8-1 ヨシアス・ボドロップ

 世暦せいれき1914年7月15日


 ジョンブル王国首相官邸。安楽椅子に座った二人の男が、テーブルを挟み、コーヒーを片手に牽制のし合いを行なっていた。



「すると貴殿は、我等が王国にと言うのか?」



 コーヒーを口に付けた後、ジョンブル王国首相ハーバート・ウェスト・モーリーは、カップをテーブルに置くと同時に対面の男を鋭く睨み付けた。



「ええ、その通りです。悪い提案ではない筈ですが……」



 不敵に、内に黒々しいものを潜ませながら笑みを浮かべる男。〔カールスルーエ反乱〕にて暗躍していたヨシアス・ボドロップは、うやうやしくも何処どこか尊大に振る舞いつつ、妙な威圧感と不気味さによって、相手に首を横に振らせる気を失せさせていた。



「帝国の有様は貴国も御存知の筈。この気に乗じて、帝国領を手に入れるのも難しくはないでしょう」


「だが、我々は今、の国と条約を結んでおる。それを破れば国際的に遺恨が残ってしまうだろう。帝国だけならまだしも、共和国や他の国からの信用を失う訳にはいかん。幸い、三年後には更新期間だ。その時、また思案しても遅くはない」



 モーリー首相の的確な指摘に対し、ボドロップは以前余裕を崩さず、コーヒーを一口飲んで不敵な笑みに更なる黒さを滲ませる。



「なるほど、正論ですなぁ……しかし、正論だけで政治は動かせないでしょう。時には汚名を被り、巨大な何かを得るのも重要なのですよ」


「妄言だな。そもそも、貴殿に政治の何が分かると言うのだね?」


「わかりますとも! 少なくとも、共和国の口だけ政治家よりかは……いや、貴国もですかな?」



 明らかな挑発に対し、モーリー首相が対面の男への視線を尖らせると、ボドロップは不敵な笑みのまま両手を挙げた。



「失敬、余計な事を言いましたな……ですが、好機をみすみす逃すのは頂けません」


「好機と言うが、帝国の力はまだ健在な様に思える。第一、ヒルデブラントもシルトもブルグマウアーも落ちてはいない。共和国が勝つ様子も無ければ、帝国に負ける様子も無いではないか。好機とは程遠い様に見えるがな」


「それはブリュメール方面軍だけのこと。しかも、軍事のみの話です。今の帝国は、貴族が私利私欲のみを考えて政治を動かし、国民を蔑ろにして衰退の一途を辿っております。つまりは、帝国国民を貴族共から解放するという大義名分があるのです! 条約を破って攻めるには十分だと思いますが?」


「大義名分だけで戦争に勝てる訳ではない。そもそも、それなら尚更、更に弱った所を攻めれば良いと思わんか?」


「いえいえ、今こそが好機なのですよ。何せ……」



 ボドロップの瞳がギラリッと光る。



「帝国が近々、するのですから」



 その情報に、モーリー首相の眉が鋭くしかめられる。



「わざわざそんな悪手を帝国政府が考えると? 軍事に疎いミュンヘン公ならまだしも、有能な軍の支持者も多いデュッセルドルフ公が了承するとは思えんが?」


「外から見ればそうでしょう。しかし、内から見れば簡単です。ブリュメール方面軍は無派閥が多いため、間引まびきし、己が派閥の者を首脳部に据えたいのですよ」


「なるほど……勝っても良いが、別段、負けても両公爵に不利益は被らんという訳か……」



 軍事的に見れば確かに攻めるには好機だ。帝国中央軍は確かに無傷だが、方面軍に戦争を任せっきりにしていた以上、練度は御世辞にも良いとは言えない。帝国で三本指に入るグラートバッハ上級大将率いる最も厄介な部隊が参戦出来ないとすれば、侵攻側による奇襲の有利を見て、帝国を滅ぼす事は叶わずとも、幾らかの地は奪えるだろう。


 しかし、かといって政治的旨味は薄い。帝国に攻め込み、地方の占領に成功しても、周囲は敵。奪還の為の苛烈な攻撃を受けるのは明白であり、防衛の為の戦費が無駄に支出されるだけだ。幸い、大量の植民地を有している以上、わざわざ強国に戦争を仕掛ける意味も無い。


 なら、当然断るべきなのだが、その隙を与えない様にボドロップが再び瞳をギラつかせた。



「実は……我々が帝国侵攻を提案しているのは貴国だけではありません。テュルク、ツァーリ。そして……オルグリア」


「我々を急かそうというのか?」


「いえいえ、別ですよ」



 ボドロップの口元があらゆる悪意を詰め込んで細く歪む。



「何も、攻めるべき先がでしょう……?」



 この言葉に対し、モーリー首相も流石に冷や汗の一つは流さずに居られなかった。



「貴殿は……我々を脅迫するのか?」


「脅迫した覚えはありませんよ? 攻める先に貴国が含まれる事を連想したのは首相閣下御自身でありましょう」


「それを明らかな脅迫というのだ!」


「確かに、貴国は世界各地に植民地を有しており、そこを狙いたい国は五万とあるでしょう。独立したい者達も。それ等がいっぺんに蜂起して攻め込めば、流石の貴国でも、確かに無事では済みませんなぁ〜」



 交渉のペースを見事にボドロップに握られていた。いや、事前の準備において彼とモーリー首相とでは明らかに差があったのだ。


 そもそも、モーリー首相自身、彼等を甘く見ていたというのもあるだろう。


 過去から現在に至るまで、だというのに。


 モーリー首相は最後に深く溜め息をいた後、頭を抱えて、対面の悪魔を睨み付ける。



「貴殿……いや、貴殿等の目的は何だ? 我々を帝国と戦わせて何のメリットがある?」


「我々の事を知るなら分かっておいででしょう?」



 何かを掴む様に手をかざし、子供染みた、されど純粋さは無く、悪意に満ちた笑みが浮かべられる。



「我々が望むは更なる混沌! 終わり無き戦乱と闘争! 国と国が流血を続けること、ただですよ!」


「それだけ⁈ 国同士が戦う大事だいじをそれだけと言うのか‼︎」



 モーリー首相の背筋に悪寒が走り、目前の男達の底知れぬ恐ろしさに気付かざるを得なかった。

 同時に最早自分ではどうしようもないと悟った彼は、再び頭を抱え、苦々しく項垂れる。



「……少々、時間が欲しい……国王陛下とも話し合わねばならない……」


「結構! 答えが出ましたら御知らせ下さい?」



 両手を広げで歓迎するボドロップ。相手を転がし、操り、世界を引っ掻き回す快感に、彼は酔い痴れていた。


(あの方は、本当に面白い仕事をくれるなぁ……。さて、これによって世界はこれからどう動くのか。懸念材料だったもしゃしゃって来なかった事だし……せいぜい、わらえる喜劇となって欲しいものだ)


 己が主人が作り出す……いや、引っ掻き回した末に待つ世界の姿への余りにどす黒い好奇心に、彼は高揚感を沸かせるのだった。




 その後、モーリー首相によってアーネスト王へと伝えられたボドロップの要求と脅迫により議会が招集され、数日に及ぶ協議の末、ゲルマン帝国への出兵が可決された。

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