桃源郷で今日、なにする?番外編
寺田りょたろ
小話 元旦の夜に
※こちら時空列を一切無視したおまけマンガ的小話になります。本編とは概ね関係ありません。
とある年の元旦。前日の夕方から降り始めた雪は、日付が変わる頃には膝が埋もれるぐらいに積もっていた。
妖獣保護センターでは、運悪く雪で帰れなくなった職員と、夜勤に当たっていた者が雪かきに追われていた。と言っても、夜勤の職員は寒さに弱い妖獣の世話が優先となるため、他の職員と一部の保護生物などが雪かき担当である。
「ううー!さっぶ!さっぶ!!」
中庭の通路の除雪を終え、スイは慌ただしく室内へ戻った。天明もいつも通り後に続くが、スイと違って寒がる様子は一切ない。この程度の気温なら寒さすら感じていないのだろう。スイは一瞬羨ましくも思ったが、すぐにそれが原因で何度か死にかけたことを思い出し、ぶるぶると頭を振った。その振動で頭に積もっていた雪がパラパラと廊下に落ちた。
「雪が降ると廊下も冷えるよなぁー……。ほら天明、しゃがめ」
「ん」
天明が言われるがままにスイと同じぐらいの目線までしゃがむと、スイは天明の頭や肩についていた雪を払い落とした。これも放っておけば、天明の発熱能力で溶けてすぐ蒸発するだろうが、世話焼きはスイの癖のようなものだった。
(……雪がこんなに積もっても気にしないのは、出会った頃から変わらないな。コイツ)
あらかた雪を落とすと、スイは中庭へ視線を向けた。暗くてよく見えなかったが、最初に除雪をした場所はもうすっかり新しい雪で覆われており、それを見たスイは努力を大自然に笑われたような気がして大きく肩を落とした。
「こりゃあ、朝には元通りになってるな……。朝……あ、そういやいま何時だ?」
そこでようやく今が何の日なのかを思い出して、スイは自室に戻った。相変わらず立て付けの悪い扉を、掴んだコツを用いて最小限の音で開き、時計を確認する。
「あー……。日付変わってる。天明、あけましておめでとう」
「……?」
「新年。ほら、一月一日。旧正月はまだ先だけどさ」
「……ああ」
少し時間をかけて理解したのか、天明がスイに向かって拱手で挨拶した。実のところ、握る拳が逆ではあったが、天明にはもとより性別はないし、なにより『あの』天明が作法を思い出してくれたのが感慨深く、スイは小さく笑いながら同じく拱手礼で返した。
「今年もよろしくな」
「うん」
挨拶もそこそこに、雲中子へ作業完了の報告をするために二人は外套姿のまま一棟へ移動した。
当世の病院風に建築されたこの建物は、古代の建築様式で作られていないぶん手入れは楽だが、冬はとても寒い。妖獣の保護エリアは空調はきいているものの、こういった従業員が使う通路や物置などは、遮るものがほとんどないため何処からか入り込む風がダイレクトに当たって骨身に染みるほどに寒い。
報告ついでに食堂で茶でも飲もうかと考えながら歩いていると、ふと香ばしい匂いがして、スイは足を止めた。一歩遅れて背後にいた天明も足を止める。
「……鶏ガラスープの匂いだ!」
匂いの正体に気付くと、スイは目を輝かせながら早足で再び歩き出した。この寒さの中でこの匂いを嗅いでしまうとなると、発生源に向かいたくなるのはどうしようもない人間の性である。
辿り着いたのは、行こうと思っていた食堂だった。扉の向こうから、なにやら和気藹々とした声が聞こえてくる。スイはかじかむ手でガラガラと扉を開けた。
そこには何人かの夜勤組と、取り残され組の職員がいくつかのテーブルに分かれて談笑に花を咲かせながら、何かを美味しそうに食べている風景だった。室内は廊下の温度が嘘のように暖かく、スイは迷惑にならないよう静かに外套を脱いだ。
「あ、スイさん、天明さん!お疲れ様です。あけましておめでとうございます!」
聞き慣れた声に呼ばれ、ぱっと振り返った。張景が厨房から手を振っていたのだ。スイはその笑顔になんだか安心して、張景の元へ向かった。
「景くん、あけましておめでとう。なにしてるの?」
「あはは……。最初は玄関の除雪を手伝ってたんですが、話の流れでみなさんのご飯を作ることになりまして……」
張景は運が悪いことに取り残され組として玄関周辺の雪かきを手伝っていたが、誰かが『あったかいものが食べたい』とボヤいたところそれがほかの職員へ伝播し、深夜まで作業する先輩達を労ろうと夜食作りに立候補したそうだ。
「餃子?」
「はい。鶏ガラが大丈夫な人には茹で汁でスープを作ってスープ餃子に。スイさんのぶんも用意するので、座って待っていてください」
「やった!ありがとう景くん!楽しみにしてる!」
スイは天明を連れて、上機嫌な様子で空いている席を探しに行った。
張景はスイを見送ると、「よし!」と意気込んで厨房へ戻った。
材料は、なぜか割と揃っていた。里から来た職員がお裾分けで持って来た肉類が冷凍庫にあったし、野菜も『今日ぐらいなら』と妖獣の餌として置いていたものを使ってもいいと所長から許可も貰った。その所長はスイとちょうど合流したようで、報告を聞いている様子だ。
張景は、まな板に被せていた濡れぶきんを取った。そこには餃子の皮の素となる小麦粉生地を丸めたものが、垂直に潰されたような形で寝かされてあった。
生地は小麦粉にぬるま湯を吸収させ、よく捏ねたものである。薄力粉と強力粉の中間のような粉で、餃子に適したほどよい硬さだが、食感よくするにはしっかり捏ねて生地を寝かせることが重要である。寝かせたあとに棒状に伸ばし、均等に切り分けたあとに軽く押し潰したものが皮の素になる。生地は乾燥を防ぐため、なるべく餡を包む直前までは伸ばさないようにしていた。
(スイさんは、なんでも食べるから全部入れようか)
仙道には、教えによっては禁じられている食べ物が存在する。ネギやニラなどユリ科の植物が駄目という場合もあれば、肉類全般が駄目だという場合もある。張景には禁止されている食べ物はないが、生まれた時代や師の教えに基いて守っている者も一定数いるため、それを尊重して餡を何種類か用意したのだ。
ひとつめは、オーソドックスな肉と白菜の餡。ただし豚肉がなかったため鶏肉で代用している。
ふたつめは、豆腐とエノキダケの餡。希望に応じてネギや生姜を入れられるようにしている。
みっつめは、炒り卵と冬山菜の餡。一番差し入れに助けられた餡でもある。
よっつめは、エビと蓮根の餡。材料の関係で、蓮根多め。
先程の生地を手早く綿棒で薄く伸ばし、すぐにそれぞれ餡を包んでいく。準備ができたら沸騰した湯の中に静かに投入していく。餡によって茹で時間は異なるため、時間をずらしてひとつづつ入れ、皮がぷっくり膨らんできたら茹で汁ごと器に盛る。
そこで登場するのが鶏がらスープの素だ。茹で汁にも味がついていることを留意しながら適量を入れて溶かす。最後に彩りとして小口ネギをまぶせば完成だ。
(これをちょっと混ぜるだけで美味しいんだもんなあ。下界の食文化ってすごい)
鶏がらスープの素に感心しつつ、張景は出来上がった餃子と箸を盆に乗せてさっそくスイの元へ運んだ。スイは張景を見るなりぱっと表情を明るくさせた。
「待ってました!」
「うん、お待たせしました。肉餃子多めにしておきましたよ」
「やったー!ありがとう景くん、大好き!」
「大袈裟だなあ」
と言いつつも、自分の料理を心待ちにしてくれたことが嬉しくて、張景の頬はすっかり緩んでいた。スイは張景から盆を受け取り机に料理を並べると、息を吹きかけて少し冷ましてから餃子を頬張った。
「〜〜〜〜〜っ!うまい!景くん、これうまい!」
たまらんと言わんばかりの笑顔で、スイは張景を見上げた。その嘘偽りない表情に、張景は嬉しさのあまり少し得意げに笑ってみせた。
「肉餃子もうまいし……これは豆腐か、うまい!あ、こっちはエビ入ってる!」
しばらく夢中で食べていたスイだったが、ふと箸を止めると器に乗せ、天明の前へ持っていった。
「ほら、お前もひとつ食え」
すると天明は言われるがまま箸を少々不恰好な持ち方で持った。
「え、あれ?天明さんって、食事がいらないんじゃ……?」
張景の言う通り、天明には食事は必要ない。生命維持に必要なエネルギー源が全くもって謎のままなのだ。天明も人の食べ物を欲しがることは一切なかったため、張景は天明が何かを食べるという行為を見るのは初めてだった。
「ああ、その通りだよ。コイツは食べなくても生きていける。でもこれは必要なことだと、オレは思ってるよ」
「必要なこと……?」
張景が不思議がっている間に、天明はツルツル滑る餃子に悪戦苦闘しつつもなんとか箸で摘み、一気に頬張った。
呆気にとられる張景をよそに、スイは天明の反応をじっと見守った。
「天明、どうだ?」
「……弾ける、感覚がある。ほかにも、小さくて、固いもの。外が柔らかい」
「天明さん、それって……」
それはまさしく、スイが与えた海老餃子の『食感』を指していた。スイはよしよしと天明を撫でながら続けた。
「食べる必要もないし、なんなら味もわかってないけどさ、食感ぐらいならわかるだろ?子供が色々なものを触ったり口に入れたりして物を覚えるのと一緒でさ、天明にもいろんなことを体験して、知って欲しいんだ。食事は不要でも、そうやって覚えたことは無駄じゃないだろう?」
「なるほど……。それはそうかも、しれませんね」
「こいつ、こんなんだからさ。少しでも人間の感覚を知っとかないとな。何がどんな食べ物だとか、噛んだり握ったりするときの力加減、基本的な作法もそう。まだ怪しいところだらけだけどな」
「……それって、どれぐらい続けているんですか?」
「出会ってから、ずっと」
「ずっと……」
張景は驚いた。天明と出会ってからしばらく経つが、それなりに話すようになった今でも会話が噛み合わないときもあるし、なにより本人はかなり抜けているところがある。それは『人間ではない』ための認識の違い故だと理解しているが、スイはそれをなんとか『学習』させようと何十、何百年と続けていたと言うのだ。
しかもかなりの年月を費やしてこの様子なので、ここまでできるようになるまで相当苦労したであろうことは想像に難くない。
「……大変だったんですね……」
「大変だったけど、天明の頑張りの結果だから」
「大変……だったん……ですね……」
「含ませるな景くん、ちょっと怖いぞ」
はっと我に返った張景を、スイは少し苦笑いを浮かべながら見つめた。
(大変だった、か。うん。大変だった。でもこれは、オレが責任を取らないといけないことだったから)
と、スイは少し大袈裟にううんと背伸びをした。気が付けば夜もすっかり更けていて、人もまばらになっていた。
「よし、お礼といっちゃあなんだけど、お茶でも淹れようか?働きっぱなしで疲れただろう?」
「え、でもスイさんだって」
「気にしない、気にしない!座って待ってな」
張景を座らせて、厨房へ向かうスイだったが、何か思い出したかのように立ち止まり、一度振り返った。
「景くん、今年も天明と仲良くしてやってくれな」
「は、はい。スイさんも、今年もよろしくお願いしますね」
スイは張景の返事に、一瞬だけきょとんとした顔をしたあと、
「……ああ、そうだな。よろしく」
にいっと、笑って見せた。
桃源郷で今日、なにする?番外編 寺田りょたろ @ryotarone
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