第18話

 優介はコジロウを探した。一緒に迷子になったツバメの子を探した仲だ。きっと助けてくれるに違いない。優介はそう思っていたが、コジロウもナギと同じで優介を助けようとはしなかった。

 優介の視線を感じたコジロウは飛び立ってナギの枝にとまった。二人はもう自分を助けるつもりはないんだと落胆した。

 優介はすっかり諦めてしまった。ナギのそばから離れて自分から母のほうへと歩いた。自分を助けてくれないナギと一緒にいるのが嫌になったのだ。ナギといるくらいなら母に怒られて、また今まで通りの生活をしたほうがいいと優介は判断した。そしてもう二度とこの神社に来るものかと思った。

 ナギとコジロウは食べ物を用意してくれたし話し相手にもなった。家出して孤独になった優介の心の穴を埋めてくれた。優介は彼らに友情を感じていたし、彼らも優介をほかの人間と区別して特別な存在だと認めていたはずだ。

 ナギとコジロウは決して優介のことを見捨てたわけではなかった。人間の問題に植物や鳥が積極的に関わるべきではないと二人は思っていた。また、優介がこの状況をどう乗り越えるのか観察することも、優介を助けない理由だった。

 優介は自然の声を聞くことができる。ほかの人間とは違う。特別な人間だ。普通の人間なら、今の優介の立場になったときどうするだろう。母に歯向かうか逃げるかする人が多いのではないか。もしくは従順なふりをしてその場をやり過ごすかだ。

 ナギは少しがっかりしていた。優介は、人間の問題なのにナギやコジロウに助けを求めたからだ。自分の力で何とかしようとはせずに、他者の力に頼ろうとした。困難に直面したときに人に頼ることは間違いではない。しかし、この場合は当てはまらない。人間の問題は人間が、自然の問題は自然が対応するというのがナギたちの考えだった。

 それに反して自然の力に期待する優介はナギたちにとって期待外れだったのだ。

 しかし、優介は前に歩き始めた。自然に頼るのを諦めて自分の力で立ち向かおうとしたのだ。歯向かうか逃げるかはわからない。それでも、歩き始めた姿がナギたちの心を動かし始めた。

 優介は逃げなかった。歯向かいもしない。従順なふりをして、ずる賢くその場しのぎの言い訳や謝罪もしなかった。家出という手段はよくなかったが、目的は間違っていない。優介はそう確信していた。

 母は激しく叱った。優介は顔を上げて、話を熱心に聞いている。反論するにはまず相手の主張を聞くのが礼儀だ。優介はそれをわかっていた。母はそんな優介の態度が気に入らなかった。強い言葉で叱っているのに泣き言を言わないし、涙を見せもしない。反省している様子もない。母は我慢できなくなってとうとう優介の頬を平手打ちした。

 そのときコジロウが大きな声を上げた。

 優介の母は自然の声を聞くことはできない。コジロウの訴えは、カラスが甲高い声で鳴いているようにしか聞こえなかった。しかし優介にはちゃんと聞こえていた。コジロウの友達を思う訴えがはっきりと聞こえた。

 「さっきから黙って聞いていたがもう我慢できん。お前は母親のくせに自分の子供に手をあげるのか?鳥でも自分の子供は大切に育てるってのによ」

 コジロウの感情は高ぶっていた。いつするどい爪やくちばしで母を襲うかわからない。

 「コジロウ、暴力だけはやめろよ」

 黙っていたナギがついに口を開いた。

 「わかってるさ。不要な暴力を行使すれば、オレは人間と同じになっちまう」

 コジロウはそう言っているが感情的になって理性が失われたら、コジロウが自制している暴力が母に向けられてしまう。時間の問題だった。

 とうとうコジロウは我慢の限界に達した。ナギの枝から飛び立って母がいるところに向かって滑空した。

 「やめるんだ」

 「やめて」

 ナギと優介は同時に叫んだ。

 母は急な出来事だったので逃げる暇もなかった。あと少しでコジロウのくちばしが母に届きそうになった瞬間、大きな物体が二人の間に割って入った。

 母は助かった。間一髪のところでコジロウを止めたのはサギのスズキだった。コジロウは止められてスズキに荒い口調で言った。

 「何しやがる。邪魔をするな」

 スズキとコジロウは優介と母のそばでにらみ合っている。自然の声が聞こえない母はこの状況を理解でいないでいた。

 「早く帰るわよ」と母は優介に言ったが、二羽の争いの原因が自分にあることをわかっていたので放置して離れるわけにはいかない。母にはあとで帰るから先に帰るように言った。しかし、母は優介を置いて帰ることもできず、棒のように突っ立っていることしかできなかった。

 「けんかはやめて。優介はそんなの望んでないわ」

 いつの間にかヤクルトが子供を連れてナギの枝にとまっていた。

 ヤクルトに言われてスズキはもとの穏やかな表情に戻った。先ほどの優介の言葉を思い出したのだ。優介は「やめて」と言っていた。優介は争いを望んでいない。

 一方コジロウは相変わらず興奮していた。優介が平手打ちをくらったことがよほど許せなかったのだろう。ヤクルトの子探しで優介とコジロウは親しくなった。仲間から相手にされていなかったコジロウはうれしかっただろう。優介は人間なのに、カラスのコジロウを対等な存在として扱った。コジロウにとっても優介は大切な友達になっていた。その友達があろうことか実の親に暴力をふるわれたのだ。

 優介がぶたれた瞬間、コジロウも自分の頬が痛かった。心も痛かった。コジロウは友達の痛みが自分の痛みのように感じたのだ。

 スズキの身体は大きく力強い。しかしコジロウもそれに負けないくらいのすごみがある。コジロウは身体は小さいがその分機動力がある。総合的に見ればスズキとコジロウの力は拮抗していた。二羽はにらみ合い続けている。優介たち人間は何もできず立ち尽くしていた。

 コジロウがスズキに向かって飛びかかろうとした瞬間、社殿の扉が勢いよく開いた。

 一同は驚いて一瞬固まった。そして、社殿のほうに目を凝らした。

 社殿のなかは真っ暗だった。そこから人影が現れた。背丈は優介よりもはるかに低い。幼稚園児くらいの慎重で、巫女装束をまとっている。長い黒髪は後ろで一本に結われている。

 「お久しぶりです。お元気そうで何よりです。しかしずいぶんと小さくなられましたな」

 ナギが最初に少女に声をかけた。

 「おい、小さいとは失礼なやつだな」

 少女は声が高くて美しい。しかし、舌足らずなしゃべり方なので美しさよりも子供らしさのほうが目立っている。

 優介は違和感を抱いた。少女はナギと会話をしているのだ。それから、母には少女の姿は見えていないらしい。普通、社殿から巫女装束姿の幼稚園児が現れたら驚くなり声をかけるなり反応を示すはずだ。しかし、母は急に扉が開いたことに驚いているだけだった。

 この少女も自然の仲間なのかと優介は思った。母に見えず自分に見えているからだ。

 スズキはゆっくり少女のほうに近づいておじぎした。

 「もしかしてあなたは?」

 スズキはおそるおそる尋ねた。

 「私はこの町の神だよ。神と言っても、みんなに忘れられて長い眠りについてた落ちこぼれの神だけどね」

 少女はスズキに簡単に自己紹介をすると、コジロウのところまで歩いた。

 「お前、さっき人間を傷つけようとしただろ。たとえ正当な理由があっても、お前のなかに強い正義感があっても、正当な暴力なんかないんだよ。友達を大切に思う気持ちは認めよう。だが、それとこれとは別だ」

 舌足らずだが少女が醸し出す雰囲気にはコジロウに勝るすごみがあった。コジロウは縮こまって首を垂れている。

 少女はコジロウが反省したと認めると、今度は優介の母のところに行った。

 「ことの発端はお前だな。自分が何者かも忘れて子供に手をあげるとはな」

 母は少女の声が聞こえない。それでも少女は語りかける。

 「自分可愛さに嘘をついたことも見逃せん。お前がすべきだったのは警察に相談して子供を探すのを手伝ってもらうことだ。でも、お前は自分の家庭の事情を人に話したくなかったんだろう。だから学校に嘘を言って時間を稼いだ。家出までの流れを話せば自分の印象が悪くなると思ったんだろう。学校に気づかれるまでに子供を見つければ何とかなると思ったんだろう。確かに何とかなった。今回はな。もし、優介が事故や犯罪に巻き込まれたり、腹をすかせて餓死したりしたらどうするつもりだった?生命よりも大切なものはない。自分が他人にどう思われるなんかくだらない」

 最後に、少女は優介の母の額を人差し指で軽くついた。

 「お前が何者なのか思い出させてやろう」

 母は額をつかれると、急に何かを思い出したようで、瞳からは涙がこぼれた。子供に涙を見せるのは恥ずかしくて、母は石階段を駆け足で降りて行った。

 「私はこの神社からずっと見ていたよ。ツバメの件は礼を言うよ」

 母がいなくなると少女は優介に声をかけた。

 「いいえ。困っていたから放っておけなかったんです。それに、ナギにはお世話になったから、何か役に立つことがしたかったんです」

 「そうか。素直でいい子だな」

 少女は嫌味で言ったつもりはなく、心からそう思っていた。

 「おい、ナギ。お前は細かいことを気にしすぎだ。人間の問題だからって放っておくつもりだったのか?」

 「それが最善かと思いまして」

 「優介に食事を提供したのは、人間の問題に介入したことにならないかい?それに、優介に迷子のツバメを探させただろう。人間が自然の問題を解決した。だからその逆があってもいいだろう。人間とか自然とかこだわるのは、もうおしまいにしようじゃないか。それに、スズキとヤクルトを呼んだのはお前なんだろう」

 ナギは図星をつかれて黙った。

 優介は一つの疑問があった。いなくなったはずの神がどうして今ここに存在しているのか。

 「ナギはもうこの神社に神様はいないって言ってました。それなのにどうしてあなたはいるのですか?」

 「私は人に信仰されることで存在を維持できる。この町の人間から信仰されなくなって私は一時の間消えていた。でも、去年のある日からこの神社で熱心に手を合わせる少年が現れてな。その少年のおかげで私は復活できた。まだ信仰されて間もないから小さいが、そのうち元の姿に戻れるはずだ」

 少女は話し終わると社殿のほうに歩いて行った。

 「私はもう少し眠るよ。少ししかない力をつかいきってしまった」

 少女が社殿の奥に行くと扉は大きな音を立てて閉じた。

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