8-3 イムバフ軍港

 リーズスティーンツ地方北西に北へと突き出したシュヴァント半島と呼ばれる地域がある。この半島の先端シュピッツ岬から西北西ジョンブル王国の町シェーリを結ぶのがフェイルノート海峡である。


 そして、この岬の直ぐ横。切り立った崖をくり抜き、半島に大穴を開けて作り上げたイムバフ軍港に、帝国軍第二艦隊が駐留していた。



「閣下、今直ぐに全艦を出撃させるべきと、小官は具申します」



 イムバフ軍港司令官室。椅子に深く腰掛けながら悠々と爪を研ぐ第二艦隊司令官フェリクス・モンシャウ中将に対し、彼の副官の一人である青年が冷静沈着に意見を具申していた。



「艦隊は先のオリヴィエの戦いにおいて第三艦隊の予備として準備を整え、今も命令一つで出撃が可能となっております。ブルレン基地からの情報が確かであれば、今直ぐに迎撃に動かねばならないでしょう」



 口調は冷めていたが、内容自体には的確さと正確さが反映されており、やる気が感じられないという訳ではない。軍人としての職責に準じる、という行為を、青年は忠実に遂行していたのだ。



「閣下、どうか御一考を願います」



 青年の意見を聞き終えたモンシャウ中将は、爪研ぎを机に置くと、それは面倒臭いと言わんばかりの溜め息を吐いた。



「またかね? 貴官はまた懲りずに、その様な下らぬ意見を言いに来たのか?」


「下らぬ意見を言っているつもりはありませんが……」


「はぁ……若気の至りにいちいち対応している暇など無いのだがね、



 カール・エクベルト・グリュナウ中尉。軍人らしく短く切り揃えられた黒褐色の髪に、此方こちらも少し黒めの青色の瞳。身長はジーゲン大尉程ではないが長身で、肉付きの悪くない細身の青年であった。

 年齢はエルヴィンと同い年程で、雰囲気は騎士より規律正しい軍人という感じだろう。


 カールは、自分の意見に対し全く興味を沸く気もない眼前の上官に対し、呆れた目を気付かれない程度に向け続けた。



「閣下……下らないと仰いますが、敵が迫っている以上、出撃するのは至極当然。当たり前の事ではないでしょうか?」


「当たり前と言うが……所詮、情報源はあの空軍だろう? ミュンヘン派の巣窟の。我々第二艦隊はデュッセルドルフ派であるのを忘れてはおるまいな?」



 帝国軍第二艦隊。海軍自体がデュッセルドルフ派の息が濃く、尚且つ駐留地が同派所属ヴィットラアー伯爵領内に位置する事から、自然と貴族内派閥デュッセルドルフ派に属していた。



「敵対派閥の傘下組織の言う事など当てに出来る筈が無かろう」


「空軍だからといってブルレン基地もそうであるとは限りません。それに、どのみち可能性はゼロではありません。ゼロではないのなら、敵に先手を取る為に出撃すべきと思いますが?」


「で、何も無い所へ出て行った間抜けとして記憶される訳だ……お笑いぐさだな。そんなピエロに、俺はなる気は無い」


「このまま敵に何もせずに軍港を落とされたとなれば、それこそ笑いぐさだと思いますが?」


「ふんっ、此処ここの地形を忘れたか?」



 モンシャウ中将は冷笑を浮かべながら、窓の外に見える港を囲む崖を視界に捉えた。



「軍港があるシュヴァント半島は切り立った崖に囲まれ、海からの侵入は困難。攻め入るにはリーズスティーンツ地方の別の地に上陸し、迂回して攻め込まねばならない。当然、その間は上陸作戦に艦隊を割かねばならぬ以上、我々はその背後を悠々と叩けば良い」


「ヒルデブラントの戦いにおける第三艦隊の様に、軍港出口を塞がれれば身動きは取れませんが?」


「あり得んな。上陸作戦に砲撃艦は必要不可欠! 軍港封鎖と上陸作戦を両立させられる程の大艦隊を送るなど、ジョンブル本土艦隊の八割は必要! 自分の裸を曝け出してまで送ってくる訳がなかろう?」


「万が一がありますが……」


「クドいな。第一、我々も海上偵察に数艦の船を送っておる。もし、敵艦隊が居るならば、偵察艦からも情報が入るだろう。それを待って出撃しても遅くは無い」



 モンシャウ中将の意見を聞き終えても、尚もカールの目は懐疑的に細められたままだった。



「閣下……」


「分かった分かった! そこまで言うなら一部の艦隊だけ出撃させよう。前衛艦隊辺りで良いか。准将には私から話しておく」



 まだ不満気に目を細めるカールだったが、少し目を瞑ると、嘆息を我慢して上官へ敬礼を向ける。



「聞き入れて頂き感謝します!」


「別に構わん。……ああ、それと、貴官もその艦隊に随伴したまえ! 私の代わりだ」


「承知致しました!」



 そうして、もう一度上官に敬礼したカールは司令官室を退出し、モンシャウ中将は深い溜め息をこぼした。



「まったく、面倒な奴を人事部は押し付けて来たものだ。余りのわずらわしさにウッカリ妥協してしまったではないか! まぁ……これで暫くは耳障りな奴の声を聞かずに済むだろう」



 モンシャウ中将は静かにカールへの冷笑を浮かべ、当の司令官室を退室したカールは、溜め込んでいた嘆息を思いっきり吐き出した。



「政治に口出しすべきでない軍が、政治からの無駄な口出しは許容せねばならんとはな。……いや、最早これは政治ではなく私怨だ。貴族共の私怨だ。国に――皇帝陛下に仕えるべき軍が、貴族に仕えるなど馬鹿げた話だ」



 廊下を歩き出し、窓から見える太陽で掠れた月を眺めながら、カールは呆れ気味に嘆かわしそうに目を細める。



「皇帝陛下の権威は最早薄れ、ゲルマン帝国という概念すらも存在を保っているのか怪しい。貴族という名の強烈な光によって、輝きはもう失われつつあるのだ」



 薄れ行く栄華、薄れ行く栄光。これ等が見えてしまっている以上、最早帝国の現状など考えずとも理解できる。



「滅びに向かって進む国、か……かといって、忠誠を捨てる気はない。俺は軍人だ。皇帝陛下の剣として敵を倒し、帝国の盾として国土と国民を守るのが我々の義務だ。せめて、働きに報いるぐらいには長生きして貰いたいものだが……」



 自分の生き方に疑問は無い。悲観も無い。何故なら例え腐ってもゲルマン帝国は祖国であり、自分の故郷である。それを守る為であるのなら、命を懸けるのをいとう必要も無い。今は只、自分がすべき事をやるしかないだろう。例えそれが、無駄な足掻きだとしても。




 この二時間後、カールを伴ったフランツ・フォン・ヴァイルハイム准将率いる前衛艦隊所属の軽巡洋艦及び駆逐艦合わせて七隻は、イムバフ軍港を出発し、迫り来るジョンブル王国の大艦隊へ向け針路を取った。

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