第12話
優介はコジロウに友情を感じていた。大久保のことを忘れてしまったわけではないが、一緒にツバメの子を探すうちに、仲間からのけ者扱いされているコジロウに親近感がわいて、放っておけなくなったのだ。それに、たくさんのハトに囲まれてどうしようもなく困っているときに助けてもらったことがうれしかったのだ。コジロウにどんな風に思われていようが、自分にとってコジロウはかけがえのない友達になったんだ。優介はそう考えると、思わずほほえんでしまった。
ナギの枝には二羽の小鳥がとまっていた。優介たちが神社に戻ると、その二羽は小さな翼をはばたかせて優介の足元まで移動した。そして、少しだけ身体の大きい方の小鳥が頭を下げて優介にお礼をいった。
「この度はありがとうございました。息子が無事に私のところに帰ってきました。何とお礼を言えばいいのでしょう。人間によろこんでもらえるようなお礼をすることはできないかもしれません」
「お礼はその言葉で十分ですよ。人間は、ありがとうといわれるとよろこぶ生き物なんですよ。それに、息子さんが見つかったのは私だけの力じゃありません。コジロウの協力があってこそです」
「オレは暇だったから優介を見てただけさ。人間がどうやって自然の世界の問題を解決するのか。優介は見事に解決した。たいしたやつだよ」
優介はコジロウにほめられてうれしかった。思えばこの町に来てからほめられたことがなかった。家にいても母は仕事で忙しく、学校ではあまり目立たないので先生から怒られることもなければほめられることもなかった。この町で最初に優介のことをほめたのはコジロウなのかもしれない。
「お礼はまた今度させてください。今日は家に帰りますね。ほかの子も心配なので。優介、本当にありがとう。また会いましょう」
ヤクルトは翼で長男の頭を地面すれすれまで下げた。ヤクルトもおじぎをしてもう一度「ありがとう」といった。そして飛び立った。先に飛んだヤクルトを長男が追いかけた。長男のはばたきは頼りなくてはかない。それでも少しずつ前に進んでいる。
「おい、人間。優介というのかな。わしからも礼をいうよ。ありがとう。わしは何百年も生きてるから知識はあるが、こういうときには手も足の出ないんだ。わしは木だからな。はっはっは」
「じじいがじょうだんをいうなんてめずらしいな」
コジロウは笑いながらいった。最初は笑うのを我慢したが、優介がえんりょなく笑っていたのでそれにつられてしまったのだ。
「わしもたまにはじょうだんをいうわい」とナギはいった。
優介は賽銭箱によりかかって地面に座った。コジロウも優介についてきて、賽銭箱にとまった。しかし賽銭箱は居心地が悪かったようで、優介の隣に下りて腰を下ろした。
優介がナギと出会ってからいろんな動物と話をした。ツバメ,、カラス、ハト、サギだ。彼らはみんな名前を持っていた。ハトに名前を教えてもらうことはできなかったが、きっと彼らにも名前はあるのだろう。カラスのコジロウは自分で名前をつけたといっていた。ヤクルトとスズキはきっと両親に名づけてもらったはずだ。それではナギはだれに名前をもらったんだろうか。優介は気になってナギに聞いてみた。
「お前たちはみんなわしのことをナギと呼ぶが、ナギは種名だ。人間とかカラスと一緒だ。わしにも名前はあったよ。何十年か前に、優介みたいに自然と話ができる少女がこの神社にやってきたんだ。そのときにその少女がわしに名前をつけてくれたよ」
「どんな名前だ?」とコジロウが続きを促した。
「秘密だ」とナギはいった。そして一呼吸おいてから続けた。
「もうその名前は捨てたよ。だから教えなくてもいいだろう」
「どうして捨てたの?せっかくもらった名前なのに」と優介がすかさずたずねた。
「話せば長くなる。それでもいいなら教えよう。お前たちがツバメの子を探してくれた礼だ」
「オレは構わないぜ」
「僕もだよ。家出してるから時間はいくらでもある」
「お前たちが生まれるよりもずっと昔の話から始まる。当時はこの神社も栄えていた。毎日人が祈りに来ていたよ。人は帰るときに必ずわしの葉を一枚枝からちぎって持って帰っていた。人間たちは、わしの葉には特別な力があると信じていたんだ。お前の足元にもわしの葉があるだろう。一枚手に取って見てみるといい」
優介はナギのいう通りにした。
「葉脈が縦方向に流れているだろう。だから縦方向にひっぱってもちぎれないんだ。人間はこれをいいように解釈したのさ。人と人とを結びつける絆。夫婦の愛情。わしの葉を、そんなものに当てはめて、縁結びとか夫婦円満のお守りにしていたのだ。わしの葉を持っていれば、大切な人との関係がきれないと信じてな。それに、わしの種名はナギだ。海の波がおだやかなことをナギというらしいな。漁師たちがナギを祈ってわしに祈ることもあったよ」
優介はナギの話がおもしろいと思った。学校で学ぶことはあまり興味が持てないし楽しくない。ナギの話がおもしろく感じられたのは、ナギの話には物語性があったからだろう。教科書のように客観的で冷めたものではなく、ナギの語ることには感情がこもっていて熱もあった。その二つの要素が優介の心をふるわせるのである。
「わしはうんざりしていたよ。確かに人間はわしのことを尊敬していた。しかしそれは見返りを求めてのことだ。無条件にわしを愛したり認めたりしてくれた人間はいなかった。しかしある日、一人の少女が迷い込んできた。お前と同じくらいの年だ。しかも、その少女も家出をしてきたんだ。それだけじゃない。少女は自然と話すことができたのだ。わしにも話しかけてきてな、そのとき名前をくれたんだ。あの子はわしに何も求めなかったよ。ただわしと話がしたかっただけなんだろうな。あの子に出会って、いい人間もいるもんだと思った。見返りを求めずにかかわってくれる人間がな。だが、そんな人間はいないんだと思ったよ」
「何かあったのか?」
「その少女はある日を境に来なくなったのだ。また明日も来るといっていたのに来なかった。何日も待ち続けた。今年でもう二〇年以上になる。もう大人になって子供がいるかもしれない。とにかく、あの子はわしのことを忘れてしまったんだ。だから名前を捨てたんだ」
「確かに名前を捨てたかもしれない。でも今でも覚えているんでしょう?本当は捨てたくないんでしょ」
「黙れ。人間にわしの気持ちがわかるか」
「わからないけど想像はできるよ。それにね、僕はナギのことを決して忘れないよ」
優介は立ちあがり、ナギを見つめていった。
「例外はない。お前も成長の過程で今日の出来事を忘れるに決まっている。当然わしのこともな。どうせ忘れてしまうなら、早くどこかに行ってしまえ。もう、これ以上思い出はいらないんだよ」
「出て行かないよ。僕は家でしたんだ。行くところがない。運動会にお母さんが来てくれなかったんだ。それなのに謝ってもくれない。学校から帰っても僕は家で一人でご飯を食べてる。さみしいよ。でもここにいるとナギがいるし、コジロウもいる。僕は一人じゃない」
優介は勇気を出して生まれて初めてカラスの身体をなでた。コジロウは「やめろよ」といっているが、人間のやわらかい手でなでられてうれしくなっていた。
「僕はナギのことを忘れないよ。今日の出来事も。教えてくれてありがとう。つらい記憶を人に話すのはもっとつらいことだよね。それなのに、僕なんかに話してくれてありがとう」
ナギは黙っていた。優介たちはこれ以上ナギの心にふみこむのはやめた。人が部屋の扉のかぎを閉めているのに、それを無理やりこじ開けようとするのは礼を欠くから。
「コジロウの話も聞きたいな」と優介がいった。
「また今度にしてくれ。気が向いたら話すよ」
コジロウは自分の話をするのがあまり好きではない。カラスだけでなくほかの鳥からものけ者扱いされているコジロウは、いつしか孤独を好むようになっていたのだ。仲間と飛ぶ空はきゅうくつに感じていた。しかし、孤独となった今では、空は無限の広がりを持っていて、誰も自分をじゃまするものはない。
「コジロウのことは、ひなのときから知っておるよ」
ナギが話に加わってきた。
「おい、やめてくれよ」
コジロウがナギのほうに飛んで行った。太い枝の根元のほうにとまって、ナギの幹をキツツキのようにくちばしでつついている。コジロウはもちろん手加減をして穴が開いてしまうように気をつけていた。
「お前、今日もここに泊まるのか?」
コジロウが心配そうにたずねた。
「そうするよ。ほかに行くところはないからね」
「夜は冷えるぞ。人間にとって自然は厳しい世界なんだ。早く自分の家に帰ったほうがいいぞ」
「大丈夫さ。夜になると葉っぱの布団が勝手に僕の身体を温めてくれるんだ。家には絶対に帰らない。無理やり転校させて、料理もしない。運動会は来てくれなかった。ずっと家で寝てたんだ。そんなお母さんいやだよ」
ナギとコジロウは返す言葉がなかった。優介のいっていることは間違っていないし、共感したからだ。共感は同情とは違う。同情は聞き手が相手よりも上の立場であることが前提だ。自分の環境は恵まれているけどこの人は違う、かわいそうだな。これが同情だ。共感は聞き手と話し手が対等の立場になる。保護された安全基地からあわれむのではなく、話し手と同じように悲しみ、苦しむのである。ナギとコジロウはまさにこの共感をしていた。
「オレは帰るよ。オレに家族はない。だけど帰るところがある。お前もいつか帰りたくなる場所ができるさ。じじい、優介のことを頼む」
コジロウは飛び立った。帰るべき場所へと帰ったのだ。コジロウは長い孤独な旅の末に帰りたくなる場所を見つけたのだろう。孤独なコジロウは見つけることができた。だから、人間の優介にも見つけることができるとコジロウは思った。人間は飛べないけど、歩くことができる。走れる。自分の足で歩き回って、自分の帰りたくなる場所を探せばいい。
コジロウは優介を空から見つめて「また来るよ」といってどこかに飛んで行ってしまった。
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