第5話「幕間②/大穴」

幕間・二


「で、他に報告することあるでしょ」


 走行中のパトカー。その後部座席に座る道途は、助手席の高野目からそのように訊ねられた。……否、これは最早問いではなく確認であった。まだ本人からは聞いていないだけで、高野目は既に知っていたのだ。――デスライダーとの戦いを。


「……はい。報告が前後してしまい申し訳ありません。今朝、芸都駅前の喫茶店〈ゲートグローブ〉で食事をしていたところデスライダーと名乗る強盗が店を襲撃してきました」

「うん、で?」

「はい、ノイズを確認したためデスライダーを〈魔獣喰らい〉と判定。対象の発言内容および放出ノイズから『脅威』の味を感じたためやむなく撃破しました」

「やむなくかぁ」

「……やむなくです……結果論とも言えますが」


 顔を俯ける道途と対照的に、高野目は笑顔だった。麗かな春のような微笑みだった。


「道途くんは鼻というか舌が利くからねぇ。言いたいことは分かるよ、よく理解できるさ。でも」


 ……道途は素直な性分である。裏表のない実直な性格といえば聞こえは良い。ただ、少しばかりそれが極端でもあった。


「でもあれは『やむなく』じゃないよね、脊髄反射だったよね」

「はい……」


 感情がストレートすぎるのだ。


「君の味覚は過剰すぎる。だからこそ微弱なノイズや発言からさえも『味』を感じられて、なおかつそれが百パーセントの的中率だからお咎めなしであることを忘れちゃいけないよ」

「はい、肝に銘じます……」


 道途は意気消沈していた。どうしようもないほど高野目に心酔しているからだ。今かけている眼鏡だって高野目が選んだものだ。年齢差は高野目が五つ上……と道途は聞いている。道途が二十六歳なため、高野目は三十一歳ということになるだろう。そういうこともあって姉と弟のような関係に周囲からは見られていた。そう、恋愛関係だとは全く思われていない。実際恋愛関係ではない。全くもってそんな感じではないからだ。


「でもえらいよ道途くん。さっきは風見鶏さんを殺さなかった。よく耐えたと思うよ。君は感情からも味を感じちゃうもんね。そのせいで我慢するのが大変なのはよく分かっているさ。だからこうやって少しずつ制御していこう」

「はい……」


 普段の道途しか知らない者は、この光景を見てどう思うのだろう。こういった場に同席した対魔警察は常々思う。道途は芸都警の中でも女性人気が高いという。だが対魔警察に入るとこういった――今眼前で繰り広げられているような――場面に出会さざるを得ない。その時道途ファンはどのような感情を抱くのだろうか。……隣に道途が座っていようともそのような思考が脳裏を過ぎってしまう者は多い。もちろん、その思考から生じた感情もまた道途は嫌でも味わうことになる。道途はそれにも慣れてしまっていた。


「……ところで道途くん。これ要らないからあげるよ」

 高野目は掌に収まるサイズの固形物を道途に投げた。道途はそれが何か投げられる前から理解していた。ノイズ磁針である。


「必要ないですもんね。こんなものなくても、高野目さんは見えますからね」

「だからそのマジックアイテムは、君が好きに使ったらいいよ。風見鶏さんが本当に驚異的な存在となった時は……君の力が必要だからさ」

「はい、あの味は、」

「言わなくていいよ。分かっているからね」


 高野目が有無を言わせず遮った。高野目は理解しているのだ。風見鶏の能力を。風見鶏本人すら把握できていない、能力の全貌を。


「それより、煉獄部隊とは連絡取った?」

「はい。コンテナ倉庫への道中で既に話は通してあります」

 話が変わったが、道途は落ち着いて答えた。基本的には冷静なのだ。


「おっけー。それでこそ道途くんだ。それじゃあ早速、煉獄に行っちゃおうか」


 もとより目的地は、〈煉獄〉と呼称されているエリアの直上に建てられた施設ではあったのだが、基本的にアポイントメントなしでは煉獄そのものには行けない。そのため、比較的優先的に煉獄へ行くことができる高野目が事前に話を出していたのだ。伏線を立てていたのである。それを今回、道途が使ったのだ。


「しかし、どうしてまた煉獄へ行くんです?」

 その施設で行っていることは、基本的に魔獣や魔獣喰らいの死体を煉獄と呼ばれているエリアへ通じる穴へ入れることぐらいである。しかもその担当が煉獄部隊なため、対魔警察の管轄からは外れている。それゆえに、高野目がその施設へ向かう理由が道途には分からずにいた。


「そうだねぇ。ちょっと調べたいことがあってね」

「調べたいこと、ですか」

「うん。なんで煉獄って名前にしたのかなってね」


 そのようなことは図書館あるいはスマートフォン等で調べれば分かりそうなものだが……と道途は考えたものの、高野目さんが直接見に行ってまで調べたいほどのこととなるとそう単純なものではないのだろう――と思い直した。


「あそこはよく見えないからね。カバーストーリーだってあるかもだ」

「カバーストーリー、ですか」


 カバーストーリーにも色々と意味があるが、この場合は『何かを覆い隠すための誤魔化し』と言った意味になるのだろう。道途はそういった裏側の事情はあまり見ないようにしているため、これまではわざわざ聞かないでいた。だが、この状況から鑑みるに今回ばかりは直面せざるを得ないのかもしれない――彼はそう思った。


「高野目さん。その、これもしかしてヤバいやつですか」

「うん、ヤバいやつだね」

「即答ですか……」

「カバーストーリーが本当だったら、という仮定の上での話だけどね」

「裏に何もないことを祈ります」

「ないといいよね」


 そういった会話を交わすものの、道途は概ね予想がついていた。……これは開けてはいけないパンドラの箱であると。もっと言えば、ミミックが宝箱の擬態をほぼ解いている状態であると。道途は高野目の能力を理解している。彼女に見通せない事象など現代において存在しないとさえ言える。その上でなお、煉獄と呼称されているあのエリアだけは彼女でさえ見通せない。これが安心安全案件であるはずがない――道途はそう判断したのだ。


 そして、緊張感を漂わせながら――彼女らを乗せたパトカーは目的地へと入っていった。


 ◇


「お疲れ様です」

 職員の挨拶に笑顔で一礼しつつ、高野目は道途を引き連れて煉獄へ通じる扉へと歩き始めた。高野目は何かが入った小袋を持っている。道途は獣の味を感じた。


「高野目さん、それは……」

「ネズミだよ。を作ってあるから君ほどの味覚持ちじゃないとそもそも認識できないよ」


 高野目は、小さなものであれば死角を用意できる。自分と、許可した誰か――今回は設定する必要がなかった――以外は対象物が視認できなくなるのだ。それもまた、高野目が魔獣を喰らったことで手に入れた能力であった。


「そこまでして一体何を」

「ただの視察だよ。もうじき煉獄警護の時期でしょ? 先んじて挨拶回りをね」

「――あぁ、なるほど。得心がいきました。今年は我々の班が受け持ちますもんね」

「そういうこと。警護はこのフロアまででいいんだけど、不測の事態に備えてこの奥も見ておこうと思ってね」

「高野目さんがそこまで手を回さないと入れないところですと、その、俺レベルの察知能力持ちぐらい奥で構えているのでは?」


 嫌な予感があったため、道途はそのように訊ねた。それに高野目は艶やかな笑みで答えた。


「心配してくれるなんて優しいね。ネズミのことでしょ? だったら心配いらないよ」


 道途は、ぞわりとした怖気を感じた。自分に対してではないにせよ、底知れない恐怖を一瞬味わった。


「私の推測が正しければ、道途くんみたいなタイプは——

「感覚が鋭すぎるとまずいエリアだというんですか」

「うん。私でもひと月でギブアップするかもね。それぐらい情報量が多い場所だと思う」


 高野目がどういった方法でこのような情報を入手したのかは分からない。だが、高野目が嘘をついていないことを道途は理解した。そういう味がしたからだ。


「高野目さん。それだけの情報を持っているのに、まだ気になることがあるんですか?」

 道途の問いに、高野目は涼やかな笑みを浮かべた。


「当たり前さ。探究に果てはないんだよ。あらゆる手段で情報を集めた結果、ちょっとした仮定や、試してみたいことを思いついたんだよ。今からやるのはそれなんだ」

「……分かりました。高野目さんがそこまでおっしゃるのならば」

 最早止める必要などないと道途は思い、そして決意を固めた。


 ◇


「これは――」

 最奥の扉、その果ての果て。今は高野目と道途しかいない施設地下の巨大洞窟に、それは――そのあまりにも巨大な穴はあった。道途は最初、すり鉢を幻視したがそれでは不十分な想像であるとすぐに感づいた。


「何に見える?」

 高野目の言葉はどうしてか教導的だ。既に答えを知っており、それを道途に考えさせようとしているかのような――そんな口ぶりである。


「そうですね……これは、その」

「そのまま思ったことでいいよ」


 言い淀む道途に対し、高野目は優しく言葉を投げた。……数秒の後、道途は己の答えを述べた。


「これは……『出口』でしょうか」

 完全に直感であった。人一人など生ぬるい。町一つ飲み込みかねない大きさの大穴がそこにはあった。それはブラックホールを想起させるに足る漆黒の闇だ――と、道途はすり鉢のイメージを拭い去った次にそう感じた。

 ……だが、口から出た言葉は『出口』だった。何故その言葉が出たのか、それは道途ですら明確に答えを出せないでいた。しかし、その言葉を発する瞬間においては、道途は少なくともそう感じていたのだ。


「ふふ、『出口』か。『出口』ときたか……くふふ」

 何がおかしいのか、高野目が笑い始めた。途端、道途は羞恥心を抱き居心地が少しばかり悪くなった。


「高野目さん……違うんです、違うんですよ。俺だって何やらよく分からない内にフィーリングで言ってしまっただけで、その」


 恥ずかしさのあまりしどろもどろな回答をする道途の顔は真っ赤になりつつあった。それを見た高野目は、更に笑いの度合いがエスカレートしそうになったがどうにか堪えた。


「ごめん、ごめんね道途くん。今笑いがエスカレートしかかった点についてはまあ確かにツボに嵌りかけたからなんだけどでもその直前の笑いは愉快だから笑ったわけじゃないんだ」


 早口で答えていることに気づいた高野目は数秒間隔を開けてから再び口を開いた。


「私とほぼ同じ……だけど正反対のことを、君は考えていたんだよ。それがちょっぴり嬉しかったんだ」


 嬉しそうに笑いかける高野目の姿に不意打ちめいた可憐さを見出した道途は、その感情の直撃を受け一瞬だけ心が硬直したがどうにか立て直した。


「それは何よりです。……ところで、ほぼ同じにして正反対……とはつまり、高野目さんはその大穴を『入口』だとお考えになられたということでしょうか?」


 道途の質問に、高野目は上機嫌で「正解」と答えた。

 その声色はまるで春風のようだ――とはその声を聴いた道途の感想である。


「私はね道途くん、この大穴はどこか別の世界に通じる門だと思うんだ。だから入口だと思った。――けれど、道途くんは出口だと思った。同じようでいて、その実、感じた時の立ち位置はまるっきり逆なんだよ」

「それは――」


 道途は何も言い返せなかった。自分自身で出せずにいた根拠が、高野目の言に全て含まれていると思ったからだ。それほどまでに、高野目が口にした根拠が腑に落ちたと言うことだ。


「どちらが正しいんだろうね。……いや、どちらが正しいかなんて今は分からないか。私たちの立ち位置すらこれが正解か分からないんだから。だから自分にとってあの大穴が何なのかさえ答えが分かれる。主観はあちら側? それともこちら側? そんなの、すぐハッキリすることじゃない」

「高野目さん?」


 高野目の様子が少し妙だと感じた道途は彼女の名を呼んだ。


「――あ、ごめん、ありがとう。……やっぱりここは得意じゃない。過剰に


 高野目は目が良い。その視界は世界を見透す。だからこそ見えなかったこのエリアは奇妙であり、同時に興味の対象であった。

 ……だが、煉獄と呼称されたこのエリアは高野目と道途にとって危険極まりない所であった。大穴しかないはずの地下洞窟はしかし――高野目の想定通り尋常ではない気配に覆われていた。それは大穴から湧き出ているかのようだ。大穴に近づくにつれて、気配が色濃くなっていくからだ。


「高野目さん。確かにここは味が濃すぎます。舌がひりついていますから。これ以上この洞窟にいると呂律が回らなくなるかも知れません。そしてそれは」

「ああ、私の目にも同じことが言えるだろうね。……だから手早く済ませるよ」

 なんとかそう言って、高野目はネズミを取り出した。


「ねえ道途くん。この大穴は、ノイズに塗れた存在にとっての煉獄なんだろうね。表向きにはただの処理場とされているけど、それならわざわざ煉獄なんて大層な名は付けないだろう。……でもここには付けたんだ。何かそれらしい名を与えないとまずいんだろうね。少し見えたよ」

 ネズミを放り投げながら、高野目は続けた。


「ここはあらゆる情報がうずもれた大穴なんだ。といってもただの情報じゃない」

 ひらひらひらりと、ネズミが舞った。


「ここに捨てられているのは、もう存在しないとされたものたちの残骸だ」

 宙を舞ったネズミは、勢いを失い穴へと落ちていく。


「だとすれば、通常ここに投げ込まれない存在は……『まだ生きている存在』は、ここに落ちた時どうなるんだろうね」


 生きたネズミは落ちていき、そして見えなくなるだろう。道途はそう思っていた。だが――


「な……」


 ネズミは舞い戻った。何も変わらぬ姿で。

 ただ一つ変わったところがあるとすれば……


「ネズミが、もう一匹ついてきた……?」


 驚愕する道途。無理もない。この場にいなかったはずの、二匹目のネズミが突如として現れたのだから。

 だがしかし、道途とはうってかわって高野目はどこか嬉しそうに微笑んでいた。


「ふふ、なぁんだ。正体、ちゃんとあったんだね」


 このエリアで多くを見た高野目は、己が疲労困憊であることを忘れるほどに心を昂らせていた。


「道途くん。その二匹、二人で飼おっか」

 蕩けた笑みで、彼女は言った。


幕間・二、了

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