第8章 リーズスティーンツ戦役
8-幕間 士官学校の思い出
彼女には少し変わった友人達が居る。とは言っても、見た目が、とかじゃない。性格に幾らかの特異性を持つ者達、という意味でだ。
士官候補生だった
しかし、彼女は女性。しかも名のある伯爵家の一人娘という事で、男達からは軍に入る事自体を咎められ、何処かの家に嫁ぐ……いや、婿養子を迎えて、伯爵家を存続させるべきだと言われ続けてきた。
これ等は全て他家の貴族が口々に述べている事で、裏では自家の次男、三男を彼女にあてがい、伯爵家を乗っ取ろうという魂胆が見え透いている。
何より、社交界に出た時に向けられる目の嫌らしさ、下心丸出しで品定めする様な視線に、彼女は気色悪さを感じる羽目に合わされ続けて来た。
当然だ。彼女の見た目は男性が見惚れるに足る様相なのだから。
肩まで伸びた赤い髪、されどもシャルルの燃える様な赤とは違い、ルビーを繊維状にした様な華やかさがあった。瞳は凸一つ無く研磨された琥珀に等しく、何より、それ等を引き立てる格式ある佇まいと整った顔立ち。只の美人と呼ぶには余りに凛々しく、表現するなら令嬢などより女性騎士という言葉が相応しいだろう。
実際、彼女の家は帝国史において最も有名な騎士を先祖に持つ家柄で、彼女自身もそんな先祖に憧れ、軍人を目指したのだ。
周りの反対を押し切ってまで軍の道を歩む事となった彼女だったが、待っていたのもまた不快な視線であった。
当然、士官学校にも貴族の子息は沢山
とは言っても、貴族だらけの社交界に比べれば大分マシではあったらしい。
結局は、女性として性的な目線による苦痛を味い続けなければならないのかと、そんな感想を抱き続けた彼女だったが、変化が及んだのは
半月程前、今日と同じく夜の巡回をしていた時に取り締まった少年と、その友人。慣れ行きで彼等の友となった彼女だったが、共に過ごすのは意外に楽しく、士官学校における楽しみとなっていた。
丁度、今日もそんな一人がまた懲りもせずに、門限破りの夜間外出から戻って来た所だ。いや、今回は二人共居る様だった。こっそりと帰って来た片割れに対し、もう一人が侵入の手伝いをしているのだろう。
「よしっ! 今日は見付かりそうもねぇな……」
侵入する少年の言葉に、「見付かっているよ」と彼女は叫びたくなったが、勿論、口に出す事はせず、物陰から静かに彼等の様子を伺った。
「本当に君も懲りないね。毎回、女を理由に外出した挙句、門限破り。何回か痛い目に遭っているのに……」
「そうやって侵入を付き合ってくれてる、お前も同罪だろう? つうか珍しくねぇか?」
「今日は、まぁ……」
「ん……? お前、何か隠してんのか?」
「人には隠し事の一つや二つはあるよ」
「何か、嫌ぁ〜な予感がすんだが……」
「取り敢えず入りなよ。手は貸すからさ」
校門をよじ登り、校内への侵入を果たす少年と、その手助けをする少年。前者の少年が校門から降り、校内の地へ足を付けた。
「よしっ! 早く宿舎に戻って……」
「そこまでだ!」
彼女は懐中電灯を
「げっ!」
それは嫌そうな顔を向けてくる少年に、彼女は凛として正面に佇む。
「門限破りの現行犯。今日も素直に捕まって貰おうか、ルート!」
ルートは向けられる光を手で遮りながら、苦々しく口をへの字にした。
「何で先輩が
その時、ハッと気付いたルートは、隣の少年に視線を向け怪訝に目を細める。
「おい……まさか、とは思うが……俺を売ったりはしてねぇよな?」
ルートの追求に対し少年は、ゆっくりと視線を逸らすと、頭を掻いて、顔すらあらぬ方向に向けた。
「ごめん」
「やっぱ、テメェの仕業かぁあああああっ‼︎」
少年の胸倉を掴み、ルートは彼を前後に揺らし始める。
「何か雰囲気おかしいなぁ〜と思ったら、お前……俺が今日このタイミングで校内に戻って来る事を先輩にチクりやがったんだな!」
「仕方ないじゃないか。いい加減、君の夜間外出を止めさせたいって懇願されたんだから」
「何を交換条件に出されたんだ?」
「サボタージャしたい講義、三回程代わりに受けてくれるってさ」
「たったそれだけの理由でダチを売りやがったのか! どうせなら最低五回にしてから売りやがれ‼︎ 俺はそんな安くねぇ‼︎」
(文句を言う所はそこなんだ……)
彼女は心の中で苦笑した。
「チクショ〜……お前がそんな薄情な奴とは思わなかったぞ!」
「そもそも夜間外出している君の自業自得だよ。しかも理由が不特定多数の女性、だからね……擁護しようが無い」
「クッ……正論言いやがって……」
長々と二人のコントを始めてしまったので、彼女は手を叩き、本題を進める。
「言い争いはそこまでにして……ルート、そろそろ観念して捕まって貰うぞ?」
「嫌に決まってるでしょうが‼︎ 幸い、目撃者は先輩一人。逃げ切れば現行犯もクソも無い!」
「逃げられると思うのか?」
「先輩、俺と一対一で戦って勝った事ありましたっけ?」
「一割は勝ってる筈だ。それに……追いかけっこなら私が必ず勝てる事は、散々捕まって来た君なら分かっているだろう?」
ルートは確かに強い。彼女と彼は魔術兵志望だが、戦闘に関して彼の方が天性の才能を保有しているのは間違いない。しかし、技術という面においては彼女の方がまだ上であっただろう。彼は彼女の二つ下の後輩であり、魔術も習いたて。騎士の家系として剣を振り続けた彼女の方が脚力強化の使い方も上手い。
逃げ出すにしても、大人しく罰を受けるにしても、彼女にすればどちら共に勝ちしかなかったのだ。
「さぁ……どうする?」
優し気ながら、
彼は少年の胸倉から手を離すと、不敵に笑みを浮かべる。
「悪いな先輩……何があろうと俺は捕まる訳にはいかねぇんだ……。また、一週間外出禁止なんてなっちまったら、女性の温もりを暫く感じられなくなっちまうからな。それだけは断固として阻止させて貰う!」
「残念……まさか、私から逃げられないのを分かっていない筈は無いよな?」
「今回は上手くいくかもしれませんよ? 今日の俺は一味違いますんで」
不敵……というには余りに子供臭い、悪戯を思い付いた様な笑みを浮かべるルート。
「もしかして、本当に何か秘策でもあるのか?」、と彼女が少し身構えると、急に彼が騒ぎ出す。
「あっ! 何だアレは⁈」
彼女の背後を指差し、示された方向へ彼女が振り向くと、この瞬間を待ってましたと、彼は脚力強化と共に反対側に駆け出した。
「アバよ先輩! まさか、こんな幼稚な策に引っかかるとは思わなかったけど、逃げられりゃあ、こっちの勝ちだ‼︎」
ギャハハと笑いながら、彼女から遠ざかるように走っていくルート。逃げ切れるのは確定と言わんばかりの笑みを浮かべ、眼前のみ見詰めて駆け抜ける彼だったが、頭に突然、強烈な衝撃が走った。
「グペッ‼︎」
頭上に食らった一撃により一瞬だけ気絶して、走った勢いのまま盛大に転んだルートだったが、その倒れている隙に、彼女に地面へ組み伏せられる。
「あんな幼稚な嘘に引っかかる訳ないだろう? 引っかかった振りをして君の隙を作らせて貰ったんだ」
「クソッ‼︎ 剣で頭殴るとかズリィ! こっちは丸腰なんですよ‼︎」
「歯抜きされた剣で身体強化している者には怪我すらさせられない。ズルイと言うなら、体格的には女性より男性の方が大きくて力もあるから……その差は埋めさせて貰いたい所だよ」
「チキショウ……また二週間、女を抱けねぇのか……」
「君、常習犯だから今回はもう少し伸びるだろうな」
「マジかよっ‼︎」
抑えられたまま地面に突っ伏すルートに、彼女は少し面白かったらしく上からクスリッと笑みを浮かべた。
「二人共……速いね…………」
少し息を荒げ彼等の下へ駆けてきた少年。彼女とルートは脚力強化で走ったので、一瞬で数十メートル近くを通過していたのだが、この距離を追い掛けたにしては荒げ過ぎである。
「流石に各学年でも指折りの実力者なだけありますね……あ、横腹痛い……」
「君は少し貧弱過ぎだ。軍人を目指すなら、もう少し鍛えないとな」
「善処しますよ……」
「お前等、俺の事忘れんな‼︎ いい加減、先輩も上から
ルートが叫んで、上から彼女が
「まさかこの俺が、同じ奴に何度も負けるとはな……お陰で暫く楽しみがお預けだ。チクショウ……」
ルートは両手を出すと、一つ一つ指を折って数え始める。
「明日にはクリゼルダ、明後日はアラベラ、その次にアンネ、スザンナ、ゾフィー、カーチャ……全部の約束取り消さなきゃならねぇなんて……クソォ……全員、良い女だったんだがなぁ……」
それは残念そうに項垂れるルートに、女性の名前を次々と出してのけた彼に、少年と彼女は呆れるしかない。
「本当に君、クズの人生真っ逆様だね……」
「私も、流石に引いてしまうよ……」
「クズ言うな! 先輩も
二人を睨んだルートは、胸に右手を当て、紳士な穏やかな笑みを浮かべる。
「俺は決して同意無しに女性とベットを共にはしません。俺は紳士ですから……優しく、一夜をエスコートしてやってるんですよ。だからクズじゃ御座いません」
「全部遊びでやってる癖に……友達として、少々情けないよ……」
「言い過ぎだお前! 遊びだって女達も同意してやってんだから文句を言われる筋合いはねぇ!」
「いや、でも取っ替え引っ替えして、しかも真剣じゃないって……クズい意外の形容詞が見当たらないよ?」
「お前、実は俺の事嫌いだろぉおっ‼︎ 」
親友に散々な言を吐かれ続けるルートに、彼女はやれやれと他所から苦笑を浮かべるのだが、どうやら傍観者だけでは居られなかったらしい。
ルートが彼女にチラリッと視線を向けると、何か思い付いた様にポンッと手を叩いたのだ。
「そうだ……何なら先輩と寝れば良いんだ!」
何とも節操の無い事を、ルートは言い始める。
「前々から一回、寝てみたかったんだよなぁ〜……顔は良いし、スタイルも良いし……何より、抱いた時どんな綺麗な声を出してくれるのか気になってたんだ……よしっ! 先輩、明日の夜にでも!」
「嫌に決まってるだろう……」
「何でですか! どうせ一回も体験した事はないんでしょう? 顔も良くて、上手くて、紳士的という優良な俺と最初にやった方が……」
「君が出会った女性がどんな人達かは知らないけど……別の女性に
「先輩、意外にロマンチストですね……チェ、良い案だと思ったんだがなぁ〜」
冗談半分だと思ったが、意外に残念は残念らしく、ルートは口をへの字にして頭で手を組んだ。
女性の天敵とも取れる発言と態度の数々。他の貴族同様に嫌らしい不快な雰囲気を醸し出している様に見える彼だったが、不思議と彼女から嫌悪している様子は感じられない。呆れては居るのだが、嫌っている訳ではないらしい。
確かに、ルートはクズではある。少なくとも、清廉潔白、品行方正の真逆を行く人間だろう。しかし、極悪人と呼ぶには紳士的ではあった。
貴族達が彼女に向ける視線はまるで精巧な人形を見るような、高価な絵画を観る様な目であり、人としてではなく装飾品、性欲を満たす道具という節が強い。
それに対しルートは、彼女を本当に一人の女性として見ていた。性欲は隠そうともしてはいないが、その中には明らかな慈愛が感じられ、欲だけで視線を向けて来ていないのだ。
勿論、彼女に嫌悪感が全く無い訳ではないだろうが、
何より、彼が、女性として見て来ながらも、武人としても見てくれるが、彼女は嬉しかった。
彼女は騎士でありたかった。だから、武人として扱って欲しいと思っているが、女性では本来歓迎されない在り方だ。
女性には華やかさと美しさが世間から求められるが、騎士、武人とは血生臭さ、汚さが必ず纏わり付いてしまう。何より、それを押し切って目指したとしても、
だからこそ、特に貴族の政略の道具となる令嬢ともなれば、武人という在り方は軽蔑されるのだ。
しかし、ルートは違った。一対一で彼女と戦う事があるが、彼は手加減をしない。女性が弱いという価値観により、多くの男は彼女に怪我をさせないよう手加減するのだが、彼は一切、手心を加えず、顔が傷付かない範囲内ではあるものの、容赦ない打撃を浴びせてくる。
武人として対等に彼は接してくれるから、彼女としては気持ちが良く、彼と友人であり続けているのだ。
そして、理由は少し異なるが、もう一人についても。
「君って本当にクズいよね。先輩になんて要求してるんだ……」
「別に良いじゃねぇか! 先輩みたいな良い女が誰のものにもなってないなんて勿体無ぇだろ? なら、せっかくなら一晩だけでも俺のものになって欲しいと思うのは普通だろう!」
「いや、思わないよ。君って本当に節操が無さ過ぎだよ……」
「お前はそういう方面に関心が無さ過ぎなんだよ、
エルヴィンはなんか面倒臭くなって来たのか、頭を掻いて溜め息を
「先輩と寝たいなら一生大切にする気でやらないと駄目だよ。少なくとも恋人同士になる事を前提にね」
「いや、俺は恋人は作らない主義だ。気軽に色んな女と寝れなくなっちまうからな」
「うん、やっぱりクズだ君は」
「もっとオブラートに包む努力しやがれ‼︎」
悲痛に叫ぶルート――ルートヴィッヒに、呆れながらも少し楽し気な柔らかな笑みを浮かべるエルヴィン。側から見れば気心の知れた仲だと分かるが、この光景を作り出せる彼だからこそ、彼女もエルヴィンの友人であり続けていた。
人の共通して最も優れた能力は異物を排除する事である。自分達とは異なるもの、異なる価値観を保有する者は、大抵が対立を生み、争いを招く可能性がある。それへの危惧から、異物を排除する事により自分達の日常を守ろうという本能によるものだ。
しかし、排除対象となる異なる者。その中には天才と部類される者達も居る。彼等は間違いなく異端と呼ばれるが、
人の多くはそんな天才達まで排除してしまう癖を持ってしまっているのだ。
そして、エルヴィンは排除という行為と疎遠だ。全くではないが、排除対象が狭く、許容対象が広いのだ。
彼女自身、自分が天才だとは思っていないが、女性なのに軍人を目指しているという意味では異物に分類される。ルートヴィッヒに関しては正に異物に分類されるだろう。
そんな中で、エルヴィンは彼等と友人であり続けている。彼自身も少し変わっている、というのもあるかもしれないが、少なくとも、彼女の事を「女性の癖に!」などと評したりはしない。
だからこそ、彼女としては、彼と居るのは心地良かったし、彼等と居るのが楽しかった。
(エルヴィン達と居ると、不思議と気持ちが軽くなるな……)
自分の思いを振り返った彼女の口元に、ふと笑みが浮かぶ。
「先輩、なんか嬉しい事でもありましたか?」
「エルヴィン……私は今、笑っていたのか?」
「ええ、少し嬉しそうというか、楽しそうというか……」
「そうか……なら、嬉しくて楽しかったんだろうな」
「はぁ……」
意味が理解出来ず首を傾げるエルヴィンを眺めながら、彼女はこう思った。「ずっと彼等の友人でありたいものだ」、と。
「エルヴィンとルートヴィッヒは今、元気だろうか……?」
定期的に手紙のやり取りをしてはいるが、エルヴィンは激戦区のブリュメール方面軍に居る。自分にも戦いの機運が高まっている中、自然と彼の事を思い出し、彼等の事を想ったのだ。
「また彼等に会いたいな……そして、色々とたわい無い話をして笑い合うんだ」
口にした光景を思い浮かべ、口元を緩めた彼女だったが、呼び声で現実へと引き戻される。
「中尉!
「……ん? あぁ、わかった! 直ぐ行く!」
思い出に浸るのは
ジョンブル王国に最も近いリーズスティーンツ地方。宣戦布告をしたからには王国がこの地を先ず攻める可能性は極めて高かった。
今は無事、この難局を乗り切らねばならない。そして、この高波を超えた後、彼等に会いに行こう。そう、彼女は心に決め、まだ見えぬ敵へ闘志を滲ませるのだった。
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