負けられない戦い!

 世の中には、退いてはいけないときというものがあるはずだ。

 秋という字に、〈決断の時、変り目の時〉という意を含ませた古代中国人の発想には端倪たんげいすべからざるものがある。

 私が第三次選考をパスした時点で、父は落ちた。

 それ以来。

 めっきり父娘の会話はなくなった。

 どうやら、応募者とその支援者の関係、という新しいフェーズに突入したようだ。

 すると、これまで不和だった母が、常駐の病院から駆け戻ってきて、私を励ましてくれた。


「……さあ、これは、負けられない戦いよ!全力で、あなたの支援に回るわ。安心なさい。お父さんもそのつもりよ。社員のみんなに、協力を頼んでいたし」


 母の笑顔を見たのは、何年ぶりのことだったろう。

 どちらかといえば、私は母よりも父になついていた。

 母は、私がきたとき、『ふん、五代目か!』と鼻息をあらげたものだ。五目にして、私は、この家の五代目の娘になったのだった。

 それまでの四だいは、作動不良で廃棄処分になったらしい。倹約家の母は、私との初対面のとき、『もったいないことばかりして!』と、父をにらみ付けていたあの夜叉やしゃのごとき表情はいまだに忘れないでいる。

 もっとも、一度も夜叉などというものをたことはないけれど。

 プログラミングされている智識の断片を繋ぎ合わせるとそういうフレーズが浮かんでくる。

 母は苦労人であったらしく、本当は女医をめざしていたらしいが、父の会社を手伝っていたりして、なかなか思うようにはいかなかったようだ。数余の検査技師の資格をとり応用の効く看護師となった母は、家をあけることが多くなった。

 文句を言わずに父を支えてきた母は、いまでは死語になっている“女傑”というフレーズがぴったりだろうし、事実、“闘う看護師シリーズ”のインタビュー記事では、母はそのように紹介されている。


 実は、この私を〈応答さん〉に応募させるのが、当初からの父の計略であったらしい。

 自分が応募すれば、父親思いの私が手をあげるにちがいないと、父は読んでいたのだ。その一部始終を母から聴いて、私は、心底驚いた。どうやら、愚直で、真っ正直な父、という私なりの評価は修正する必要があるらしい。

「あのね」と、母はコロコロと笑った。

「……人間て、複雑なの。そういうことを、これからも、少しずつ学んでいかないとね。こころの機微というか、そんなことかしら。それにね、あなたが〈応答さん〉になったとき、予期しなかった質問が、わんさか寄せられるとおもうから、今のうちに、覚悟しておいたほうがいいわよ」


 母は笑った。いつまでも。

 私も、つられて笑った。なかなか、この世は、複雑怪奇だ。

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