8-2 大艦隊

 世暦せいれき1914年11月25日


 ジョンブル王国からの宣戦布告から直ぐ、外務省から直接軍務省へと情報が伝えられ、カッセル軍務大臣からのデュッセルドルフ宰相への報告と共に、迅速に全帝国軍への臨戦態勢が命じられた。


 特に、ジョンブル王国とフェイルノート海峡を挟んて最も近い帝国北西に位置するリーズスティーンツ地方の各基地や駐屯地では、情報が伝えられた瞬間、陸軍、海軍がいつでも出撃出来るよう準備が始められ、この地を治めるフーゴー・ヴィットラアー伯爵麾下きかの地方軍との情報共有や連携の下準備が入念になされた。


 しかし、空軍に動く気配は感じられなかった。というのも、リーズスティーンツ地方を治めるヴィットラアー伯爵はデュッセルドルフ派であり、リーズスティーンツにある三つの空軍基地の司令官はほぼミュンヘン派で構成されていたのだ。


 つまり、ミュンヘン派により足が引っ張られていたのである。


 それでも、ブルレン空軍基地の司令官ラルフ・ヘーク中佐は、両派閥とは別派閥であったという理由から、基地内に命令通り臨戦態勢を取らせ、ジョンブル方面への偵察を行わせた。


 時に、昼を回った頃、フェイルノート海峡北東、ジョンブル王国とゲルマン帝国の海上国境線付近を、帝国空軍所属の飛龍ワイバーンが二騎、上空を飛行していた。



「司令も心配性だな。宣戦布告されて一日も経ってないんだぞ? そんな早く似非えせ紳士共が攻めてくるかよ!」


『まぁ、先行偵察に彼方あちら飛龍ワイバーンや船艇を送って来てるだろうし、制海権確保の艦隊や制空権確保の火龍サラマンドルなぞが居る可能性も高い。哨戒は必要だろう』


「なら、こっちも火龍サラマンドルを随伴させるべきじゃねぇ? 敵火龍サラマンドルに遭遇したら死ぬぞ俺等!」


『飛行速度は飛龍ワイバーンが上だから、偵察だけを考えるなら火龍サラマンドルは足手纏いになるからな』


「正論をポロポロ出しやがって……」



 通信機越しの相方に同情して欲しかったのか、同調して欲しかったのか、声に不満気な雰囲気が混じる。



「まぁ、何にせよだ。こんな霧が濃いと索敵も難しいぜ。艦一隻見付けんのも一苦労だ」



 彼等が飛行する目下。海を覆い隠す様な濃霧が一帯を覆っていた。



『珍しいなぁ……この辺り、いつも風が強い筈なんだが』


「天の気まぐれって奴かね。意味の無いたぐいの」


『存外、あの中に艦隊が潜んでんだぜ』


「不吉な事を言うなよ……ん?」



 彼が濃霧を見下ろした時、薄っすらと何かの影を捉えた。



「お前が口にした所為で、敵艦が居そうだぞ!」


『俺の所為じゃねぇ! しかし……霧が濃過ぎて見えんな。少し高度を下げよう』



 二人は飛龍ワイバーンの手綱を握り、ゆっくりと高度を落とすと、霧の中にうごめく複数の艦影を捉えた。



「敵か?」


『だろうな。直ぐに基地へ報告を飛ばすぞ!』



 相方が通信機を操作して、ブルレン基地へと無線を繋ごうとする中、もう一人が再び下を見て、丁度風が吹いた事により、霧に潜む艦隊の全容が明らかとなった。



「クソッ、晴れるのが遅ぇよ! もう少し早けりゃ、無駄な労力を……」



 霧が晴れ、現れた敵艦隊。邪魔なフィルターが消え去った光景を見下ろした彼だったが、突如、驚愕で身体や表情を動かせなくなり、通信機を操作していた相方も、開いた口を塞ぐ事は出来なかった。



此方こちらブルレン基地。どうした⁈ 何故応答しない!』



 通信機越しに聞こえる味方の声で、ようやく現実へと思考を引き戻した相方は、未だ現実感の湧かぬ声色で、恐怖で少し唇を震わせながら報告する。



「ジョンブル王国との海上国境付近にて、敵艦隊を発見!」


『そうか……数は!』


「不明……」


『はぁ? 不明な訳なかろう』


「不明なのです! 何せ……」



 再び相方は、目下に展開する敵艦隊….…いや、その遥か先にまで広がるを見渡した。



「敵は艦隊だけではありません! 無数の揚陸艦もあり……これは、です! 分かるだけでも五百隻を優に越します!」



 悲痛混じりで伝えられた情報に、一瞬ブルレン基地の兵士から声が発せられる事はなかった。余りの事実に言葉を失っていたのだ。



『馬鹿な……あり得ん‼︎ 宣戦布告から一日しか経っておらんのに、それだけの戦力を……間違いないのだな? 間違いなく大規模な上陸部隊なのだな⁈』


「間違いなくです‼︎ 紛う事なき大艦隊が小官の眼下に広がっております‼︎ 目標はおそらくリーズスティーンツ地方! 敵は今夜にも帝国本土へ上陸します‼︎」


『何という事だ……即座にヘーク司令を報告しろ‼︎ 大至急だ‼︎』



 慌てて己が上官へ伝令を走らせながら兵士は通信機越しに重く頭を抱え、飛龍ワイバーンに乗った二人も、唖然と開いた口を、忍び寄った恐怖と共に苦々しく噛み潰すしかなかった。




 ジョンブル艦隊の出現。この情報は即座にブルレン基地からリーズスティーンツ地方は勿論、帝国軍総司令部に伝えられた。


 先にリーズスティーンツ地方の各部隊に情報を伝達させたのは瞬時の対応を促すという意味では間違いではなかった。しかし、これが後に大きなあだとなってしまう事となる。

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