22.二人を結ぶ、七色の橋。

 代わりに口を突いて出たのは、


「……じゃあ、どうしてここに?たまに使ってる人間がいうのもなんだけど、ここって天気次第じゃあんまりいい場所じゃないぞ?」


 聞くまでもない。


 そもそもここ数日間、天候はずっと良かったのだ。そんなことは紅音もよく知っている。


 従って、過ごしにくいなんてことは一切なかったに違いない。そんなことは分かりきっている。なのになぜそんなことを聞いたのか。


 分からない。


 ただ、そんな紅音に月見里はぽつりと、


「私、駄目ですね」


 再びうつむきながら、


「手間をかけちゃ駄目だって思ってるのに、結局西園寺くんに迷惑をかけて」


「迷惑……?」


 頷かない。月見里は続ける。


「本当は、他にも方法はあったはずなんです。だけど、ここを選んだのはきっと、どこかで期待してたんだと思います。もしかしたら、西園寺くんが来るんじゃないかなって。そんなこと考えちゃ駄目なのに」


 どういうことだ。


 紅音は月見里の言葉を遮るように、


「ちょっと待ってくれ。俺が来ちゃ駄目だったのか?」


 月見里は思い切りぶんぶんと首を横に振り、


「そんなことない!そんなことないんです。でも、これじゃ、駄目だったんです。私は、ここにいちゃいけなかった」


「いちゃいけないって……そんなこと」


「でも、西園寺くんはここに来た。きっと探しに来てくれたんですよね。色んなことを考えて、時間も使って。そんな手間を、使わせちゃいけなかったんです」


 ああ。


 紅音は漸く理解した。


 要は「紅音に迷惑をかけたくない」。その一心で彼女はここに来たのだ。


 なぜか。


 答えは簡単だ。


 月見里は、紅音が自分のために余計な時間を割いていると考えているのだ。


 もしそうだとすれば、学校に顔を出せば紅音に気を使わせてしまうかもしれない。


 学生相談室にでも行こうものなら、その時間を奪ってしまうかもしれない。そんなことを考えたのだ。


 では、なぜ。そんな思考に至ってしまったのか。


 紅音が月見里に割く時間が「迷惑」だと思っているなんて勘違いをしてしまったのか。


 こんなもの冠木や葵や優姫でなくても分かることだ。


 友達になってほしい。


 その手を、掴まなかったからだ。


 振り払い、拒絶し、嘘の理由まででっち上げて逃げ出し、ヘタレと呼ばれてもなお態度を変えなかった。


それは葵からしてみれば「いつもの西園寺紅音」にうつったかもしれない。


 しかし、月見里の目には全く違うものが映っていた。


 友達になりたいと思う自分の手を、その要望を聞くまでもなく振り払う。そんな行動をした紅音を見て「迷惑なのではないか」と思い、自責し、こうして一人籠ってしまった。


 やはりその姿は、“かつての紅音”そのものじゃないか。

 

 

“これな、私思うんだ。どうして「朱」に交わったのに「赤」くなるんだって。そりゃ、確かに二つは似た色だ。でも厳密には違うだろ、クリムゾンとワインレッドは厳密には違う色だけど、どちらも赤色っていうカテゴリには入ってる。だからさ、いかに誰かと交わって、影響を受けても、本質までは変わらない”


“少年は月見里と自分は違うみたいに考えてるけどな。私から見たら、割と似た者同士だってことだ”



 冠木の言っていた言葉が、今なら少し分かるような気がした。


 もちろん、似た者同士かどうかは分からない。紅音と月見里はやっぱり違う人間だ。相容れないところもあるだろう。それでも、


「だから、私、行きますね。ご心配をおかけしました。授業は、その、出ますので、ご心配なく。それでは」


 足早に話をまとめ、切り上げてしまおうと立ち上がる月見里の手を、


「まってくれ」


 掴みとる。月見里はびくっとして振り返り、


「!な、なんでしょうか」


 改めて思う。


 その目に、“その色”は似合わない。


 紅音は息を軽く吸い、


「友達を、探してるんだよな?」


「え………はい、そうですけど」


 紅音はあえてその目をまっすぐ見つめ、


「俺じゃ、駄目か?」


 なんと厚かましいんだろう。


 彼女は散々その気を見せていたではないか。


 にも拘わらず無視し続けていたのは誰だ?逃げ続けていたのは誰だ?お互いをよく知らないといけないなんてもっともらしい理由をつけて自己正当化を図ったのは誰だ?


 全部紅音じゃないのか。


 そんなやつに、今更友達になる資格なんてあるはずもない。


 けれど、


「え、あの、それは一体」


 戸惑う。


 月見里は優しい。恐らくそれは紅音には無いものだ。


 だから、傷をつけてしまうのではないかと思った。


 その綺麗な色を、汚してしまうのではないかと恐れた。


 だけど、結果はどうだ。今目にしている瞳の色こそ、紅音が恐れていたものではないのか?


 違うんだ。


 やっと、分かった。


 “俺”は月見里を傷つけるのが嫌だったんじゃない。


 嫌われるのが嫌だったんだ。


 だったら、答えは簡単だ。


 嫌われないように紅音が努力すればいい。それだけのことだ。月見里は関係ない。

 

 もしこの申し出が断られたって気にするものか。何度でも声をかければいい。


 直接が駄目なら葵を通したっていい。それくらいのことならきっと力を貸してくれるはずだ。なんたってあの“葵ちゃん”なのだから。


「すまん。ホントはな、分かってたんだ。月見里が、俺に「友達になってほしい」って言いたがってるのは。だから、あえて言わせないようにした」


 月見里が、


「それはやっぱり迷惑だから」


「違う」


「……!」


「違うんだ。迷惑なんかじゃない。ただ、怖かったんだよ」


「怖かった?」


「そうだ。俺は怖かったんだ。月見里は良いやつだ。けど、良いやつにだって、怒ったり、許せなかったりすることはある。そんな対象になってしまうんじゃないかって、そう思ったんだ」


「そんなことは……」


「ないって思うだろ?でもそれはあくまで出会ってから時間が経ってないからだ。俺はそう思ってた。けど、その時は俺が頑張ればいい。だから、さ」


 もう一度、まっすぐに月見里と視線を合わせ、


「友達に、なってくれないか?」


 言い切った。


 後は月見里の判断待ち。


 と思っていたのだが、


「は、はい……私……」


 つつっと、月見里の頬を一筋の水滴が伝う。今が雨模様で良かった。きっとそうでなかったら、誤魔化しなんてきかなかったから。


 月見里はそんな水滴を開いている方の手で必死にぬぐってから、


「……私からもお願いします。友達に、なってくれますか?」


 そんな瞳の色はもう、いつもの月見里そのものだった。


 紅音は立ち上がり、


「こちらこそ……友達ってこういうもんだっけ?」


「えーっと……違う気がします」


 流石にそれは分かっている。そういえば中学の友達がどうって言ってたもんな。紅音と月見里は二人見合わせてから、苦笑いし、


「さて、取り合えず屋内に避難するか。大分濡れたからな……」


「わっ!?え、雨!?」 


 まさか今の今まで気が付かなかったというのか。マイペースというか、目の前しか見えていないというか。なんとも不安な感じで、


(ちょっと!押さないでよ!)


(えーだって見えないじゃないですか)


(楽しんでるところ悪いけど、そろそろ撤収した方がいいと思うよ)


「……………………」


「西園寺くん……?どうしたんで、わっ」


 紅音は有無を言わさず月見里を引っ張っていく。


 目的地など決まっている。紅音はきっちりと閉めたはずなのに、なぜか“ちょっとだけ開いている鉄の扉”。その裏側だ。


(見えないよ~)


(だから押さないでって……あれ、なんか近づいてきて)


 ギイイイィィィィ


「ない……ってうわっ!?」


「ちょっといきなり……わっ!?」


「あ」


 それぞれの感情がこもった三人分の声と、それと同じ分の野次馬が飛び出てきた。

 厳密には野次馬二人と、それを近くから見守るブンヤが一人だが。


 紅音は思いっきり湿りきった目で二人を見下げ、


「…………弁明は?」


「えっと……」


 一人目・八雲やくも葵は目をそらし、


「や、やあ。雨降ってるし、中入りなよ」


 二人目・冠木紫乃は白々しい挨拶をしてきた。


 奥にいた三人目・朝霞あさか文五郎ぶんごろうは両手をかかげて「やれやれ」といった塩梅に、


「ごめんね、紅音。屋上に行くのが見えたって教えたら、見に行くって聞かなくって。止めたんだけどね」


 と、謝る。


 朝霞のことだ。一応止めはしたのだろう。


 ただ、結局は判断を相手にゆだねたに違いない。


 反対派一人に対して、賛成派二人。多数決でも朝霞が負ける。そんな分の悪い状況で身を挺するほどこいつは人に干渉しない。


「そうか、分かった。まあ、教えるなってのは越権だからな……さて」


 紅音はもう一度立ち上がれずにいる二人に視線を向ける。目線の関係上完全に見下ろす格好だ。そんな状況を冠木は、


「あの……紅音さん?出来ればその「死んだ魚を見るかのような目」で見つめるのはやめて欲しいなぁって……」


 そう表現する。


 なるほど、死んだ魚を見るような目ね。いい線をついているけれど、残念ながら違う。今紅音は「ゴミにたかっているハエを見る目」をしているのだ。


 紅音は一言、


「美代ちゃんに教えますね」


 言い終わるのを待たずして冠木が、


「それだけは駄目!」


 じゃあ覗きなんかするな。思わずそう言いそうになった。


 流石に酒瓶を教えると、彼女の立場が危ういのは間違いない。そして、それをするほど紅音は鬼ではない。ないのだが、


「ど~しよっかなぁ~」


 ちらつかせることはする。鬼ではないけど。


 冠木はすがるように、


「ごめんって!ほんとそれだけは勘弁して!出来ることならなんでもするから!」


 ん?今何でもするって言ったよね。


 言質は取った。録音はしてないけど、証人はいる。大丈夫だろう。


 続いてもう一言、


「鍵、変えとくから」


 それを聞いた葵は血相を変えて、


「やめて!それだけはお願いだから!」


 鍵、というのは言うまでもなく西園寺邸のものに他ならない。


 葵はその鍵を(勝手に)複製して持っているので、いつでも好きな時に出入りできるし、優姫とも会うことも出来るようになっているのだ。それを取り上げる。


 もちろんそんなことはしないし、それをすると困るのは紅音(というか優姫)なのだが、そんなことには思い至らないらしい。優位に立ってるって素敵。


 葵もすがるようにして、


「おねげえですだ~!お代官様~!お慈悲~!お慈悲を~!」


 そんな状況を紅音は目いっぱい楽しみ、


「はっはっはっ」


「ふふっ」


 ん?なんか一人分多くなかったか?


 紅音が声のした方に振り向くと、


「あ゛っ゛!゛!゛?゛?゛」


 しまった。


 月見里が見ていたのだった。


 紅音は思わず、


「いや、違うんだよ?ほら、覗きはよくないから、ちょっとほら、ね」


 手をバタバタさせる。ちなみに足元には二匹のゾンビがまとわりついている。ええい、うっとおしい。


 そんな光景を見た月見里はというと、


「ふふっ、分かってます。でも、そんな酷いことはしないんですよね?」


「う」


 読まれていた。


 そうだ。一応釘は挿しておくが、基本的に二人に何かをしよういう意図はない。


 せいぜいが冠木の楽しみにしていたお菓子を「覗かれんだけどなー」と言いながらかすめ取るくらいのもので、まさか酒瓶のありかを鳳に教えたり、鍵を変えたりはしないし、するわけがない。どうやら、それくらいのことはお見通しのようだ。



“月見里はさ、凄く引っ込み思案で、後ろ向きで、いろんなことを考えられる良い子だよ。それは多分紅音もよくわかってると思う。けどね、その実凄く芯の強い子だよ”



 なるほどね。


 どうやら、紅音は月見里のことを甘く見ていたようだ。このあたりは流石養護教諭というところだろうか。


……だから、きっと、今紅音の足にへばりつきながらクライミングし、まさにベルトという五合目に手をかけようとしているゾンビとはきっと別人、


「ちょっと!やめてくださいよ!」


 紅音は二人のゾンビをなんとか引きはがし、


「分かった!分かりました!美代ちゃんに教えたり、鍵変えたりはしませんから、やめてください!その代わり、もう二度とこういうことはしないでくださいよ!分かりましたか!」


「「はいっ、分かりました!」」


 二人そろってびしっと敬礼する。なぜ啓礼なのかは分からない。


 そんな光景をずーっと眺めていた朝霞がぽつりと、


「お、雨あがったね」


「ん?」


「あ」


 本当だった。


 それに加えて、


「虹……」


 そう。


 遠くの空に虹が出ていた。このあたりは軽めの、それこそ傘も要らないくらいだったが、ところによってはそれなりに降ったのかもしれない。


 綺麗な虹がかかる。昼下がりの空は、どこまでも透き通るような、青をしていた。

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