青春ロスト、空っぽの魔剣
針手 凡一
青春ロスト、空っぽの魔剣
先輩の高校に受かった時、彼から送られてきたメッセージは「おめでとう」でも「やったな」でもなく「やるやん」だった。
何だろーね、その上から目線。
一年前は受験ノイローゼになりかけてた男が何を偉そうに、ってちょっとムカついた。茶化す時だけ関西弁みたいな口調を使うのもイライラした。
私が先輩のことを好きじゃなかったら、合格発表の会場でスマホをぶん投げていたところだ。
「よく受かったな。落ちると思ってたわ」
訂正。その三時間後にブン投げた。駅前のファミレス、合格祝いとか言っておきながら、財布を忘れてやってきた最低男の額に向けて。
「やべぇって。スマホ投げるとかやべぇって」
「うるさい。先輩はいつもデリカシーがなさすぎる」
「だって真正面からおめでとうなんて照れ臭いやん」
「じゃあもっと気の利いた言葉を考えろ!」
もうスマホを投げてしまったので今度はメニューを引っ掴んで、でもこれ店のものだしなぁ、と今更ながらに人目を気にして手を止めて。
あー、何で私こんな人好きになっちゃったんだろうなぁ。あまつさえ同じ高校に入るために猛勉強したなんて馬鹿みたいだ、なんて目の前の男の顔を睨みつけながら、多分それでも口元は緩んでた。
楽しみだった。これからの高校生活、片思いの先輩と同じ校舎に通う毎日が。海沿いの通学路も、これから出会う見知らぬ友人たちとの交遊も、四日間を通して行われるという盛大な学園祭も。
未来は無限。青春はこれから。そしてその道中で、必ずこの馬鹿な先輩を私に惚れさせる。
いつだって望んだものは自分で手に入れてきた。分不相応な望みはそもそも抱きすらしなかったけれど、多分それが十五歳の私にとっての唯一の自負で。だからこそ一ヶ月後、私は深い絶望の底に叩き落とされることになる。
運命なんて要らなかった。天性なんて要らなかった。
私は普通の女の子で満足だったのに。
◇
「おめでとう、
四月八日、入学式の朝だった。
憧れだった紺色のセーラー服に袖を通して、少し早めに家を出て、予告もせずに先輩の家に寄って驚かせてやろう、なんてほくそ笑みながら、桜並木を小走りで駆けていた最中だった。
まず、ごりゅ、と奇妙な音が響いて、私は足を止めた。日常生活ではまず耳にしないような、本能に訴えかける不快な異音。嫌な音だな、と顔をしかめながらも私は辺りを見回して、数秒後、ようやくそれが自分の胸部から出たものだと気がついた。
「あ、れ?」
それは一本の黒い剣だった。
肩甲骨と背骨の間をすり抜けるようにして、長い刀身が私の身体を完全に貫き、多分心臓も切り裂いて、真新しいセーラー服を赤黒い血で染めていた。
異音はきっと、私の肉と骨が抉れる音だったんだと思う。
ただ頭は不思議と冷静で、何故か痛みも感じなくて、時が止まったような体感の中、私はクリーニング屋は血で染まったセーラー服を受け取ってくれるだろうか、なんてしょうもないことを考えていた。周囲に人の気配がなく、私の身体を指し貫いた下手人が存在しないことに対しても、まるで疑問を抱かなかった。
間抜けなことに、この瞬間の私はまだ自分が真っ当に高校に通えると思っていたのだ。
思考が現実に(あるいは超常に)引き戻されたのは、太いバリトンボイスが当の黒剣から発せられたからだった。
「おめでとう、
突拍子もない台詞。意味の分からない単語。不躾に名前を呼ばれたことにも苛ついたけど、それ以上に他人事な口調が頭にきたね。
私は大きく口を開けたけど、声の代わりに血反吐が出たので、仕方なく心の中で悪態を吐いた。
エンデ? 魔剣? それってあんたのこと? 何で剣が喋ってるわけ? そもそも人の胸刺しといておめでとうはないんじゃない?
「祝福すべきことだ。これよりお前の肉体は天与のものへと作り変わる。完全なる不死。『
話が通じない。言葉は伝わっているのに、心は伝わっていない。無機質で的外れな返答が、文字通り私の身体に反響する。
正直に言って私はブチ切れていた。魔剣? 不死? そんなものいらないよ。それよりあんたが傷物にした私の身体を治して、制服も綺麗さっぱり元通りにして、何事もなかったように早くこの道を進ませて。何のために早起きしたと思ってるの? あれだけ苦労して入った高校の入学式に出られないなんてあんまりだ。
「その要求には応えられない。お前は選ばれた。お前は救わなければならない。
七つの人界と七つの領界を踏破し、遥か遠い時空の先にある『
何それ、知らないって。ゲームの話? 勝手にやってよ。何で私がそんなことをやらなくちゃいけないの。
「お前でなければならないからだ。突出した殺生の才を持つ者。窮地にて一切の迷いなく他者を屠れる者。自己のために世界を滅ぼす事を厭わない独尊の英雄よ」
馬鹿馬鹿しい。救うのか滅ぼすのかどっちなのさ。
大体私は人殺しなんてしないよ。蚊ですら叩くのを躊躇うくらいなんだから。誰かと勘違いしてるんじゃない?
「経験は意味を成さない。魔剣は資質で使い手を選ぶ。私には見えている。お前は殺す。お前は殲滅する。己が使命を全うするために、無辜の民の命を奪う。それが出来るからこそ、私はお前の前に現れた」
エンデさん。クーリングオフって知ってる? 受け取り拒否とか当選辞退とかでもいいんだけど──
「扉を開く。では、往こう。我が新たなる主よ」
魔剣は人の話を聞かなかった。
その日、私は無理矢理見知らぬ異世界へ連れ去られて、この地球上から綺麗さっぱり消失した。
帰ってきたのは十年後。
未来に夢を膨らませていた十五歳の私は、精神が摩耗した二十五歳の無職になっていた。
◇
「百二十九円が一点、百五十一円が一点……あ、その、レジ袋はお付けしますか? あ……そ、そうですね。見れば分かりますよね。申し訳ありません……」
レジを打つ、レジを打つ、レジを打つ。心を殺して接客する。
近所のコンビニのバイトは時給が安い癖に覚えることが多いし、客層もガラが悪くて気が滅入る。
でもしょうがない。やるしかない。中卒で、元行方不明者で、履歴書に丸々十年の空白があって、その上目つきがどんよりとした曰く付きの無職女を雇ってくれるところは、この店以外になかったのだ。
七つの異世界と七つの反転世界を駆ける過酷な旅を終えて早半年。
殺しては殺される無慈悲な毎日から解放された私を待っていたのは、もう取り戻せない十年という歳月の経過と、それに伴う世知辛い社会の荒波だった。
残念なことに、私が異世界で使命を果たす間、元の世界では全く時間が経っていない、なんて都合の良い話はなかった。きっちり十年経っていた。
それくらいアフターケアしてよ、と文句のひとつも言いたくなったけれど、怒りの矛先はとっくに私の元から消えていた。
雑なのだ、色々と。異界の神だか魔剣だかなんだか知らないが、巻き込まれた人間の都合なんてこれっぽっちも考えていない。
何しろ、強制的に不老不死にされた身体もそのままだった。
化け物じゃん、私。
いや、そんなことはこの十年で言われ続けてきたけどさ。それにしたって肉体年齢が十五のままというのは不気味過ぎる。
思い出したくもない。ボロボロの外套を羽織って家に現れた私を見た時の両親のあの表情。あれは十年ぶりの我が子の帰還に喜んでいる顔ではなく、理解できない怪異に遭遇した時の恐怖の相貌に他ならなかった。
まあ当然の反応だとは思う。失踪宣告は出されていたし、私は世間でとっくに死んだ人間扱いされていたのだから。警察の事情聴取やら精神科のカウンセリングやらは『何も覚えていない』の一点張りで押し通したけど、あれもあれで薄気味悪かったに違いない。
結局、失踪宣告を取り消しても戸籍上は二十五歳な訳で、憧れの高校に通うことは叶わなかったし、両親との関係もなんだかぎくしゃくしている。おまけに近所じゃ幽霊扱いだ。
それでも一定の社会性を得るために、私は高卒認定試験の勉強をしながら毎日バイトに出ているわけだけど、これがもう憂鬱で仕方がない。
血肉を断つために練り上げられた剣技も、極限環境を生き抜くための知識も、陰惨な生活の中で育まれたとびっきりの殺意も、ここでは無用の長物でしかなかった。
「つらい」
レジを出て、商品の品出しをしながらぽつりと呟く。
過酷さだけで言えば、間違いなく異世界での生活の方が辛かっただろう。でも私にとって向こうでの生活はあまりにも現実味がなくて、まるで自分を操縦するゲームを延々と繰り返しているようなものだった。もちろん殺されるような傷を負うのは痛かったし、何度も発狂しかけたけれど、それでもどこか額縁の向こう側を見ているような感覚がしていた。
一方で、こちらは自分が生まれ育った本物の現実である。「全てが終われば帰れる」と自分が心の拠り所にしていたゴールそのものであり、もうどこにも救いを求められない。逃げられる現実は他にない。
そして心の底から頼りにできる人間も、いない。
「……先輩」
つまるところ、こちらへ帰ってきた私の心にとどめを刺したのはそれだった。
私がずっと片想いをしていた一つ歳上の男子。馬鹿で、無遠慮で、デリカシーがなくて、それでもここぞという時に格好良い姿を見せてくれる私の初恋の相手。
彼は去年、高校の同級生だった女性と結婚していた。
非の打ち所がない美人だった。三ヶ月前、一人で遠出して先輩の顔を見に行った時に見かけたからよく知っている。
なんでも私がこの世界から消えた後、先輩は生気が失われたように落ち込み、高校も病欠が続いて、一時は退学も危ぶまれるような状態だったらしい。そこで彼の家を献身的に訪ね続け、絶望の淵から引っ張り上げてくれたのが、他ならぬ彼女だったそうだ。
何それ、私のおかげ? と思わないでもない。そのままずぅっと落ち込んでいてくれれば良かったのに、と考えたのも本心だ。
でも清々しい表情で彼女と歩く先輩の姿を見ていたら、私は何も言えなくなった。
呼び止めて、走って、無理やり抱きついて、「先輩、私帰ってきたよ」って、ずっと前から言うつもりだったのに。
感動の再会を演出するつもりだったけど、結局声もかけずに帰ってしまった。
私は不死で、化け物で、古い魔剣の使い手で、数えきれない程の人と怪物を殺し、いくつかの世界を滅ぼしてきた悪人なのだ。当然、英雄なんかじゃない。将来ちゃんと死ねるか分からないけど、その時はきっと地獄に落ちるだろう。
悔しいけど、悲しいけど、もう私は先輩の隣にいられない。どうしようもなくそれが理解できてしまう。
だから先月、私が帰ってきたことを知った先輩が一人で家を訪ねてきた時も、両親を介して無理やり追い返した。一秒も歳を取っていないこの顔と身体を、絶対に見られたくなかったから。
「いらっしゃい、ませ……」
軽快な入店音を聞いて、私はしぶしぶ声を出す。
自動ドアをくぐり抜けて、制服の男女が店内へと入ってくる。
もう登下校の時間か。なんて思いながら私は二人の様子を窺って、その後少し目を見張った。
忘れもしない。二人が着用していたのは、私が必死に勉強して合格し、ついぞ通うことができなかったあの高校の制服だった。
「でさ、ヤマセンがさー、HR中に言うわけよ──」
「あはは。何それ超意味分かんない」
他愛のない会話。さして珍しくもない当然の日常風景。
でも今の私にはそれがあまりに眩し過ぎた。もう私がどれだけ望んでも取り戻すことのできない青春の只中に、彼らはいる。
想像せずにはいられない。
もし、魔剣なんかが私のことを選ばなかったら。
私は先輩と同じ高校に通って、沢山の友人を作って、学園生活を満喫して、そして今頃は笑って先輩の隣にいたかもしれない。
頭の奥の奥に閉じ込めていた青春に対するコンプレックスが、制服姿の二人を見てじわりじわりと滲み出てくる。
抑えろ。抑えろ。
深呼吸して息を整えながら、私はセーラー服の女子が商品を選び終わったのを見てレジに回る。
どすどすとレジの上に置かれる商品をひとつずつ手に取りながら、私はポイントカードの有無を尋ねるために口を開いて──
「あぁぁああああ、もう! 羨ましいんだよ! くそーーーーっ!!!」
「……えっ?」
「……あれ?」
と。
なんだかよく分からないところで、これまで溜め込んできた鬱憤が爆発した。
◇
心というのは不思議なもので、一度盛大にやらかすとむしろスッキリするというか、途端に他の全てがどうでもよくなってくる。
例えば常識とか、倫理観とか、世間体とか。
一種の躁状態とでも言えばいいのだろうか。
ともかく、バイト先で突然客の女子高生にブチ切れた翌日、私はシフトをバックれて、あろうことか、例の高校の校舎の廊下を歩いていた。
件の女子生徒に謝罪に来たとか、そういう話ではない。
単なる不法侵入である。バレれば通報待ったなし、紛うことなき犯罪だ。
憧れの高校に通い、真っ当に青春を送りたかったという欲求不満が渦を巻いて暴発し、『じゃあもう行ってやる。物理的に行ってやる』と、私をこのような奇行に走らせたのだった。
用意周到なことに、なんと指定の制服までちゃんと着用している。一応、これに関しては違法に手に入れたものではない。
十年間、両親が実家に保管していた(あるいは放置していた)、私の制服の予備である。行方不明の女子生徒の品ということで、貰い手に恵まれなかったのかもしれない。何にせよこれがあって助かった。いや、高校に忍び込もうと思いついたこと自体、クローゼットの奥でこの制服を見かけたからだったりするのだけど。
肉体年齢十五歳の私は、サイズぴったりのセーラー服を揺らしながら、さも『現役生ですよ〜』という顔をして廊下を進んでいく。
とはいえ、さすがに授業真っ只中の校舎に侵入する程の度胸はなかったので、忍び込むタイミングは夕暮れ時を選んだ。午後五時半過ぎ。校舎には部活動の生徒がまばらに残っているくらいで、ほとんど人の気配がない。
「…………」
そして当然と言えば当然のことなのだけど、かつて自分が通えなかった高校に今更侵入したところで、やさぐれた私の心が満たされることはなかった。
むしろ疎外感が増したと言ってもいい。
教室や廊下のあちこちに垣間見える学生たちの生活感、その慣れない気配に圧倒されてしまっている。自分がここにいるべき人間ではないと肌で分かる。
「はぁ……」
何やってるんだろ、馬鹿馬鹿しい。私はそう思いながらも、ここで帰るのは何となく負けたような気がして悔しくて、人目を避けるようにさらに校舎の奥深く、屋上へと続く東棟の階段を登った。
というのも十年前、先輩が屋上で昼食をとっていたという話を聞いていたからだ。
『入学してから半年くらいはそこで弁当食ってたなぁ。休み時間に転落しかけた生徒がいて、すぐに立ち入り禁止になったけど』
封鎖されていてもこじ開けるつもりだったが、何故か屋上と繋がる扉の鍵は開いていた。
開放されたのかな? なんてあまり疑問に思わずに、私はそのまま屋上に足を踏み入れる。
涼しい風が心地良くて、思わずすっと目を細めた。
校舎の中と同じ、何の変哲もない普通の屋上だ。広い空間があって、それを背丈よりも高いグリーンの柵が囲んでいて、私が出てきた小屋(塔屋って言うんだっけ?)の上には古びた貯水タンクが乗っている。
その全てが夕焼けに淡く照らされていて、どことなくノスタルジーを感じないでもないけれど、しかしそれも大した感傷ではない。
「こんなものか」
私は肩を落として、屋上のど真ん中に立ち尽くす。
本当は少しだけ期待していた。ここへ来れば何かが変わるような気がしていた。でもやっぱり無駄だった。青春の影を、先輩の過去を追う行為に意味はなくて、どうしようもない現実だけが私の前に立ち塞がっている。
「帰ろう」
ひとしきり空を見上げた後、私は踵を返して屋上から出ようと歩き出す。
と、その時。グラウンドの方からキィンと快音が鳴り響いた。
野球部員がホームランでも打ったのか、オレンジ色の空に白球が舞う。
眼下から上がる部員たちの野太い歓声。
私は『ああ、青春だ』と顔をしかめる。甲子園の中継で目にしたような綺麗な打球が、放物線を描いてこちらへ向かってくる。
気づいた時にはもう遅かった。
油断していたのだろう。鬱憤が爆発して、はっちゃけて、不法侵入なんてやらかして、自制の枷が一時的に緩んでいたに違いない。
自分を害す脅威。頭頂部目がけて飛んでくる打球を視界の端に捉えた瞬間、
私は魔剣を抜いていた。
セーラー服から僅かに覗く首元、鎖骨と僧帽筋の間から、不死の肉体に収納された漆黒の直剣を引き摺り出し、そのまま振り抜く。
『
それは十年の異世界生活の中で私の身体に癒着し、こちらの世界に帰ってきた後も剥がすことが出来なかった。気持ちの悪い呪い、怨念みたいなものである。
もっとも、残ったのはガワだけだ。
かつて世界すら砕いた力、その刀身に込められた『
これは言うなれば残り滓。魔剣もどきの張りぼてであり、ただ『何でも切れる』程度の便利な刃物に過ぎない。
しかし、使い古された硬球を切り裂くにはあまりにも十分過ぎた。
「やばっ」
思わず声を上げるが、もう遅い。魔剣は既に振り抜かれている。
無意識下での斬撃。鋼鉄すら弾く人外の怪物たちを殺すために練り上げられた、唯一無二の抜刀術。
私の頭をクリーンヒットするはずだったホームランボールは、瞬きの内に十六分割されて弾け飛び、屋上のタイルの上にひらりと落ちた。
私はすぐに魔剣を収納し、かがみ込んで破片を拾い集めようとするけれど、これではもうボールのボの字も残っていない。残骸だ。
「ああ……」
何やってるんだろ、と急に涙が出そうになってくる。
こんなもの、半歩動いて避ければいいのだ。粉々にする必要なんて全くない。自分に当たりそうだったから破壊しました、なんて、それこそ化け物のやることだろう。
しかも我ながら可哀想なことに、私の焦燥はそこで終わらなかった。
「うわ、スゲェ! それって超能力?」
追い討ちのように、不意に背後から声を掛けられる。
仰天して振り向くと、校舎と繋がる塔屋の上、給水タンクの陰から、一人の男子生徒が悠々と降りてくるところだった。
先客がいたから屋上の鍵が開いていたのか、と今更ながらに思い至り、次いで背筋から冷や汗が垂れてくる。
見られた。どうしよう。どう誤魔化そう。脅す? 殺す? 馬鹿。どうして私はそう物騒な考え方しかできないんだ。
しかし私の動揺をよそに、短髪の男子生徒は快活な笑みを浮かべながら、駆け足でこちらに近づいてきて、言った。
「いやー、君、何年生? ボールをバラバラにしたアレ、念動力だよな! 俺以外の超能力者がこんな身近にいるなんて知らなかったよ! 超興奮した!」
「…………は?」
唖然とする私の前で、男子生徒は緩やかに右手を振り上げる。すると足元に散らばっていた野球ボールの破片がふわりと浮き上がり、螺旋を描きながら男子生徒の指先に集まって、ツギハギだらけの不恰好な球体として再生した。
「え? ちょ、は?」
これにはさすがに私も面食らった。
何? そうなの? こっちの世界にもそういうのあるの?
私が旅をした全ての異世界に充満していた、魔法の気配。それがこちらの世界では微塵も感じられないものだから、超常現象なんて存在しないと思っていた。
しかもこの男子は、私がボールを切り裂いた行為を同じ超能力の一種だと思っているらしい。多分、剣速が速過ぎて、手を触れずに事を為したように見えたのだろう。
「いや、ごめん。突然で驚いたよな。俺、二年四組の
「えっと……」
混乱する私の前で、風崎君とやらは饒舌に語り出す。状況が理解できない私を見て、親切に説明しようとしてくれているのだろう。だけど膨大な情報量を一気に詰め込まれて、私はむしろ頭が痛くなってきた。結局理解できたのは、この世界には稀に超能力を使える人間がいて、その人たちを集める組織があって、通常の手段では対処できない怪物を倒すために活動している、ということだけだ。
「あ、すまん、一気に喋っちゃって。同じ学校に超能力者がいるなんて驚いちゃってさ。名前も学年もまだ聞いてなかったよな。もしかして先輩だったりする?」
「えと、名前は、
「ふーん。そうか、箱宮ね。よろしく!」
焦って正直に名前を答えた上に、後半はしどろもどろになってしまったが、風崎は大して不審に思わなかったらしい。
彼は修復したボールを制服の内側に仕舞い込むと、私に右の手のひらを差し伸べた。
「箱宮、俺と『組織』に入って一緒に戦ってくれないか?」
九つも歳の離れた男子から放たれた突拍子もない誘い文句。
何それ? 嘘でしょ? と苦笑いが漏れてしまう。道端で魔剣に刺されるのも大概だけど、忍び込んだ高校の屋上で超能力少年に勧誘される事態も正直理解を超えている。
ただ、先程まで私が抱えていた鬱屈は、何故だか少し軽くなっていた。
この少年の明るさに当てられたのかもしれないし、直後にとても良いアイデアを思いついたからかもしれない。
一瞬だけ迷った後、私は風崎の手を取って、こう返答した。
「分かった、やるよ。ところで『組織』って身分証とか偽造できる? それと、ちょっとした整形なんかも」
◇
一週間後の朝。私は再び、同じ高校の校舎の前に立っていた。
ただし今度は不法侵入者としてではなく、一人の正式な転校生として、だ。
「ふう」
微かな緊張。夢にまで見た学園生活を前にして、少し傾いていたセーラ服の白いタイを結び直す。ついでに手鏡を取り出して、髪が乱れていないか確認した。
その様子を見て、隣を歩いていた男子生徒──風崎くんが私に声をかける。
「いやー。まさか、箱宮が学校に忍び込んだだけの部外者だったとはなぁ! びっくりびっくり。『組織』に入るから高校通わせて、なんて言うとは思わなかったよ」
「いいでしょ、別に。というか風崎くん、あんまり大声でそういう事言わないでくれるかな。バレるから」
「おっと、ごめんごめん」
「それと今日からは箱宮じゃなくて宮下だから、間違えないでね?」
「すまんすまん」
風崎くんは舌を出して後頭部を掻く。顔の造形はいいくせに、どこか間の抜けた少年だ。
だけど、彼と出会えたことは幸運だと言ってもいいのかもしれない。
風崎くんが言った通り、私は超能力者として(ホントは違うけど)『組織』に入る代わりに、身分を偽造して高校に入り直すことを所望した。
そう、失ったのならば取り戻してやろうと思ったのだ。私がついぞ手に入れることのできなかった青春、憧れの高校生活を。
要望は意外にもあっさりと通った。手続きはすぐに済み、私には新しい顔と身分と『組織』管轄のマンションの一室が与えられた。
バイトは辞めたし、両親には『しばらく海外に出る』と言って別れを告げてある。十年もいなくなった上にまた行方をくらますなんて心底親不孝者だと思うけれど、どのみち高校に通い切ったら元の暮らしに戻るつもりだ。三年──いや、十月からの転校だから正確には二年と半年か。親孝行はそれまで待ってもらいたい。
あの鬱屈した青春へのコンプレックスを抱えたまま、先の見えない毎日を続けるのはもううんざりなのだ。
「ところで俺、詳しいことは聞いてないんだけどさ、箱宮──宮下って本当は何歳なん?」
「内緒。それに、ここでは風崎くんの方が年上だよ」
「ふーん、まあいっか。そんじゃ、せっかくだから先輩と呼んでもらおうかな」
「! そうだね……風崎、先輩」
風崎くんと連れ添いながら、私は校舎の中へ入っていく。
青春を取り戻すために。後悔しない毎日を過ごしたと胸を張って言うために。
結局入学式には出られなかったけれど、そんなの誤差の範囲内だ。
未来は無限。私の高校生活はこれから。
『組織』とやらの怪物退治、手伝ってもらうよ。空っぽの魔剣。
私の青春を勝手に奪ったんだから、それくらいしてもいいでしょう?
了
青春ロスト、空っぽの魔剣 針手 凡一 @bonhari333
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます