほどだ。
「……風見鶏さん、まだ根拠が足りません」
近代寺が会話に割って入った。根拠が弱いのはむしろ近代寺の推理では? と思わなくもないが、近代寺の直感は、それはそれで妙な信憑性がある。……ひとまず任せてみるか。
「……高野目さん、でしたね。私から一つ質問があります。答えていただけますか?」
「――ええ。答えられる範囲のことでしたら」
鋭く見据える近代寺と、品定めをするかのごとく目を細める高野目。この二人、職場が一緒だったらとんでもないことになっていただろうなと思い、なんとなく道途へ視線を送る。……道途は目つきを鋭くして俺を睨んできた。よく吠える小型犬と接する機会があったのだが、ちょうどあのような感じだった。……かなり昔の話だ。おぼろげであやふや。なんならたった今思い出したほどである。――本当に、一体いつの時のことだっただろうか。
そんな俺の追憶は、近代寺の放った一言によって現在へと上書きされた。
「ではこちらも単刀直入に。――その積み荷って、ここの大穴から運び出された不明物質だったんじゃないですか?」
「――近代寺?」
俺は発言内容の突飛さに困惑し、
「――アンタ、なんだってそんな」
道途はおそらく発言内容そのものに驚愕し、
「――ふふ、探偵、本当に天職かもしれませんね」
そして、高野目はただ純粋に、しかし遠回しに発言内容を肯定した。
「おい近代寺、大穴って井戸のことだよな。お前、やっぱ色々知ってたのか?」
思わず問いかけるが、近代寺は俺の前で背中を向けたまま発言を続けた。
「簡単な推理ですよ。コンテナ倉庫内部でのみ発生した騒動、そして駆けつける対魔警察と煉獄部隊。まずこの時点で魔獣絡みの事件であることが分かります」
近代寺は俺と高野目の前を往復しながら推理を披露し始めた。どことなく強い説得力がその発言の端々から感じられた。最早それは、先ほどの高野目と重なるかのようである。
「……第二に、周囲が海であったこと。あの辺りの海は既に一部の航路を除いてかなりの部分がノイズ化しています。当然そこに生物が紛れ込めば魔獣となっているでしょう。ですがあの現場で海から魔獣が這い上がってきていた形跡はありませんでした。
……もっとも、そもそも港湾エリアは公営の海賊が魔獣を駆逐していますから、その時点で海から魔獣が出現した線は薄かったわけですけど」
……海賊。武装した船を駆る海上の騎兵たち。お宝探しをするだけの集団であるはずがない、わざわざ政府から雇われたということは、彼らの戦力を魔獣へぶつけるために他ならない。俺とて、触り程度は漠然と知っていたことだが、近代寺はそのあたりの詳細も把握しているようだ。
「そして、三つ目。これは最もシンプルかつ確実な話です。なぜならそれは、私がかねてより調査していた事柄だったからです」
「ふむ。近代寺さん、その事柄とは?」
高野目の問いに、近代寺は即答した。
「それは――森久保氏の動向です」
むしろこれは予想通りだった。そもそも俺が近代寺と行動をともにするきっかけとなった出来事も森久保氏関連のものだったからだ。奇妙な偶然なのか、俺達は森久保氏の行動によって物語と主観が交わったのだ。
「ふむふむ、となると近代寺さんは、森久保氏の企業が大穴を何らかの目的で利用していると言いたいのですね?」
「ええ、もちろん。……そしてそれを察知したのはそちらもですよね、高野目さん?」
どこか姉妹を思わせるほどのシンクロを見せながら、二人の女は言葉をかわした。
「……近代寺さん。私はどうやらあなたのことを侮っていたようです。目利きには自信があったのですが、あなたはそれを上回るようですね」
「お褒めに預かり光栄です。……それで、この村の大穴をどうするつもりなんです?」
近代寺の問いかけに、高野目はわずかに笑みを浮かべながら口を開いた。
「かんたんなことです。視察ですよ、視察。いつでも行えるよう準備はしていました。やる必要は特にありませんでしたが、かといって森久保さんの方だって断る理由はないはずですからね」
……その発言に、俺は一つの可能性を見出した。森久保氏が大穴を利用して不明物質および魔獣を流通させている可能性だ。井戸とも呼ばれる大穴に、不明物質があるというのなら……それを外に流すことで世界中のあらゆる場所で先鋭列車やアンノウン・マグネットの需要が高まる。
――腑に落ちてしまう。その可能性が現実的であると、納得できてしまう。森久保氏のことを悪として断じたくはなかった。可能な限り、人の善性を信じていたかった。だから俺は、この可能性を考察することを遠ざけていたのだ。
――だが、何かがささやく。何かが俺の内側で叫んでいる。この村にいると高まっていくなんらかのノスタルジーが、俺の内側で声を上げている。
――思い出せ、と。
――落ちる前のあの時を、と。
断片的なささやきが俺を駆り立てる。何かを思い出させようとしている。
……やはり、ここに手がかりがあるのか? いや、あるいは――今俺がとっている行動そのものが手がかりなのか? ……わからない。そして同時に、今はそれを見たくない、と思っている俺がいる。一つのことに専念したい。普段からそうというわけではないが、この件に限ってはそう思ってしまう。……だからなのか、俺は近代寺の前に出ていた。
「ならこっちのことはアンタたちに任せる。俺は近代寺と遥海市へ行くからさ」
「あ、ちょっと風見鶏さん! 何勝手に決めてるんですかぁ!」
即座に近代寺が抗議してきた。その口調は普段の調子が戻っており、やや安堵した。だから俺も近代寺に丁寧な説明をすることにした。親しい相手への誠意というやつである。
「森久保さんの目的はハッキリしたわけじゃねェけどよ、それでも見えてきたことがある。一つは、森久保さんがこの村に何かを隠しているということ。
そして第二に、森久保さんは紅蓮さんを経由して魔獣関係の何かを遥海市へ持ち込もうとしていたってことだ。あの状況でコンテナ倉庫に魔獣が大量発生するってのは……信じたくはなかったが、コンテナ内に素体となる動物が格納されていたってことだからな。
……加えて、不明物質――っつーか魔獣そのものだったのが紅蓮さん。そんな事例聞いたことがなかったが、実際俺や道途は見ちまったからな。どの道関係者に確認を取る必要は出てくる――となると、あれらが本来送られるはずだった遥海市へ向かってみるのは悪くない選択だと思うんだよ」
言いながら俺は道途へ視線を送った。道途は道途で調べていたらしく、一度指を眼鏡に当ててから口を開いた。
「……紅蓮については不明点も多い。藍染も細かい事情は把握していなかったようだ。だが少なくとも、あの積み荷の依頼主が森久保であることの確認は取れた。そして遥海市に森久保が所有する別荘があることも分かっている。ただの別荘に動物を送るにしては、多すぎる」
道途が話し終えると同時に、高野目が俺に視線を合わせた。
「そういうことなんですけど、どうでしょう。依頼を受けてはくれませんか?」
見たくない真相が見えようとしている、だがこの光景は……俺が歩んで到達しつつあるものだ。なにもない荒野に時折現れるチェックポイントのようなもの。……そう思ったのならば、進むしかない。その光景を見るために。
「ああ。俺は受ける。だが、先客がいるからな。内容の方向性はさして変わらんでしょうが、近代寺の同意を得てからにさせてもらいますよ」
「ええ、それで構いません」
高野目は首肯した。その目線は俺ではなく近代寺に向けられていた。
「……近代寺、どうだ?」
嫌なら嫌でいいと思いながら問いかける。この一件は近代寺の選択がなければここまで来られなかっただろう。だからこそ、最終的な選択は彼女に委ねようと思ったのだ。
近代寺は沈黙している。目線を誰に合わすこともなく、ただ黙り……決断の準備を丹念に行っている。そして、決断後のロジックを組んでいる。――そのように感じられた。
悠久か刹那か、而して近代寺は口を開いた。
「――分かりました。高野目さん、あなたの提案に乗りましょう」
近代寺は、竦むことなく高野目を見つめながらそう言った。
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