8-7 足りない中で

 昼食をるため図書館でシャルと別れたエルヴィンだったが、軍施設に戻った時、入り口の警備兵から上層部の指示がもたらされる。



「フライブルク中佐であらせられますね? グラートバッハ閣下から至急、司令官室に来るようにとの通達です!」


「予想より早いなぁ……それだけ深刻なんだろうか……?」



 少し嫌そうな雰囲気はあるが、それ以上に現状は予測していたらしく動揺は薄い。それよりも気掛かりだったのが、呼ばれた理由であるだろうリーズスティーツ地方の戦況であり、エルヴィンの眉だけはしかめられた。


 そうして、元の軍服に戻し、空腹ながらグラートバッハ上級大将の下を訪れたエルヴィンは、上官の口から直に告げられる事となる。



「リーズスティーンツでの戦況が芳しくないらしく、此方こちらからも援軍を寄越せとの事だ」



 基本、戦略的な援軍の投入は戦線を拡大する危険を孕んでいるが、今回、ジョンブル王国は海峡を挟み、援軍輸送の距離は実質的にかなり長い。膠着状態において、援軍を送れる距離が敵より短く、尚且つ防衛戦の場合、悪くはない選択であった。普通であれば。



「何とも無理難題を突き付けて来ましたね……」


「全くだ。ヒルデブラントとオリヴィエで更に兵力が削られ、連戦続きの疲労も回復せぬまま、また戦いに兵を送れと言うのだ。馬鹿げた命令としか思えん」



 怒るではなく、最早それを通り越して、グラートバッハ上級大将は呆れていた。



「しかし、命令である以上、従わざるを得ん。ノイス少佐やブレーマーハーフェン大将等幕僚達と協議した結果、オリヴィエで参加させなかった第三軍団を送ろうと考えておる」



 帝国軍第三軍団。ヒルデブラント要塞攻防戦で司令官ケムニッツ大将の戦死を始め壊滅的被害を受けた部隊である。



「第三軍団、ですか……しかし、そこはまだ再編も出来ておらず、司令官も不在の筈ですが……」


「オリヴィエの傷が深い第十、第十一軍団を送る訳にもいかず、貴族共の息が濃く司令官も居ない第八軍団など論外。消去法で第三軍団となった訳だ。幸いにして師団長が一人生き残っておったし、一万程度の兵力は残っているからな」


「それでも傷が完治した訳ではないですから……痛い所ですね」


「貴官の言う通りだな」



 嘆息を鼻笑いで我慢したグラートバッハ上級大将だったが、本題は当然別にある。



「今回、貴官等の第十一独立遊撃大隊には、この第三軍団に随伴して貰いたい。毎度、苦労を掛けるが……我が手持ちの駒で自由に動かせるのは貴官等だけなのだ」


「だと思いましたよ……しかし、大隊のままなんですね?」


「先の戦いの功績上、貴官を大佐に昇進させるのは当然だ。流石にあれだけ派手に動いておいて、エッセン大将が隠し通してくれるとは思ってはおらんだろう。普通ならば連隊を率いて貰いたい所だが……どうも再編させる時間が無い。先の戦いも含めて人材も不足しとるしな」


「もしや、補充自体無しですか? 損害を被った大隊のまま、リーズスティーンツへ援軍に迎えと?」


「すまん……」



 申し訳なさ気に顔を伏せるグラートバッハ上級大将。恐らく幾らかの便宜を図ろうと動いてはくれたのだろう。第三軍団を送るだけで手痛くとも、やはり兵力的には足りない以上、独立部隊を幾らか含めねばならない。となれば自然と、先の戦いでも活躍したエルヴィン達を加えるのは当然だと言える。《剣鬼》と《霧の軍師》という有能な人材が二人も居るのだから。



「承知致しました! 我等、第十一独立遊撃大隊! リーズスティーンツへの援軍に加わります!」



 心中は穏やかでは無いだろう中でも礼節を持って敬礼を向けて来るエルヴィンに対し、グラートバッハ上級大将は後ろめたさを仕舞って威厳を持って頷く。



「出発は年を越し、一月六日。それまでに出立の準備を整えたまえ」


「はっ!」



 軍人としての規律は重んじながら、自分達への命令書を携え部屋を出たエルヴィンだったが、軽い溜め息はこぼしてしまう。



「また戦いか……本当に飽きないな」



 戦いというものに意味が無いとは言わない。戦いが歴史を変えて来たのは事実であるし、歴史の転換期と成り得たのも事実だ。


 しかし、だからといって価値があるものだとは思えない。何故なら、戦いに参加した者より、戦かわせた者の方が得る利益が大きいのだ。他者の屍を積み上げ山にし、権力者達がそれを踏み登って得たいものを得る。近代になるにつれ、その性質は大きくなっている様に思える。



「ジョンブルの権力者達も戦争で得られる物に目を奪われたという事か。自分達の利権しか見なかった結果、自国民と他国民を犠牲にする訳だ。それなのに彼等はマシな死に方が出来てしまうかもしれないのだから……この世界はなんと理不尽なんだろうか」



 「実に哲学的な事を思ったな」、と苦笑をこぼしたエルヴィンは、悲観するのを止め、廊下を進み、階段を下っていく。


 すると、彼は一人の青年とすれ違う事となった。


 彼方あちらの方が階級が下であったらしく、道の端に寄り敬礼を向けて来たが、外見的優劣で見れば彼方あちらが上であっただろう。


(綺麗な顔立ちをしているなぁ……)


 彼ですら一瞬、魅入ってしまう美貌を持った青年。エルヴィンより二つ程歳上だろか。その様相は正に眉目秀麗、いや、それでは語れない程であった。


 アンナより数光度明るいブロンドの髪に、シャルの様に蒼い瞳。しかし、此方こちらはシャル程に澄んではおらず、水面近くより深海を連想させる。身体付きも程よく引き締まり、何より佇まいが常人のそれではない。おそらく貴族の中でも格式の高い家の出身だろう。


 外見的特徴からすれば、間違いなく歴史上に存在する英雄譚に名を連ねるだろう風格を持った青年だった。


(ブリュメール方面軍に、こんな人物が居たのか……知らなかった)


 物珍しさと美しさにその青年を眺めたエルヴィンだったが、彼の後を過ぎた瞬間から興味自体は失せた。後々、話題として取り上げるかもしれないが、彼自身、美しい森人エルフの幼馴染と、外見の性質は違うが、見た目だけならカッコイイ親友と共に過ごしていたため、他人よりも美に対する衝撃が低くかったのだ。


 そうして、何事も無く通り過ぎたエルヴィンだったが、その背中を、青年は、チラリッと見えた中佐の階級章と同い年ぐらいの見た目に、妙な関心による不敵な笑みを浮かべ始める。



「ほぉ……俺と同い年ぐらいで中佐か……なるほど、アレが《



 一瞬、瞳をギラつかせた青年だったが、ふと用事を思い出し、階段を登っていく。しかし、尚も不敵な笑みは消えない。



「《剣鬼》とそれを従える《霧の軍師》。これは中々、面白そうだ……」



 愉快そう、なれど深淵深く、興味だけというには余りに打算的。デュッセルドルフ公爵とたがわぬ一物含めたその笑みは、紛う事無き謀略に通ずる貴族のものであった。

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