第9話
仕事が終わった後の、ゆっくりとした一時。
ホッとする時間。
片手にコーヒー、もう片手に文庫本を持ち、ソファに腰かける。BGMが流れる室内は、白く明るいブルーライトから、温かみのあるオレンジ色へと変わる。
窓の外は、街の明かりだけ。
入れたての熱いコーヒーを一口すすり、目で文字を追う。
そんな中、チャイムが鳴った。
せっかくの一時を壊された少しの苛立ちと、もう夜の九時を回ろうとしてしているこんな遅い時間に誰なのだろう、という疑問。
けれど、もし来るとしたらアイツしかいない。
その人物を思い浮かべ、胸の内がざわつく。
コトリとテーブルにコーヒーと本を置き、入口へと向かう。
扉を開けると、灰色のTシャツに黒のスラックスという、シンプルな出で立ちで立っているのは、やっぱりアイツだった。
「なんだ、こんな時間に」
一オクターブ声が低くなる。
彼は、俺の声にも気を遣うわけでもなく、へらっと笑った。
「会いたかった」
ストレートな言葉に、息が詰まりそうになる。
「ま、まあ、入れよ」
滑らかにしゃべれず、どもる。
扉を閉めた瞬間に、後ろから抱きすくめられた。
首筋に吐息がかかる。
「明日は?」
耳元に囁かれる声は甘く、全身に痺れが走る。
身をよじり、彼から逃れようとすればするほどに、きつく抱きすくめられる。
「しゅ、……出勤だよ」
自分の呼吸が乱れている羞恥に、顔に血が昇る。
首筋にあてられた唇が熱い。
首をよじり、彼の顔を力一杯押す。
巻き付いている筋肉質の腕を掴み、隙間を作ると、なんとか彼から離れることが出来た。
リビングにもどる頃には、汗だくになっていた。
「コーヒー、俺にもくれ」
彼は悪びれることなく、来た時と同じ、にこやかな顔で言う。
「勝手はわかってるだろ。欲しいなら、自分で入れればいい」
上がった息を戻すために、深い息をはいた。
「つれないな」
「来るなら、来ると連絡が欲しい」
彼から顔を背ける前に、グイっと顎を持たれ、彼の顔が目の前に迫る。
そして、彼の目が、スイっと細められる。
「急に会いたくなった。けど、すぐに帰るさ」
「じゃあ、今すぐに帰れ」
「冗談だ。しばらくいるよ」
彼は、顎から手を離すと、軽く口づけてきた。
チュッと音がする軽いキス。
離れた瞬間、足りない。
そう思ってしまったことが悔しかった。
手を伸ばし、彼の首に腕を回す。
「帰れなんて嘘さ。一緒にいてくれ」
「ああ」
唇が重なり、口の中に彼の舌が入ってくる。
体が火照る。
息が続かなくなった頃、体ごと彼から離した。これ以上、くっついていると、もう、止まりそうになかった。彼を見ると、頬が染まり、目元が下がっている。
「コーヒー淹れるから、座っててくれ」
「なんだよ、しないのか?」
「夜は長いさ」
彼は、俺のおでこに口づけた後、
「そうだな」と、笑った。
その笑顔は、俺が最初に惚れた笑顔だった。
コーヒーの匂いが立ち込める部屋に帳がおりる。
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