第24話

 「ハンベーは人が多いほうが盛り上がるからな」

 少年は優介たちを迎え入れた。ハンベーをしようと集まっているほかの人たちも歓迎している。ほとんどが男子だったが、女子も三人くらいいた。彼女たちはクラスのなかでも男勝りな性格で、口喧嘩で優介はまったく歯が立たないだろう。

 優介は福岡の学校でもハンベーをして遊んでいた。小学一年生のときに上級生のハンベーに混ぜてもらったのが優介にとって生まれて初めてのハンベーだった。最初はルールがわからずボールを追いかけるだけだった。小さな足で必死に飛んだり転がったりするボールを追いかける。

 次第にルールも覚えてハンベーに熱中した。寒い時期は教室や図書館にこもることが多かったが、一年を通してハンベーをして過ごした。

 大久保もいろんな学校でハンベーを経験してきた。学校が変わっても流行はだいたいどこも同じなのだ。どういうわけかある学校で流行ったものが遠くの学校にも伝わって笠ことなることもある。

 二人はハンベーに関してはベテランと言ってもいい。技術があるかどうかはともかく二人の経験年数は今年で六年目だ。

 「ルールは大丈夫?」

 チーム分けが行われ、一緒になった女子に優介は心配された。優介は話しかけてきた女子の顔を見たことがなかった。優介と同じクラスではなさそうだ。同じ学年かどうかもわからない。

 「大丈夫。僕、ハンベーは得意なんだよ」

 優介の言葉は嘘ではなかった。打てば相手の守備が届かないところにボールを飛ばし、守れば簡単なフライはミスをしない。

 大久保は優介の敵チームに振り分けられた。大久保が優介の頭上に大きなフライを打ち上げた。優介は手加減しなかった。友達だからと言って手加減するのは失礼なことだと優介は思った。友達だからこそ手加減しないのだ。優介は空高く落ちてくるボールを見事キャッチした。大久保は悔しそうに地面を蹴ったが、どこかうれしそうだった。

 ハンベーを通して優介たちの交友関係は広がった。普段は緊張して話せなくても、一緒に身体を動かしているときは自然と会話が出てくる。特に同じチームならなおさらだ。「どんまい」とか「ナイス」という声かけを試合の最中に繰り返していると次第にいろんな人と打ち解けてくる。いったん打ち解けてしまえば教室でも気軽に話せるような関係になった。話す機会が増えれば実は気が合うやつだったと気づくこともあって深い話もするようになる。

 優介と大久保はいつも二人でつるんでいたけど、今ではもうクラスの男子全員と話すようになっていた。女子とはまだ壁があるようだがそれは優介たちだけではない。

 休日にはハンベーじゃなくて本格的な野球をすることもあった。優介はグローブを持っていなかったので大久保の父のものを借りて参加した。優介は大久保や新しい友達と遊んでいるときもナギたちのことを忘れてはいなかったけど、せっかく仲良くなれたのだからと考えて、友達との付き合いを優先した。勉強中も、寝るときも、ナギとコジロウのことを忘れることはない。

 家出しているときに出会った友達。優介にとって彼らは特別だから。

 梅雨も明けて夏の暑さがこの町を覆うころ優介は神社を訪れた。もうすぐ夏休みだ。しばらく神社に行っていない。コジロウとは通学中に偶然会うことがあった。通学中なのでゆっくりと話すことはできなかったが、お互い元気に暮らしていることくらいは把握できた。

 優介が最後にナギと会ったのはいつのことだったか。時間がたっているのでまた昔みたいに人間嫌いになっていないだろうか。

 人間の世界では、しばらく会っていない友達と会うとどう接していいのかわからないことがある。成人式を終えて、中学の同窓会に行ったとき、中学時代は仲のよかった友達に話しかけても会話がぎこちなかったり、みょうなよそよそしさを感じたりすることがある。

 ナギは長い時間を生きてきた。だから体感時間も優介とは違う。優介にとって長い期間でもナギにしてみればほんの一瞬の出来事だ。

 優介の祖母の家に行く途中にある石階段を一段上ると別世界に来たように優介はいつも感じていた。一歩足を踏み入れればそこはもう神の領域だからだ。数か月前、少しの時間だが神が目覚めたのでより一層神社の空気が引き締められている。コジロウの話によるとあれから一度も目覚めていないそうだ。

 石階段を上がったところはこの前来たときから何も変わっていなかった。屋根がある手水舎があって、神が眠っている社殿が奥のほうにある。社殿から離れたところにはナギがいた。ナギも何も変わっていない。今日はコジロウも来ていた。コジロウは賽銭箱のそばに腰を下ろしていた。

 「よう、また家出か?」

 コジロウは優介の姿に気がつくと声をかけた。嫌味でいったつもりではない。コジロウはうれしかったのだ。だからつい嫌味に聞こえることをいった。優介もちゃんとそのことをわかっていたので笑顔で返した。

 「今日は遊びに来たよ」

 優介はコジロウのところに向かって走った。コジロウは境内を飛び回って優介から逃げた。鬼ごっこのつもりなのだ。コジロウはどこで覚えたか知らないが人間の遊びを優介と始めた。

 コジロウは低空飛行をして優介が頑張れば捕まえられるように気をつかった。優介と距離を離すとコジロウは地面や木の枝にとまって優介が走って近づいてくるのを待ち構えている。あともう少しというところまで優介が近づくと再び飛行を始めた。

一生懸命に走っても空を飛んでいるコジロウに追いつくのは至難の業だ。優介はあきらめずにコジロウを追いかけ続けた。

 コジロウは優介から逃げるのは余裕そうだ。優介がコジロウに追いつくのは無理だと思ったとき、急に向かい風が吹いてきてコジロウの羽ばたきが一瞬弱くなった。優介はこのチャンスを見逃さなかった。向かい風にあおられているコジロウの進行方向に急いで回りこんで、行く手を阻んだ。

 鬼ごっこは優介の勝利だ。コジロウは悔しそうに「じじい、余計なことするなよ」といった。

 「わしは何もしておらんよ」

 ナギはいうこととすることが一致しないことがよくある。実は優介たちの鬼ごっこにも介入していたのだ。ナギは風にコジロウを邪魔するようにとこっそり頼んだのだ。風は鳥たちが飛ぶのを手助けする。ときにはうわさを風に乗せていろんなところまで運んでいく。いつもは鳥の味方の風が、今回は優介の肩を持ってコジロウを捕まえる手助けをしたのだ。

 ナギは優介に久しぶりに会うのに変なよそよそしさはなかった。いつもと同じように優介と接した。優介はナギにずっと会っていなかったのでどんな声かけをすればいいのかわからなかった。ひさしぶりといえばいいのか、元気してた?と体調を気づかえばいいのか迷っていた。

 ナギの態度が以前と何も変わっていなかったので優介は安心した。実際はナギがよそよそしいのではなくて、優介のほうがよそよそしかったのだ。でもナギのいつもと変わらない態度が優介を安心させ、よそよそしさを取り払った。

 「この前は葉っぱをくれてありがとう。おかげで大久保と仲直りできたし、お母さんは朝ごはんをつくってくれたよ」

 優介は説明を省略しすぎた。ただの葉が仲直りの手助けができるわけがないし、母親に料理をさせる力があるはずがない。それでもナギとコジロウはそうかそうかと優介の話を満足そうに聞いた。優介の話からは状況がよくわからないけど、とにかくナギの葉が役に立った。葉を送ったナギも、届けたコジロウも自分の働きが無駄ではなかったとわかってうれしかった。

 「学校は楽しいか?」

 コジロウは鬼ごっこに疲れたようだ。息をはずませながら優介に尋ねた。

 「うん。友達が増えたんだ。今は友達付き合いが大変で、休みも野球に誘われるんだ。なかなかここに来る時間がなかったんだ」

 「別に来なくてもいい。この神社はなくなりはしない。ずっとここにある。お前は人間なんだから人間との付き合いを大切にして生きろ」

 ナギは厳かに言った。本音は毎日でも優介にこの神社に来てほしかった。やっと気を許せる人間に出会えたのだ。参拝客が少ないのでこの場所はさみしい。でも優介が来るとにぎやかになる。話がなくて沈黙の時間があっても一緒にいるだけでナギの心は躍った。

 「そういえば、ナギに話があったんだ」

 「オレも聞いていいのか?」

 コジロウが気をつかって確認した。もしコジロウが聞かないほうがいい話なら席を外すつもりでいた。

 「もちろんだよ。聞いていいよ」

 優介の許可がえられたので、コジロウは再び腰を下ろして優介の話に耳を傾けた。

 「それで、話とは何だ?」

 「昔、ナギに名前をつけた女の子の話なんだけど」

 優介が話を始めたばかりなのにナギは話をさえぎった。

 「その話はいい。聞きたくない」

 ナギは少女に約束を破られて傷ついた過去がある。だから少女の話をされるとそのときのことを思い出してしまって悲しくなるのだ。それでも優介は話したかった。その少女の息子として話す義務があると思っていた。

 「それでも聞いてほしい。聞くだけでいいから。この話をして僕のことが嫌いになったら、もう僕はここに来ない。それでもいいから話を聞いてほしい」

 ナギは黙った。話すなとも話してもいいとも言わなかった。優介はナギの沈黙を話の継続の許可ととらえて話を再開した。

 「あれは僕のお母さんだったんだよ。ナギに名前をつけたのは、僕のお母さん」

 「何だって?どういうことだ?」

 優介の話に反応したのは当事者のナギではなくてコジロウだった。

 「枕元でお母さんが話してくれたんだ。昔、家出してここに来たことを。そのときにナギと知り合ったって。ここにいたらさみしさがどこかに行っちゃって、家に帰ってみようと思ったんだって。家出したのもさみしかったのが理由だっていってた。お父さんとお母さんが離婚しちゃって、お母さんと住むようになったけど、全然かまってくれなかったみたい。でも、ナギと一緒にいてさみしさがなくなると家に帰りたくなったらしい。それでまた来るってナギと約束して家に戻ったんだけど、お母さんと仲直りしたらいつの間にかナギのことを忘れてたみたい。この前、僕を神社で見つけたときに思い出したっていってた。たぶん神様の力で思い出したんだよ」

 二人は黙って優介の話を聞いていた。コジロウはまだ自分が生まれる前の出来事なので、優介の話はおばあさんが孫に語る昔話のように聞こえた。

 「そうだったか。お前の母親が。大きくなったな。気がつかなかったよ」

 ナギはやっと口を開いた。確かにあのとき少女は約束を破った。でも、それは自分の生活に戻ったからだった。ナギも少女がいつまでも家出を続けることは望んでいなかったはずだ。悲しかったのは何も言わずに神社に来なくなったからだ。あのとき少女が一言でもあいさつしておけば悲しまずにすんだかもしれない。

 少女が神社に来なくなってから数十年たった今、ナギはやっと少女が約束を守らなかった理由を知った。少女はあれから大人になって、結婚して、子供を一人生んだ。離婚してしまったけど、優介を連れてこの町に戻ってきた。

 ナギの心を包んでいた悲しみはいつの間にか消え去っていた。悲しみの代わりに今度は喜びを感じていた。優介の母はもう自然の声を聞くことができない。でも、大人になった優介の母を一目見ることができた。そして、優介と出会うことができた。優介との出会いがナギの悲しみを喜びに変えるきっかけになった。

 「僕、これからもみんなの声が聞こえるように頑張るよ」

 優介は自分の思いを二人にいった。

 「みんな?」とナギが尋ねた。

 「みんな。人も、ナギも、コジロウも、みんなだよ。でも、これからはもっと耳を傾けようと思うんだ。もっと、みんなの声を聞きたい。なかなか人に気づかれない声も聞きもらさない」

 「そうか。だったらわしの葉をお守りにするといい。葉はいくらでも生えてくるから何枚でも持っていきなさい」

 ナギは風に頼んで優介の両手におさまりきらないほどの葉を飛ばした。優介は空から落ちてくるたくさんの葉のなかから一枚選んで手に取った。

 「それじゃオレは羽をやるよ」

 コジロウもナギのようにお守りになる何かを優介にプレゼントしたかったのだ。

 「鳥インフルエンザがこわいからいらないや」

 「オレは大丈夫だって。鳥の友達はいないから」

 神社には三人の笑い声が響いていた。普通の人は優介が一人で笑っているようにしか見えない。でも、優介には二人の声が聞こえていた。一人じゃない。友達も一緒だ。人間ではないけど立派な友達だ。

 よく耳をすませると神社に響く笑い声は三人のものだけではない。かすかに聞こえる声もある。社殿のほうから、くすくすとしのんで笑う声が。

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不思議な声 紫河畔 @kimkim1996

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