第7話「無貌の荒野」

 〈えびえび飯店〉の扉を開けると、聴き馴染みのありすぎる鈴の音がカランカランと鳴り響いた。


「いらっしゃいませー……って風見鶏さんと近代寺さん? いやぁびっくり。まさかお二人がご一緒だとは」


 厨房から、やはり見覚えがありすぎる店主の海老名が声をかけてきた。全くもって意味がわからない。どういう状況なんだこれは。……いや、なのか?


 周囲を見渡してあることに思い至った俺は、足早にカウンター席へ足を運んだ。


「あはは、宇井座側からでもカウンター席に座るのねー」

「馴染みの席だからな。……それより海老名」

「はい?」

「二人称的な生き方ってのは、こういう意味だったのか?」

「ええその通り、大正解!」

 微笑みを伴いながら、海老名は答えた。


「……?? あのー、お二人は一体何のお話をしていらっしゃるんですか?」

 やや遅れて近代寺がカウンター席にやってきた。表情には混乱の色が見て取れる。仕方がないので簡単に解説することにした。二人称的な生き方については、近代寺への説明が難しいのでひとまず置いておく。


「近代寺。俺は海老名の店の常連だ、自分で言うのも何だがな」

「ええ、それは理解しました」

「でだな、俺は芸都に住んでいる。基本的に活動エリアも芸都だけだ」

「はい、まあそれも理解していますけど」

「だからつまり、俺は芸都にある海老名の個人経営店〈えびえび飯店〉の常連ってわけだ。そして今日は定休日ではない」

「ええ、はい。……うん?」


 近代寺が混乱し始める。俺の発言内容自体は理解したが、それが現状と矛盾していることにエラーを起こしかけているのだ。もちろんエラーは例えではあるが、だが海老名のやっていることがバグ技めいているのであえてそう例えさせてもらった。


「ちょっと待ってください風見鶏さん。海老名さんはじゃあ、双子の姉妹がいるとでも言うんですか? じゃないとここに海老名さんがいらっしゃる説明がつかないですよ」


 あり得る話ではある。俺だって最初はそう思った。……だが、俺はあることに気がついた。


「それがだな、向こうの――つまり俺たちが入ってきた方とは逆側の――扉を見てくれ。それからガラス越しに見える外の景色をな、さらにじっくりと見てくれ」

「はぁ、どれどれ――えぇっ!?」


 近代寺が思わず声を上げる。俺だってクールダウンを心がけていなければもっと大袈裟なリアクションをとっていたかもしれない。それほどの光景が向こう側に広がっていたのだ。


「近代寺。……? 何しろ芸都タワーが見えるからな」


 全長千メートルの電波塔は、方角さえ合っていればどこからでも見られる。とはいえそれは芸都やその近隣都道府県に限った話である。芸都からはるか西の、ましてや山間の村から見えるものではない。


「これは……もしや時空歪曲!?」

 咄嗟に構える近代寺。冷静な君は何処へやら。一番落ち着いていないのはお前さんじゃないか。


「あー、それなんだが、海老名に限ってそれはない。これが海老名の力……というか在り方なんだ。だからもちろん先鋭列車的な利用もできない」

「えぇ……でもこれどう考えても時空歪曲ですって……規模が大きすぎる上に魔ッチの反応ないですけど……」


 屋内で魔ッチを擦りながら近代寺が言った。どう見てもマッチなので怪しくはないが(ただし黒コゲに見える)、暖房の効いた屋内でマッチだけを取り出している様はよく分からない姿に見えなくもない。

 ……ともかく、魔ッチから出たノイズ炎は周囲のノイズに反応してゆらゆら揺らめくそうなので、今特に微動だにしていないところを見ると本当に時空歪曲ではないことが分かる。まぁ俺は最初からそう言っているのだが。


「まあその何だ。要は〈解析者〉なんだよ、海老名は」

「か――解析者ぁ!? あの伝説の!!? 実在してたんですか!!!??」


 ――解析者。それは類稀なる技能の持ち主。不明物質に触れつつも、それを理解した者。正体不明の概念に、理解可能な形を与える者。海老名はそんな力を持っていたのだ。


「た、たしかに解析者ならノイズ反応なしで魔獣が使うような異能を行使できる……らしいですけど……いやそれにしたってこれは……」


 近代寺の反応はもっともだ。そもそもこの文脈で言う解析者など、近代寺が言ったように最早伝説上の存在とさえ言える。魔獣喰らいはあくまでも魔獣を取り込むことに成功しただけに過ぎない。正体不明を正体不明なまま行使しているということだ。


 ――だが、解析者はそうではない。解析者は、正体不明の正体を解き明かしたがゆえに、その力を完全に使いこなせる存在なのだ。そんな存在、天文学的な確率でしか存在し得ないとされていた。……が、海老名はそんな解析者だったのだ。


「ちなみに俺は、そのこと自体は前から知ってたんだわ」

「知ってて何で言わないんですか!」


 近代寺が大声を出すものの、周りの客はようだ。というか近代寺がここまでこの話題に食いついてきたことに俺は驚いた。


。誰も調べたがらない、誰も食いつかない、誰も聞く気がない。それは海老名がよく分かってる」


 ――そう。どういうわけか、この話題は今まで誰も食いついてこなかった。もちろん海老名が言っても同じ結果である。


「風見鶏さんの言う通り、私のこの能力は、誰も興味を示さないのよー。風見鶏さんのお師匠さんは『常人が理解できる範疇を超えているだけ』って言ってたけどねぇ……」

「な、なんのこっちゃって感じです……」


 尚も混乱する近代寺。まぁ気持ちは分からないでもない。解析者というのは、俺の師匠でさえ匙を投げるほどの超規模能力者らしいのだ。だから、時空歪曲無しでバグ技めいたことができるのも納得せざるを得ない。


「あー近代寺。余計に混乱させて悪いんだが……」

「ひー、ここと芸都に〈えびえび飯店〉がある理由ですよね!? ちょっとそれは後でもいいですか!??」

「そうだな、やっぱその方が良さそうだわ」


 近代寺に今必要なのは説明よりも食事だろう。そういう意味では慣れたカウンター席に座ることができたのは俺にとって僥倖であった。


「近代寺、アンタは何食べんの?」

「ひー」

「とりあえずクールダウンしよう、冷やし中華とかいっとくか?」

「ごめん風見鶏さーん、冷やし中華は七月からなのー」


 厨房の奥へ向かった海老名が答えた。その辺は季節準拠らしい。どこまでも万能に能力を使うわけではないのが海老名の矜恃なのかもしれない。


「うー、クールダウン、うーん、……じゃあ坦々麺を」

 クールダウンどこいった?

「坦々麺でいいのか? 落ち着けるんか?」

「辛いものが好物なんですよ。だからその方が落ち着くかなって」

「アンタがそう言うならそれでいいか……おーい海老名、坦々麺とちらし寿司一つずつ頼むわ」

「はいよー」


 芸都からそこそこ離れた村にいるというのに、なぜか普段とほぼ変わらぬ食事風景。妙なことになったものである。


 ……にしても、海老名の在り方がここまで広大だったとは。驚嘆すべきところだったのだろうが、不思議なことに妙な納得感を抱いていた。海老名は、そう在って然るべきというか、そう在らねばならないというか。俺自身どうしてそう思ったのかは釈然としないが、それでもその思いこそが真実であると心のどこかでささやき続ける俺が存在している。奇妙な話なのだが、それでもこれは根本的に親しみやすく、そして浸りやすい在り方なのかもしれない。……そのようなことを考えていると、ついついウトウトし始めてしまい――



 ――気がつくと俺は、見慣れた道を歩いていた。


 ……荒野を貫く混凝土の道を進みながら、この茫漠たる大道はどこに続いているのだろうと思いを馳せてみた。周囲を見回しても広がっているのは一面の荒野。遥か遠く彼方には山々が連なっているが、それがここからどれ程の距離なのかさえ判然としない。それほど広大なるこの世界を、俺は歩いている。もうどれほどの時間が経過したのだろうか。まぁそれでも、この道を歩くほかないのだろうが。


 それからも長々と俺は歩いた。じりじりと照りつけていた頭上の太陽は、巨大な積乱雲の到来によって今はちらりとしか見えない。酷暑にしろにわか雨にしろ、どこかに雨宿りできるところがあればいいのだが。そもそも俺は手ぶらだが、これまでどこに泊まっていたのだろうか。モーテルの一つでもあったのかもしれないが、それならば財布すら持ってきていない現状で、一体どうやってモーテルに泊まったのだろうか。というかそもそも、


 ――人工物は今歩いている大道だけなのではないだろうか?


 今まであまり深く考えることのなかった事柄が脳裏をよぎった。……そうだ。ここには人工物が一つだけしかない。混凝土の道を作ることができる程度には拡張性があるというのに、この世界にはそれ以外の人工物が何一つとして存在していない。ある意味ここは、丸裸なのではなかろうか? ここはいったい何なのか。ここはそもそも現実なのか? ここは――


「この世界は――真実なのか?」


 思わず声に出してしまった。だが誰もいない荒野なのだから、独白を口にしても差し支えなどなかろう。これも一種の、自我の発露なのだろう。何もないに等しい荒野を開拓するのに、己が意志を外界へ向けて出力するのは何もおかしなことではないと思い口にした。それは確かに、自我の発露、その一側面と言えるのではないか。それを行ったところでどうなるのかは分からない。けれど、けれど俺は――この荒野に疑問を抱いたのだ。これは、真実の世界なのか? と――。


「然り。むしろ、これこそが真実だ」


 どこかから、何者かの声が聞こえてきた。それは男女いずれの声かも判断のつかない、声ということしか分からない声色であった。どちらでもあってどちらでもない、とでも言うのが適切だろうか? それすら判然としない声だった。


「何だ? どこにいる、お前は誰なんだ?」

 あたりを見回しながら問いかけを投げても、その姿はどこにも見当たらない。だが、声だけははっきりと聞こえた。


「気づけぬだけだ。近くにいる。だが今はまだ分からなくとも良い、お前は近いうちにこの【無貌の荒野】を再び訪れることになる。その時、全てを理解することだろう」


「な――」

 無貌の荒野、それがここの名だというのか。いや、まぁいい。多少は進歩があった。今回はそれで良しとしよう――


 茫漠たる荒野の大道にて。迷える俺は――微かだが明確なる道標を手に入れた。今はそれで良い。それがきっと、俺を次なる場所へと導いてくれると、そう信じられるのならばそれで良い。今は、それで、良い――



「「風見鶏さーーーん!」」


「……む」

 女性二人の声で、俺は目を覚ました。二人はそれぞれ海老名と近代寺。場所は〈えびえび飯店〉。

 ……そうだった。俺はちらし寿司を注文した後ついついウトウト眠ってしまったのだった。……それで、よく見る夢の続きを見たのだ。


「相変わらず寝るの早いねー風見鶏さん」

「ビックリしましたよ風見鶏さん。席座って即スヤスヤスヤァと寝息を立て始めましたよ? リラックスの達人か? 横に座っていた私の気持ちも考えれ?」


 海老名と近代寺からそれぞれ心温まるコメントをいただいた。そうだなぁ、俺ってどこででもスヤスヤ快眠出来るタイプなのかもなぁ。

 それはそれとして料理はまだ来ていなかった。一体どれだけ寝ていたのだろうか。


「海老名。俺、何分ぐらい寝てた?」

「えーと十分ぐらいかなぁ。もうちょっとで料理できるから起こそうということになって今に至る感じだねぇ」

「なるほど、十分か」


 十分のわりにめちゃくちゃ濃厚な夢だった。夢の世界というのは、時間を圧縮できるのかもしれない。案外時空歪曲というのは、そういう脳への働きかけによる能力なのかもだ。


「海老名さーん、風見鶏さんっていつもこうなんですか?」

「うん、わりとそうだね。カウンター席に座ってすぐ寝ちゃいがち」


 キャッキャと女子トーク的な何かが始まってしまった。どうでもよくなってきた俺はもう一寝入りしようかとも思ったのだが、そろそろちらし寿司がやってくるので頑張って踏ん張って起きていることにしたのだった。ここのちらし寿司は、本当に絶品なのである。


「あ、ところで風見鶏さん。今日は海賊からのお土産どうする?」


 海老名の店ではわりと高頻度で出てくる謎の食べ物だが、あれは結局なんなのか。そういやあれの食材や調理法などについて知らないままだった。だが美味いのでいつも食べてしまう。そういうことだってある。


「お、それも付けてくれ。謎フードのまま食ってるけど美味ェからなアレ」

「あれ、風見鶏さんご存知ないので?」

 横の近代寺が何やらしたり顔で口を挟んできた。

「何なのアレ」


「アレは〈/〉ですよ〜」


「――――あー、そういうこと」


 理解できた。俺はそれを……というかそれの名称をのだった。


 数年前に何度か刀の試し斬りを行ったが、やはり派手にやらないで正解だった。俺が生成するあの刀による斬撃は、斬った対象が物体ならその物体を俺の視界から消す。単語ならその単語を俺の視界から消す。俺が同一だと認めれば今回のようにその単語は全て見えなくなる。

 反対に、それぞれ別個体だと認識している魔獣は斬った対象しか消えない。まぁとにかく非常に面倒かつ厄介な刀なのだ。俺があの刀を生成したくないのはそういう理由からだった。


「どうしたんですか風見鶏さん? 急に黙っちゃって」

「ああいや、なんでもねェよ」

「うーん、どうにも引っかかりますね〜」


 そんな俺に対しても一応その単語を無理矢理認識させることができるやつがいる。それが厨房にいる海老名なわけだが――アイツはアイツで、そこに至るまでには計り知れない出来事があったのだろう。詮索することでもないだろうと、深くは訊かないことにしていた。


 ◇


 食事を終えた俺たちは早速調査を始めることにしたのだが……


「近代寺ちゃんはもう知ってたみたいだけど、山の展望台とってもオススメスポットだから行ってくると良いよ〜」


 海老名までもが展望台を推し始めた。なんなんだ? ひょっとして俺と近代寺がカップルにでも見えているのか?


「そのなんだ、デートスポットかなんかなのか?」

「そうそう! 風見鶏さん、結構勘がいいじゃーん。楽しい思い出、作ってこい!」


 なぜかサムズアップをしてくる海老名。……これは本格的に俺たちをカップルだと勘違いしている。


「近代寺、俺らデートに来たカップルだと思われてんぞ」


 困ったね、というニュアンスを込めて近代寺に視線を送る。すると近代寺はめちゃくちゃ顔を紅潮させていた。いや、なんで照れてんの?


「カッ!? かっかっカップルだなんてそんなバカな、カカカップルなんてそんなそういうアレじゃない……アレじゃないじゃないですか!」


 なんでそんな照れてんの? 呼び出したの君だよ?


「ありゃ? デートじゃなかったのか。あはは、私の勘違いだったのね」

「そうだぞ」

「そっそそそそそうなんですよ! その、ハイ、そうです!」


 だからなんでそんなに顔赤くしてんの? なんなら調査内容によってはカップルのふりをすることだってあるんじゃないの?


「まぁそういうこった。俺たち別にカップルでもなんでもないんだよ。俺はただ、ちょっとこの探偵さんの手伝いしてるだけなんだわ」

「ああそういうことだったんね。いやー、風見鶏さんにもついに春が来たかーって思ったんだけど、なんか勝手にテンション上がっちゃってただけだったかー。近代寺ちゃんごめんね、私ったら勘違いで……」

「いっいえそんな! お気になさらず! ほんとマジほんとに!」


 どんだけ緊張しているんだ近代寺。昨日のズケズケさはどこに行ったんだ。……などと考えていてもしょうがない。やることを手早く済ませてしまおう。


「まぁそういうわけだから。ちょっくら調査に出てきますわ」

「いってらっしゃーい」


 というわけで、やたらと顔を紅潮させた近代寺を連れて退店したのであった。


 ◇


「あー恥ずかしかった……」

 出てすぐに近代寺がそんなことを言いおった。


「お前さん、急にどうした? 昨日のあのパーソナルスペース侵入速度の速さはどこに行ったんだ?」

「ひー、普段ならあれぐらい余裕なんですよ? それがさっきはあのような感じになってしまいまして……」


 ……色々と理由を推理してみているのだが、上手く纏まらない。分からないのではなく、候補が多すぎるのだ。そこから遠回しな理由をピックアップすることにした。


「近代寺、ひょっとしてなんだが、その展望台でデートしたことある?」

 すると、近代寺の顔がみるみる紅くなっていった。


「いっいっいい行ってねーし!!」

「行ったんすね」

 よく分かる、実によく分かる。反応があまりに分かりやすい。


「いっ、いいえそのあの、えーと……――ぁぁ、いえ、まぁその、えーと、あります、行ったこと、はい」


 そう言った後やけにしおらしくなる近代寺。アレかもしれない、これ以上は踏み込まない方が良さそうだ。


「悪かった。距離感分かってなかったのは俺の方だな、すまん」

「いやその、そういうんじゃなくってですね……」

「……? いや、いやいい、言いたくないことだってあるさ。俺だってある。すまなかった」


 本心から謝っているのだが、近代寺はよけいに悲しげな表情をする。むむむ、どうしたものか。などと思案していると、


「ああー! 分かりました! 連れて行きますから! 私の過去の話はいいんですよ! 今は今の話をします! ハイ!」

「お、おお。それはそれで頼もしいから助かるが……」

「とにかく! 行きますよ!」


 などといきなり一大決心をしたかのように近代寺は俺の手を引いて走り出した。もうこれ勇気というかヤケクソな気がするが、まぁ悪い方に転ぶやつではなさそうなので良しとしよう。


 ◇


 というわけで宇井座村にそびえるお山を登り始めた俺たちは、無事に頂上の休憩所まで到着した。休憩所は標高三百メートルほどの位置にあり、宇井座村を一望できる。展望台もあるため、そこからなら望遠鏡を用いて更に遠くのものを見透せるだろう。


 ノイズによって移動手段が限られたこの世界において、遠くを眺めることは娯楽でありリフレッシュ手段であり、また――ある種のファンタジーでもあった。そういう世界なのだ。


 ノイズは不明物質が何かしらの物質と融合した存在だ。空に浮かぶ雲とさえも融合し、雨となって大地へと降り注ぐ。上空に存在する不明物質はそれほど多くはないため、大地への影響もそこまで深刻ではない。だが、リスク回避のために飛行機は使われなくなった。上空で飛行機と不明物質が融合しかねないからだ。


 ――そして、不明物質は同じ位置に留まり続ける性質を持つ。つまり先鋭列車は、不明物質の存在しないポイントを高速移動できるという点を以て、移動手段として重宝されるに至ったのだ。


「うーん、今日はいつにも増して良い天気ですねー」


 近代寺が、空を見ながら声を弾ませつつ言った。それがどうにも妙な話だが心地良かった。あまりそういうことは思わないのだが、近代寺の声は比較的安心感がある。そう感じられた。


「元気そうで何よりだよ」

「本気で言ってますかそれ〜」


 からかうような口調で近代寺が返してきた。俺がこういうことを言うのがそんなにも不自然だと言うのか。ひでェ話である。


「本気で言ってんだよ。人の善意はちゃんと受け取ってくれよな。もしお節介だったんならそうだと言ってくれ」

「…………おぉ」


 近代寺は感嘆と思しき声をあげた。マジに意外だったのか。


「俺がこんなことを言うキャラクターに見えなかったのか?」

「ええまぁ正直なところ。……というか口に出すタイプだと思ってなかったです」


 妙な核心をついてくるなこいつ。それに関しては俺だって自分で意外だと思っていたところだよ。なんだかんだ言って探偵を名乗るだけのことはあるということだろうか。直感だけで探偵は務まらないとは思うが、それはそれとして近代寺は、足りない部分を直感によってカバー出来るやつなのかもしれない。


「普段は言わねェよ。なんでか口に出たんだ。アンタにはハッキリ言わないと伝わんねェ……! って深層心理的な何かが俺の中で叫んだのかもな」

「…………」


 どうもウケなかったっぽい。近代寺のやつ無言でひらけた景色を眺めてやがる。クソー、どうしてこんなことに。アレか、伝わりにくい言い回しだったのか。そういうことなのか。


「……近代寺、そのなんだ。俺だってちょっとぐらい場を賑やかそうとか思うわけよ。常にドライなわけじゃねェのよ。だからほんのちょっとで良いから『わーおもしろーい』とか感情乗ってなさげな言い方でも良いからリアクションがほしかったっつーか――」

「風見鶏さん。ちょっと空見てください」


 俺の弁解を遮るかのように、近代寺が強めの口調で俺に促した。近代寺は東の方を指差していた。あの方角は確か――


〝あの星はね――〟

〈/〉

  〈/〉

    〈/〉

      〝あの星は〟

〝星〟


   〝星?〟


 〝どこに?〟


   〝どこに星が?〟


〝そこにあった星は――〟



「――――」

 何かおぞましい感情と光景が脳裏を過ったがどうにか耐えきった。今のヴィジョンは何だ? いや、星に関しては分かる。それは近代寺がちょうど俺に話そうとしていることだろう。


「風見鶏さん。あそこに見えていた星が突然見えなくなったことはご存じですか?」


 ……予想通りだ。――そう、空のあの位置でのみ、星が全く観測できなくなる。あの位置さえ越えれば再び姿を表すが、あの位置だけは観測不能地点なのだ。


「……ああ。数ヶ月前からあのポイントでだけ、あらゆる天体の観測が出来なくなったっつー話だろ?」


 その対象は太陽や月さえも含まれる。消滅したわけではないため、突如暗くなったりするとか気温が下がるとかそういう現象は発生しない。――ただ、あの位置でのみ観測不能となるだけなのだ。

 だが――


「だがよ近代寺。それがどうしたってんだ? 今回の件となんか関係あんのか?」


 そこが気にかかった。もし天体観測不能ポイントが今回の案件に関係していた場合、俺はまんまとハメられたことになる……かもしれない。いや、あくまで予想だが。


「いえ、特には」

 意外にも、近代寺は首を横に振った。顔は俺の方を向いているが、目線の先は空のままだ。


「でも、風見鶏さん。私が思うに――」

「あれは不明物質が視覚情報にノイズを発生させてんじゃないか、とかか?」


 近代寺が目を丸くさせた。やっぱりか。アンタはそう考えているんじゃないかと思ったよ俺は。


「ええまぁ。今はそう思ってます。風見鶏さんも、もしかしてそう思ってたりしたんですか?」

「……いや、そうでもねェかな。単にあんまり考えないでいただけだ」


 あらかじめ考えておいた答えを口にする。俺はアレがどういう状況なのかは既に分かっている。が、言ったところでどうなるのか。解決するわけでもないことをどうしろと言うのか。――そういう意味で、実際俺はあの天体観測不能ポイントについては考えなくなっていた。


「それは残念。あの謎現象については色々な意見を募りたかったものだったので」

「力になれなくて悪いな」

「いえいえ、別に良いんです。今はもっと優先しないといけないことがありますから」

「そうだな、さっさと調査を進めようぜ」


 成り行きとはいえ、今俺は近代寺の助手的なことをしている。何が正しい道かなど分かりゃしないので、俺はただ歩いている。だが無軌道にではない、道の先に何があるのかを確かめるためにだ。あの夢に出てきた荒野だって、きっとそういう所なのだろう。仮にあれがただの夢だったとしても、俺が何かを求めて歩いていることの暗示と思えば多少は前向きになれるというものだ。どれほどの原動力になるのかは分からないが、それでもそれには意義がある、そう思うのだ。


「実はですねここで魔ッチを使うんです」

 そう言って近代寺は魔ッチの箱を取り出した。


「あぁ、なんだっけ。ノイズの強さを測るとかそういう機能だっけ」


 自信満々に近代寺が笑みを浮かべた。なぜか既に勝ち誇っているかのようだ。申し訳ないことに少しだけ滑稽だと思ってしまった。


「ふふふ、いやぁマジですごいですからねこの機能は。何せ周辺にある不明物質の規模と範囲を測定してノイズ炎でミニチュアサイズの再現ができるんですから!」


 要はノイズ炎による一時的な3Dプリントというやつである。魔ッチの上部に3Dマップめいた地形情報が出現するのだ。


 そして、どうも範囲指定はこちらでやらなくて良いらしい。半径十キロ圏内であれば再現できるとのことで、余程の規模でもない限りは再現できるようだ。


「とはいえ、『このお山で魔ッチを使ってはならない……』って私のお爺ちゃんが言ってたんですよね。私の調べによるとここの不明物質は大きめとはいえ七キロぐらいですから普通に余裕だと思うんですけどね」


 いや絶対それ宇井座村の伝承とかそういう類のやつだろ。これがホラーテイストの案件だったら危なかったと言わざるを得ない。というか近代寺はそういう情報ちゃんと俺にも言っておいてほしいんだが。あーしかももう着火準備に入ってやがる。これがホラー案件じゃなくて本当に良かった。それはそれとしてアレな予感はものすごくするのだが――


「というわけでリサーチ済みですから魔ッチ着けますね――ぎゃーーーーーー!!?」


 刹那。ため池めいた図を象ったノイズ炎は、一瞬で魔ッチを消炭へと変貌させた。ほらみろ。


「……近代寺」

 冷めた目で探偵を見据える。迷探偵は今にも泣き出しそうだ。


「ちっち、ちがうんです、ちがうんですよこれは!」

 何が?

 ちがうとは何が?


「普段はこんなことにはならないんですよホントに! ホントったらホント! もっとだだっ広い大穴で試した時もこんなことにはならながっだんでずよぉ!」


 今にもどころか既にびえんびえん泣きながら近代寺が弁解している。いや別に怒ってないしなんなら特に被害なくて良かったねぐらいのレベルなんだが。


「近代寺、手とかヤケドしてないよな?」

「ないでずぅ」


 念のため訊いてみたが、やはり大丈夫なようだ。一安心ということで、話をさらに先へ進めようと思います。


「ちなみにだが、魔ッチのサイズが小さすぎたとかだったりはしないのか?」

 俺の問いに近代寺はぶんぶん頭を横に振った。


「魔ッチはマッチサイズでベストマッチなんです! これでちゃんとマップ表示できる設計なんですよぉ! だからめっちゃイレギュラーなんですよこのケースは!」

「マッチマッチややこしいがニュアンスは大体分かった。もうこうなっちゃしゃーねえし、お前さんのご両親に相談してみようぜ」

「ぐぬぬ、もうそれしかありませんね……はぅ、怒られそう……はぅぅ」


 落ち込んでいる近代寺の肩を優しく叩き、俺たちは〈スナック近代寺〉へと向かった。そして――



「はー!? お山で魔ッチ使ったんか!!? 爺さん聞いたか!!」


「聞いたぞ婆さん!! なんつーことしとんのじゃバカモンがーー!!! この村の不明物質はなァ! 海や空にノイズが発生する前からとうに濃度がバカ高かったんじゃぞァ!!」



 キーンと耳鳴り。隣でおんおん泣く近代寺。泣きのリアクションが大袈裟すぎてなんならもう嘘泣きに見える。

 ……まぁなんというか、宇井座村と不明物質の関係は思っていた以上に根深い話のようである。あと両親ではなく祖父母が出てきた。両親はスナックを営んでいないとのことだ。……とにもかくにも面倒なことになった。しゃあない、俺も真面目度を上げますか。


「……ちょっと失礼。お二人のお孫さんとてそれは承知していました。その上でなお、魔ッチを使わざるを得なかったんです。そこはご理解いただきたい」


 ずいっと前に出て近代寺のフォローをする。相手も近代寺さんなので状況を字で表すと非常にややこしいな……とふと思った。


「婆さん、誰じゃこやつは」

「助手らしい」

「助手? 誰の」

「誰って〈/〉の」

「〈/〉、お前まだ探偵やっとったんか!」

「うえーん、だってちゃんと食べてけてるんだもーん!」


 近代寺家の和気藹々な会話を聞く羽目になった。話が進まないのは困るので、もう一押し俺の方から提案してみるか……。


「あのー、その助手からのお願いなんですけど」

「なんじゃ。今ワシは孫と話をしとんのや。後じゃあかんか?」

「まぁまぁ爺さん。その兄さん、今ずいっと出てきたやろ。その身のこなしでわたしゃ見直したで」


 なんかよく分からんが見直されたらしい。お婆さん的にポイントが高かったのだろうか。


「嘘つけ、婆さんは面食いなだけやろがい」

「……まぁその通りや。でも爺さんのことは顔で選んだわけやない。爺さんの不器用なところがなんやかわいらしかったからや」

「婆さん……!」

「爺さん……!」


 突如お互いの肩を叩いたかと思うとハグをする老夫婦。なんなんだ。ノロケは後にしてほしい。


「近代寺、あの二人いつもこんな感じなの?」

「ええまぁ、はい、そうですね」

「ちょっと部屋の隅にあるカラオケで歌ってて良いか?」

「あぁはい、良いですよー」

「やったー」


 微妙に時間がかかりそうだったので、俺は暇つぶしをすることにしたのだった。

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