第9話「不明解明」

 〈スナック近代寺〉に到着してから二十分ほど経過した。俺は――


「宇井座村にはなー! クソデカイ井戸があってなー!」


 なんやかんやで近代寺のお爺さんから村の伝承を教えてもらっていた。どこまで本当の事かは分からないレベルの話――つまりは神話レベルの――から始まりつつ、民話やら都市伝説やらが合間に語られまくるというとにかく伝承のオンパレードという感じであった。エンタメ性に富んだエピソードも多く存在したので、伝承をまとめた本があったら読みたかったのだがどうも完全に口伝であるらしく勿体ないなと思った。


「昔よく聞いたやつ~~!」


 こんなふうに、近代寺も楽しそうに合いの手を入れて盛り上げている。ここにオーディエンスがいればそれはもう物凄い熱狂だったのではなかろうか。……いずれにせよ、近代寺がそれなりに元気になったようなので良きかな良きかな。俺とて多少は心配していたのだ。


「で、そんなクソでけー井戸なんてマジであんの?」

 俺は小声で近代寺に訊ねた。


「……そういう言い伝えがあるってだけです。私もよく知りません」

 なんでか分からないが突然スンッ……と真顔になったかと思うとクールかつ早口で返答を受けた。すまし顔の近代寺。どうした? 寝不足か?


「俺なんかマズいことでも言ったか?」

「言ってないです。……すいません、この話、嫌というほど聞いたもんですからちょっとうんざりしちゃってて」

「ああ、そういうことね。それならいいんだが」


 何はともあれ、乙女心は複雑なのだろう。あまり無神経なことを言ってしまわないようにしておきたい。そう思った。


 ……とにもかくにも、話をそのまま聞いていると、色々新たな情報がぽつぽつと出始めた。

 ……近代寺のお爺さん曰く、森久保氏の会社はどうも観光関係の企業であるようだ。俺はてっきり、村の伝承を調べるため――或いは伝承を知っていたから――この村にやって来たのかと思っていた。

 が、実際のところはそうではなく、森久保氏は単純にレジャー施設をお山に建てようとしていたということだった。村民はお山をそれはもう大切にしてきたので、レジャー施設の建設は満場一致で反対だったという。それゆえ、村民は建設予定地へ抗議に向かおうと計画を立てていた。――のだが、


「工事を取りやめた? そりゃまた一体、どういうことです?」


 俺の問いに、近代寺のお爺さんが腕を組みながら答え始めた。


「よぉ分からん。突然、『山に建てるのはやめました。山の麓に施設を作らせてくだされば、代わりにインフラ回りを改善することをお約束しましょう』……とか言い出してな。ワシらだってそりゃ散々悩んだけどもな、あの頃はもう随分と地中から不明物質が溢れ出していたわけじゃから。ノイズ化の被害も何とかしたいという気持ちもあって、半信半疑ながら了承したんじゃ。……まぁ、実際ものすごく良くなったんじゃよな、交通の便。あと勿論ノイズ化も出なくなった」


 そして村おこしは大成功し、今に至るというわけだった。……確かに、話を聞く限りでは宇井座村で魔獣やノイズが発生したという事例は昨今全く起こっていないようだ。……魔ッチによるマップ作成が失敗するほど膨大な量の不明物質を溜め込んでいながら。


「……なんか実害とか出たってこともないんですか?」

「なぁーんもないな。強いて言うなら観光客の中に一定の割合でマナーの悪いやつらが混じっていたりするが……それはまぁ別の問題なわけじゃしな」

「……まあそうですね」


 ここまでメリットだらけなのも美味い話過ぎると思わなくもないが、実際村の人々は豊かな暮らしを送ることができているようだ。ゆえに、そこをこれ以上詳しく……デリカシーの無い形で根掘り葉掘り訊くのも気が引けた。……というかそのあたりの事情は近代寺がとっくに掴んでいると思うのだが。何せこの村出身の人間なのだ。知る権利は前提レベルで存在しているはずだ。


「そんな感じでな。色々あったが森久保さんとは仲良くさせてもらっておるよ」


 村への恩恵のことを考えると、少なくともその点は偽らざる真実であろう。そのため部外者の俺が口を挿む余地は現状なかった。


 ◇


「じゃあお爺ちゃんお婆ちゃん、ちょっと行くとこあるからここらへんで。帰り寄れたらまた来るね~」


 それから程なくして、近代寺は話を切り上げた。そして俺を伴ってスナック近代寺を後にした。……俺には少しばかり気にかかることがあった。


「……近代寺」

 俺は一歩前を歩く近代寺に問いかけた。


「何ですか?」

 近代寺は振り返ることもなく声を発した。その声には若干の愉悦があるように感じた。


「……お前。魔ッチが暴走する事分かってたんじゃねェのか?」


 近代寺のお爺さんが語った内容、そこには結局のところ、魔ッチ暴走に関する明確な答えはなかった。『巨大な井戸』と言った情報はあったが、答えに近そうなものはそれぐらいだった。しかもその伝承を近代寺は何度も聞いている。加えて、森久保の会社関係の話にも特に驚いている素振りはなかった。

 ……となると、近代寺は魔ッチを――『巨大な井戸』によって暴走するであろうことを承知の上で使用した可能性が高い。俺はそう推測した。


「近代寺。お前、展望台で魔ッチを使ったのはただの確認作業に過ぎなかったんじゃねェのか?」


 俺の質問を聞いた近代寺は、ようやく立ち止まり振り返った。

 そこには微笑があった。


「正解です風見鶏さん。よくぞ自力でそこまで考察してくださいました」

「……どういうつもりだ? 何が目的だ?」


 尚も問い詰める。当然だ。近代寺が策謀を巡らせて俺をはめた可能性があるからだ。場合によってはこの場で対処しなければならないだろう。そう思ったのだが――


「ああその、悪く捉えないでください。説明がめんどくさかっただけなんです」

「は?」

「ええとその、口で説明するより実際にやった方が分かりやすいかな~と」

「…………」


 ああ、こいつそういやわりといい加減なやつなんだった。そうだったそうだった。


「もっとスマートな方法あるんじゃねーかな!?」

「ひえー! 怒んないでくださーい!」


 やっぱこいつには黒幕とか務まんないだろうなぁと思った。


「まぁいいや。回りくどいチュートリアルだったってことにしといてやるよ。……で、このチュートリアルから俺は何を汲み取ればよかったんだ?」


 なんとなく察しはついているが、一応訊いてみることにした。なぜならば、この女の好きにさせすぎるといい加減な結果に行き着きそうだったからだ。つまり、近代寺に舵取りを任せすぎると近代寺の在り方や主観に大きく振り回されるのではないかと考えたのである。この女のことだ、このまま俺に答えを言わせて自分のターンに持っていき、そしてそのまま一気に己のペースで話を進めていい加減なターンエンドを決めてしまうに違いない。そうなってしまうと万が一の時に俺の方で軌道修正するのが困難になる。そういった理由で、俺は俺のペースでまず近代寺の動向をうかがうことにしたのだ。さぁどうくる近代寺。


「えー、気づいてるくせにー。回りくどいのはどっちなんですかー」


 ぶーぶー文句を言う近代寺。気持ちは分かる、俺だって逆の立場だったら嫌だよ。なにせペース配分の権利を握られているのだから。早く話を進めたい、しかも相手は恐らくそのための答えを持っている――そこまで分かっていながら、こちらでペースを決められない。


 それはそれなりに困った状況であろう。だが俺はお前のいい加減さを既に思い知らされているのでそう簡単にそっちのペースに飲まれるわけにはいかないのだ。俺はもう気づいてしまった。近代寺はペースメーカーではないということを。他の誰かがペースを決めないとこの女は計画性を明後日の方向に投げ飛ばしてしまうということを。


「いいから。……近代寺。お前はこの状況から何を感じたんだ? というかどういった推理をしたんだ?」


 ある程度こちらで話の筋道を作りつつ問いかける。荒れに荒れた大地に道を開拓しているような気分だ。


「……はぁ、分かりました。風見鶏さんのペースに乗りましょう。先に結論を言うとですね――森久保さんは〈井戸〉を手中に収めたんです」

「その井戸、井戸は井戸でも……中身は水ではなく不明物質――だな?」

「ええその通り。……もー、やっぱり分かってたんじゃないですかー」


 井戸――つまりこの場合は不明物質の溜まり場を意味すると推測される。実際に見たことはないはずなのであくまでも脳裏をよぎったイメージだが、それは恐らく巨大な穴なのだろう。水を汲み上げるかのように不明物質を取り出せることから井戸の名を与えられたと俺は考えた。


「ある程度は推理してるさ。推理自体は探偵の専売特許じゃないだろ」

「むむ、そりゃそうですけど。でもでも推理によって事件を解決へと導くのはやはり探偵の専売特許なんじゃないでしょうか?」


 食い下がってくる近代寺。俺はミスをした。このままでは話の主導権が近代寺に移動してしまう。俺も大概刹那的な人間だと思っていたが、近代寺はそれ以上だ。ここで俺が上手くペースメーカーにならねば方向性を見失いかねない。俺が手綱を握っていられる内になんとかせねば……。


「とにかくだぞ近代寺。この話は手短に済ませよう。具体的に言うと今から俺が俺なりの見解を述べる。お前さんはそれに反論していい。だがそこまでにしておこう。それぞれの立場――というか考え方を表明してこの話は終わらせておこう。仮に意見が違おうとも、考え方が違おうとも、俺たちは分かり合えるはずだ。合わない話に関しては、わざわざ話す必要がないのなら話さなくたって良いだろう? 争う必要のない事柄で険悪になる必然性なんてないだろう?」


 前置きがやたらと言い訳じみた長さになってしまったが、それでもこれは先に言っておいた方が良いと思ったのだ。その方が話もスムーズであろう。

 近代寺も分かってくれたようで、数秒考えこんでいたが「そうですね」と縦に二回頷いてくれた。


「確かにその通りです。探偵についての考え方が合わないことだってあるでしょう。その時はその話をしなければそれでオッケーですもんね。私たちは別にその議論をするために協力しているわけではありませんから」

「そういうこった。話の分かるやつで助かるぜ。じゃあそろそろ話すか、俺の意見を――」

 その時だった。草木の影から何かの反応が


「 〈〉 」


「下がれ近代寺――!」

「――!」


 時空歪曲を察知し、俺は対ノイズ粒子を両手首に装着したリストバンドから射出した。粒子はコンテナ倉庫の一件で既に使い切っていたので、朝一で朝市に向かい微量を購入していたのだ。念のためだったが、やはりというべきなのか役立ってくれた。これがなければ今の触手攻撃を弾けなかっただろう。微量なので薄皮一枚のギリギリ防御ではあったが。


「そのまま魔獣から目ェ逸らせとけ。話だけ聞け。……外れの方とは言え、村で出やがったな。近代寺、どう見る?」

「言ってる場合ですか?」

 目線を俺に合わせながら近代寺が問うてきた。


「なら俺が推理するぞ。正体不明との戦いというのは、常にこうだ。あらゆる攻撃が初見、つまりノーヒントだ。そこから即座に攻略法を導き出さねェとなんねえ。これは推理って言えるんじゃねーかな?」


 俺はアンノウンマグネット弾を装填したハンドガンを構えながら己が見解を述べた。目前の魔獣、人型の異形タイプ。かろうじて形状は分かるものの詳細な外見は不明。見ていると脳が理解を拒もうとしてくるのが分かる。


 ——魔獣の外見は大きく分けて二種類あり、一つは意味不明のキメラタイプ。そしてもう一つが眼前に立っているヤツのような『人間の理解を越えた造形』をした理解不能の異界タイプ。

 ……そう、異界。最早別世界の存在と捉えた方が理解しやすいという次元の存在ということだ。


 前者も見ていて混乱してくるが、後者はそもそも見ていると精神に異常をきたしかねない。ゆえに、常に視線を外しながら戦う必要がある。戦いにくいがそれがベターなのだ。ゆえに推理はしづらいのだが……


「風見鶏さん。確かにあなたの言うそれも推理と言えるでしょう。ですが推理とはそれだけではありません。多様な側面があります。風見鶏さんは見えているモノから全てを推測しようとしています。――ですが、私は違います」


「 〈〉 」


 目前に触手が在った。数える暇はない。


「――――チッ!」

 再び殺到する触手のような黒影。発砲では間に合わない。先端に取り付けた対ノイズ用の刃で迎撃しどうにか捌くが――この魔獣は手練れだ。圧縮された時間が並の魔獣より数秒長い。時空歪曲において、早送りや早戻しを行う秒数を増やすことはかなり難しい。アスリートがタイムを縮めることと真逆のアプローチではあるが、極めれば極めるほど難易度が高まっていくという点では近いものがある。アスリートが自己ベストを一秒縮めるために弛まぬ努力を行うのと同じように、魔獣や魔獣喰らいが時空歪曲の圧縮時間を一秒伸ばすのもまた、簡単な事ではなかった。


 ――手ごわい。俺がこれまで戦ってきた魔獣の中でも、目の前の魔獣は上級クラスの実力を持っているだろう。一人でならある程度捨て身の戦法を取れるが、今は背後に近代寺がいる。そういうわけには、


「風見鶏さん。時間が圧縮されて言えなかったので続きを話しますね」


 近代寺は俺の隣に立っていた。黒絹めいた長髪がそよ風を受けたなびく。


「おい、下がってろって――」

「風見鶏さん。私は確かにただの人です、魔獣喰らいじゃありません。……でも探偵です。探偵なんです。風見鶏さんが見えているモノだけから答えを見つけようというのなら――」


 ぴり、と。時空歪曲の予兆が頬に触れた。その刹那。


「私は――見えていない部分をこそ推理しましょう」

 近代寺の瞳が大きく見開かれた。


「 〈〉 」


 黒霧めいた不明瞭な魔脚がしなり、肋骨に迫る。迎撃不能。ハンドガンは既に天高く弾き飛ばされていた。基本、時空歪曲は移動動作から攻撃動作に入った時点で解除される。この魔獣はその解除に対する制御すら可能としつつあるのか――?


「ぐぼ……っ!」

 魔脚による薙ぎ払いを受ける。推測するに回し蹴り。ハンドガンを突き上げた方法は不明。直撃を避けるため地面を大きく蹴り俺は自ら地面へと倒れ込んだ。隙が生じるが攻撃直撃パターンより多少はマシだ。だがこれでは近代寺は守り切れない。目で近代寺を追う、すると、目を疑う光景がそこにはあった。


「推理開示。結論、先行。――魔獣、あなたはただの『情報凝縮体フラッシュメモリ』ですね」

「@@:;d;@s:;;;;;;…………??」


 人型の魔獣は、近代寺を前に動きをフリーズさせていた。正体不明が理解を拒んでいる――そんな風にも見えた。


「簡単な話ですよ。人があなたをなぜ直視できないのか。私はそのことを考えてみました。そこにあるのに観測できない未知の領域。見えないのは人智を越えた概念だから? そうでしょうか。それで良いのでしょうか? そう思った私は推理してみたのです。……なぜ見えないのかを。見えない理由、それは案外シンプルなのではないかと思ったわけです」


 魔獣は尚も動かない。行動を縛られているのか? 近代寺は自身を魔獣喰らいではないと言っていた。それが真実だとして、これはなんだ? 何を以て、魔獣の動きを止めている?


「……字が滑ることって、ありますよね。文章を読んでいる時、文に視線が上手く定まらなくなるあれです。理由は様々ですが、たとえばそれは……文章が煩雑だったり複雑だったりした時です。他だと、そうですね――学生時代の話でたとえると、知らない英単語がたくさん出てきた時の英文読解もその類例となりましょうか」

「おい、近代寺?」


 俺に微笑みかけながら、近代寺は発言を続行した。


「情報過多、あるいは専門外の文字羅列。人はそれだけのことで思考を放棄することがあるわけです。……魔獣とはそういう存在に。目の前のそいつはその中でも典型例。大量の文字で外殻を覆うことで、我々を処理落ちさせようとしているだけなのです。だから『フラッシュメモリ怪人』という名を与えることにしました。怪人呼びなのはアレです。そいつ、容量だけバカでかくて特に閲覧とかは想定してないですからね。全く、何のために保存してんだかって感じです」


 探偵。目の前の女はそのように自称した。……広義ではそうかもしれない。だがこの女は、その範疇から少しズレている。


 この女、魔獣に名を与えることで存在を縛らなかったか……? 最早それは魔術師の類ではないか? この世に魔術師が存在しているかなど分からない。だが魔獣喰らいではないとしたら、この女の特異性は一体何なのか。当の本人はただの人間だと言っていたが、本当にそうなのか? 例えばあの――得体の知れない高野目ならば、真実を見透かしてしまうのではないか? そう思えてならない。


 ――いずれにせよ、近代寺が言葉を巧みに操ることだけは紛れもない真実であろう。

 言葉というものは対話のためだけの概念ではない。それは時として行動を縛る鎖と化す。思い込みや固定観念、己を律する信条すらそれに当てはまる。そういった様々な物事が絡み合って人の行動を補強し、矯正し、そして強制する。

 人は、己の主観上で定めた一定の理の中で生きていると言える。その理を具現化したのなら、それは行動――あるいは言葉として出力されるだろう。……それらはそれぞれの主観で選び取るものだ。生まれた時や幼少期ならいざ知らず、成熟してから埋め込まれるものではない。


 だが近代寺が行ったことは――強制的な名前の埋め込みではなかったか? 魔獣が受けたのはそういった類の攻撃だったのではないか? 種も仕掛けも分からないが、近代寺にはそのような特殊能力が備わっているのではないか? 本人は嫌がるかもしれない。だが、一度ちゃんと聞いてみた方が良いだろう。――その前に、


「@;@@!! :¥:・・・・¥。^:;:――……」


 ハンドガンを拾い魔獣へ銃口を向け、即座に数発撃ち込んだ。魔獣はいとも簡単に沈黙した。先ほどまでの敏捷性はどこへやら。それだけ近代寺の言葉が強力だったのだろう。


「……近代寺。お前今の――」

「ただの推理です。ですが魔獣……いえ、不明物質には何よりも効果的な手段です」


 俺の発言を遮って近代寺が答えた。……何よりも効果的な手段? どういうことだ。不明物質は正体不明という概念そのもの。その正体を暴いているというのか?


「……風見鶏さん。そもそも私たちはどこまで真実を知っているんだと思います?」


 やや挑戦的な声色で近代寺が問いかけてきた。……探偵を名乗る者からの挑戦状、とでも言うのだろうか。


「……もしかして、これまだチュートリアルだったりすんの?」

「いえいえ、それはないです。これはあくまで応用編。いい加減、風見鶏さんも魔獣ハントに飽きてきたでしょう?」

「――は? 近代寺、なんか裏技的な方面の事情通だったりすんのか?」


 探偵を営んでいる過程でそういった情報も仕入れる機会があったのかもしれない。よくは分からないが、この流れには乗っておいても良いと思った。


「……まあそんなところでしょうか。ともかく、私たちはどうしても主観に支配されがちです。それが各々の見る世界ですから仕方はありませんけど」

「――主観、ね」


 主観については俺も常々考えている。だが、答えはいつだって『完全に交わることはない』という納得と諦観の両立に終わる。……あの荒野が俺の心象を表わしたものだとするのなら、果てにあるのは天高くそびえる二本の塔であろう。納得と諦観は二律背反ではなく同時に成立し得る。そこには矛盾もなければ別段行き詰まりというわけでもない。――そもそも果てなどあるのだろうか? 俺はそこまで考えている。


「俺は可能性を捨てたつもりはないんだがな。――すまん、飛躍しすぎたな。要は、そもそも俺の主観は排他的じゃねェってことだ。あらゆる可能性を捨てず、活路を開くべく動いている。……その上で、不明物質はそもそも『正体不明』という概念であると結論付けたんだよ」

「なるほど。なんでも素直に飲み込むタイプではないと信じていましたが合っていたようですね」


 なぜか近代寺は微笑んだ。……ところで、


「推理したんじゃなくて信じたのか」

「良いじゃないですか。そういうこともあります」


 なおも近代寺は微笑んだ。……俺はこの女に何か気に入られるようなことを言ったのだろうか。


「まぁいいか。……で、その真実ってのは何なんだ? 陰謀論じゃないといいんだが」

「陰謀論ですね」

「即答かよ」


 速かった。あまりにも速かった。それでいいのか近代寺? せめてこうなんかハリボテでもいいからそれっぽい理屈とか根拠とかなかったのか?


「だってこれは私の主観での話ですから。私の中ではそう思ったということにすぎません」

「それ真実って言うのか?」

「私の中ではそうですね」

「…………」


 なんというか。俺はこいつを放っておけなくなった。自分で陰謀論と言っておきながらそれを信じて疑わない。そこには頑固さとか一途さとか――あと恐らくある種の諦観が感じられた。この場合の諦観というのは「信じてもらえなくてもいいですよーだ」とかそういう拗ねの感情が近しい。


 ……どうもこういうやつは無視できない。関わってしまった以上、なんとか精神的な袋小路から引っ張り出したくなる。それは傲慢なエゴなのだろうか。……そうとも、傲慢なのだろう。だがだからこそ、そういうエゴだからこそ行き詰まりにいる人間を引き戻せるのではないかと俺は思うのだ。


 ……思えば、この女はコンテナ倉庫で出会ったときからそういう危なっかしさがあった。だから俺は、おそらくその時点で既に引っ張り上げるつもりでいたのだろう。――まったく、我ながらお人よしが過ぎる。……もっとも「それがやりたくて何でも屋を営んでいるのだろう」と問われれば否定のしようもないのだが。


「……はぁ、しかたねえな。陰謀論でもなんでもいいからよ、とりあえず話してみろ、頭ごなしに否定とかしないからさ」

「ぃやったーぁ! 聞いてくれるんですねヒャッホー!」


 子どものように無邪気な笑顔を見せる近代寺。つーか俺はもう近代寺のことを半分ぐらいは子どもの面倒を見る大人の気持ちになって見ている。そういう愛もあるだろう、そのように思うことにした。


「じゃあ話しますね!」

「おう、来い来い」


 ウキウキテンションの近代寺によるウキウキナックル(ウキウキナックル?)を受け止める俺はさながらサンドバックなのだろうか。まあサンドバックでもなんでもいいか。とにかく話を聞くことにしたのだからそれ以外の細かいことはとりあえず置いておく。


「単刀直入に言いますとですね、」

「おう」

「不明物質が『正体不明』という概念そのものというのは被せられた……そう、カバーストーリーだってことなんですよ」

「おう」

「むー、淡々としすぎじゃないですか風見鶏さん」


 ややふくれっ面の近代寺。気持ちは分かるがしかたないだろう。


「いや、言いたいことは分かったよ。俺たちは何者かによって不明物質を『正体不明』が服を着て歩いているような存在だと思い込まされているって言いてェんだろ?」

「ええ、その通りです。さすがですね風見鶏さん」


 近代寺が指先だけで小さく拍手する。妙な愛嬌があったので、五分ぐらい見ていられるな……と思った。


「だがよ近代寺。それはお前も自覚している通りやっぱ陰謀論だよ。証明のしようがない事柄についてあーだこーだ考えをめぐらすのは確かに楽しいけどよ、それでもそれこそが真実だ! って言うのはちと根拠が弱いかなって」

「むむ、でも、でもですよ」


 なおも反論しようとする近代寺。……ふむ、それなりにしっかりと考えてきてはいるようだ。なぜだか感動してしまった。


「でも、なんだ? ひょっとしてさっきの魔獣討伐はその陰謀論を真実たらしめる何かしらなのか?」

「もちのろんです! あれはつまり、私が推理によって導き出した真実を魔獣に貼り付けたんですよ!」


 ……なるほど、そうきたか。というか大体予想通りだった。近代寺の推理はやや勢い重視というか、深読みしすぎて一点集中しすぎというか、まぁとにかくいつも相手に納得してもらっているのか心配になるレベルの推理だった。……だがそれは人相手に限った話。これが正体不明という概念そのものである魔獣が相手の場合――例外的な処理が発生するのかもしれない。


「魔獣は正体不明ゆえに、無理やりにでも形を与えると不明性が消失する……ってわけか」

「ま、まあそういうことです! いやぁ、どうですか? すごくないですか?」

「すごいけどなんでそこの返答に関しては若干自信無さげなんだよ」

「いやその、あんまり理解してもらえたことがなくて……このロジックを説明している時、あんまり話を聞いてもらえないというか……本気にされてないというか……」


 ……まあそういう反応をされるのも分かる。軽く聞いただけだと与太話の域を出ていないように感じられたからだ。おそらくこれまで話した相手は近代寺を与太話の使い手だと思っているだろう。不思議と俺はそのように思わなかった。案外こいつとは感性が近いのかもしれない。意外と嫌な心地はしなかった。


「ま、大体分かったよ。俺はお前さんのロジックを信じていいよ」

「……! ほんとですか!?」

「ここで嘘つく必要なくない?」

「ぃやったーぁぁ!!」


 ガッツポーズをして小躍りする近代寺。愛嬌が合って良いが歩道の真ん中でいきなり踊り出すのはちょっと恥ずかしいのでやめてほしいなと思う俺であった。


「うれしい~~! あーもうこの勢いで森久保さんの会社へ向かっちゃいましょう!!」


 と言いながらその場で駆け足を始める近代寺。いそがしいやつだ。まぁ話が進展したので良しとしよう。

 ……ただ、一つだけ気になることがあった。


「ところで近代寺、確認したいことがあるんだが」

「はーい、なんでしょうか??」

 スキップしながら笑顔で返事する近代寺。満面の笑みの彼女だが――


「森久保さんの会社にアポって取った?」

「………………………………」


 あーこれは門前払いパターンだな。俺はそう思った。


 太陽が西へ傾き始める。じき夕方になるだろう。――さて、カラスたちが帰り支度を始める前に俺たちの用事は済むのだろうか?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る