第10話

潮騒が聞こえる。


5月に入ったばかりの風は生暖かい。

温かい風に混じって、時折、冷たい風が混じる。

浜へと降りる階段に腰をかけて、呼び出した人物を待った。

空を見上げれば、白い薄雲が水平線に所々ある程度。

透き通る青く澄み切った空に太陽が容赦なく照り付け、目を細めた。

浜には、犬を散歩している人や、老夫婦に恋人と思われる男女が手を繋ぎ歩いている。夏になれば、多くの人が海水浴を楽しむために訪れ、車や人で賑わう場所も、シーズン前は静かなものだった。

打ち寄せる波の音。

風が吹き付ける音。

車やパイクの音。

鳥の声。

その音に混じって、駆けてくる足音が聞こえてきた。


テンポのよい音。

その音は段々と大きくなり、やがて、聞こえなくなった。

「ま、待った?」

息が荒いままに問う、その声は、深く心地よい。

「いや。大丈夫だ。それより、急かしたみたいで悪かったな」

腰を上げて、荒い息を繰り返している方へと体を向けながら言う。

「湊大に会えるなら、どこにいても飛んでくるよ」

「なっ」

ニカッと笑いながら、サラリと言う言葉に、ついつい反応してしまう。


何度聞いても、慣れない。それに、こんなストレートな言い方はできない。それを、自然にする葛木は凄い。

言葉に困っていると、棒立ちになっている俺の横へ移動し、階段に腰を下ろした。

そして、俺を見上げながら「座れよ」と、促した。

「ああ」

スムーズに動かない体を無理やりに座らせる。

座ると、階段の石畳に置いた手と、奴の置いた手が微かに触れ合う。

一瞬、手を引っ込めそうになった俺の手を素早く掴み、そっと握り込んできた。

隣を見ると、いたずらっ子のような顔が俺を見ていた。

周りにバレやしないか、ひやひやするのと同時に、そのまま手を離さないで欲しい気持ちもあった。

握り込まれた手が汗ばむ。

鼓動も飛び出るほどに早い。

俺を見る奴の目から逃げるように、顔を背けると白い泡の波へと目線を移す。

太陽で白く煌めく水平線を見ているうちに、鼓動も落ち着いてきた。

チラッと横目で見た途端、手の甲に口づけられた。

「お、おい!」

思わず手を引っ込めた。

周りを見渡すと、幸いにも誰もいなかった。

ホッと息を吐くと、軽く笑い声が隣から聞こえてくる。

「なんだよ。気にしちゃ悪いかよ」

頬を膨らませると、指でつつかれた。

「いや、悪くないさ。湊大がいつまでもそのままだといいなと思って」

「なんでだよ?」

「一人占め感」

「何の?」

「内緒」

「はあ?」

満足そうに笑う奴の言う事はよくわからなかった。

なのに、葛木の笑みを見ているだけで許してしまうのは惚れた欲目かもしれない。

奴の笑みにつられて笑うと、奴は目を細めた。

包み込むような笑みに、胸がつまりそうだった。

潮騒の音だけが聞こえる。

このまま時が止まってしまえばいいのに。

この笑みごとどこかへ保存できればいいのに。

「好きだ」

「俺も、好きだ」

口をついてでた言葉をまるごと抱きしめてくれるような、声音。

空を見て、水平線を見て、また、奴を見る。

愛おしい目で俺を見る。目線が交差し、からめとられる。

「どこへも行かないで」

「ああ」


あとは、ただ、隣に座る葛木の体温を感じながら、潮騒の音を聞いていた。

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