8-5 猛毒会議

 世暦せいれき1914年11月26日


 帝都ハイリッヒ。政治の中枢ジークフリート宮殿の政務区域。その会議室にて朝早くから政府重役達が集められていた。


 皇帝が座る上座は空席のまま、右の上座近くに帝国宰相のデュッセルドルフ公爵が、左の上座近くに内務大臣ミュンヘン公爵が座り、その各列に両派閥に属する者達が列を成し、他派閥の者は今回も列席を見送っていた。



「報告します! 先程シュヴァント半島及びコラレが敵に占領され、ウーファ空軍基地も奪取されたとの事です! 現在、リーズスティーンツ地方駐留の正規軍部隊及びヴィットラアー伯爵麾下きかの軍による共同防衛線の構築を急いでおり、そこに正規軍第二、第五、第九軍団が援護に向かう準備を行っております!」



 兵士からの情報に対し一同は沈黙し唸ると、デュッセルドルフ公爵が腕を組み先に口を開く。



「ジョンブルめ……周到に作戦を練っておったな? 此方こちらに気付かれずに、こんな鮮やかな侵攻を遂行するとは……いや、何処どこかの誰かが足を引っ張ったのも理由か」



 遠回しにミュンヘン公爵を非難する口調。証拠にデュッセルドルフ公爵はミュンヘン公爵を睨み付けていたが、ミュンヘン公爵は惚ける様な不敵な笑みと共に肩をすくめる。



「私は何も命じておりませんよ? 偵察を行わなかったのはその基地司令官の自由な采配による結果です。責任は当該基地の司令官に帰するものですよ」


「どの口が言うか……」



 ミュンヘン公爵が性根の悪い嘘を言っているのはデュッセルドルフ公爵も気付いていたが、証拠も無いので鼻で笑う事しか出来なかった。



「責任の有無を追求するのであれば、より重大なのは、第二艦隊が出港すらせずに負けた事ではないですか?」



 不敵に笑いながらミュンヘン公爵の反撃が始まった。



「第二艦隊の司令官、モンシャウ中将は確か……そう! 宰相閣下の推薦でしたな! 空軍がもたらした情報を蔑ろにした挙句あれ程の無様を晒す様な者を推薦するとは……任命責任は免れますまい?」


「それならばゾーリンゲン大将はどうなる? 敵前逃亡を行う様な腰抜けを推薦したのは貴公であったと記憶しているが?」



 ミュンヘン公爵の不敵な笑みが一瞬崩れた。その点ばかりは彼も痛い失敗だったのだ。



「その節は申し訳ありませんな……アレは私の目が節穴だった結果でした。しかし……今回は貴公に責任がありましょう?」


「……それは……認めざるを得んな」



 一瞬、不快感で奥歯を噛み締めたデュッセルドルフ公爵。憎むべき政敵相手に謝罪を強要された事に苛立ちが湧かない筈はない。これに関しては、ミュンヘン公爵も同じであっただろう。



くだらぬ話は此処ここ迄にしよう。今話すべき事は別にあるのだからな」


「迎撃部隊の総司令官に誰を添えるか、ですな」



 ジョンブル王国遠征軍に対する部隊。それ等を纏め上げる司令官の選抜が今回、会議が開かれた主な理由であった。



「ブルレン基地から総司令部及びカッセル軍務大臣にもたらされた情報によれば、今回の敵兵力は史上稀に見る戦力であるらしい」


「と、なれば……それ相応の能力を持ち得る司令官が必要となりますなぁ」


「そこでだ。今回の総司令官には陸軍長官たるに指揮をって貰おうと考えている」



 ベルンハルト・パルヒム・メクレンブルク陸軍元帥。帝国陸軍の最高武官であると共にグラートバッハ上級大将と並び名将と称され、《帝国最優の名将》の異名で知られる人物である。


 何より、デュッセルドルフ公爵が彼を推挙する最大の理由として、彼はデュッセルドルフ派に属する貴族でもあった。


 ジョンブル王国が攻め入ったリーズスティーンツ地方はデュッセルドルフ派貴族であるヴィットラアー伯爵が治める地であるが、そこを始め周辺の貴族領、帝国北方のほとんどもデュッセルドルフ派貴族が治めている状況である。


 つまりは、軍事的能力が高く、デュッセルドルフ派貴族との連携が出来、自分の意向を汲んで動ける、デュッセルドルフ公爵にとって都合の良い人材がメクレンブルク元帥なのだ。



「メクレンブルク元帥の実力は皆が知っていよう。彼程の適任は他にるまい」



 デュッセルドルフ公爵の提案に、デュッセルドルフ派の貴族達は好意的に首肯し、メクレンブルク元帥が敵派閥の人間と知っている筈のミュンヘン派からも反論は出ず、苦々しくとも、妥当だとする意見がこぼれた。


 これ等によって自分に都合の良い展開になったとデュッセルドルフ公爵はニヤリと笑みを浮かべたが、ミュンヘン公爵が手を挙げ待ったをかけた事によって、その笑みも崩される。



「宰相閣下……陸軍長官という重要な地位にある人間を帝都から引き剥がすのは如何いかがなものかと」


「ほぉ……? この難事に対応出来、尚且つ総司令官に相応しい地位を得ている者が、他に居るとでも言うのか? またゾーリンゲン大将の様な役立たずを選ばれても困るぞ。まさか……空軍から選びはせぬよな? 陸軍が大半という状況で」


「勿論、その様は事は心得ておりますとも」



 デュッセルドルフ公爵の鋭い追求に対し、ミュンヘン公爵は不敵にニヤリと笑みを浮かべる。



「なにせ、私が推挙するのは参謀総長たるですからね」



 ポーゼン大将。その名前が出た瞬間、デュッセルドルフ公爵から余裕が無くなり、眉が鋭くしかめられる。



「ポーゼン大将、だと……?」


「ええ、ポーゼン大将はメクレンブルク元帥程ではありませんが有能な将であり、総司令官に足る実力を有しております。御存知の筈ですが?」



 「盲点だった」とデュッセルドルフ公爵は冷や汗を流した。陸軍参謀総長エーリヒ・ポーゼン大将。彼もまたグラートバッハ上級大将とメクレンブルク元帥と並び称される名将であった。


 しかし、大将という地位の関係上と近年は目立った功績を挙げていなかった事、何より二台派閥ではなく小派閥に属していた将軍であったために、宰相閣下は今回、害にも利にもならないだろうと気にも掛けていなかったのだ。


 にもかかわらずミュンヘン公爵からその名が出た。つまり、ポーゼン大将がミュンヘン公爵に鞍替えした可能性がある。いや、その可能性が高い。


(いつの間にポーゼン大将を自陣営に引き入れていたのだ! このままでは陸軍への奴の影響力が増大してしまうではないか!)


 ミュンヘン公爵とデュッセルドルフ公爵では支持されている層が別であり、陸軍の中枢は主にデュッセルドルフ公爵の支持者が多い。代わりに、帝国南部、帝都周辺を中心に領地持ち貴族の支持者はミュンヘン公爵の方が多く、デュッセルドルフ公爵の方が保有する武力は強大だが、無視出来ない戦力差であった。


 予測が正しければ軍部の自分の支持者が食われる危険があるのだ。


(いや、今はそんな事より……このまま奴の支持者にこの戦いの総司令官を任せてみろ! 北方支持者の兵力が無駄に食い潰されてしまうではないか! 何としても阻止せねばならん!)


 デュッセルドルフ公爵はギリギリと鳴らしたい奥歯を我慢し、目を鋭くするだけに留め、対面のミュンヘン公爵を睨んで牽制する。



「確かにポーゼン大将の能力ならジョンブル軍を撃破するに足るかもしれん。だが……地位が不十分だ。三人の軍団長は共に中将でり、中将三人及び地方軍を纏め上げるのには最低でも上級大将の地位が居る。大将位の参謀総長では確執が生まれてしまう可能性がある!」


「ならば上級大将にしてしまえば良いのですよ」


「駄目だ! ポーゼン大将は名将には違いないが、更に出世させる程の功績は立てておらん!」


「戦時特例として出世させれば問題ないでしょう。我々は緊急事態に直面しており、多少の例外や譲歩は致し方ありません」



 ミュンヘン公爵のよく回る舌に口撃が絡め取られていく。実際、デュッセルドルフ公爵よりミュンヘン公爵の方が現状最適な選択肢を選んでいる以上、デュッセルドルフ公爵の勝ち筋は細い。



「宰相閣下。もし、メクレンブルク元帥を前線に出した場合、誰が皇帝陛下がわすこの帝都を守護たてまつるおつもりか?」



 決定的だった。言い返せる口実が最早無い。デュッセルドルフ公爵は苦々しく、今度は我慢出来ずに奥歯を鳴らして、黙って深く椅子に腰掛けた。



「宰相閣下も御納得頂けた様ですし、総司令官にはポーゼン大将を据えるという事で」



 悔し気に机の上で握り締められるデュッセルドルフ公爵の拳を見て、ミュンヘン公爵は勝ち誇った様に細く悪意に満ちた笑みを浮かべるのだった。

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