第10話

 普通は小鳥のさえずりはさえずりでしかない。聞いていると心が落ち着いてくる。小鳥のさえずりにはそんな効果がある。このさびれた神社は木々におおわれていて、小鳥たちにはちょうどいいのか、たくさんの小鳥が集まってくる。小鳥たちは枝にとまって生い茂る葉に姿を隠しているので、具体的に何匹いるのか数えあげるのは大変だ。たくさんの小鳥の声が聞こえるから、小鳥はたくさんいるのだろう。

 優介は何も話さなくなった木にはそっぽを向いて小鳥のさえずりに耳をすましていた。心を落ち着けたかったのだ。しかし、今の優介に聞こえるのは小鳥のさえずりではなく井戸端会議のようなくだらない会話や、友達同士で何かを話している声ばかりだ。優介はますます楽しい気分になった。木が話すというだけで、最初はこわかったが、同時に楽しさも感じていたのだ。家出をして優介の心を支配した孤独はこのときはどこかに行ってしまっていた。

 「この前公園に散飛に行ったんだけど、ハトがたくさんいてゆっくりできなかったよ。あいつら、人間のエサをいつも期待していて腹が立つよ。自分でエサを探す努力をしないんだからな」

 「まあそういうなよ。同じ鳥同士なんだから。仲良くしろとはいわないけど、共存はしろよ。困ったときに助けてくれないぞ」

 「あいつらには助けてもらうつもりはないな」

 「そこまでいうならもうなにもいわんよ。だがトラブルを起こすのはやめてくれよ。ハトに対してだけじゃなくな。ツバメのせがれが一羽いなくなったそうなんだが、そいつを見つけて食べるなんてことはもってのほかだ」

 「鳥なんか食べるか。同族を食べてしまえば鳥としておしまいだ」

 優介は話し手の姿がどこにあるのかわからなかった。優介にも聞こえたのだからきっと近くにいたのだろう。話のなかで「さんぴ」という言葉を生まれて初めて聞いたので最初は理解できなかったが、鳥は歩く代わりに飛ぶので、鳥の世界で散歩は散飛というのかと納得した。

 木は、自然の声を聞こうとしないから声が聞こえないといっていた。それでは、自然の声が聞こえる優介は、自然の声を聞こうとしているのだろうか。優介が初めて小川で自然の声を聞いたときは自然に対してまったく関心がなかった。だから自然の声を聞こうとするはずはないし、まさかしゃべるとは思わなかった。そのときは孤独が優介の心に居座っていた。孤独であることが、無意識のうちに優介を自然に向き合わせることにつながったのか、それとも別の理由なのかはわからない。大久保と知り合って親しくなったころは自然の声が聞こえていなかったので、やはり孤独が鍵なのかもしれない。

 一羽の黒い鳥が飛んできた。都会に住んでいた優介も見慣れているやっかいもの扱いされている黒い鳥だ。カラスである。黒い翼をはばたかせてどこからか飛んできた。そして話す木の枝にとまった。木はカラスが自分の枝にとまっているのがいやそうで、どこかに飛んでいくようにいった。

 「またお前か。早くどこかに行ってくれ」

 「そういうなよ。じじいはあいかわらずがんこだな」

 カラスは木にいやがられても気にせずとどまった。そして羽を休めていると優介の姿を黒い目で見つけた。

 「人間の子供がいるぞ。めずらしいじゃないか」

 「そいつはただの子供じゃない。わしらの声が聞こえるんだ」

 優介は、木がカラスに自分のことを紹介してくれたので、自分でもカラスにえしゃくをした。するとカラスは優介のそばまで飛んできた。

 「お前、名前なんていんだ?人間にも名前あるんだろ?」

 「有野優介です。あなたは?カラスにも名前があるの?」

 「当たり前じゃねえか。オレはコジロウだ。そして、あそこに突っ立ってるでっかい木はナギっていうんだ」

 優介はカラスがしゃべっていても驚かなかった。もうこの状況に慣れてしまったのだ。それにしてもカラスにもちゃんとした名前があるとは知らなかったと優介は思った。

 「余計なことをいうな」

 コジロウにナギと呼ばれる木は、優介に自身の名前を教えたコジロウに怒鳴った。名前を教えたくらいでなぜ怒るのだろうと優介は不思議だった。人間の世界では名前は名乗るためにあるものだ。初めて会う人にはまず名前を教える。優介も桜ケ丘小学校に転校して最初にしたのは自己紹介だ。ナギには自分の名前を知られたくない深い理由があるのだろう。しかし今の優介には想像すらできなかった。

 優介はコジロウと話をした。コジロウはナギとは違って人を拒絶しない。むしろ人に慣れ過ぎている。それはきっと、カラスはよく人間の住む町に飛んできて、人間が出したゴミから食べるものを探しているからだ。コジロウにとって近くに人間がいることが当たり前なのだ。ただ一つ普段と違うのは、優介がコジロウの言葉を理解できるということだ。

 誰にコジロウと名づけてもらったのか優介はたずねた。コジロウは、「オレだ」と答えた。誰も名前をつけてくれなかったから自分で考えてつけたそうだ。カラスの頭で「コジロウ」という人間らしい名前を自分につけられるものだろうかと優介は新しい疑問が出てきたが、この際どうでもいいと思った。

またナギの枝に鳥がとまった。今度のは小さい。小さなくちばしを必死に動かして何かを訴えている様子だ。ナギは追い返そうとはしないで小鳥の話を聞いた。話を聞き終わるとナギは「あそこに座って居る人間の子供に手伝ってもらいなさい。あの子はわしに恩返しをしたがっていたから断りはせんよ」といった。

 小鳥は小さな羽を小刻みにはばたかせて優介のところまで来た。そして美しい声でいった。

 「ナギさんはこの子に頼めとおっしゃったけど、どうやって伝えようかしら」

 困った様子の小鳥を見て、コジロウが小鳥に優介は鳥の言葉がわかると伝えた。

 「まあ、めずらしいわね。鳥の言葉がわかるなんて。私はツバメのヤクルトよ。よろしくね」

 「僕は人間の有野優介だよ。それより、困ってることは何なの?」と優介はいった。優介は、ツバメの名前を聞いておかしくてたまらなかったので、額の汗をふくふりをして腕で顔を隠した。

 「優介くんっていうのね。よろしくね。私には子供が三匹いるのよ。一番上のお兄ちゃんが今日の朝からいなくなっていたの。まだうまく飛べないから心配だわ。一緒に巣で寝ていた下の弟と妹にも聞いたけど、お兄ちゃんはどこに行ったのかまったくわからないんだって。お願いします。長男を探すのを手伝ってください」

 迷子のツバメの子探しを手伝えばナギに恩を返したことになるのかと優介は考えた。ヤクルトは木のことをナギさんと呼んでいた。さんをつけるということはヤクルトにとって木は尊敬の対象だろうか。ナギのほうはヤクルトの話を最初から最後まできちんと聞いていた。コジロウのときみたいに追い返そうとはしなかった。だから、木とヤクルトは先生と生徒みたいな関係だなと優介は思った。友達同士というには年齢が離れすぎていたからだ。

 優介は困っている生徒を先生の代わりに助けることにした。

 「わかったよ。ヤクルトさんの子供を探すのを手伝うよ。これでナギに一食の恩を返せるなら望むところだよ」

 優介はナギの反応をうかがったがナギは無反応だった。木らしく無言でただそこにいるだけだった。

 「オレも暇だから手伝うぜ。相手は鳥だ。空からも探したほうがいいだろう」

 コジロウはそういって、折りたたんでいて黒い羽根を広げ飛び立った。

 「それじゃあ僕も行くよ。ヤクルトさんの息子さんは必ず見つけるから安心してね」

 町にはランドセルを背負って登校している子供の楽しげな声でにぎわっていた。優介も本来ならほかの子供と同じように学校へ学びに行っているはずだった。しかし、今は迷子のツバメを探すので忙しい。それに家出中である。

 人目につく時間に出歩くと学校をさぼっている不良だと思われて警察につきだされるかもしれない。だからあの神社から出るのはひかえたかったがそうはいってられない。ナギに恩を返せるチャンスだし、ツバメの子一羽の命がかかっている。ヤクルトは子供がほかの大きな鳥に食べられはしないかと心配していた。ツバメの子は一応飛べるらしいが飛べるようになったばかりなので、大人の鳥にとってはネズミ捕りに捕まったネズミを捕まえるくらいツバメの子を捕らえるのは簡単なことなのだ。

 優介はツバメの子が行きそうなところはまったく見当がつかなかった。だから行く先々で見落としがないように注意深く探した。電線にカラスと紛れてとまっていないか。駅前の広場でハトと一緒になっておじいさんが投げるパンくずをねらっていないか。いろんな可能性を考えて探した。しかしどこにもいなかった。

そもそも優介は飛べるようになったツバメの子を見たことがなかった。大人のツバメや、卵から生まれたばかりのツバメならテレビで見たことがある。しかし、飛べるようになっがばかりの半人前のツバメは一体どんな姿をしているのだろう。せめて写真でもあればなと思った。人間の世界では子供が迷子になると写真を頼りに探すのだが、鳥の世界に写真なんてものがあるわけない。それでも探し続けるほかなかった。

優介は初めて自然の声を聞いた小川のベンチで休憩をしていた。今から学校に行っても遅刻である。そんな時間だった。ここから始まったんだなと優介は考えた。今思えばあのときに聞いた不思議な声は自然だったんだ。空を飛んでいる鳥かもしれないし、地面を歩いているアリかもしれない。

 優介が小川をぼんやりと眺めているとコジロウが飛んできて、優介の左肩にそっと静かにとまった。するどい爪で優介を傷つけないようにコジロウは気をつけた。 

 「手がかりはつかめたか?」とコジロウも小川のほうを見ていった。

 「全然だよ。コジロウは?」

 「オレもダメだった。ほかの鳥にも協力してもらえば早いんだが、オレはのけ者だからな。だれもオレの話をきいちゃくれない」

 「仲間はいないの?ほかにもカラスはいるでしょう」

 町のごみ置き場をあさるカラスはほとんどがチームを組んでいる。一匹が見張りをして残りがあさるという風に。夕暮れどきにはカラスが群をつくりあかね色の空を自由に飛び回る。優介にとってカラスとは群れる鳥という印象があった。しかし、コジロウは仲間のはずのカラスからも相手にされていないという。カラスの世界にも人間の世界と同じようないじめがあるんだろうかと優介は思った。

 「これからどうすればいいかな。この広い町に小さなツバメの子を探すなんて無理だよ」

 「お前は自然の声が聞こえるじゃないか。それに、ただ聞くだけじゃなくて語りかけることもできる。お前なら、オレにできないこともできるだろうよ」

 コジロウはそういって優介の左肩から飛び立った。

 「さあ、休憩は終わりだ。オレはオレにできることをやる」

 優介はコジロウの言葉がいつまでも心に残った。自然の声が聞こえ、語りかけることもでいる。自分にできることをやる。そうだ、僕は自然と話せるじゃないかと優介は気がついた。

 優介は立ち上がった。そして自分にできることをしようと決心して、再び歩き始めた。

 優介は駅前の広場に来ていた。そこにはまだハトがいた。もうパンくずを投げるおじいさんの姿はなかったが、ハトはエサを恵んでくれる人が現れるのを待っていた。

 「あのう、すいません。僕の声が聞こえますか?」

 優介は勇気を出してハトに話しかけた。

 「もちろん聞こえてるよ。何だい?食べ物をくれるのかい?」

 「いや、そうじゃなくてお聞きしたいことがあるんです。この辺で小さなツバメを見かけませんでしたか?飛ぶのを覚えたばかりで、ぎこちない飛び方をしていたと思うんですが」

 「ツバメなんか知らないね。それより、あんた食べ物持ってない?なんでもいいんだ。おくれよ」

 優介の周りにハトが集まってきた。駅にいたほとんどのハトが優介を取り囲んで、優介は身動きがとれなくなった。優介がハトに道を開けるよう頼んでも聞く耳を持たず、優介を下から見上げている。何か食べるものを与えてくれるまで動かないつもりなのだ。ハトは一歩ずつ優介に近づいてくる。優介はハトのするどいくちばしや爪が自分を傷つけはしないかと不安になった。

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