第8話「幕間③/煉獄」
幕間・三
高野目と道途が煉獄の視察を行ってから一夜明け、二人は科学捜査研究所――通称『科捜研』にやって来ていた。例のネズミ二匹に関して調査を頼んでいたのだ。
現時点では特に何も新しいことは判明しておらず、ただいたずらに時間だけが経過していた。とはいえ、未知の事象への対応とはえてしてそのようなものである。ただ闇雲に過ぎゆくばかりに思われた月日にも意味はあり、何らかの答えをもたらしてくれるものである……道途はそう思っていたし、そもそもそのことを道途に語ってみせたのは他ならぬ高野目であった。
……道途は高野目を慕っているというより、最早信仰しているとさえ言えた。そうさせたのは高野目――というわけではない。道途は「それが我が運命という名の道である」として、自らその道を選んだのだ。高野目とて、別段それを否定するわけでもなく、なら好きにしたら良いと微笑んで見せたのだった。
そのようなことがあり、今の二人がある。二人の関係は、なにも高野目の圧倒的な存在感によるものだけではない。むしろ、高野目の存在感に気圧されつつも、それでもなお己が意志を貫いた道途だからこそのものであった。道途はただレールの上を歩いているつもりである。だが実際のところ、彼には「自ら道を選び取る」という強さがあるのだ。その強さを、道途自身は未だに気づいていない。
そんな強さを持った道途であるが、無論常に強くいられるわけではない。具体的に言うと、休憩が欲しい時とて当然あるということだ。それはもちろん高野目も例外ではない。ゆえに二人は、科捜研の休憩スペースにて自販機でコーヒーを購入して談笑していた。
「道途くんってさ、休みの日はなにしてるの?」
「いっ、いきなりどうしたんですか……高野目さんの興味を引けるようなことなどありませんよ」
道途は謙遜の感情を露わにしながらそう答えた。謙遜の感情を露わにするという消極と積極のハイブリッド感を、高野目は気に入ったので思わず微笑を漏らした。
「いや、もう面白いよ道途くん。君は本当に良いね、一緒に仕事できて嬉しいよ」
「そ、それは大変ありがたく、そして恐縮なのです……」
「なのですって。ふふ、かしこまりすぎだよもー。もっと肩の力抜いたらどう?」
「は、そうですね、はい……」
どう見ても先刻より緊張している道途。高野目は少しだけ責任を感じたので、何か穏やかな話——例えば自分のおもしろ体験談——をしようと思った。
……が、高野目は中々思いつかなかった。世界各地の様々な事象を見渡せる高野目であったが、他ならぬ自分自身のことに関しては上手く見ることができないでいた。灯台下暗しというやつである。今まで観測できなかった大穴のことですら、実際に見に行けばそのほとんどを理解できたというのに。高野目は自分でもそこは不思議に思っていた。
――ああ、どうして私は、自分の事だけ分からない?
……自問自答したところで、答えは出なかった。当然である。それで分かったのなら、そもそも今の今まで悩んでなどいない。高野目は、そのことに苛立つことはないが……それでもやはり何か虚無感に近い感情は抱いていた。己が心の中にあるにもかかわらず、不明物質めいて正体のつかめないその感情を、その大穴にも似た空洞を、彼女は対処できずにいた。挫折を挫折のまま終わらせずにいる高野目の、たった一つだけ勝てずにいる挫折。それこそがこの、正体不明の虚無感だった。
……だからこそ、彼女はその虚無感を取り除くことを夢に見ていた。――そして。取り除く方法、その手がかりを、彼女はついに見つけた。それは煉獄内部の大穴を見た時……ではなく、その後の道途との問答によって発見された。あの大穴が入り口ではなく出口であるのなら、もしかすると全てを理解できるようになるのではないか? 大穴の正体をおおむね把握した高野目は、そのように感じ始めていた。だからこそ、手は既に打ってあった。
――コツコツと、軽快かつ慎重な音とテンポの足音が響いた。休憩室に新たな人物が現れたのだ。その男は綺麗な身なりの、フォーマルスーツを身に纏った老人であり、〈えびえび飯店〉にて風見鶏に声をかけた謎の老人であった。
「やぁ、待ってたよ
「お待たせいたしました、お嬢様」
男の名は従歩。その正体は、高野目に付き従う執事であった。
そう、高野目家は芸都の中でも指折りの名家で、あらゆる分野の業界に名を轟かせる凄まじき一族なのであった。
「道途くん。さっき話したように、従歩に色々と探ってもらってたんだ。従歩を仕事に付き合わせるのは悪いと思ってるんだけどね、今回ばかりは私も疲れていたからね」
「大穴の情報量は流石に膨大でしたからね……。従歩さん、ご足労感謝します」
「責務を果たしたまでの事。当然ですとも」
従歩は寡黙さと誠実さとを併せ持った武人を思わせる男である――道途はそのように感じ取っていたためか、自然と口調も丁寧なものとなっていた。
「……それで従歩。状況は?」
高野目の問いに、従歩は重々しく口を開きつつ、しかし淡々と答えた。そこには責任感と同時に、効率重視の冷静さがあった。
「風見鶏が宇井座村に向かいました」
「そこって確か……」
道途は「車両基地がありますよね」と続けようとした。が、
「かつての煉獄候補地だよ。うん、結果だけ見れば観光地として見事に封印されているわけだね」
魔獣の死骸ごとノイズを容易く呑みこめるほど壮大にして膨大な〈大穴〉を有した、過剰なまでに甚大なる巨大地下空洞。それこそが、煉獄の名を冠された施設に選定される最大の要素であった。
……しかしそれは諸刃の剣。メカニズム不明な大穴が穿たれた状態というのは、ただそれだけで危険極まりない。地中深くに存在するとはいえ、人類に到達可能な位置に在るというだけでそれは悪用される可能性が発生するということだ。
……ただ、宇井座村の場合は直上に車両基地が作られていたためそもそも侵入できなくなっていた。政府が大穴の規制も兼ねて行った『煉獄選定計画』実行の時点で既に、宇井座村の大穴は結果的にではあるが封印されていたのである。
「しかし、それだけで封印できたと言えるのでしょうか。そもそも煉獄候補地ということは――」
「大穴について調べてきたようだね。偉いよ道途くん」
「……は、いえ、当然です。煉獄部隊の管轄とはいえ、やはりここまで来た以上知らないままというわけにはいきませんから」
道途が大穴の構造をある程度理解していることを把握した高野目は、補足説明に入った。
「地質についてはまだ調べられていないみたいだね」
「は、はい。調べものは苦手でして……」
道途は気配や情報すら味覚として捉えることができるため、彼の自己評価とは正反対に調べものは得意分野である。
……が、しかし、それはあくまでカタログスペックで論じた場合に限る。道途の舌に入ってくる情報は濃いのではなく膨大なのだ。その『多方面からの味覚情報』は意識的にシャットアウトせねばならぬほどである。その制御を解くことができるのは、コーヒーを楽しむ時のような……つまりは、対象が明確な、『一つ』のことに対して全力で集中できる時のみである。ゆえに、道途は多くの味覚情報の中から欲しい情報のみを探し出すことは不得手なのであった。それでもなお対魔警察として活動できているのは、ひとえに彼の努力のたまものである。
そんな道途をよく知る高野目は、称えるかのような優しげかつ誇らしげな眼差しを道途へと向けた。
「実はね道途くん。煉獄の地質は周囲一帯に影響を及ぼすんだよ」
「地質……ですか」
「ああそうさ。煉獄の名を付けられているあのエリアは、大穴の性質上ノイズに強い。そしてその性質は地上にまで届く。……つまり、今回の文脈で言えば宇井座村という土地そのものが高いノイズ耐性を持っているということになるわけだ」
道途があることに気づいた。
「……もしや、ハンターが所有しているアンノウン・マグネットや、あの村の特産品である魔ッチというのは――」
「うん、察しが良いね。煉獄候補地が存在する場所でのみ採れる物質、それがアンノウン・マグネットだ。そして、自然な成り行きで魔ッチは作られるようになった。なにせアンノウン・マグネットが材料だからね」
アンノウン・マグネットは地質の影響で生み出された特殊な鉱物である。それは地中で不明物質やノイズと共にあったことにより、高い侵食耐性と逆侵食の性質を持つ。不明物質やノイズに反応して、逆にそれらを覆いつくして侵食してしまうという性質だ。
とはいえ、逆侵食の状態に持っていくには大量のアンノウン・マグネットが必要となり、それは一流のハンターであろうと購入することは困難なレベルで高価な代物である。さすがに今の風見鶏ならば買うことができるが、それでも購入できる数には限りがあり、なおかつ場所を取る。それほどまでに高額かつ管理の面倒な代物なのだ。
そういった事情もあり、ハンターは少量のアンノウン・マグネットを小出しで使用し、不明物質やノイズと引き合う能力を追尾機能や方位測定機能として利用するに留まっている。
「じゃあ、早速宇井座村に向かおうか。どの道、煉獄絡みの要件で準備していたこともあったからね……従歩、列車の手配はできてる?」
準備ができたようで、高野目が出発を促した。
「は。既にプライベート車両を駅に配備しております。ダイヤ変更も滞りなく……」
「うん、いつも助かるよ」
平然と先鋭列車のプライベート車両を所有しているあたり、やはり超一流の名家は伊達ではない――と、ステータス面においても高野目を尊敬する道途であった。
とはいえ、道途は別に高野目の社会的地位に関してはそこまで関心を向けていなかった。あくまでも人格面にほれ込んでいるのであり、高野目の地位は付属効果的なものに過ぎなかった。
「……お嬢様。風見鶏の同行者なのですが――」
従歩が口を開いた。重々しい声色は、ただそれだけで空気を静めるかのようだ。そんな中で、高野目だけは普段通りの声色を保っていた。
「昨日、港に来ていた探偵さんだね。名前は確か、近代寺」
「どういたしましょう。こちらで手を打ちましょうか?」
手を打つ――この場合、それがどこまでの意味を持っているのか、それを知らない道途ではなかった。越権行為のようにも思われたが、しかし高野目家の在り方を考えればどうにでもなってしまうのではないかと道途は思っていた。
……本来ならば納得できることではなかった。だがしかし、道途は納得していた。それは他ならぬ高野目の存在ゆえに。
「放っておいて構わないよ。……いざとなったら、私が対処するから」
高野目は、己の地位を利用することはあれど、あくまでも法の秩序、その範疇での行使で留めていた。だからこそ、道途は納得していたし、同時に、高野目への信仰をさらに強固なものへとしていた。傍から見たら色眼鏡をかけているように映っただろう。実際そのような面もあるだろうし、なんならその様な感情が味覚として伝わってきたこともある。だが道途はそれでも良いと思っていた。他人にどう思われようとも、これが己の歩む道である――そう固く誓ったのだから。そしてそれは、従歩という老人にも同じことが言えるのだろう。
「――承知いたしました。現地ではくれぐれも油断なさらぬよう」
高野目に対してそのように答えた従歩の目は、その言ほどには険しくなかった。使える主、高野目を信頼しているのだ。
「分かっているさ。こういう仕事にまで従歩を連れまわすつもりはないよ」
高野目は優し気にそう言った。――ただしその目は、従歩とは対照的に鋭いものだった。……従歩を射抜いているわけではない。道途にはそれが……近代寺の何かを見透かそうとしているように見えた。真意が気になったため、道途は高野目に訊ねてみた。
「その、高野目さん」
「なんだい?」
穏やかな微笑を以って顔を道途へと向ける高野目。
「近代寺とかいうやつも魔獣喰らいなんでしょうか」
しかし――
「いいや、彼女はただの人間だよ。恐るるに足りない――とても矮小な、ね」
その目を見た道途は、味覚ではなく、より根源的で直接的な恐怖感を抱いた。大穴を見た高野目は、それ以前よりも遠くに目線を合わせることが多くなっていた。道途はそこに恐怖を覚えたのだ。
幕間・三、了。
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