8-10 部外者

 ブリュメール方面軍所属第三軍団。暫定的司令官として、生き残った将官の最高位だった隷下二十三歩兵師団司令官ヴィーラント・プラウエン少将が着任し、彼の下、独立部隊も編入されて今回の援軍としていた。


 到着早々、ブラウエン少将は第五軍団司令官ブルーノ・アン・デア・ルール中将の下への挨拶及び作戦、行動計画の打ち合わせを行い、その詳細事項を伝えるべく、麾下きかに組み込まれた佐官以上の士官達を第三軍団の司令部テントへと招集した。


 その集められた士官達が複数の列を作って並び座る中で、エルヴィンは少しげんなりした顔色で、僅かに残る吐き気を抑えようと口元に手を当てていた。先程の泥水がまだ舌に残っているらしい。



「おい、大丈夫か?」



 背後から掛けられた声。〔オリヴィエ要塞攻防戦〕で中佐へと出世した副隊長、《剣鬼》と呼ばれる鬼人の剣士が、エルヴィンへ呆れ気味に細めた目を向けた。



「大丈夫……まさか、あれ程に不味いとは思わなかった。コーヒーの味は分からないと思ってたけど……あれは極め付きだ」



 幸いにして、前に立つブラウエン少将の話は幕僚達と話している事で始まっておらず、咎められる状況ではない。しかし、仮にも大佐という佐官最高位の階級を持つ者が無様を晒すさまは見てれず、ガンリュウ中佐は背後からエルヴィンの背中をさすった。



「中佐ありがとう……少し楽になったよ」


「こっちとしては子供の世話を焼いている様で嫌なんだが?」



 何とも情け無い我等が上官に、嘆息が止まらなくなりそうだと、結局溜め息がこぼされる。


(こんな奴があの《武神》と渡り合った、と語った所で、半分には嘲笑をこぼされ、残りの更に半分には無視され、余った者達は言った奴すら馬鹿にするだろう)


 そうガンリュウ中佐はエルヴィンを評価したが、それ以前に他人から評されるべき人物が居る事は、どうやら失念していたらしい。



「おいっ、アレが《剣鬼》か?」


「違いない、鬼人だもんな」


「風格あるなぁ……外見だけでも強そうだ」



 コソコソと此方こちらの噂話をしている他の士官達。彼等がブリュメール方面軍から共に来た者達である以上、ガンリュウ中佐の名は当然広まって認知されており、まだ中から下の者には無名なエルヴィンなどより注目の目線を浴び易いのだ。


 異名が周りで呟かれる度、ガンリュウ中佐には寒気の様なものが走り、思わず、鋭く細められた目を噂する者達に向けて、黙らせた。


 しかし、彼自身、睨んだつもりはなく、むず痒さに顔をしかめただけだった。ただでさえ鋭い眼光が鋭い表情で誇張され、愛想の無さと合わさり、過剰な圧を放つに至ったのだ。



「総員、傾注‼︎」



 第三軍団幕僚の号令によって、ガンリュウ中佐は他の士官達と姿勢を正し、それに遅れてエルヴィンも背筋を伸ばして、眼前に現れた壮年少将へと視線を集中する。



「まず悪い知らせからしよう。此処ここでは、我々はらしい」



 援軍を要請されて来た立場として不可解なプラウエン少将の発言に、士官達の大部分は首を傾げるが、数名は同意するかの様に頷いていた。


 そして、「少々説明が足りなかったな」と付け加えた後、プラウエン少将は補足を始める。



「俺はさっき第五軍団司令官ルール中将の下を訪れたのだか……彼にまずこう言われたのだ。『我々の邪魔をするな、ちょこまか動くくらいなら背後でじっとしてろ!』、とな」



 「何とも馬鹿げた話だ、呼び出したのはそっちだろう!」、と数人の士官達はこの時、僅かな憤りと共に呆れていた。



「皆の思いはわかる。俺だってそうだ。呆れて言葉も出なかった。まぁ……理由は単純に、総司令部と第五軍団で意見の不一致があったのだろうな」



 プラウエン少将の読み通り、応援要請を寄越したポーゼン上級大将と、ルール中将との間に対立関係に近しいものが存在していた。というのも、ルール中将はデュッセルドルフ派で、ミュンヘン派であるポーゼン上級大将とは敵対関係にある。よって、ルール中将は、「ミュンヘン派が何かしらの罠を第三軍団に含めたのでは?」、と懸念していたのだ。


 ポーゼン上級大将からすれば、少し押され気味により派閥抜きに援軍要請しただけなのだが、原因がデュッセルドルフ派の不服従である以上、無所属の多いブリュメール方面軍の方が扱い易く、「出来れば奴等の足を引っ張り返して欲しい」などの考えがあったのも否めない。


 第五軍団を中心とする東方戦線はデュッセルドルフ派も積極的に参加し、今の所盤石。無駄な補填など目障りでしかなかったのだ。



「何によせ、我々は当分暇を持て余す訳だ。暫くは来た意味がほとんど無いという事になる。寒い中、苦労を覚悟したのだがな……まぁ、休めるという点では朗報か」



 皮肉気味に苦笑し肩をすくめるプラウエン少将に、士官達も自分の怒りを笑い飛ばして発散した。



「さて、せっかく集まった所を悪いが、命令としては待機と言わざるを得ん。沙汰さたがあるまで各自休んで英気を養っておくように。……解散!」



 プラウエン少将の号令で散っていく士官達。到着早々の戦場投入も覚悟していた分、何とも拍子抜けだと、呆れや冷笑を持って彼等は司令部を後にする。


 同じく場を後にしたガンリュウ中佐とエルヴィンも、何とも無価値な現状に、前者は嘆息を、後者は苦笑と肩のすくめによって感情表現とした。



「慌てて来た意味が全く無いな。休みというなら、シュロストーアに居た方が回復率が良い」


「本当だね。あっちなら官舎でストーブでも焚いてる中で、ある程度質の良いベッドで寝れるけど……此処ここだとこんな寒い中で、地面で寝てるのと大差無い布団に包まるしかないからね。幾らかのテントには流石に暖房器具はある様だけど、各寝床全てには置く余裕はないから」


「これは味方の何人かは凍死するな。……いや、既にしているのか?」


「何にせよ、休もうにも色々と問題があるから、気は休めなさそうだ」



 外に出て、雪がしんしんと降り積もる中、エルヴィンの口から僅かな不安を込めた白い息が漏れる。



「寒さ程深刻ではないけど……別に心配事もあるしね」


「第五軍団は確か……貴族内派閥に属していたな。なら、アレが顕著か」


。仲間達が被害に遭っていなければ良いけど……」



 「まぁ、無理だろうな」、と最後に心の中で付け加えたエルヴィン。帝国に根強く価値観が足枷になりそうだと危惧せずに居れる程、彼は無知でもなかった。

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