8-6 勇者物語

 戦時特例として昇進したポーゼン上級大将によって、リーズスティーンツ地方周辺の軍及び正規軍第二、第五、第九軍団、義勇軍が統合され、四十万近い兵力で王国軍撃破に動いた帝国軍。


 しかし、兵力を纏め上げた時にはリーズスティーンツ地方の八割が既に占領された上、駐留軍とヴィットラアー伯爵軍による共同戦線は崩壊。構築する防衛戦を更に下げざるを得ず、十二月二日にリーズスティーンツ地方は陥落した。


 その後も第二艦隊壊滅による制海権不保持とデュッセルドルフ派の不服従によって、着々と戦線は後退していき、リーズスティーンツ地方周辺の地域まで王国軍が浸透。


 この後の、第二艦隊の残存艦隊及び小艦隊による補給線破壊とポーゼン上級大将の指揮によって敵の進撃を遅らせつつ、王国軍が行動限界に達してくれた事で膠着状態に持ち越しはしたものの、打開策も無く、小さな衝突と嫌がらせ程度の惰性的戦闘が続けられる事となった。




 世暦せいれき1914年12月23日


 ブリュメール方面軍総司令部が設置されている町シュロストーア。オリヴィエ要塞から撤退したエッセン大将達は各駐屯地へと帰還していき、昨日まで事後処理に奔走させられていたエルヴィンは、僅かばかりの休みを図書館で費そうとしていた。


 白い息を吐き、開け放たれていた建物ロビーに入ったエルヴィンは、頭や肩に乗った雪を払うと、暖房が効いた中では暑いとして、厚手のコートを脱いで腕にかけ、軍服ながら上着抜きの私用のベストを足した姿を露わにする。



「帝国北部は本当に寒いなぁ〜。今頃、リーズスティーンツで戦う兵士達は地獄だろうな」



 そう同情気味に呟いたエルヴィンだったが、やはり何処どこか他人事の様だった。シュロストーアとリーズスティーンツ地方はかなりの距離があり、自分に降り掛かる火の粉をどうしても過少に判断してしまうのだ。


 結局は、リーズスティーンツの事は彼方あちらの兵士達に任せるしかないとして、うれいすら沸く事もなく、彼は図書館の蔵書を漁り始める。


 目的の本を棚から数冊取り出し、それ等を持って近くの椅子へと座り、机へと本の束を置く。



「さて……」



 一番上に乗っていた本を目前に置くと、エルヴィンは早速その一ページ目を開いた。



「あれ? 大隊長、ですか……?」



 背後から聞こえた声にエルヴィンが手を止めて振り向くと、そこには、セーターを中心とする私服を身に纏った、白銀の長い髪と綺麗な海色の瞳を有する獣人の少女シャルの姿があった。



「シャル、君も来てたのか……」


「はい、此処ここは軍の敷地の近くにありますので、外出許可を貰って参考書を読みに来ました」



 シャルも数冊の書物をかかえており、全て医学に関するものであった。



「将来は父と同じ医師になりたいので、暇がある時はこうやって医学書を読みに来るんです」


「そうか……私の場合は趣味だね。もともと歴史は好きで、隙あらばこうやって伝記やら歴史書やら読んでるんだ。まぁ……アニメみたいな娯楽も無いからの暇潰しでもあるけど」



 最後の言葉をはぐらかしたエルヴィンだったが、シャルは大して気にする事もなく、彼が広げていた書物を背後から覗き込んだ。



「それで……大隊長は今日、何を読みに来られたんですか?」


「ん……? あぁ……これだよ」



 エルヴィンは本を閉じてシャルへとその表紙を見せた。



「"⦅勇者物語⦆"、ですか?」


「勇者についての伝記だね。書かれたのは当時じゃなくて数世紀後だから、史実とは異なる点が多いだろうけど」



 ⦅勇者物語⦆、神話の時代の勇者と仲間達の活躍、主に魔王軍との戦い〔人魔戦争(第一次大陸戦争)〕についてが語られており、御伽噺の元となった物語だとされる。

 しかし、歴史的信憑性は薄く、語り継がれて来た内容を元に執筆されており、歴史上、複数人の作家によって様々な様相で本として綴られて来た。この本もそんな物の一つであった。



「勇者の話は小さい頃によく母に読み聞かせられました。《勇者》と六人の仲間達が、《魔王》と四人の王――《四天王》達に立ち向かう話ですよね?」


「そうだね、私も….…と、その前に、横の席に座りなよ。立ちながら聞いているのもなんだろう?」



 エルヴィンに促されたシャルだったが、想い人の隣に、という事で少したじろぎ、僅かに耳や尻尾をピクリッと動かしながら、頬を赤らめて、恐る恐る隣に座った。



「それじゃあ、御言葉に甘えて……」



 抱えていた本を机に置いて、ゆっくりと椅子に深く座ったシャルは、横を見ると直ぐ近くに見える彼の顔に、更なる嬉しさと恥ずかしさが湧き、頬を更に赤く染めた。


 しかし、当の見られている本人に気付く様子はなく、彼は何食わぬ表情で早速口を開き始める。



「私も《勇者》の御伽噺はよく聞かされた。登場人物が結構魅力的なんだよね」



 ⦅勇者物語⦆の話を簡単に纏めるとこうだ。


 遥か昔のノース大陸は西を人族、東を魔族が、中央に巨大な森を挟んで不干渉を貫き暮らしていた。


 そこに、魔族が《魔王》を筆頭に中央の森の北と南を通って突如、人族の地に攻め込み、四人の王、《吸血公》、《妖精王》、《龍王》、《天帝》四天王を中心とする猛撃に、西の国々は次々と滅ぼされていく。


 しかし、人族の窮地を救う者達もまた突如として現れた。


 《勇者》と六人の英雄、《賢者》、《神眼》、《聖女》、《軍神》、《剣聖》、《魔聖》である。


 彼等によって劣勢だった人族は次々に魔王軍を撃破し戦況は逆転。


 《四天王》と《魔王》が倒され大陸に平和がもたらされた。



「魔王軍と《勇者》達の戦いは、最後には《勇者》達の勝利で終わるんだけど……特に有名な戦いが、《軍神》と《龍王》の一騎打ちだね。最初は《軍神》が魔剣を振るって、魔法とブレスで応戦する《龍王》に立ち向かい、周囲の地形を変える程の激戦を繰り広げたんだけど……最後は互いに拳と拳の殴り合いになるっていう、なんか面白い展開に行き着くんだよ」


「そこは男の人が好きそうな話ですよね」


「あはは、多くの男は戦いが好きだからね。魅力的に感じる話ではあるかもしれない」



(だからこそ、戦争なんてものが生まれたんだろうけど……)



「⦅勇者物語⦆は確かに魔王軍との戦いが魅力的だけど……興味深いのはその後だ」


「その後って……《勇者》が《魔王》を倒して終わりじゃないんですか?」


「御伽噺ではそうだね。でも、史実だとされるから当然に続きもある。その続きには諸説あるんだけど……本によって記された内容の違いの振り幅が大きいんだ」



 エルヴィンは、手元にあった本の最後付近のページを開くと、一文を指でなぞる。



「この本では『人族と魔族を和睦させて統一国家を作った』とあるけど……他の本では『大陸から魔族を追い出して東側に多数の人族の新国家が作られた』とある。……ね? 大分異なるだろう?」


「確かに、そうですね……」


「時代が経つにつれて語られる内容が歪曲された、にしても、この振り幅は大き過ぎる。他にも、『統一国家の初代王には、実は《魔王》の子供が就いた』とか、『イスメア教の開祖が就いた』とか、『東側の新たな国々の初代王達は六人の英雄達だ』とか、『魔族の国がそのままに』とか、語り継がれている内容に一貫性が無いんだ。残された資料も当時のものは無いしね。古過ぎて残されていないんだ」



 自分で説明しているうちに、エルヴィンはある齟齬そごに気付く。


(資料が全く残されていないというのがよく考えてみれば妙だ。古代にせよ、壁画なんかに記録が残されたりしている。⦅勇者物語⦆によると、近代とまではいかないが大分文明が進んでいた節がある。山を吹き飛ばしたり、湖を枯らしたり、地形を変える程の魔法まであるぐらいなら、記録を残すのも容易な筈。そもそも、そんな魔法があったとして今は何故、それ程の魔法が使えないのだろうか……? 魔導によって文明は進んでいるのに、魔法が衰退した? 矛盾しているよな……)


 新たな疑問が生まれた事により物思いに耽ったエルヴィンだったが、隣で此方こちらを見詰め続けるシャルに気付き、また考えに耽り過ぎたと、頭を掻いて気を取り直した。



「ともかく、⦅勇者物語⦆はかなり古い話だから、正確な記録が存在しない。だから結構、学者の間でも議題に上がるんだ。そもそも、山を消したり、湖を枯らしたりする程の魔法が使えたのか? 普通なら語られるに連れ誇張された結果として見られるんだけど、魔法の痕跡と思われる証拠が残されている。旧アトラス山ーー名も無きナームンロース・平原イーブネンがその例だね。神話の時代に我々より遥かに進んだ魔導技術が存在したのか否か、それが議論の対象になる事は多いんだ」



(そうだ……そもそも⦅勇者物語⦆に記された内容が全て正しい訳じゃ無い。語られて来た内容も。神話自体、誇張された産物の可能性は極めて高いんだ。矛盾が生まれて当然だな)



「何にせよ、⦅勇者物語⦆が大陸史において最も謎多き物語とされる所以が、それ等の矛盾によるものという訳さ」



 話したい事を話を終え、少し満足感を染み渡らしたエルヴィン。人に好きな事を話して共感させたいというのは誰もが持つ感情だろうが、少し子供染みた感性でもある。だから、彼がその事に気付いた時には少し照れ臭そうに頭を掻いていた。



「あ〜……すまない……長々と私の話に付き合わせてしまったね。……どうも私は、一度口を開くと閉じるまでに時間が掛かってしまうらしい……」



 趣味や愚痴に関してだけではあるが、彼は話が長くなる。悪癖だとは思っているので、毎回話し終えた後に申し訳なさそうに頭を掻くのだが、今回シャルはクスリッと笑みを浮かべた。



「大隊長はこういう話が御好きなんですね?」


「そうだね、歴史は好きだけど……特に歴史ミステリーは大好きかな。歴史といっても政策とかを覚えるのは苦手だから、歴史上の人々の在り方が好きなんだ。ミステリーにはそんな人々の在り方や考え方、価値観が含まれている場合があるから好きなんだろうね」


「なら、もう少し教えて下さい! 大隊長が大好きな事について!」


「君が良いなら構わないけど……そうだね、じゃあ喜んで話させて貰おうかな」



 そうして続きを話すエルヴィン。その瞳は目新しい物を見付けた子供の様に輝き、その口元は遠足を控えた子供の様に緩んでいた。


 正に少年。そう表現したくなる彼の珍しい横顔を、シャルは恋心と共に、少し甘く緩んだ瞳で見詰め、このまま昼時を迎えるのだった。

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