第8話

 昼間の駅へと続く大通りの人通りは少なくて心細い。土日や祝日には部活帰りで制服を着た高校生、仕事が休みでカフェでくつろぐサラリーマン、子供連れでどこかに向かっている人などであふれている。太陽が昇って光を地上にあてている間に人は働いている。日が沈み、街灯が点灯するころになると今度は仕事を終えた人が会社を出て町に繰り出してくる。

 優介は平日の少しさみしい大通りを歩いた。たまに通りすがりの人がふりかえって優介のほうをけげんそうに見る。平日の昼間から子供が何をやっているのだろうと考えているのだ。優介には今日がふりかえ休日だという正当な理由があったのでどうどうと胸を張って歩けた。

 駅のなかを通り抜けて北へ歩くと海がある。釣りをしている人や、ベンチに座って漂う水面を見つめている人がいた。優介はまだこの町の海に来たことがなかったので、飽きるまで海を見て時間をつぶそうと思った。ついさっきまで小川にいたのに、今度は海に来たくなったのだ。

 優介は目的の場所に来るとがっかりした。海が一番よく見えるベンチはすべて埋まっていたのだ。二人がけのベンチにきちんと二人で座っている人は許せた。しかし一人で一つのベンチをひとり占めしている人がいることには我慢ならなかった。ベンチの上に横になり、新聞紙で顔をおおって昼寝をしているおじいさん、リュックを隣において誰にも座らせないようにしている若い男。もし彼らがベンチに座りたそうにしている優介に、気をつかって一人分の席を開けてあげたら優介はどんなにうれしかっただろうか。彼らは決して優介に気がついても席をゆずろうとはしなかった。

 落胆した優介はしかたなく近くの公園のベンチに座った。今座っているところからも海のベンチが見える。誰かどこかに行って座る場所が空いたら移動しようと思っていた。

 公園といっても、広い芝生があって、芝生を囲むようにいくつかのベンチが設置されていて、駅側のあたりに小さな噴水があるくらいだ。小さな子供がよろこぶような遊具はない。この公園のすみのベンチに座っていた優介は、父親らしき人と遊ぶ子供を横目で眺めていた。

 その子供は父親とキャッチボールをしていた。二人ともキャッチボールに相当慣れている様子だ。父親は多少の手加減はしていたが、それでも投げる速度は早かった。子供は父親の投げる球を余裕そうにグローブで見事にキャッチする。優介は二人を見て、自分が最後に父親とキャッチボールをしたのはいつだったかと思った。

 キャッチボールをしている少年は視線を感じたのか優介の方を見た。すると一瞬おどろいた顔をした。そして優介の方まで走ってきた。

 優介の方も急に見知らぬ少年が走ってこちらまで来るのでおどろいたが、すぐに安心した。見慣れた顔だったのだ。その少年は優介と背はほとんど同じだ。ただ、足の長さはその少年の方が長かった。そう、二人三脚で優介と組んで親しくなった大久保だ。

 「有野じゃないか。こんなところで会うなんて思わなかった」

 大久保は走ってきたので少し息をきらして言った。

 「暇だったからちょっと散歩。こんなところまで来ちゃったよ」

 優介は大久保に会えて内心うれしかったが、それが相手に伝わると恥ずかしいので、顔を少しふせて答えた。

 「オレ、父さんとキャッチボールやってたんだ。有野も一緒にやろう」

 意外な誘いで優介はとまどったが、手持ちぶさたで困っていたところなので大久保の誘いに乗ることにした。突然なことなので優介はグローブを持っていなかった。有野の父が、「おじさん疲れたから休むよ」と言って有野に大人用グローブを手渡した。

 最初は話しながら軟式野球のボールを交互に投げていた。昨日の運動会での感想が主だった。

 「個人的にはよかったよ。二人三脚で結果が出たからな」

 大久保はそう言いながらボールを投げた。

 「でも一番になれなかった」と優介は言った。大久保の力のこもったボールを受け止めると、大久保に負けないような早いボールを投げようと大きくふりかぶる。ボールをにぎった右腕をしなやかに大久保のほうに向けておもいきりふった。

 「順位なんか問題じゃないよ。人と競ってもきりがないよ。大事なのは走れるようになったことさ。最初は歩くのも難しかった二人が走れるようになったんだぞ。そのうえ二番だ。だいばんざいじゃないか」

 優介は大久保にそう言われて納得した。走り終わった直後に優介も、今の大久保の言葉の通りに思っていたが、やはり時間が経つと一番になれなかったことが悔しくなったのだ。しかし、あらためて大久保に順位ではなくて、走れるようになったことのすばらしさに気がつかされて優介は少し心が軽くなったような気がした。

 運動会のことを話し終えると話題がなくなって無言になった。二人はただひたすらボールを投げあった。単純で変化のない遊びだったが二人は不思議と飽きなかった。大久保の父はそんな二人の様子を静かに見守っていた。

 「そろそろお昼だよ。うちに帰ろう。有野くんもうちで食べていくといいよ」

 もう昼時になっていた。二人は時間がたつのも忘れていた。大久保の父に言われてやっと昼になったことと、おなかがなっていることに気がついた。優介は祖母にもらったおにぎりやアップルパイがあったから大久保の父の誘いを断った。それに、昨日お弁当をごちそうになったばかりなのに、今日までもごちそうになるのは申し訳なく思ったからだ。

 それでも大久保の父は「遠慮しなくていいよ。春輝もよろこぶから」と言ってなかば無理やり大久保家の自宅に招待した。優介たちがばったり出くわした公園のすぐ近くの一軒家まで、三人はたわいのない話をしながら歩いた。

 優介はインスタントラーメンをごちそうになった。二日連続で大久保と同じ昼食を食べるのはなんだかむずがゆかった。食事が終わると大久保家に迷惑がかからないように、暇を申し出たが、大久保はせっかくだからうちで遊んでいくように言って自分の部屋へ優介を連れて行った。

 大久保の部屋は一言で表すと「カラフル」だった。色彩豊かな家具があるというのではない。優介の部屋とは変わらない広さで、そこにはいろんなものがあったのだ。勉強机は部屋のすみに置かれていた。机上には教科書や筆記用具が散乱している。本棚には漫画が順番通りにはならべられていない。一巻の隣に八巻が置いてあったりする。全体的に見て、多くの人は散らかっているように見えるのだが、優介にはカラフルに見えたのだ。

 優介は自分の部屋に入るたびにさみしくて灰色だなと思っていた。あるのは勉強机とベッドだけだ。ものが少ないし、思い入れがあるものがほとんどなかったのだ。大切にしていたアルバムは今は机の引き出しの奥の方にふういんしてある。優介の部屋は生活するのに必要最低限のものしかなかった。

 それに比べて、優介は大久保の部屋をうらやましくも思った。転校をくりかえしても、きっと新しい町でもこんなカラフルな部屋を持つのだろう。優介も大久保をまねてこの町でも楽しく生きようと思ったことは何度かあったが、それでもできなかった。大久保とキャッチボールをしていて感じた楽しさは嘘ではない。しかし、心の底からこの町にとけこんで生きていく気持ちにはまだなれずにいた。だからアルバムはあれ以来一度も開いていないし、大久保のように自分の部屋をカラフルで楽しいものにしていこうという気持ちにもなれないのだ。

 二人は夕方までテレビゲームをして過ごした。そのゲームは普通四人で遊ぶことの多い格闘ゲームで、最近の子供はみんなこれにはまっている。二人にとって人数は関係なく時間を忘れて楽しんだ。声を出して笑うこともあった。優介はいつまでもこの時間が続けがいいと思った。いつまでも、大久保の部屋でゲームをして遊んで、おなかがすいたら何か食べさせてもらう。そうして今家出をしていることを忘れたかった。

 日がかたむき始めて優介は家に帰ると大久保に言った。さすがに大久保もそれを止めることはできなかった。明日からは学校が始まる。子供は家に帰って食事をする時間なのだ。優介は大久保の両親にも礼を言って大久保と別れた。二人とも「また明日」とあいさつをしたのだが優介はつらかった。明日からは会うことができないとわかっていたからだ。

 優介は駅の大通りまで戻った。ほかに特に行くところもない。この時間は人が多い。町に活気があふれている。町を歩く人の目には、優介は塾帰りの小学生に見えるだろう。まさか手提げかばん一つ持って家出をしているなんて考えられるだろうか。

 孤独は一人ぼっちのときにやってくる。周りに誰もいないと声を出して誰かと会話することができない。誰とも話さず一人でぽつんとしていると、自分は孤独なんだなと思う。しかし、一人ぼっちでないときの方が孤独を強く感じることがある。今の優介がそうだ。

 あたりを見渡すと人でいっぱいだ。仕事が終わって同僚と並んで歩いていたり、ある母親は子供と一緒にスーパーのレジ袋は持って信号待ちをしていたりする。みんな誰かと一緒にいる。それなのに自分は一人でいる。この状況が優介に強い孤独感を抱かせた。

 優介はこの状況に耐えきれなくなって走り出した。「まわりのみんなは家族や友達と一緒だ。でも僕は一人だ。耐えられない」と優介は心のなかで叫んだ。誰でもいいからそばにいてほしい。そう思って優介は祖母の家に向かった。

 途中、優介はおなかがすいてしかたがなかった。どうしても我慢できず祖母が持たせてくれた食べ物をすべてたいらげてしまった。空腹を満たすと今度はのどがかわく。特にアップルパイを食べたときのかわき具合はひどかった。水筒に入っているお茶も飲みほした。食べ物が胃のなかに入ると、まだ消化はされていないのにエネルギーが身体中にみなぎったような気になる。優介の歩みは強く早くなった。

 今朝腰かけた石階段のところで優介は迷った。石階段まで来れば祖母の家は目と鼻の先だ。祖母に事情は打ち明けて今日も泊まらせてもらえばいい。それなのに優介の足は石になったように動かなかった。

 母が祖母の家に来ているのかもしれない。来ていなくても、祖母にどのように事情を説明すればいいのか優介はわからなかった。「お母さんが運動会に来てくれなかったから家出をした」と言っても追い返されるだけだ。祖母は優介に優しい。しかし優しさと甘さは違う。祖母はこんな理由で家出を許すはずはないと優介は思った。そして何を思ったか優介は石階段を上り始めた。どこに続いているのかわからないのに。


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