8-9 東方戦線

 世暦せいれき1915年1月8日


 簡素な新年の祝いぐらいは済ませられた後、第三軍団や数個の独立部隊と共に、鉄道に揺られて、第十一独立遊撃大隊は、リーズスティーンツ地方東に隣接するオルフェン伯爵が治めるサンリガル地方にて、防衛戦を展開する第五軍団の下へと到着した。


 現在、リーズスティーンツ地方を取り囲む様に帝国軍は三つの戦線を作り上げていた。


 第九軍団率いる南方戦線、第二軍団率いる南東戦線、第五軍団率いる東方戦線である。


 ポーゼン上級大将等総司令部は当然、三戦線の中心に位置する南東戦線に存在しているが、シュロストーアから最短の戦線が東方戦線であったのと、何より此処ここが三戦線の中でであるのが、第三軍団等が此方こちらに送られた理由であった。


 東方戦線から東方に三十キロ離れた地点に、帝国五大工業地の一つシュタール工業地帯があり、現在敵第二軍が執拗しつような突撃後退を繰り返していたのだ。


 幸いにして、サンリガル地方周辺の制海権は小規模な駐留艦隊による応戦でまだ奪われておらず、単純な陸戦力同士のぶつかり合いが続いており、同兵力の中の防衛戦という事から、帝国が少し有利の状況が続いていた。



「アンナ、此処ここの戦況はどうなっているんだい?」


此方こちらが僅かに有利ですが、膠着状態が続いているそうです」



 厚手のコートを身に纏い、靴底が埋まる程度の白い道をザクザクと鳴らしながら、エルヴィンは、アンナ越しに聞いた兵士の報告に、「まぁ、当然だろうな」と頷いた。



「時間を掛ければ掛ける程に奇襲の有利は薄くなる。帝国軍が防御線を完成させた以上、これ以上の王国軍による侵攻は難しいだろうね」


「それがそうでも無い様です。僅かな差ではありますが、他の二つの戦線では押され気味な様ですから」


「ん? そうなのかい……? 総司令官はあのポーゼン将軍だし、兵力も十分あると聞いている。制海権が心許無いけど、陸戦で言えば、地の利が大きい此方こちらが押し始める筈なんだけど……」



 理由も分からず、現状に釈然としないエルヴィン。彼の与り知れない謀略の範疇において、未だデュッセルドルフ派によるポーゼン上級大将への非協力姿勢が続いており、後方にシュタール工業地帯を抱える東方戦線は流石に無視出来ず参戦したが、他の二つの戦線においては地方軍の要請無視及び軍人のボイコットが続いていたのだ。



「何にせよ、シュタール工業地帯を攻略されない様に防御線にて奮戦するのが、今回の我々の仕事かな?」


「その様です」


「はぁ……こんな極寒の中戦わなければならないとはね……。まぁ、シベリヤに比べればマシだろうし、自国な分更に良い。補給線も問題ないしね。日本のシベリア出兵みたいな事にはならないか。逆に、本国から離れたジョンブル軍の兵士達が気の毒だね」



 冬の侵略戦において侵略側が勝った事例は極端に少ない。理由としては、雪によって後背の補給線が埋まり十分な武器弾薬、何より食糧の確保が困難になる中で、寒さによる士気低下などが重なり、戦争の継続能力が急降下する為である。


 特に、寒さ慣れしている相手となれば尚更で、物の見事に惨敗した事例が、ロシアと後のソ連に攻め込んだナポレオンとヒトラーであるだろう。


 帝国はロシア程に寒さ慣れしていないにしても、北部に於ける積雪状況と地形は過去から把握されており、鉄道という盤石な補給線も持っている事によって、ジョンブル王国との戦争における土台の差はかなり有利に開きがあった。



「地の利が此方こちらにある中で、冬に攻め込んで来てくれたのは有難いけど……だからこそ理解出来ない。ヒルデブラントとオリヴィエでブリュメール方面軍が機能しない有利さを通り越して、冬に攻め込んでくる不利の方が大きい筈なんだ。時勢を読む能力が彼方あちらは欠けていたのだろうか……?」



 エルヴィンの脳裏に、〔ヒルデブラント要塞攻防戦〕と〔カールスルーエ反乱〕の裏で動いているだろう第三者の事が浮かんだ。



「第三の勢力。国々を動かせる程の謀略を個人でやれるとは考え難い。目的は間違いなく帝国の滅亡だろうけど……何を欲したものだろうか?」



 ふと口にした疑問。普通に考えれば、目障りな強国を消す為、もしくは復讐や報復、などだが、どうもこれではないと彼は思った。


 より奥底。より打算的かつ合理的な理由に基づいて動いている様に思えたのだ。


 しかし、その時運ばれた冷気混じりの強風に肌を強襲された事で、エルヴィンの考えはそこで止まる。


 第一、考えた所でそれをどうにかする権力は自分には無いし、現状どう生き残るかについてなど別に考えるべき事は山程あったのだ。



「冬はやっぱり冷え込むなぁ……早くテントに行こうか」


「まだ建ててる最中だと思いますよ?」


「それでも戻らないより戻る方が一秒は早くテントに入れるよ。風だけでも凌ぎたいしね」


「なら、ついでにコーヒーを貰って来ますよ。私が淹れる訳でもないですし、此方こちらの戦線にも砂糖とミルクが置いてあるかは分かりませんが」


「寒いままより、多少は温める方がマシだよ。その為なら苦味も我慢するさ」



 後に、エルヴィンはこの発言を後悔する羽目になった。昨日までシャルの美味いコーヒーに慣れてしまった彼の舌へ、軍本来の泥水を更に砂の濃度が濃くなった様な液体が、砂糖もミルクも無い嫌な苦味を伴って濁流となって襲ったのだ。


 これには耐え切れず吐き気を催し、「戦場ではシャルやアンナが淹れたコーヒー以外、絶対飲まない!」と、彼にくだらぬ決意を固めさせたのだった。

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