laST はつまりアイツは最高
――そこまでの原稿を読み終えると、ぼくは窓の外を見た。
夜は深く、あたりは静けさに包まれている。
満月が美しい。季節はもう春で、桜の花びらが舞っている。
あたらしい曲がつくれそうな、そんな美しい夜だ。
通りを挟んだ向かいのマンションには真っ暗な窓がならぶ。
その真っ暗な中に光る窓がひとつだけある。
アイツ、まだ起きているな。
「読み終えたよ」ぼくはLINEのメッセージを送った。「嘘ばっかじゃねーか」
LINEの送信先は、「アイツ」だ。
夜野光。
「ええっ。りん君、もう読んだの? 早くない? わたしが何日かけて書いたと思ってんの!?」光から即リプが返ってきた。
「知るかよそんなこと。すぐ読めっつったのそっちだろ」
ぼくがたった今読み終えたのは、『真駒輪廻』の最後を追って、『ぼく』と真駒輪廻のファンである女性が北海道まで旅をした小説形式の「手記」だった。
その内容は、ぼくの一人称で書かれているが、すべてぼくが光に語って聞かせた内容に基づいている。
ただ、とても重要な事実がこの作品ではずっと伏せられている。
夜野光は、いつもフィクションをまるで実話であるかのように書く。
実話だと言って手際よく嘘を混ぜてつくりごとを書くのが、彼女の得意技だ。
「ちょっとそっちいくからー!」光から返信が届く。
窓の外を見ると、アイツの部屋の光が消えた。
ほんとうにこっちに来るつもりらしい。何時だと思ってんだ。
数分後、ぼくのアパートのチャイムが鳴った。
扉を開けると、光がいた。
アッシュグレーのマフラーとライトブラウンのコートをまとっている。
ピンク色に染めたロングヘアはいつ見ても派手だなと思う。
ぼくは光を自分の部屋に招き入れた。
ごちゃごちゃした狭い部屋だが、女の子ひとり招き入れるくらいのスペースはある。
作曲用のMacにYAMAHAの電子キーボードを乗せたデスクが一番幅をとっている。
「早速読んでくれてありがと。でもさ、嘘ばっかってことはないと思うよ。ほとんど、りん君がわたしに聞かせてくれた内容通りでしょ?」
「ぼくが水野さんと北海道まで旅をしたことまでは、あってる。めちゃくちゃ強引に押し切られたんだ。まさかアカウント消したところから、僕の前の自宅に侵入するまでするなんて思わなかった」
「それだけ、りん君のファンだったってことでしょ。ね、真駒輪廻くん」
――ぼく、真駒輪廻は、ボーカロイドを使って音楽を発表するクリエイターだった。
けれど、ある時、誤って不快なノイズが含まれる楽曲をアップロードしてしまったことで、ぼくはたくさんのバッシングを受けた。
バッシングだけじゃなく、愛のある擁護の言葉もあった。
それでも、様々なことばが飛び交うネット上の議論に、ぼくはひどく傷ついた。
どんな有名人になっても、どんな天才と呼ばれても、どんなモンスターと呼ばれても、ぼくは普通の人だった。悪口や中傷に傷つく凡人だった。
そこで、ぼくは「真駒輪廻」という才能をこの世から消そうと思った。
「天才」やら「モンスター」やらと呼ばれる「真駒輪廻」のことが、ぼくは大嫌いだった。
ぼくは、「真駒輪廻」を終わらせる楽曲を制作した。
真駒輪廻の最期を演出することにしたのだ。
「りん君、水野さんには、結局、何て言ったの?」
「正直に伝えたよ。これで最期にしようと思ってたんだって」
真駒輪廻というクリエイターの最期。
けれど。
「ふーん」光はベッドの上に大の字になって寝転んだ。「それでも、結局、りん君はどうして音楽を続けたくなったの? ねえ、りん君、私、そこだけは聞いてないんだよ。だからこんな書き方になっちゃったんだけど」
「そんなことはどうでもいいだろ」
「もう。逃げないでよ。そこがうやむやだと
無邪気に尋ねてくる光。ここまで書いて、一体どうしてわからないのか不思議だ。
光といっしょに砂浜をあるいた想い出。
光とモーニングコーヒーを飲んだ想い出。
光はいつも楽しそうにぼくとの
ぼくはいつも、彼女に刺激され、愛と尊敬を持って音楽をつくっていた。
「ひとやすみしたら元気になっただけだよ」
「しょーもないオチ! わたしがどんだけ心配したか、りん君、全然分かってないじゃん!」
「いいだろ、音楽、続ける気になったんだから」
そう答えると光は急に真面目な顔で、「音楽が好きですか」とぼくに尋ねた。
音楽は好きですか、
人は好きですか、
表現は好きですか、
生きることは好きですか、
悲しいことは好きですか、
寂しいことは好きですか、
夜をひとりで過ごすことは好きですか、
自分のことは好きですか、
私のことは好きですか、
あなたのことは好きですか。
好きですか。
……大好きだ。
きみといる
ぼく自身、誰よりも真駒輪廻のファンだったのだ。
「――そんなことはどうでもいいだろ」
「ずるい。うやむやにして
光は目を細めてぼくを睨んだ。
「いいだろ、次の曲もちゃんとつくったんだから」
そう言って、ぼくは再生ボタンをタップした。
真駒輪廻の
ぼくがつくったとは思えないほど穏やかで、優しい音色のメロディだった。
(おしまい)
うやむや 紫暮(しぐれ) @sixgre
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