第14話

 自分は子供だから何もわからない。今の優介にわかっているのはこのことだけだった。

 「そういえばおみやげがあるんだった」

 コジロウはおみやげを取りにどこかに飛んで行った。飛び立って一分もたたないうちにコジロウは戻ってきた。大きな足でみかんを二個つかんでいる。

 「腹が減ってるだろう。こんなものしかないけど、よかったら食べてくれ」

 「もしかして盗んできた?食べても大丈夫かな」

 優介はえんりょしているが、おなかがすいているのは本当なのでみかんを手に取って今にも皮をむこうとしている。

 「じじいが用意しているものを食べたなら、今さら気にしても遅いよ。そもそも盗んでなんかいないよ。みかんの木に相談してわけてもらったんだ」

 「でも、そのみかんの木の持ち主がいるわけだよね?その人に許可してもらわないと盗んだことになるよ」

 優介はそういいながらも、すでにみかんの皮をむき始めていた。

 「みかんの木は誰のものでもないよ。お前が、誰の所有物でないのと同じにね。お前のいっているのは人間の勝手だ。人間が勝手に、みかんの木の持ち主になってるだけだよ」

 「そうなんだね。とにかく盗んだものじゃないなら安心して食べられるや」

 優介はすでにみかんを一個食べ終わり、二個目の皮を始めている。。

 「食べることになるとずいぶんものわかりがいいんだな。」といってコジロウは笑った。人をけなす笑いではなくて、冗談をいったり楽しくなったりしたときの笑いだ。優介も一緒に笑った。みかんの甘さも優介を笑顔にするのを助けたのかもしれない。

 優介がみかんを食べ終えるとコジロウはナギの枝にとまった。ナギは追い払おうとしない。寝ているからコジロウに気がついていないのだ。

 優介は神社のなかをいろいろ見て回った。さっきコジロウにいわれたことが気になったのだ。みんなは優介に構わないけど気にかけてくれている。それを確かめたかった。

 社殿の下は暗くて屋根裏のようだった。社殿を支える柱はやわらかい砂の上に立っていた。優介はよく砂の地面を見てみると、逆円錐の形をしたくぼみがあることに気がついた。そのくぼみの斜面を一匹のアリが必死に上っている。しかし、足を前に出しても斜面の砂はくずれ落ちていくのでなかなか上ることができない。優介は心配になって声をかけた。

 「大丈夫?上まで運ぼうか?」

 アリは誰に話しかけられたのだろうとあたりを見回した。頭上の優介に気がつくと「私は大丈夫ですよ」と返事をした。

 優介はくぼみの中心に何かいるのを発見した。「アリジゴクだ」と心のなかでいった。このままではアリが食べられてしまう。優介はいてもたってもいられなくなって、人差し指を差し出した。

 「早く乗って。食べられちゃうよ」

 優介は親切にしてあげたつもりだった。当然アリから感謝されるものと思っていた。

 「それでいいのです。自然とはそういうものですよ。食べて食べられていのちはつながるのです。その流れに介入してはいけません。私はあるがままを受け入れます」

 アリはそういうと歩みをやめた。そして、くずれ落ちる砂の粒子に流されて、くぼみの中心に近づいて行った。

 優介はこれ以上見ていられなくなってその場を急いで離れた。

 優介がアリに声をかけたら返事をしてくれた。それは、優介のことを多少は気にかけているいからだ。優介が目にしたように、さっきのアリは一生懸命生きようとしていた。生きるか死ぬかというかこくな自然のなかで生きている動植物は、コジロウのいう通り優介と話す暇がなかったのだ。

 しかし、これもコジロウのいう通り優介のことを気にかけているから、話しかければ無視をせず誠実に返事をしてくれる。コジロウやナギが平気で優介とかかわりあっているのは、彼らは自然界のなかでも強い存在だからだ。アリたちに比べれば余裕があるのだ。優介はアリの言葉と行動から、コジロウの言葉を理解した。彼らは生きるのに忙しいのだと。

優介は神社の境内で過ごした。ナギはいつの間にか目を覚まして、枝にとまっているコジロウを追い払った。それからコジロウはナギの根元に腰を下ろして休んでいた。

 ナギたちは優介を無理に家に帰そうとはしない。公園で遊ぶ子供を遠くから見守る母親のように、境内で過ごしている優介を見守っていた。学校に行かないと決めたのは優介だ。それをほかの誰かがどうにかすることはできない。優介自身が学校に行くことを決めるまで待つしかないのだ。ナギとコジロウはそう考えていた。コジロウは、カラスの自分が人間の子供を心配していることがおかしかった。

 コジロウはなぜほかの鳥からのけ者扱いされるようになったのか。コジロウはまだ語るつもりはないようだ。この神社にやってくる鳥はコジロウだけではない。今も多様な鳥が木の枝にとまったり境内を歩いたりしている。不思議なのは、彼らは事前に申し合わせたようにコジロウとは一言も口を聞かないのだ。

 コジロウとほかの鳥の違いは何だろう。それは、自分から積極的に人間に関わろうとしている点だ。この点は、あるとき優介を囲んだハトにもいえることだが、ハトはほかの鳥とも仲良くしているはずだ。サギのスズキはどうだろう。彼は優介を拒絶しなかった。しかし、積極的に人間に関わったとはいえない。

 考えるのは、コジロウとハトの、人間に対する関わり方の違いだ。ハトはエサを求めて人間に近寄る。生存のためだ。コジロウはエサのために優介に近づいているわけではなさそうだ。何かを求めることはない。むしろ優介に与えている。二個のみかんと、家出して感じる孤独感に対するほどこしと、自然界で学んだことを。

 コジロウは優介のことを人間としてではなく、一人の友人として接しているのかもしれない。種の垣根を越えて、カラスだとか人間だとか、植物だとか、そんなものにこだわらないで生きているのが、ほかの鳥にとっておもしろくないことなのかもしれない。

 「優介、何してるんだ?」

 しばらく黙っていたコジロウが声をかけた。

 「歩いてるだけだよ。歩きながらみんなの声を聞くんだ。じゃましちゃ悪いから聞くだけにしてる」

 優介はコジロウの隣まで歩いてきて、腰を下ろした。

 「さっきのはあれでよかったのかな」

 コジロウは優介が何の話をしているのか考えた。優介がかっとうするような出来事はあっただろうかと。少し考えて、ああ、あれかと思い出した。

 「アリはあれでよかったんだ。あいつもいってただろ。あるがままを受け入れるって。だから気にするな」

 「そうだけどさ」

 優介はあのときの自分の選択はまちがっていなかったのか悩んだ。悩んでいる優介にナギが語りかけた。

 「優介。コジロウのいう通りだ。あれでよかった」

 ナギもコジロウと同じ考えだった。優介はナギにいった。

 「死んじゃったのに?」

 「そうだよ。あのアリは理解していた。自分が食べられることを。それが自然の流れなのだ」

 「ナギはもしそうなったらどうする?」

 「受け入れるよ。たとえ自分勝手な人間に切り倒されても。解体されて家の一部になっても。わしはそれを受け入れるさ」

 優介は悲しくなった。優介はナギとも友達になったつもりでいた。友達が切り倒されることになったら、その友達は受け入れるといっているのだ。コジロウもナギと同じだろう。もし本当にナギが切り倒される日がやってきたら、優介はただ見ていることしかできない。木を切りに来た作業員を説得することもできない。そうしようとすると、きっとナギが優介の勇気ある行動をとめるからだ。あのときのアリと同じように。

 ナギの枝は風に吹かれてゆれている。優介と出会ったころに比べて葉が少なくなったような気がする。夜が訪れる度に、ナギは優介のために葉を散らしていたから少なくなって当然だ。今も、疲れて葉の布団の上で横になった優介のために葉の掛布団をつくってあげたのだから、さらにナギの枝はさみしくなった。

 優介はそれからしばらく眠った。最後に湯船に浸かって身体を温めたのは祖母の家に泊まったときだ。それ以来お風呂に入れていないし、やわらかい布団で眠ってもいない。おなかも空いている。眠りは一時の間いやなことを忘れさせてくれる。家出していることもおなかが空いていることも、楽しい夢が打ち消してくれる。

 時間の経過とともに太陽は動いていく。低い所から顔を出して、ゆっくり時間をかけて空の高い所まで昇る。太陽の光が地上を照らしている時間が、ほとんどの生物を活動的にする。太陽が昇り始めたばかりでまだ薄暗い時間になると一番に大きな声を出して起きるのがニワトリだ。

 ニワトリが鳴くと人間も起きてくる。犬と町内を散歩して、朝食をすませると会社に行って夕方くらいまで働く。子供は学校に行って勉強をする。そんな時間に優介は昼寝をしていた。

 コジロウは静かに座っていた。眠そうにしているが、たまに首を動かして辺りの様子をうかがっている。ナギは起きているのか寝ているのかわからない。木には顔がないから表情も読み取ることができない。ナギは口はないけど話すことができる。それなら目がなくてもきれいな夕日や野に咲く花を見ることもできるだろう。今もコジロウと一緒に優介を見守っているに違いない。

 優介は夢を見ていた。コジロウとナギに見守られているおかげで安心して眠ることができたからだ。優介がもともと通っていた小学校は桜ケ丘小学校より大きい。福岡の中心に近いところにあるので児童の数も多いから、必然的に校舎も大きくなった。そこに優介は通っている。六年生は二組にふりわけられていた。

 教室の扉を開けると、昨年一緒だった友達がちらほらいた。しかし、話したことがない人のほうが多かった。優介はその人たちと友達になろうと思った。最初は話しかけるのに勇気がいる。でも、優介は一人じゃない。五年生のときから仲良くしている友達がいる。身近に見知った人がいるから安心するし勇気もでる。優介は勇気をふりしぼって、教室の窓のそばに立っている男の子に話しかけた。彼は外を見ていた。優介が「おはよう」と声をかけると彼はふりかえった。

 彼の顔は優介もよく知っていた。桜ケ丘小学校で友達になった大久保だ。彼も「おはよう」といった。

 優介は大久保の声を夢のなかで聞いた瞬間目が覚めた。身体を起こして、あたりを見渡した。最初は視界がぼやけていたが段々はっきりしてきて、自分は神社にいることを思い出した。そしてあれは夢だったのだと気がついた。あの福岡の小学校の六年生として登校したのは夢だったのだ。大久保が優介を現実に戻してくれた。

 「いつの間にか寝てたよ。今何時?」

 コジロウは優介のそばにいた。優介が目を覚ますと少しうれしそうにしている。

 「カラスのオレに時間はわからない。だが、もうじき日が暮れる時間だ」

 ナギも優介の目覚めを歓迎した。

 「食事を用意したよ。今日は頑張ったからたくさんあるよ」

 ナギの言葉にコジロウがすかさず反応した。

 「頑張ったのはオレだよ。ナギは指示しただけだ」

 ナギの足元には一枚の大きな葉が置かれている。ナギの葉ではない。その葉の上にみかんが五個も置いてある。それに加えてサクランボが三房もある。人間の一食分にしては少ないが、ナギたちが今まで用意したなかでも多いほうだ。それにタンポポの葉がないだけで優介はうれしかった。

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