第16話

 どんなに長生きして知識があっても、人の心を知るには人とかかわらなくてはいけない。ナギはそれをさぼってきた。人とのかかわりを絶ち自然の世界に閉じこもっていた。たった一度、少女に約束を破られたくらいで、傷つき、心を閉じた。

 ナギは身体を揺らして葉を一枚落とした。そして、落ちた葉を優介のところまで風に運んでもらった。

 風に運ばれた葉は優介の頭のうえにそっと着地した。優介は顔をひざにうずめていたので、ゴミが頭に当たったのかと思った。ゴミを払おうと顔をあげると、頭から一枚の葉がひらひらと揺れながら落ちてきた。今ではすっかり見慣れた葉だった。毎晩優介の布団の代わりになってくれている。

 優介は、葉が地面に落ちる直前に両手で包み込んだ。そしてナギのほうを向いて、心のなかでありがとうとつぶやいた。

 「言ってしまったことはしかたがない。過去は変えられない。しかし、意味を見出すことはできる。お前が友にしたことは、この先どんな意味を持つのか。そして、今のお前にできることは何なのか、ゆっくり考えてみるといい。なんせ、家出中だから時間はたっぷりあるだろう」

 ナギはずっと黙っていたがやっと口を開いた。優介の心に寄りそうほど器用ではないけど、豊富な経験や知識からアドバイスをした。優介はそれを黙って聞いていた。

 優介は足元に何かあると気がついた。これはさっき大久保が給食の残りだと言っておいて行ったものだ。優介はそれを手に取る。透明な袋にカシューナッツが入っている。優介が学校を休んだから一人分余ったのだろう。

 給食のデザートなど余りがでればじゃんけんで誰のものになるか決められる。大久保はじゃんけんに参加してカシューナッツを勝ち取ったのだろう。この神社に供えるために。しかし、大久保はこの神社に何を願いに来たのだろうか。

 優介の祖母の家に行く途中に道からそれたところにある古い石階段。その階段を上った先にあるのがこの神社だ。階段の一段目くらいのところから上のほうを見上げると、薄暗くて、気味が悪い場所だとほとんどの人が感じる。大久保もそうだったはずだ。

 去年この町に引っ越してきた大久保は、友達ができなかったから、夏休みに一人でこの町を探検してこの神社を見つけたのかもしれない。そして、優介に出会うまで時間を見つけては神社を訪れて、自然に囲まれてさみしさを癒していたから、学校で明るくふるまえていた。

 いや、明るくふるまっていたというより、本当に明るくなっていた。学校で優介に接していたときも無理に明るくふるまっている感じはしなかった。自然な明るさだ。新しい学校で友達ができなくても悲観せずに生活していた。

 大久保は優介にない強さがある。生まれつきの強さか、あるいは転校を繰り返すうちに身につけた強さなのかはわからないが、一人でも毎日を明るく楽しむ強さを持っていた。

 明るい人が暗い人より優れているわけではないが、大久保のように転校を繰り返して友達ができずにいると暗い性格になることがある。友達がほしいけどできない。できたと思えばまた転校で新しい学校で一からやり直さないといけない。

 どうせ転校するならもう友達はいなくてもいいと考えて、心を閉ざし誰ともかかわらずに毎日を送くるようにならないか。優介はそうなりつつあった。しかし、大久保との出会いがその流れを変えた。

 大久保の強さは暗い性格になっていてもおかしくないはずなのに、新しい環境に適応して、友達ができなくても、明るく生きていたところだ。何も明るさが強さじゃない。流れに抗う力こそ強さなのだ。

 ナギがふと何かを思い出したようで話を始めた。

 「そういえば、さっきの少年は去年からここに来ていたよ。お前のように自然の声を聞くことはできないが、信心深い少年だよ。一週間に一回は必ずこの神社に来て何かを願っていたよ。神がいなくなったこの神社で願ってもしかたがないと思ったが、あまりの真剣さにわしは何も言えなかった。言ったとしても聞こえなかっただろうが」

 優介はナギの話に興味を持った。優介はナギに話に続きがあれば話してほしいと言いたかった。しかし声を出そうとすると、ずっと我慢してきたものがあふれそうになったので、言うのをやめて歯を食いしばった。

 優介は気持ちを落ち着かせるためにナギの葉を強く引っ張った。確かに、ナギのいう通り縦に引っ張ってもちぎれなかった。若々しい緑の葉はまるで子供のように幼いが、引っ張られてもちぎれない強さがある。優介はナギの葉にはげまされた気分だった。こんなに小さな葉でも力強いんだから、人間の僕が簡単にちぎれてどうすると優介は思った。

 「そう言えば、この前迷子になってたツバメの子は元気に暮らしてるらしい。まだ

うまく飛べないから毎日弟と妹と一緒に飛ぶ練習をしているそうだ」

 ナギは少しでも優介を元気づけようと努めた。

 「サギのスズキは相変わらずのんびりしているよ。来年の正月は沖縄で過ごすと言っていた。わしは無茶はよせよと言ったんだが、どうしても聞かなくてな。のんびり練習すると言っていたよ」

 沖縄までいったい何時間飛んだら着くのかなと優介は思った。優介の町から沖縄まで飛行機に乗れば二時間足らずで到着する。のんびり屋のスズキは二時間では足りないだろう。小川ではのんびりとしていたように見えたけど、本当はすばやくて力強い鳥じゃないだろうか。あの大きな身体や翼からは力強さ、細い足からはすばやさを感じる。小川ではのんびりしていたんじゃなくて、魚を捕るために緩慢な動きをしていたからのんびりしているように見えたのだ。

 ナギはスズキとの付き合いも長かったので、ただののんびり屋ではないことを知っていた。しかし今はあえてそのことに触れなかった。優介を笑顔にしたかったのだ。あののんびり屋のスズキが沖縄までフライトしようとしていると優介が知ったら、きっとおかしくて笑顔になるだろうとナギは思った。

 ナギの努力は少しは実った。優介は声を出して笑いはしなかったが、少し口元がゆるんでいた。

 ナギはこの神社に神はいないと言った。確かに荒れているし、薄暗いところなので神が好むような場所とは思えなかった。しかし、荒れていると言っても廃墟のように荒れ果ててはおらず、たまに管理されているようだ。

 管理されている神社に神がいないとはどういうことだろう。もともといなかったのか、それとも最初はいたがある日いなくなってしまったかのどちらかだ。

 この神社は一応神社の体をなしている。鳥居もあるし社殿もある。手水舎や鈴、賽銭箱もちゃんと設置されている。だからこの神社が建立されたばかりのころは神がいたはずだ。

 それなのに今は神がいない。その理由はお正月にこの神社に訪れればわかることなのかもしれない。神は人の信仰に支えられている。人に信じられ仰がれるから存在することができる。

 この町に今は優介の根城となっている神社のことを知っている人はどれくらいいるだろう。たまに来る管理人と大久保以外はすっかり忘れてしまってそうだ。

 人に忘れられた神は存在できなくなる。ナギのいうようにいなくなったのではなく、存在できなくなった言ったほうがより正確だ。この神社の神はいつまでもこの町にいて、人間を見守っていたかったに違いない。だから自分からいなくなるなんてことはない。またこの神社に信仰が戻れば、きっと神も再臨するだろう。

 優介はナギの話のおかげで落ち着いた。我慢していたものが引っ込んだので声を出しても大丈夫そうだ。

 「神様に会ったことある?」

 優介はここの神のことを知りたかった。ナギの神はもういないという言葉を反対解釈して、それなら昔いた神様はどんな神様だったのかなと気になっていた。

 「もちろん。あいつは神のくせに子供みたいなやつだったよ」

 ナギは当時の神のことを思い出しながら語った。

 「お参りに来た子供が持っていたおもちゃを欲しがったときは苦労したよ。確か竹とんぼだ。あれを作れるのは手先が器用な人間だけでな。いろんな動物に頼んだんだが人間が作ったものみたいにはいかんかった。それで神はいじけてしまって、一週間くらい社殿に引きこもってしまったんだ」

 ナギの口調は子供に自分の若いころの話を聞かせるおじいさんやおばあさんのようだった。苦労したと言っても、そのせいで神を恨んだり嫌ったりしていないことが伝わってくる。

 ナギは話を続けた。

 「でもな、あいつは人間の心にいつも寄り添っていたよ。手を合わせる人間のそばで願い事を一生懸命に聞いていた。人間に神を見ることや声を聞くことはできない。それでも神を信じる人間の力になりたいと言っていたよ」

 優介は真剣にナギの話を聞いていた。一言も聞きもらすまいと集中していたので、頭上に落ちてくる物に気がつかなかった。オレンジ色のやわらかい物が優介の頭に落ちてきた。

 「オレがいない間にずいぶん盛り上がってるな」

 コジロウが戻ってきた。みかんを一個どこからか摘んできて。

 「どこに行ってたの?」

 優介は落ちてきたみかんをカシューナッツと一緒に両手で包んでいた。

 「ちょっとそこまでな。みかんはついでだ」

 コジロウはそう言ったが、みかんはついでではなくて目的だった。コジロウは不器用なりにもどうすれば優介を元気づけることができるのか考えた。カラスはおいしいものを食べると元気がでる。それは人間も同じだろうとコジロウは思って、いつものみかんの木に果実をわけてもらった。

 優介は「ありがとう」と言ってみかんを食べ始めた。

 一房食べるごとに優介がついさっきまで我慢して、やっと引っ込んだものがまた溢れてきた。

 「なんでみかんなんか持ってくるんだよ。目がしみるじゃないか」

 優介は瞳から涙を流して、みかんを持ってきたコジロウに文句を言いながらも食べるのをやめなかった。むしろ、一房食べるごとに口に運ぶ手の動きが速くなった。口ではそう言っても、実はうれしかったのだ。

 友達を傷つけてしまって自責の念に押しつぶされそうなときに、コジロウがみかんをとってきてくれた。このことが優介の涙をせきとめていた堤防を壊してしまった。

拭いても次から次に涙がこぼれ落ちてくる。家出してから我慢していた涙を押しとどめるものはコジロウの優しさが取り除いた。優介はみかんを食べ終わると今度はカシューナッツの袋を開けて食べ始めた。

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