chapter.2

6.あんたはここで私たちと野球をするのよ。

 朝霞あさかの立てたプランはこうだ。


 まず、朝霞が月見里やまなしにコンタクトを取る。


 「一度も話したことないけど、まあ、大丈夫だと思うよ」というのは朝霞の言。恐らく彼の言葉でなければ信じなかったであろうその言葉の通りコンタクトが成功した暁には、取り合えず新聞部の部室に招待することとなっている。


 良い言い方をすれば「最初から目的を告げると警戒されてしまうかもしれないからワンクッション挟む」ということだが、悪い言い方をするならば「本来の目的を隠して連れ込み、退路を断つ」ということだ。


 若干強引な気がしないでもないが、そうでもしないとまた逃げられてしまう可能性が高い以上仕方ない。


 そして、そこで紅音くおんがコンタクトを取って、誤解を解いたうえで、冠木かぶらぎと連絡を取り、改めて学生相談室まで案内するというのが全体の流れだった。


 朝霞には「最初から学生相談室に連れていくんじゃ駄目なのか?」と聞かれたが、駄目なのだ。


 それだと時間が読めなくなり、おおとりと鉢合わせてしまう可能性がある。


 そうでなくとも、月見里の一連の反応を見る限り、直接連れて行こうものなら、自分が何かをやらかしたのではないかと解釈し、以降まともな意思疎通が図れなくなる恐れがある。それだけは何としても避けたかったのだ。


 と、いう訳で、今、紅音は朝霞を待つべく、あらかじめ新聞部の部室で待機しているわけなのだが、


「だから、絶対通用するって。むしろしない方がおかしいでしょ、この数字だよ」


「はっ……数字だけで何でも分かると思ってるところがいかにも二流よね。あなたが絶賛した三億のバッピがいたのをもう忘れたのかしら?」


「ぐっ……うるさいわね!たまにはそういうこともあるでしょ!それにね、アンタが絶賛してた新人だって、全然出てこないじゃない」


「あれは……!その、怪我してるから仕方ないのよ」


「怪我ぁ?怪我がどうしたっての?球速も指標もアマチュア時代とは全く変わらないのに、防御率だけ伴わない怪我なんてあるのかしら?」


「ぐっ……」


 なんすかこれ。


 なんだと思います?(疑問形)


 いや、正直なところ、内容に関してはほとんど理解できる。彼女ら二人が語っているのはもっぱら野球の話だ。


 今はもう四月に入っているから、シーズン自体は開幕しているものの、往々にして、計算外の事態というのは起こりうるものだ。 


 その一つが「助っ人外国人の誤算」である。要は「こいついけるやん!」と思って取ってきた助っ人が全く役に立たないということが往々にして起こりうるのだ。


 その理由は、能力的にそもそも獲得が間違っていたパターンから、本人には能力があるのだが、日本の野球を舐め切って来日したため、調整不足で怪我をしてしまうなど様々だ。


 しかし、そんな誤算をそのままにしておくわけにはいかない。


 その為時折行われるのが「中途補強」だ。


 早い話が、「開幕前に取ったやつが全然使えないから、代わりを探してくる」という動き。


 今目の前にいる二人が議論をしていたのは、そんな中途補強で獲得された一人の投手に関する事らしい。


 ただ、その主張は平行線だ。


一人は、データなどを中心に、その投手は絶対に活躍すると言い張っている。


 もう一人は、自分の感覚を中心にその投手は絶対に活躍しないと言い張っている。

そして、お互い一切持論を曲げるつもりがない。


従って、


「だから言ってるでしょう!このK/BBを見なさいって!こんなにいい投手滅多に来ないわよ!」


「それも3Aでの指標でしょう?こっちに来たらどうなるか分からないわよ」


 議論は全く進まないのだった。ちなみにK/BBというのは奪三振数を与四球数で割ったもので、投手としての制球力を表すものだと言われている……らしい。紅音も最近知ったものなので詳しいことはコメントできないが。


 さて。


 流石にこのまま言い争っている状態だとまずい。


 もし仮に、この状態のまま月見里が部室ここに連れてこられたとしよう。


 恐らくはその言い争いに押されて、借りてきた猫状態になってしまうはずである。それでは非常にまずい。


 と、いう訳で、少し……いや、かなり面倒だが、割って入ることとしよう。いつもはやらないことなのだが、こればっかりは仕方がない。


「いつものことですけど……随分と意見が割れてますね、お二方」


 二人は「そこにいるの今初めて気が付いた」といった具合の反応を見せ、


「あら、いたんですか?」


「ほんとだ。いたなら手伝ってよ」


 嫌です……


 とは流石に言えないものの。正直なところどっちかに加勢するのだけはお断りだった。延々と二人で言い争っていていただきたい。


「別に手伝うものじゃないでしょ。それに俺じゃ詳しくないから助けになんてなれませんって」


「あら、そう?でもこの間結構色々な見解を話してくれたわよね?あれ、面白かったわよ」


 そう語るのは葉月はづき先輩。


 フルネーム羽村はむら葉月だが、自分から「葉月先輩と呼びなさい」と主張してきたので、そう呼んでいる。


 腰ほどにまで伸びた、綺麗に切りそろえられた黒髪と、真っ赤なカチューシャがトレードマークの三年生だ。


一応公的には新聞部に所属しているものの、本人は「野球愛好会所属」だと言ってきかない。


 ただ、野球に関するコラムを書いては新聞の紙面に提供しているので、正直紅音から見ると立派な新聞部員だと思うのだが、本人は何故か認めようとしない。


 口調は淡々と、そしてどこかツンとしたところのある先輩だが、話してみると意外と優しい。聞けば弟がいるらしく、その辺が影響しているのかもしれない。


「ちょっと西園寺?あなたどっちの味方なの、どっちの」


 そしてこちらは明日香先輩。


 フルネームは朝比奈あさひな明日香あすかだったはずだが、やはりこちらの情報も活かされる機会はほとんどない。


 肩にかからないくらいのツンっとした茶髪のショートヘアーと、日によって形の違う小さなヘアピンがトレードマークのこれまた三年生だ。


 元気が一番の取り得という感じで、その話ぶりから性格まで、どちらかといえば運動部に所属していた方が違和感がないのだが、そういう話は聞いたことが無い。


 代わりと言ってはなんだが、人数不足で呼ばれては助っ人にいっているらしく、部室にいる機会は葉月先輩よりはやや少ない。


 もちろん、こちらも紅音に「明日香先輩」と呼ぶことを求めている。


 性格的には明日香の方が雑なのだが、どういう訳だが、細かなことはこちらの方が得意だ。事実野球を見る時の目も感性よりも数字をモットーにしているらしい。


 ただ、そのせいで、全く真逆のスタイルである「感覚派」である葉月とは何かとこうやって対立してしまうのである。


 正直なところ紅音から見ていると、仲はむしろいいようにしか見えない。


 実際に主義を挟まなければ二人とも同じ趣味を持つ同好の士として会話が弾むし、休日には一緒に野球観戦に行ったり、草野球をしてみたりもするというから驚きだ。

いわゆる「喧嘩するほど仲が良い」というやつだ。


 特定の界隈からすれば「喧嘩ップル百合」という表現をされるかもしれないが、実際のところ、そのあたりの評価がどうなっているのかは紅音自身もよく知らないのだった。


 そんなわけで、正直放っておいてもいずれ仲直りはすると思うのだが、今回に限って言えば強引にでも落ち着いてもらわないとこちらが困ってしまう。


 と、いう訳で、


「どっちの味方でもないですよ俺は。しいて言うなら真実の味方、でしょうか」


 二人はほぼ同時に、


「「なんか朝霞っぽい」」


心外である。


ただ、言わんとすることは分かるので、反論はやめておいた。


その代わり、


「今回のことに関しては知らないですけど、自分はどっちも重要視するんですよ。感覚も、数字も」


 これに反論を加えたのは明日香先輩だった。


「感覚って、そんなんで差が分かったりするもんなの?」


 紅音は首肯し、


「まあ、ある程度は。もちろん、ぱっと見の印象だけで全部は分からないですよ。海外からの新戦力ともなれば、映像だって豊富かどうか分からない。バッターならヒット集、ピッチャーなら奪三振集くらいしかない場合もあります」


 これに異論を唱えたのは葉月先輩だった。


「それだけあれば十分じゃなくて?」


 紅音は首を横に振り、


「いいえ。なにせ、ヒットを打ったり、三振を奪ったりしたときってのは概ね「良い状態」の時ですからね。打者なら、自分の得意ボールを打った時。投手ならベストピッチを投げたときである可能性が高いです。したがって、弱点とか、能力の全体像が見えない場合も多いんですよ」


 明日香先輩は得意げに腕を組んでふんすと鼻息荒く、


「つまり、私の方が正しいってことね」


 紅音は再び首を横に振り、


「それが、そうとも限らないんですよ」


 明日香先輩はいかにも不満げに口を一文字にし、


「なんでよ」


「そりゃ、その数字ってのはあくまで向こうでの結果でしかないからです。覚えてません?去年来た、すっごい向こうで指標よかったのに駄目だった投手」


 明日香は、


「ん?んー……?あ。あー……」


 暫く悩んだ末に思い至ったらしい。紅音は続ける、


「あれってなんで失敗したかっていうと、日本の球だとツーシーム系のボールが全然動かなくなって、組み立てが難しくなったからなんですよ。でもこういうのって、指標だと出ませんよね?」


「た、確かに……」


 一連の流れを見ていた葉月先輩はここぞとばかりに、


「つまり、やはり私のほうが、」


「そうともいえないんですよね」


「正しい……最後まで言わせてくださいよ……」


 だって、どういう反応するかが読めたし、とは流石に言えなかった。


 紅音はひとつ咳払いをして、


「感覚だけってのも難しいですよ。例えば映像の質が悪いとか。大した映像が無いとか。そういう場合ってありますよね」


「まあ……ありますわね」


「それから、映像自体は良いんだけど、数年前のものとか」


「あぁ……」


 どうやら思い当たるものがあったらしい。それなら大丈夫だ。


「そこから数年経っている以上、やっぱり映像と同じポテンシャルを発揮出来るかが大事なわけです。そこで、データが重要になってくるんですよ。数年前から指標が下がってきていないかって。それが下がっていないのであれば映像通りのプレーをしてくれる可能性―は高いですし、下がっているのならば、その映像自体が役に立たない可能性が高いってわけで。まあ、どっちもいいところがあるんです。感覚も、データも」


 とまあ、自分がここ最近で得た知識でざっくりと理屈をこねてみた。


 正直なところ、二人が求めているのはこんな「どっちつかず」の結論ではなくて「どっちが正しいか」というものだと思うし、なんなら決着の舞台は野球である必要すらないような気はするのだが、取り合えずいったん落ち着いてもらうことが目標なのだから、これでも大丈夫、


「詳しいんですね、西園寺さいおんじさん」


「ね、私もびっくりした。ね、西園寺」


「はい」


「野球をしよう」


 ではなかった。


 いきなりなんだというのか。


 ここは全寮制の学校ではないし、明日香先輩あんたは徒歩で就活に行くような学生でもないだろう。無駄に良い声で言うんじゃない。


「や、だって。そんだけ詳しいってことは嫌いではないでしょ?いいじゃん、やろうよ」


 そう言いつつ明日香先輩は紅音の手を握る。葉月も負けじと紅音の手を取り、


「そうですよ。それにあなたがいれば、明日香に負けを認めさせることが出来るはずです」


 だからそれはさっきどっちが優れてるわけではないって言ったばかりだろう。


 明日香がすかさず、


「あ、こら!紅音は葉月には渡さないよ!」


「何ですか急に。引っ込んでいてください。私が先に目を付けたんですよ」


「はぁ?先に声かけたの私でしょ?もう忘れたの?」


 んもおおおおおおおおおおおお!!!!


 なんでそうすぐに喧嘩に発展するかなぁ!!!!


 そういうのはベッドの上でいちゃこらするときだけにして欲しいものである。


 取り合えず二人を鎮めよう。


 そう思った、次の瞬間。


 ガチャリ。


「さ、入って入って」


「お、お邪魔します」


 バタン。


 音がした。


 ついでに声もした。


 そして、間髪入れずに、


「私のですー!」


「いいえ、西園寺さんは私のものです。返しなさい!」


「ひゃっ!?」


 瞬間。


 時が止まったかと思った。


 その場にいた全員が行動停止し、一人を除いた全員の視線が一か所に集中する。


 そこには、


「ごめんなさいごめんなさいまた私やっちゃいましたねほんとにすみません男女のアレとか全く分からないもので。勘違いだって言われて素直にほいほいついてきちゃったけどやっぱりごめんなさい私はまだ未熟なので許してください!!!!」


 ものすごい勢いでまくしたててくる、縮こまりに縮こまった月見里朱灯あかりの姿があった。


 もしかして、この子。見ちゃいけない場面を目撃してしまう体質か何かなのではないだろうか。そんな風に思わざるを得なかった。


 しかしまあ、間が悪いにもほどがあるぞ。全く。

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