マインド・メタボ

@sophil

第1話

魔法とは、精神を介して魔素に干渉する行為だ。肉体では叶えられない現象を、精神の魔素への干渉能力、『魔力』を用いて思うがままに行う。あらゆる可能性を実現する能力。人々は各々の精神魔力の範囲であらゆる想像を実現させ、生活を豊かにしてきた。


だが、これほどの力を持ちながらも、人類の発展は容易ではなかった。第一にあげられる理由は――魔法を共有しなかったことだ。


最初に、人々はこの強大すぎる力を身内以外には秘した。その力が自身に向けられることを恐れ、また、その力を自らのみが保有することで得られる、優位性を保つためだ。これが封建制へと繋がったことは言うまでもない。


また、研究の難しさも理由に挙げられる。魔法研究は、魔法の根本的原理から、もっぱら自身の内部精神の構造に注目された。外界へと意識を向けなかったのである。そのため、赤の他人との共有に必要性が、見いだされなかった。

魔法とは個人の資産で個人のために使われたのだ。


その前提が覆されたのが――魔力革命である。魔力を蓄積する物理的方法の発見。その最も偉大な意義は、人々が自身の魔力制約から外されたことにある。自分で行わず、個人の限界を超えた、遥かに強力な魔法が行える。魔法を秘する優位性を失い、外界での研究共有の意義が生まれたのだ。魔法の大衆化だ。ここに封建制は崩れ去り、文明は急速に発展した。


そして今――人類は、魔力欠乏の危機に立たされていた。









これは、ただの一幕。

けたたましく鳴る目覚ましで、至福の時間が終わったことを知る。

(朝か……)

男は憂鬱な面持ちで、今も鳴り続けるマジックフォンをタップし、ゆっくりと体を起こした。はぁ、とため息を一つ。その目はまだ開き切っていない。そのままの体制で静止した。

「やはり今日も今日とて体が重い」

口からこぼれた言葉。男の脳が最初に思ったこと。

体重が増えたという意味……ではないとは決して言えないが、少し違う感覚。

(第一、昨日はプリンを我慢したし)

体重にしては、この感覚は度が過ぎている。もはや、もう一人の自分を背負っているような気分だ。男の背筋は昨日よりもさらに曲がっていた。

(そんな簡単に体重が増えてたまるか)

しかし、現に重さが日に日に増しているのを実感している。体に脂肪がつくよりも早く。

男は大きくあくびをした。

「何かしらの病気……は考えにくい」

男はつい10日ほど前に人間ドックを受けてばかりだった。変化に気がついたのは、受診日の3日程前から。昨日届いた結果は……病気に関して問題なかった。20代という年齢も考慮すると、やはりなにかがあるとは思えない。どちらかといえば、体より、精神的な――

「これは、やはり会社アレルギーではないだろうか」

体が拒絶症状が起こしているのではないか。そう推察する男は、目覚ましが最初に鳴ってからすでに30分ほどベッドの上にいる。

「体調不良。休むしかないのでは?」

そうだ、そうしよう、と言うかのようにうなづく。そして、

(寝よう)

と、ベッドで再び横になったところで――また、目覚ましの音が鳴った。時刻にして丁度7時。ふぅ、と息を吐いた。

「何やってんだか」

ベッドから降りてそう呟いた。


結局変わらない朝、重たい体に鞭を打つ。

(自分の社畜適正に涙が出るね)

そんなことを思いながら男は朝の準備を始める。朝ごはんには、パン一枚にコーヒー一杯。その後は、歯を磨いて、顔を洗う。洗面台の鏡を前にして、一言。

「大丈夫、気持ち気だるさも、いつも通り」

着替えもしっかり、そして忘れ物がないかを確認する。きちんと支度をしたところで、時刻が8時を回った。

(まずいな。そろそろ『ゲート』に向かわないと)

いつもより時間が押している。そう思う男ではあるものの、体の動きは鈍い。

「この体で走っても、間に合わないだろうな」

明らかに万全ではない体。

(それでも、行かないといけないからなぁ)

仕方がない、と男は、家から外に出た。

「さて、頑張りますかね」

向かったのは普段通る家の前の歩道……ではなく、その先にある魔導路の側。この時間帯は、通勤、通学のためか人通りは多い。一人一人が社会の一員として、課されたもののために、魔法で道を駆け抜けている。男にとっては見慣れた光景。その中に男は入ろうとする。

「混んではいるが、まあ間に合うだろう」

間が生まれたのを見計らい、道の中へと入る。そして『アクセル』を唱えたところで、突然目の前が真っ白になり――

「あ、これいつもと違うわ」

そのまま地面に倒れ伏す。顔面直撃は避けたものの前身が痛む。

(あぁ、遅刻だこれ。みんなに迷惑がかかるな……)

そのまま意識を失った。







「怪我の方は大事には至っていないのですが、問題は、精神の異常の方ですね」

ベッド上で意識を取り戻した男に、最初に声をかけた医者はそう告げた。状況を把握した男は顔が真っ青である。

「そうですよね……こんな状態になるまで働く自分は異常ですよね」

今も、会社のことばかりを気にしてますし、と続ける。頭をガックリと落としながらも、男は納得の表情を浮かべた。

(あぁ、どんな大目玉を食らうことになるのか)

「あ、いえ、そうではなく――」

「え、嘘でしょ……これが、普通何ですか?」

実は社畜適正がなかったのか?と顔を上げ、恐れおののく、男。

「いや、えーと、そういう話ではないんですよ。すみません、話が急でしたね」

まずは、落ち着いてください、と医者は言った。

「とりあえず、深呼吸を。吸って……はい、吐いて。……良いですか、まず、あなたが倒れた原因は、『魔力欠乏』です」

「ん?魔力の欠乏?あの程度の魔法で?」

男は口を開けたまま首を傾げた。医者は表情を変えない。

「先程、『アクセル』を使用した、と言ってましたね。たしかに初歩中の初歩です」

「そうですよね――」

男が口を挟もうとしたところで、医者は手で制した。

「しかし、聞いたことがないかもしれませんが、近年そのような魔法で魔力欠乏になることが増えてきているんです。それも、直に社会問題に取り上げられそうな程に。文明進歩の弊害です。現代では魔法はもう道具に頼りきりで、自分の魔力を使う機会が減っていますから」

あなたの例ももう、珍しくないんですよ、と医者は言った。

(なるほど……たしかに、久しぶりに魔法を自分で行使したような。え、でも)

男はふと思い当たった。

「え、ですが、人間が持つ魔力とは、精神の干渉力のことですよね。じゃあ、私の精神はあの程度も、もう」

「……そういうことになりますね」

男の視線が下がる。そんな男に対して、医者は、ですが、と続ける。

「ですが、実は、もっと大きな問題があります。落ち着いて、聞いてください。」

一瞬の間をあけて、医者はこう言った。

「このままだといずれ魔法を失うことになりかねません」

え、と間抜けな声を発した。そのまま二、三度口をパクパクされた男は言葉を紡げず、つばを飲み込んだ。表情は固まっている。

「魔法を失う……そんな可能性があるんですか?」

再度開かれた口から飛び出た声は震えていた。

「残念ながら、あり得る話なんです」

その言葉を聞き、男はさらに視線を下げる。

「……魔法を行使する魔力が足りない、と言ってもすぐに魔法が使えなくなるわけではありません。今、あなたが意識を取り戻したように、魔力が増えない、回復しない、なんてことでは、ありませんから」

けれど、と医者は、男をまっすぐ見た。

「魔力の元になる精神を消耗すると、話は、別です。精神を失えば、我々は、魔素に干渉することはできません。精神を失うとは人格を失うことと同義ですから」

「人格を……」

また、顔を青ざめた男。一方医者は、男に優しく微笑みかけた。

「安心してください。まだ、最悪とは程遠い状態です。ほら、現に。それが、精神を失っていない何よりの証拠になっています。脅したようで申し訳ないですが、これから気をつければ良いんです」

(これから……)

「焦らないで。まずは心を休めましょう」

「どうすれば、精神は復活できますか?」

男は、顔を上げ真剣な表情を浮かべた。

「まずは、リラックスを、と言いたいところですが……難しいようですね。すみません、私のミスです」

そうですね……と医者は呟く。

「あなたの症状を『マインド・メタボリック・シンドローム』と呼んでいます。メタボは……わかりますよね」

医者は、男の顔から目を離し、下の方を向きながら、そう言う。

「いや、まぁ知ってはいますけど、先日もそう……え、今あなたどこ向きましたか?」

「それなら話は、早い。そもそもメタボリックとは、日本語で『代謝の』と言う意味なんですよ。この場合だと『精神代謝の症候群』。その代謝を上げればいいんです。まあ、これが難しいのですが」

「スルーって……」

男が物言いたげな目をする。

「えーとそれで、代謝を上げる?とは、そしてそれが難しいとは、どういうことでしょう?」

再度真剣な眼差しへと変化させた男はそう尋ねた。

「そうですね。まず、『精神代謝』とは何かについて説明します」

男がうなづいたのを見てから、医者は説明を始めた

「精神代謝とは、精神と魔力の間で行われるエネルギー変換のことです。しかし、精神は観測できるものではありません。魔法の発動を介して認識しているものであり、精神それ自体を捉えているわけではないからです。これに当てはまると、明確にあなたの精神の認識しているのは、あなたのみ、ということになります」

「まぁ、たしかにそうですね。ついでに今の状況では、魔法すらまともに使用できませんし」

「ですので、私の方から実演できるものではなく、あなた自身に代謝を上げる感覚に辿り着いてもらう必要があります。で、その方法の話なんですが……」

そこまで言うと医者は、急に口を閉ざした、複雑な表情とともに。

「その……この際、はっきり言ってもらいたいのですが」

男が先を言うように促す。

「そう、ですね。えーと……はい、言います。今、あなたに楽しいことありますか?」

一瞬の間が生まれた。

「……いや、突然何を。そしてなんでそんな表情浮かべているんですか。返って深刻な状況に見えてくるんですけど。自分にだって楽しいことくらい……あれ?」

医者は、悲痛な面持ちで男を見つめていた。

「魔法というものは、思いの力なんです。思いを元に精神で魔素を干渉するんです。何かをしたい、何かになりたい、そんな望みが魔法として、表現されるんです。同じような魔法に見えても、人が違えば、中身は全くの別物。『自己』と呼ばれるアイデンティティがそこには現れます。魔法が使えないとはつまり――アイデンティティを見失っていることに他なりません」

たがら、と医者は繋げた。

「だから、感情を豊かに。あれがしたい、これがしたいと思うのが良いでしょう。それが第一歩です。魔法は、夢の力。その夢をなくすと、私たちは生きていく指針を失います。当然、私たち自身も」

「それを、自分で見つけろと」

医者はうなづいた。

「本当に難しい問題です。感情を見つけ出すのは。感情に意味なんて求められないのですから。無から有を生み出すようなものですから」

医者はにっこりと笑いかけた。

「まずは、簡単な感動から始めてみませんか?空が綺麗だとか、星々をみて美しいと感じるとか。ほら、見てください」

そう言って男の後方にある窓を指す。男が振り向くと、そこには――茜色の夕陽があった。

(いつ以来だろう)

なるほど、たしかに綺麗だ。そう感じた男だが、他に何も浮かばず、そのまま光の方へと手を伸ばした。視界が色づいていく。

(暖かい)

「人間、見ようと思わない限り、美しいものですら見えないんですよ。空一つにしたって、日の出に、青空、夕暮れ、星空。いろんな表現はあります。そして、昨日も今日も明日も変わらず存在していて、違った姿を見せてくれる」

それなのに気がつかないなんてもったいない。男にはそう言われているように感じられた。

「折角なので、窓を開けましょうか」

そう言うと、医者は、窓の方へと歩いていき、それに合わせて白衣は紅く染め上がる。窓を開けたとき、風が吹き抜け、男の頰に冷たく触れた。

「どうせなら明るく、それが、私のモットーなんです。そう思えば世界もまた明るく見えるから。魔法って素晴らしい力だと思いませんか。思いの全てに答えてくれる」

それではまた、と男に告げ、部屋から去って行こうとしたところで、立ち止まった。

「そういえば、あなたが使おうとした『アクセル』。一説によると『風になりたい』と思った人が最初に使用した魔法らしいですよ。今のあなたはどう思いますか?」

男が医者の方へと顔を向ける。

「そうですね……この体では、使えなくて当然かな。とても風にはなれそうにない」

ただ、体の重りは取れていた。






――――

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