7-94 オリヴィエ要塞

 燃え盛る要塞設備の鎮火に当たる共和国兵達だったが、空には巨龍リンドヴルム群が居座り続け、背に乗せた火薬の塊を次々と落とされ、炎を振り撒き続けられていく。



「クソッ‼︎ キリがねぇぞ‼︎」



 顔に着いたすすを手の甲で拭いながら毒気を吐くタランス大佐。幸いにして、高高度から爆弾を落として来ているのと、しかも質の悪い爆弾を落として来ているという事で、重要施設への被害は軽微。不発や上空で無意味に炸裂する物まであるなど、思ったよりかは深刻ではない。


 それでも、ウザったらしい攻撃が続いている事に変わりは無いため、喉の奥から湧き出す猛毒を止める事は出来なかった。



「制空権を取られたのが此処ここまで響くとはな。低空飛行の火龍サラマンドルなら対空砲や対空機関銃で落とせんのに、あんな高い所に居る巨龍リンドヴルムはどうしようもねぇ‼︎」



 遥か上空、建物の燃やしカスたる煙に空が覆われながら、タランス大佐はその合間に見える巨龍リンドヴルムを忌々し気に見上げた。


 しかし、尚も困難は終わらない。炎に戸惑っているこの機を敵が逃す筈もないからだ。



「帝国軍本隊に動きあり! 此方こちらに向かって来ます!」



 西方の監視塔から兵士伝いに要塞内へ伝播した情報。帝国軍本隊が遂にオリヴィエ要塞奪取へ、深々と座っていた椅子から腰を上げたのだ。



「味方本隊に至急連絡を取れ!」


「バニョレ准将、駄目です! 通信妨害が外れません! 敵が上空から別の妨害を張っています!」


「クソッ‼︎」



 オリヴィエ要塞通信室。情報主任参謀ジョゼフ・バニョレ准将は机に拳を叩き付ける。



「まんまとしてやられた! これでは本隊が基地を奪還して戻るまで、持ち堪えさせなければならないではないか!」



 おそらく、敵がルミエール・オキュレ基地を奪った最大の理由はこれなのだろう。共和国軍が中途半端な兵力ではなく、大多数の戦力を削って基地奪還に動き、要塞を手薄にする事を見越して、別働隊が基地で敵本隊を足止めしている間に、味方本隊が要塞を落とす、という算段を帝国軍は立てていたのだ。


 かと言って要塞が簡単に落ちるとは思えない。


 海軍戦力も消えた、空軍戦力も消えた、陸軍戦力も低下した。しかし、要塞の防衛機能は健在である。


 そもそも、要塞を落とすには最低でも五倍の兵力が望ましい。現在の戦力比は丁度五倍といった所で、落とせなくはないが、もし落とせたとしても、多数の兵士が死ぬ上、疲労と兵力低下の中、戻って来るだろう共和国軍本隊から要塞を守り切らねばならない。


 部が悪い賭けも良い所で、最早、帝国軍に勝ちがあるとは到底思えないのだが、敵は動いた。動いたという事は何かしらの勝算があるという事だ。



「兵力差だけで見れば、要塞が落ちる事は早々には無い。万が一落ちても簡単に奪還は叶うだろう。だが……嫌な予感がする」



 情報将校ではあるが明確に情報を手に入れての判断ではない。長年の経験と染み付いた勝敗パターンから来る感が、バニョレ准将に黒々とした死神の鎌を見せびらかしていたのだ。


 そして、またしても予想は不幸にも現実へと変換される。


 炎により空を覆った黒い煙。それが目眩しとなって誰も気付けなかった。


 火薬を詰め込んだ箱を背負った巨龍リンドヴルム群とは"別の巨龍リンドヴルム群"。事を。


 風は穏やかとは言い難い上、黒い煙を吸わぬよう努力しながら、視界が遮られる恐怖を味わいながら、大きく流される者を少なく済ませながら要塞へと落ちていく帝国兵達。

 そうして、彼等は、空中でパラシュートを広げ、僅かな犠牲を伴いながらも、静かに要塞内部へと降り立った、


 これもまた前世に存在した戦術、が実行され、共和国軍は上空から要塞内部へ帝国兵の侵入を許してしまったのである。



「消火に専念させなきゃならん、こんな時に……‼︎」



 奥歯を鳴らし、一部部下達を連れて、タランス大佐は上空から降り立った敵の迎撃を開始した。


 そうして、奮戦と共に、敵に少なからずの損害を与える共和国軍だったが、内部と外部から攻められているという事実上の二正面作戦に等しい未曾有の窮地に、着々と押され始めてしまう。


 せめてもの救いとした敵降下部隊の脆弱だろう補給線は、制空権確保を活用した巨龍リンドヴルムによる補給の運搬及び、要塞内に存在した食糧庫を敵に確保された事で儚く散った。


 そして、朝を迎え、夜を迎えを繰り返す事三回、要塞内の共和国軍の戦闘継続能力が低下し、僅かな隙を作り出してしまった瞬間、内部に侵入した帝国兵達に要塞西門へ大挙して襲いかかられ、周りの守備隊を蹴散らされ、外に居る帝国軍本隊の要塞への安全な道をこじ開けられてしまう。



「不味い‼︎」



 情報を受け取ったバニョレ准将が気付いた時にはもう遅く、西門からオリヴィエ要塞へと帝国兵達は、軍靴を鳴らし、発砲音を振り撒きながら、要塞司令室、作戦室、要塞砲塔、弾薬庫、食糧庫、そして通信室などを随時占拠。


 一万近く居た共和国兵達のことごとくを無力化し、未だ炎上を続ける施設の爆発音を除き、暴力に準ずる音を要塞内から消し去った。



「まさか、こんな鮮やかにれるとは思わなんだ……」


「ええ、本当に……」



 外壁から要塞内部を見下ろしながら、第10軍団司令室アウグスト・エッセン大将と第11軍団司令官ホルスト・ウルス・クレーフェルト大将は密かに湧き出す高揚感に舌鼓をうった。



「フライブルク中佐から作戦を聞いた時は耳を疑った。また、グラートバッハ閣下に空軍へ頭を下げさせる行為だったからな。上官に頭を下げさせ続けるなど、恐れ知らずというかなんというか……」


「その冷徹さがあればこそ、彼はアレだけの戦果を重ねて来たのでしょう。現実を見ぬ理想家など、効率重視の軍では破滅しか生みませんからね」


「そうかもしれん。だが……中佐はおそらくその理想家だ。いや、現実主義者の理想家だ。完全な冷徹では兵士を道具として認識してしまう。理想家でもなければアレだけの人望は得られんだろう」


「矛盾していませんか?」


「矛盾している。だが……彼はそれを綺麗に両立させておるのだ。実に面白い男だ」



 会った当初に抱いた印象とはえらい違いだと、エッセン大将は苦笑をこぼした。


 最初にフライブルク中佐と出会った感想は、貴族の身の程知らずの傲慢な若人という軽蔑だったが、今は頼りになる未来の名将である。

 もう少し早く気付けばヒルデブラント要塞攻防戦での死者も減らせたのではないか? という後悔まで溢れ出て来た事で、彼は考えるのを止めた。


 これは所詮結果論であるし、筈だった、べきだったなど、教訓とするならまだしも、後悔に使うなど無価値所か害でしかない。今はそんな事より目の前の仕事である。



「クレーフェルト大将。通信兵はもう通信室にるな?」


「はい。今から基地を守り続ける味方へ要塞奪取の報告及び敵本隊への交渉要請を行う所です」


「よし、なら急がせてくれ。今頃も基地の同胞達は血を流し続けておる。早く止血して、犠牲を減らしてやりたい」



 近くの伝令に自分の命令を伝達させるクレーフェルト大将を横目に、エッセン大将は再び要塞内部を見下ろし、未来へと思いを馳せる。



「一度も落ちなかった五つの要塞、その一つが落とされた。膠着していた戦況の歯車が駆動し始め、新たな物語を綴り始めたのだ。これから時代が動き出すかもしれん……」



 難攻不落を誇ったオリヴィエ要塞。ローラン要塞と合わせて共和国を守り続けた防波堤が決壊した。


 帝国と共和国の戦いを長引かせた元凶の一つがこの日崩れ落ちたのだ。


 それにより、膠着した戦況は動き出すだろう。


 悲劇を生むか喜劇を作り出すかは分からない。だが、少なくとも〔北方戦争〕という名の歴史は動く。


 これにより少しでも、この戦いの物語に好転が見られて欲しい、という思いが、要塞内の帝国兵達が抱いた共通感情であった。




 世暦せいれき1914年11月19日21時26分。難攻不落を誇った共和国の要塞、オリヴィエ要塞はこの日、帝国軍により落とされた。


 しかし、エッセン大将達の予想に反し、この勝利が歴史の転換点と成り得る事はない。


 後に、彼等は痛感させられたのだ。


 "帝国の命脈が既につき始めていたのだという事に"。

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